52.心の底にある気持ち
カエデの告白の翌土曜日。
龍之介と真琴は手術が成功したキヨを尋ねて再び大学病院へと向かっていた。土曜の午前の電車。人はまばらで良く効いた空調が寒いくらいだ。
(橘さんにまだちゃんと返事してないな……)
昨晩送られてきた『ダメだった』という告白の失敗を伝えるメッセージ。真琴はひと言答えただけできちんと返事をしていない。していないというよりは、どう答えたらいいのか分からなかった。
「キヨさん、無事成功して良かったな」
「え? はい、そうですね」
真琴が慌てて答える。龍之介が真琴の顔を見て言う。
「マコ、なんか顔色悪いぞ。大丈夫か?」
龍之介は真っ白な真琴の顔を見て心配そうに言う。
「だ、大丈夫です。私、もともと顔色悪いですから……」
「そうだよな。確かに」
咄嗟に口にした言い訳だったが、龍之介はそれを素直に信じた。
「おばあちゃん、おめでとう!!」
「ありがとね、真琴」
病室に見舞いに着た真琴達を、キヨは満面の笑みで迎えた。長い入院生活も終わりが見え、その顔は以前と違って明らかに明るい。
「龍之介さんもありがとうございます」
「いえ、そんなこと何も……」
謙遜する龍之介。キヨがにこっと笑う。
「おばあちゃん、退院はいつなの?」
「恐らく再来週ぐらいかしら。でも退院してもマンションには帰れないわよ」
そう話すキヨを真琴が悲しそうな顔で見つめる。
「やっぱり本家に行くの?」
「ええ、ここから近いし、何かあっても安心だから」
病院から距離のあるマンションで生活することはできない。本家ならばキヨの周りの世話をする人間はたくさんいる。しばらく真琴と会話してからキヨが言う。
「ちょっと喉が渇いちゃったわ。そうね、たまには真琴。何か買って来てくれる?」
そう言って財布からお金を取り出し真琴に手渡す。
「うん、いいよ。ちょっと待っててね」
真琴はそれを受け取り病室を出て行く。キヨは真琴が完全に出て行ったのを確か見てから龍之介に言った。
「龍之介さん、本当にありがとうございました」
「え? どうしたんですか、急に??」
頭を上げながらキヨが言う。
「トラさんのお孫さんだったんですね……」
「え、じいちゃんのライン友達ってキヨさん??」
龍之介が驚いた顔をする。キヨが笑って言う。
「そうですか。そう言うことならあまり聞きませんが、トラさんが来てくれたお陰ですごく元気になりまして。早く退院してまた一緒にお茶を飲みたいと手術も頑張れました」
「そうですか。良かったです!」
そう笑顔で言う龍之介にキヨも笑って言う。
「本当に龍之介さんにはお世話になりました。感謝してもしきれません」
「いや、俺は何も別に……」
「私が退院した後も、真琴のこと宜しくお願いしますね」
「はい、分かってます! あいつ、大学も俺と一緒のとこ行くって言うし、しばらくはこのままかなって思っています」
それを知らなかったキヨが驚いて言う。
「まあ、真琴の大学の希望が龍之介さんと同じ大学ですって?」
「あれ、知らなかったんですか?」
「初耳だわ。まあ、そうですか。それなら本気で面倒を見て貰わなきゃいけないようですわね」
「ん?」
よく意味が分からない龍之介が首を傾げる。そこへ勢いよくドアが開かれ真琴が帰って来た。
「買って来たよー!!」
手には冷たい飲み物。真琴はそれをふたりに手渡すと尋ねた。
「ねー、なに話してたの?」
キヨが答える。
「ああ、トラさんのことですよ」
「トラさん? ああ、おばあちゃんのライン友達の」
「ええ、実はトラさんのお孫さんが龍之介さんだったの」
「えーーー!!! そうだったんですか!?」
驚く真琴に龍之介が苦笑いして答える。
「ああ、なんかそうだったみたい。俺も驚いてたんだよ」
キヨが嬉しそうに言う。
「龍之介さんには本当に感謝しなきゃいけないですわね」
「そ、そうね……」
ちょっと意味が分からない真琴。謙遜する龍之介を横に真琴がキヨに尋ねる。
「それでトラさんとは上手くやれてるの?」
キヨがにこっと笑いながら真琴に言う。
「朝比奈家の女は機械は全然ダメだけど、狙った男は必ずものにする。でしょ? 真琴」
意味ありげな顔で真琴を見つめるキヨ。真琴が引きつった顔でそれに答える。
「そ、そうなの? 知らなかった」
「真琴も頑張りなさいよ」
「わ、私はそんなんじゃ……」
朝比奈家のふたりの会話。龍之介だけがいまいちその意味が理解できなかった。
(はあ、憂鬱だな。憂鬱って言うよりどうしていいのか分からない……)
キヨの見舞いを終えた翌月曜日の朝。
駅から学校へ歩く真琴の足取りは重かった。カエデの龍之介への告白。あれからまともに連絡は取っていない。何を話せばいいのか全く分からない。
(あ、あれは……)
そんな真琴の目に少し前を歩く赤いボブカットの後姿が目に入った。間違いなく橘カエデ。真琴は意を決して声を掛ける。
「橘さん」
名前を呼ばれたカエデがゆっくりと後ろを振り返る。
「朝比奈……」
その顔はいつもと同じ。ただ少し元気はない。一緒に並んで歩き出すふたり。カエデが先に言った。
「フラれちゃったよ」
「うん……」
静かにそれに答える真琴。
「まあ、ダメだとは最初から思っていたけどね。私、まだ子供だし」
「……」
無言になる真琴。やはり何と答えていいのか分からない。カエデが言う。
「ずっと憧れていたんだ。喫茶店でコーヒーを淹れる姿。すっごくカッコいいし」
「うん……」
それは同意する。カウンターに立って制服でコーヒーを淹れる龍之介は客観的に見てもとてもスマート。
「だからいっぱい喫茶店に通ったし、ずっと見て来た。だから今回想いが溢れちゃって告白してけど、ひとかけらの後悔もない」
夏も終わり朝は少しだけ涼しくなってきたこの頃。ふたりの間をそんな涼しい風が吹き抜ける。カエデが尋ねる。
「なあ、朝比奈。ひとつ聞いてもいいか?」
「なに?」
真琴がカエデの横顔を見つめる。
「お前と三上さんって付き合っていないんだよな」
真琴が首を大きく縦に振って応える。カエデが言う。
「三上さんね、きっと朝比奈のことが好きなんだよ。お前はどう思ってるの?」
一緒に歩いていていた真琴の足が止まる。カエデも真琴の少し前で歩みを止め、前を向いたまま言う。
「お前達の関係がどんなんだか私は知らないけど、もし、もし三上さんがその思いをお前に告げる時は返事はどうあれ……」
カエデが振り返って真琴に言う。
「その想いにちゃんと応えて欲しい」
そう言ったカエデの目はその髪同様真っ赤になっていた。
真琴はきっと彼女はもう自分の心の中の気持ちを、自分よりしっかりと理解しているんだと思った。




