38.ごめんなさい。
照り付ける太陽。海から吹く熱い風。
そんな夏のビーチの上に、その真っ白な肌をしたおさげの美少女はひとり立っていた。
「あ、あれは『おさげの天使様』……!?」
龍之介はその目に映った愛しの天使様をじっと見つめる。
絹のような白い肌に艶のある黒い髪。いつもの可愛らしいおさげに手をやり佇む天使様。ハイネックの水着は彼女のスレンダーな体をより美しく見せている。
「天使様、天使様……」
龍之介が小さくその名を口にしながら歩き出す。異変に気付いた桃香が声を掛ける。
「あれ、どうかしたの? 龍之介君」
龍之介はそんな声にも耳を貸さずにゆっくりと天使様の方へと歩き出す。
(恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい!!)
一方の水着を着てビーチに立った真琴は、生まれて初めての経験に足が震えて倒れそうになっていた。
ただ胸こそまな板だが、素材自体は抜群の真琴。きめ細やかな白い肌にスレンダーな肢体。ひとりビーチに立つ彼女を、近くに居た男達は横目でじろじろと見つめる。
(あ、龍之介さんがこっちに来た!!!)
そして無意識に見せたかった龍之介がこちらに来るのが見えて動揺する。
(どうしよう!? に、逃げなきゃ!!)
そして体をくるりと回転させて海の家の方へと小走りになって移動する。
「ああ、天使様っ!!」
あっと言う間に視界から消えて行った憧れの天使を前に、龍之介が呆然と佇む。
(え、あれって、まさか真琴ちゃん??)
その様子を後ろで見ていた桃香が、逃げて行ったおさげの女の子を見て思う。さっきまでチェアーに座っていた真琴もいない。桃香は確信した。
(わ、私、一体何やってるんだろう……)
再び男装した真琴が足取り重くビーチに戻って来た。
絶対に着るはずのなかった水着に着替えてビーチに立つ。泳ぐつもりもないし、海を楽しむつもりもなかった。ただ少し離れた場所に立つ彼にこの姿を見て貰いたかった。
(私、龍之介さんに水着姿を見て欲しかったの……??)
思ってもみなかった事実に気付き真琴が動揺する。
こんな場所に来るだけでも勇気を絞って来たのに、水着なんて恥ずかしい姿を見て貰いたかった? そんなはずはない。でも、
――でも、でもでもでもでも、でも……、嬉しかった……
龍之介は自分を見つけてくれて、そしてじっと見つめていた。
新しく買った水着はどうだったろう。可愛かったかな。気に入ってくれたかな。どう思ったのかな。
色々と複雑な気持ちが真琴の中で交差する。そんな彼女がチェアーに腰を下ろすと龍之介が走って来て言った。
「マ、マコ!! 大変だ!! さっきな、さっきここに『天使様』がいたんだ!!」
(うっ)
真琴の顔が一瞬引きつる。
「めっちゃ可愛かったぞ!! かーーーーーーわいい水着着て、ああ、ビーチの天使様!!!」
かあああ……
その言葉を聞いた真琴の顔が赤くなる。龍之介が尋ねる。
「マコ、お前、天使様が来てるって聞いてないよな??」
「い、いえ、知らないです……」
真琴が答えると同時に龍之介が走り出す。
「俺、探して来るよ!!!」
「あ、ちょ、ちょっと!!」
龍之介はそう言い残すとひとりビーチを走り出した。
(龍之介さん……)
嬉しさの反面、一体自分は何をやっているんだという罪悪感が真琴を襲う。
「真琴ちゃん、さっきのって……」
龍之介が走り去った後、桃香が心配そうな顔でやって来た。
「あ、はい。ごめんなさい……」
見せるはずのなかった水着に着替えてしまった。自分でも説明のつかない行動に真琴が謝る。桃香が言う。
「なんで謝るの? 見て欲しかったんでしょ、龍之介君に?」
「え?」
そんなはずはない。そんなはずはないんだけど、それですべて説明がつく。桃香が尋ねる。
「それで龍之介君には見て貰ったんでしょ? で、どう思ったの??」
真琴が下を向き恥ずかしそうに言う。
「……嬉しかったです」
桃香が笑って言う。
「ほ~ら、それが答えじゃん。そういうこと。じゃあまたね」
桃香は小さく手を上げて友達の元へと戻って行く。
(嬉しかった……)
真琴は先程自分の水着姿を見た龍之介を思い出す。
これだけたくさんの女の人の水着がある中、ただただ自分を見つけて歩み寄って来てくれた。少し前までは水着を着るどころか、こんな場所へ来ることすら世間は許してくれないと思っていた。
(でもいいんだ、私が来ても。水着になっても)
同時に思い出す『可愛い』という龍之介の言葉。
全身が熱くなった真琴が、飲みかけのソフトドリンクを一気に飲み干す。
「マコ、居なかった。どっか行っちゃったよ……」
そこへ散々ビーチを走り回って『天使様』を探した龍之介が帰って来た。全身汗まみれ。額から大粒の汗が流れる。真琴が申し訳なさそうな顔で言う。
「ご、ごめんなさい……」
「は? 何でお前が謝るんだよ??」
意味が分からない龍之介が首を傾げて言う。真琴が答える。
「あ、そ、そうですね。あの、私、何か冷たい物でも買って来ます!!」
「あ、マコ!」
真琴はそう言うと立ち上がりソフトドリンクを買いに売店へと向かう。自分の訳の分からない行動によって龍之介に迷惑を掛けてしまった。せめてものお詫びの気持ちだった。
「あー、冷たくて美味しい!! ありがとな、マコ」
「あ、はい……」
買って来たソフトドリンクを一気に飲みながらそう言う龍之介に、真琴が下を向いて答える。
「それにしても本当に一瞬だったなあ。マジ、天使様」
「はい……」
それを聞き顔を赤くする真琴。
「と言うか会ったところで面識ないし声かけられないけどな。それかナンパしちゃえばよかったのかな?」
「……」
無言になる真琴。
「いやいや、そんなことしなくてもマコが行けば良かったんじゃん。知り合いだろ?」
「う、うん……」
自ら行ってきたとは言え、色々と何か取り返しのつかない方向へと事態が進んでいるような気がする。龍之介が言う。
「でもほんと今日来て良かったなあ~、めっちゃ可愛かったし、これで白米三杯は行ける」
「??」
よく意味が分からない真琴。
そして苦笑して龍之介を見つめる真琴の目に、あるものが映った。
(え?)
真琴がその真っ赤なボブカットの女性を見つめる。
「ねえ、カエデ~、マジどうしたの? 急に海なんて?」
カエデに無理やり連れて来られた取り巻きの女が言う。その赤い髪と同じ真っ赤なビキニに身を包んだカエデが、髪をかき上げながら言う。
「えー、いいでしょ? もう夏なんだし、やっぱ海でしょ」
「そうだけど、女だけで来てもねえ~」
取り巻きが周りのカップルや家族連れを見ながら言う。カエデが答える。
「いい男いたらナンパしちゃえば??」
「えー、逆ナン?? マジ言ってるの??」
「マジマジ」
そう言いながらもカエデの目は、ある男を探して周りをずっと見ている。
真琴の目に映るクラス苛めっ子のカエデ。
まさか取り巻きと一緒にビーチに来ているなんて思いもよらなかった。
「うそ、うそ……、わ、私、先に帰ります!!」
「え、あ、おい、マコ!!」
真琴は青い顔をして立ち上がると、荷物を抱えて走り出す。
「マコ、どうしたんだよ!!」
大きな声を出す龍之介。事態に気付いた桃香がすぐにやって来て尋ねる。
「どうしたの? 真琴ちゃん、どこ行ったの?」
「いえ、なんか急に帰るって……」
「帰る??」
心配そうな顔をした桃香が一瞬考えてから龍之介に言う。
「龍之介君、追いかけて。すぐに!!」
「え、でも……」
戸惑う龍之介に桃香が強い口調で言う。
「もう今日は帰りなさい!! 荷物は私が持って行ってあげるから!!」
「あ、はい!!」
桃香の命令には無条件に従ってしまう龍之介。薄い上着を着込むと駆け足で真琴を追って走り出した。
「マコーーーっ!!」
桃香は走り出した龍之介の後姿を笑みを浮かべて見つめた。
「マコーーっ!!」
「りゅ、龍之介さん!?」
駅のホームで待っていた真琴に龍之介がゼイゼイ息をつきながら駆けて来た。
「ど、どうして??」
驚くマコに龍之介が言う。
「それはこっちのセリフだろ? どうしたんだよ急に??」
真琴が下を向いて謝りながら言う。
「ごめんなさい。ちょっと体調も悪くて……」
こんな嘘をつかなければならない自分に嫌悪感を抱く。龍之介が言う。
「そうか、まあ仕方ないか」
「ごめんなさい……」
真琴は心の底から謝った。
「あ、電車……」
そこへやって来た帰りの電車。龍之介が言う。
「じゃあ、このまま帰ろっか」
「いいんですか?」
「いいよ」
とは言え龍之介は海パンに薄手の上着のみ。もう乾いているとは言えあまりにもみっともない。
「気にすんな。荷物は桃香さんが持って来てくれるって」
「はい、ごめんなさい……」
何度も謝る真琴の背中に手をやりながら、ふたりが一緒に電車に乗る。
ドアの近く。立ったまま外の景色を見つめるふたり。龍之介が言う。
「今日の夕食は俺が作るよ」
「え、でも……」
真琴が顔を上げて言う。
「体調悪いんだろ? 遠慮するな」
「あ、うん……」
真琴が小さく頷いて答える。龍之介が笑いながら言う。
「カップ麺だけどな。お前はカップ粥」
「えー、そんなのあるんですか??」
「あるよ。楽しみにしてな!」
「はい!!」
真琴は笑顔になって龍之介を見上げ答えた。




