51.とある女子高生の告白。
九月の終わり。
予定が遅れていたキヨの手術を数日後に控えた大学病院に、真琴と龍之介がお見舞いにやって来ていた。まだ暑さが残る残暑。空調の効いた部屋は快適だ。
「おばあちゃん、頑張ってね」
「ああ、大丈夫。心配しなくてもいいよ」
そう答えるキヨの顔は不安で一杯である。
大手術。高齢であるキヨの体には負担が大き過ぎる。仕方のないことだが、長い入院生活も確実に彼女を弱らせていた。龍之介が尋ねる。
「キヨさん、トラさんはどうですか?」
三上虎次郎。龍之介の祖父であり、キヨのライン友達。
「ええ、頑張れと応援してくれてますよ」
それを聞いた瞬間に龍之介はまだ彼がここに来ていないんだと直感した。龍之介がキヨを見ながら言う。
「キヨさん、絶対に成功しますから。絶対に大丈夫ですからね!」
キヨがそれに笑顔で答える。
「そう言って貰えると嬉しいわ。真琴のこと、よろしくね」
「はい!」
それを少し頬を赤らめて聞く真琴。
龍之介はスマホを取り出すと「トイレ行きます」と言って病室を出て行く。そして通話可能エリアに来てから電話をかけた。
「もしもし、龍之介だけど!」
龍之介は強い口調でその電話相手に向かって話を始めた。
手術前日の夕方。
最後まで残っていた家族が帰り、スマホで真琴や龍之介の応援メッセージを読んでいたキヨにドアをノックする音が聞こえた。
「はい……?」
面会時間は過ぎている。医者の回診も終わっている。戸惑うキヨだったがドアを開け、現れたその男を見て息を飲んだ。
「ト、トラさん!?」
キヨの心臓が激しく鼓動する。虎次郎が言う。
「や、やあ、キヨさん……」
キヨの頭は混乱していた。
ずっと来てくれなかったトラがどうして急に? どうしてこの場所を知っているの? 唖然とするキヨに虎次郎が言う。
「孫に、叱られちゃいまして……」
「孫……?」
意味の分からないキヨが尋ね返す。虎次郎が病室に入りベッドの隣の椅子に座って言う。
「孫ですよ。龍之介。あれ? キヨさんは知らなかったのかい?」
「え、龍之介さん!?」
その言葉でキヨはすべてを理解した。そして慌てて起き上がろうとして言う。
「お、お茶を淹れますね」
虎次郎が言う。
「あ、いや。俺が淹れます。キヨさんは寝てて」
「は、はい……」
夕日の差す病室。
久しぶりの再会を果たしたふたりは、夜が更けるまでずっと話をした。
そして翌日、真琴と龍之介のスマホにキヨの手術が成功したとの連絡が入った。
「なあ、朝比奈」
朝、学校に登校して来た真琴にカエデが声を掛けた。まだ授業が始まる前の教室。真琴はカエデに呼ばれて廊下へと移動する。
「どうしたの?」
そう尋ねる真琴にカエデが答える。
「今日さ、三上さんに告白しようと思ってるんだ」
そう言うカエデの顔は真剣である。
「そう……」
一瞬真琴の顔が曇る。カエデが続ける。
「バイト終わった後に声かけて見て、そのまま言おうと思ってる。まあ、私みたいな子供は相手にされないと思うけどね」
「そうなんだ。分かった……」
表情が硬い真琴にカエデが尋ねる。
「やっぱ無理かな?」
「どうだろう……、良く分かんない」
真琴は動揺していた。少なからず冷静ではないことを感じていた。
その後真琴は、告白の計画を話すカエデの話をぼうっとしたまま聞き続けた。
「あの……」
バイトを終え、駅に向かってひとりで歩いていた龍之介は後ろから掛けられた声に気付いて振り返る。
「あ、君は……」
赤い髪のボブカットの女子高生。よく店に来てくれていた常連さん。最近は少し顔を見なくなっていたが、もしかしたらそれは少し前に自分がきついひと言を言ったせいなのではないかと心配していた。
少し薄暗い夕暮れ。カエデの顔ははっきり見えなかったが真っ赤に染まっていた。
「あの、突然ですみません。私……」
龍之介がじっとカエデを見つめる。
「あなたのことが好きなんです……」
(えっ)
好意を持ってくれていた事は何となく気付いていた。でもまさか告白されるとは思ってもいなかった。龍之介が答える。
「ありがとう。嬉しいよ」
「え、それって……」
一瞬カエデの顔に笑みが浮かぶ。
「でも……」
カエデの笑みが消える。
「でもごめん。俺、好きな人がいるんだ」
(やっぱ、ダメだった……)
カエデの顔から表情が消える。
「確か令華高校の子だったよね」
「はい……」
(私、フラれたんだ……)
「俺が好きな子ってのも同じ令華高校の子」
「え、うちの学校……」
少しだけ現実に戻ったカエデが龍之介の言葉を繰り返す。龍之介の好きな相手がまさか自分と同じ高校だとは意外だった。
「朝、いつも同じ電車に乗ったおさげの女の子で……」
(おさげ……?)
カエデがようやく龍之介の顔をしっかりと見つめる。
「大人しい感じの子でいつも本を読んでいるんだ」
(え、え、それって、ねえ、それって……)
カエデの頭にその好きだという女子高生のイメージが出来上がる。
(それって朝比奈のことじゃん……)
カエデの頭でようやくその点が線となって繋がる。
「だから、ごめん。君の気持には応えられない」
カエデの目にじんわりと涙が浮かぶ。
ダメなのは分かっていた。自分に興味がないのは分かっていた。だけど色々な事実を知りまだ頭の整理がつかない。龍之介が言う。
「俺もちゃんと想いを伝えなきゃいけないと思ってる。例えダメだったとしても」
龍之介がまだ真琴と付き合っていないことを知るカエデ。苦笑いして答える。
「あの、ごめんなさい。私、大丈夫ですから。ありがとうございました……」
カエデはそう言って軽く頭を下げると小走りでその場を立ち去った。
(三上さん、三上さんは、朝比奈のことが好きなんだ……)
ようやく完全に現実世界に戻って来たカエデ。その両目に涙が溢れた。
(龍之介さんは今頃……)
マンションに帰り夕食を作って龍之介の帰りを待っていた真琴が、テーブルに座ってため息をつく。告白すると宣言して下校していったカエデ。真琴はそれを何も言えずにただ見送ることしかできなかった。
(私は、どうしたいの……?)
テーブルに並べられた自慢の手作り料理。
毎日龍之介と一緒に食べるご飯はとても楽しく、幸せであった。反面、彼の真琴への気持ちを知っている以上、こうして騙し続けるのも辛い。真琴であることを告げるのは恥ずかしくて死にそうなのだが、カエデの顔が浮かんで来てもうどうしたらいいのか分からなくなる。
「ただいまー、マコ!」
(帰って来た!)
いつも通りの元気な声。一瞬その『当たり前』に真琴が安堵する。
「おかえりなさい、龍之介さん!」
玄関で迎えた真琴。だが龍之介の顔を見てそれがいつもとは微妙に違うことに気付いた。
(橘さんの告白、断ったのかな……)
無論そんな事は聞けない。今の立場では自分が踏み込んではいけない話。
「あー、ハラ減ったな。ご飯食べよっか」
「あ、はい」
真琴は頷いてキッチンへと向かう。
「いただきまーす!!」
そう元気に言って夕飯を食べ始める龍之介。それをちらりと見ながら真琴も一緒に食べ始める。カエデの話は聞けない。そう思っていた真琴に龍之介が言った。
「俺な、告白しようと思うんだ」
「え?」
真琴の箸が止まる。
(主語が違う? 橘さんの話じゃない……??)
龍之介の顔を見つめる真琴に予想外の言葉が投げかけられる。
「俺な、そろそろ『天使様』に告白しようと思うんだ」
「え、ほ、本当なんですか!?」
カエデの話じゃない。真琴の話。しかも唐突の告白宣言。動揺する真琴。龍之介が尋ねる。
「マコもやっぱなかなか『天使様』と距離縮められないよな」
「え、ええ……」
心臓が壊れそうになる真琴。
「まあ、俺に紹介しろってのも難しいとは思ってる。だから、もう色々考えるのはやめて当たって砕けろで行こうと思うんだ」
「当たって、砕ける……」
真琴がぼそっとその言葉を繰り返す。
「遠くから見て想いを持ち続けるだけってのは、やっぱ俺には合わないし。ダメならダメでいい。ちゃんと想いは伝えようと思うんだ」
「あの……」
どう答えていいのか分からない。思いがまとまらないし、言葉が口から出ない。そんな真琴の目に、テーブルの隅に置いたスマホの画面に表示された一通のメッセージが映った。
『やっぱダメだった。フラれちゃった』
カエデからのメッセージ。
龍之介に告白して振られてしまったことを告げるメッセージ。
(みんな、みんな自分にちゃんと向き合って頑張ってる……)
みんな頑張ってる。逃げずに、ちゃんと。
真琴はこの不思議な関係がきっと近い将来終わりを告げるのだと、何となく心のどこかで感じていた。




