47.私が貰っちゃおうかな。
お盆に入り夏の暑さもピークを迎えていた。
相変わらずセミの鳴き声もうるさいし外を歩けば汗が滲み出る猛暑が続いていたが、龍之介と真琴が訪れたその病室だけはそんな夏の暑さとは無縁の世界であった。
「おばあちゃん、元気だった??」
大学病院の最高級の病室。空調がしっかり効いた涼しい部屋のベッドの上でキヨがそれに笑顔で答えた。
「ああ、元気だよ。龍之介さんもいらっしゃい」
「こんにちは。お元気そうで良かったです」
龍之介が買って来た果物をテーブルの上に置く。
真琴はキヨの隣に座り、その細くなった手を握りながら色々と話をする。しばらく話をした後でキヨがふたりに言った。
「そう言えばちょっとだけ手術の日が伸びてね、九月に入ってからになりそうなんだよ」
「そうなの? まだしばらく退院できないんだ……」
真琴が悲しそうに言う。
「でも退院しても私は本家に戻るのよ」
「うん……」
本家に戻れば真琴の両親がいる。体のことを考えればこれまでのように真琴とのふたり暮らしはできない。キヨが龍之介に言う。
「真琴のことは頼みましたよ、龍之介さん」
「あ、はい。楽しくやってますから!」
そう答える龍之介を見て真琴が顔をほんの少しだけ赤らめる。龍之介が言う。
「じゃあ、俺はこの辺で。じいちゃんの所へちょっと顔見せに行くんで」
「ああ、そうかい。気を付けてね」
「はい。じゃあな、マコ!」
「うん、またね」
真琴もそれに手を上げて答える。キヨが真琴に尋ねる。
「龍之介さんとの生活は楽しいかい?」
「うん……」
真琴はそれに恥ずかしそうに答えた。
龍之介は電車を乗り継ぎ、郊外にある小さなアパートへやって来た。
二階建ての古い建物で、若い人などおらず老人率の高いアパート。その二階に龍之介の祖父、三上虎次郎はひとりで暮らしている。
「じいちゃん、いるー?」
龍之介がノックもせずにドアを開け、声を掛ける。
「お、龍之介か? 入ってこい」
それを聞いて龍之介が靴を脱ぎ部屋に上がる。
黒く焼けた肌に白い短髪。以前と全く変わらない姿に龍之介は少しだけ安心する。虎次郎が言う。
「暑かったろ? お茶でも飲んでけ」
そう言って虎次郎が冷蔵庫に入った麦茶をグラスに入れ龍之介に差し出す。
「ありがとう」
それを受け取り飲み始める龍之介。しばらく世間話をした後、龍之介が尋ねた。
「ねえ、じいちゃん。そう言えばスマホやってるでしょ?」
「スマホ? ああ、一応な」
そう言って机の上に置かれていたスマホを手にする。
「ラインやってる?」
「ああ」
「キヨさん、って人知ってる?」
「え?」
それまで笑っていた虎次郎の顔が一瞬固まる。そして龍之介を見て言った。
「何で知ってんだ?」
「うん、実はさ……」
龍之介は虎次郎にスマホ教室のこと、孫のマコのこと、そして今彼と一緒に暮らしていることを話した。
「そんな偶然があるとはな……」
虎次郎がグラスに入った麦茶をひとくち口に含む。
「キヨさん、もうすぐ手術なんだ。それでじいちゃんに会えるのをずっと楽しみにしてて……」
「……」
虎次郎が無言になる。その視線は龍之介が幼い頃に他界した祖母の写真に向けられる。
「おばあちゃんのこと?」
虎次郎が無言になる。
「おばあちゃんを大事に思うのは良いことだけど、じいちゃんが誰かを好きになるのだって悪いことじゃないと思うよ」
「生意気なこと言うんじゃねえ」
龍之介が言う。
「キヨさん、スマホとかずっごく苦手で、でもじいちゃんと連絡とりたいから一生懸命覚えてさ。中途半端に連絡先渡して、この状況は男としてダッサイわ」
孫に言われて黙り込む虎次郎。じっと見つめる龍之介に虎次郎が尋ねる。
「キヨさんは、その、亭主はいないのか?」
「いないよ。じいちゃんと同じくずいぶん前に亡くなったみたい」
「そうか……」
夫がいるのにこの様なやり取りをするならば思うところはあったが、お互い独り身なら問題はない。龍之介が言う。
「キヨさん、大きな手術が来月あって精神的にも弱っているんだ。行って元気付けてやりなよ」
「俺が行っちまってもいいんか」
「じいちゃんじゃなきゃ誰が行くんだよ?」
「……」
「幾つになっても誰かを好きになるっていいことじゃん。応援するぜ!」
虎次郎が笑いながら言う。
「いつの間に一人前の口利くようになったんだ?」
「一人前だよ。彼女まだいないけど」
「じゃあ、半人前だな」
「好きな子はいるよ」
「落とせそうなのか?」
「全然。まともに会話したこともない」
「ダメじゃねえか」
「うん。でもきっと何とかなる!!」
虎次郎は龍之介の頭を撫でながら言う。
「ああ、きっと何とかなるな」
龍之介が立ち上がりながら言う。
「じゃあ、俺、ばあちゃんの墓参り行ってから帰るわ。これ、病院の住所」
そう言って紙に書かれたメモを渡す。
「気を付けてな」
「ああ、じいちゃんも頑張れよ!」
龍之介はそう言って手を振って虎次郎のアパートを出た。
「孫にああまで言われちゃあな……」
虎次郎は渡されたメモの紙をじっと見つめた。
龍之介がキヨの病院を出てすぐ、同じく自分のマンションに帰ろうとしていた真琴のスマホに桃香から連絡が入った。
『真琴ちゃん、今日ヒマ?』
『はい!』
『おうち行っていい? お昼一緒に食べよ』
『いいですね! 待ってます!!』
こうして龍之介不在の中、真琴のマンションに桃香がやって来た。
「いらっしゃーい、桃香さん!」
「お邪魔するね」
桃香はキヨを除いて唯一男装を知る存在。真琴にとっては化粧を教えて貰ったりするお姉さん的存在でもある。桃香が言う。
「噂には聞いていたけど、すごい豪華なマンションね」
「そんなことないです。私はただ住んでいるだけで」
最近ずっと家でも男装をしていた真琴。久しぶりの女の真琴で過ごすリビングに気持ちが開放的になる。
「龍之介君はいないのね」
「はい、おじいさんの家に行っているとかで」
「そうか。お盆だもんね」
「はい」
桃香が尋ねる。
「真琴ちゃん、お昼まだでしょ?」
「はい、何か作りましょうか」
「一緒に作ろ。材料買って来たから」
そう言って鞄の中に入れて置いた食材を取り出す。
「うわー、いいですね!! 材料から察するに、冷やし中華?」
「正解~!! それからこれも!!」
そう言って取り出したのはどこか高級そうなワインボトル。
「真琴はちゃんはまだ飲めないけどね」
「ぶどうジュース飲みますから」
真琴がそう笑顔で答える。
「じゃあ作ろっか」
「はい!」
ふたりは一緒にキッチンへと向かった。
「かんぱ~い!!」
そして始まった冷やし中華を食べながらの女子会。
桃香は意外と速いペースでグラスを空けて行く。お酒が飲めない真琴は、そんな彼女を見ながらだんだん雰囲気が変わっていくのを感じる。桃香が顔を赤らめながら言う。
「ねえ~、真琴ちゃんは、ここで龍之介君と暮らしていて、襲われないの~??」
驚いた真琴が答える。
「わ、私はここでは男ですから!!」
桃香が真琴の顔に近付いて言う。
「ふ~ん。こんなに可愛いのに~、龍之介君は本当に気付かないのかな??」
一瞬どきっとしながらも真琴も頷いて言う。
「そ、そうですよね。バレないのは嬉しいんですけど、まったく気づいて貰えないってのも何か微妙なんです……」
言いながらどこか矛盾していることに真琴が苦笑する。桃香がワイングラスを一気に空けてから言う。
「真琴ちゃんはさ~、龍之介君のことが好きなわけ~?」
「え?」
その質問に黙り込む真琴。すぐに慌てて否定する。
「そ、そんな訳ないじゃないですか! 龍之介さんにはお世話になっていますし、そんなことにならないように男装している訳だし……」
(あれ?)
そう口にした真琴が思う。
(私、龍之介さんに好かれないように男装してるの……?)
桃香がワインをグラスに注ぎながらうっとりした目で言う。
「そうなんだ~。じゃあ、龍之介君、私が……」
真琴が桃香を見つめる。
「私が、貰っちゃおうかな~」
真琴は心臓が壊れるんじゃないかと思うほど激しく鼓動した。




