33.お誘い
真琴がキヨの病院へ行った翌日、昼過ぎから喫茶店のバイトが入っていた龍之介が『カノン』を訪れる。
「お疲れさまでーす!!」
「あ、お疲れ。龍之介君」
ちょうど裏の事務所で休憩していた桃香が笑顔で挨拶をする。
甘い香り。バイトの制服なのに少しサイズが合っていないのか、窮屈そうなシャツが肉感的でいかがわしさすら感じる。桃香が椅子に座り足を組み替えながら言う。
「ねえ、龍之介君。今年もまた夏休みに海に行こうと思うんだけど、どぉかな~??」
夏休みの海。
昨年の夏、バイトのメンバーを中心にその友達も誘って海へ行ったのを思い出す。去年は龍之介も当時知り合ったばかりだったユリが来てくれて、桃香とユリという美女ふたりの水着姿に悶絶したのはいい思い出だ。
「いいですね、行きます!!」
そう笑顔で答える龍之介に桃香が言う。
「今年はね、仲の良い人だけで行こうと思ってるの」
龍之介は去年他のバイトメンバーが呼んだ、ちょっとチャラい男達のことを思い出した。何を勘違いしたのか桃香やユリに下品な言葉を掛けて何度も口説こうとしていた。桃香が尋ねる。
「ユリちゃんは呼ぶの?」
龍之介が少し考えて答える。
「いえ、そのつもりはないです……」
桃香はその言葉の意味を察し、それ以上尋ねるのをやめた。龍之介が言う。
「とりあえずマコにでも声かけて見ます。あいつもやしみたいに白くて細いから、少し太陽に当たった方がいいっすし」
「真琴ちゃん……」
桃香がその名前を口にする。
「あれ、呼ばなかった方がいいっすか?」
「ううん、いいわよ。呼んで、真琴ちゃん」
「了解!! 声かけてみますね!!」
龍之介はそのままバイトの制服に着替えて店内へと向かった。
「ただいまー、マコ」
「あ、おかえりなさい。龍之介さん」
その日の夕方、マンションに帰った龍之介を真琴が迎える。昨晩キヨの病院へ向かった真琴は一泊し、夕方過ぎに帰って来ていた。龍之介が尋ねる。
「キヨさんどうだった?」
「うん、もう大丈夫だって。元気だった」
「そうか、それは良かった」
「おばあちゃんの部屋に泊って、思いっきりじょ……」
『女子トーク』と言いかけて真琴が言葉を飲み込む。今は男子高校生。女子トークなどキヨとできるはずがない。
「じょ、冗談いっぱい言って来たよ」
「そうか。それは楽しかったな!」
「うん!」
真琴は気丈に振舞った。
確かに今回は何事もなく終わったが、キヨの病気が治った訳ではない。手術が終わるまでは、いや終わったところで完治する保証もない。真琴が笑顔を作る。
(あと……)
それからキヨに言われたことについてはしばらく心の中に留めておこうと思った。
そのままキッチンに向かったふたり。夕食を作って待っていてくれた真琴にお礼を言いながら龍之介が話す。
「マコ、夏休みだけどさ、海、行かない?」
「え、海?」
夕飯を食べようとしていた真琴の手が止まる。
「そう、海。去年桃香さん達と一緒に行ってさ、今年も行こうってなったんだよ」
「海って、ビーチで泳ぐやつ……??」
そう尋ねる真琴に龍之介が答える。
「そうだよ。それ以外何かある?」
「い、いえ……」
真琴が低い声で答える。
「去年はさ、ユリちゃんとか誘ったんだけど、今年は誘えないからマコ、どうかなって」
(ユリさん……)
真琴は以前龍之介のアパートに行った時に影から見た美しい金髪の女性を思い出す。
「りゅ、龍之介さんは、やっぱりユリさんのことが気になるんですか……?」
男だから堂々と聞けるこのセリフ。食事をしながら龍之介がさらっと答える。
「いや。俺は『おさげの天使様』一筋。ユリちゃんももちろん可愛いと思うけど、興味ない」
「そ、そうなんだ……」
少しだけ笑みになる真琴。
「何だお前、まさかユリちゃんのことが気になるとか?? お姉さん好きか??」
「ち、違います!!」
むきになって否定する真琴。これ以上変な勘違いさせてはいけない。龍之介が尋ねる。
「それでどうする? 行くのか、海」
「うーん……」
考え込む真琴。
正直真琴にとって夏のビーチなんて絶対に行きたくない場所である。軽くてチャラい男達がウヨウヨ居そうで考えただけでも頭が痛くなる。そもそも自分に海は似合わない。少し前なら即決で断っていた。だが……
「海はいいぞ~、お前はまだ見たことないと思うけど、桃香さんのビキニ。最高で最強。マジ、眼福だぜ!!」
真琴の頭に色っぽいビキニ姿の桃香、そしてそれをだらしない顔で見つめる龍之介の姿が浮かぶ。
(何だか、面白くないっ!!!)
まな板の真琴にとって水着で彼女に勝てるとは思いはしなかったが、それでも龍之介だけを行かせて自分は部屋で悶々としているのは気に入らない。
「行きます。私も行きます」
深く帽子を被った真琴が顔を上げて言う。
「そうか、行くか。よしよし、一緒に桃香さんのビキニを拝みに行こうぜ!!!」
(ふんっ!!)
真琴は声に出さないように首を背けてそれに応えた。
(さて、どうしたもんかな……)
夕食、そしてお風呂を終えた真琴がひとり部屋で考え込む。
「水着、持っていないんだよね……」
友達なんて居なかったこれまでの生活。
誰かと一緒に泳ぎに行ったことなど経験ないし、無論可愛い水着もない。あるのは武骨なスクール水着のみ。
(あんなの着れないしな……)
スクール水着など着れない。
いや、そもそも女性の水着を着て龍之介達の前に立つことすらできない。
(だ、だからって男の人の水着で行くなんて絶対無理だし!!!)
真琴は自分が男性用の水着を着て海に立つ姿を想像し真っ赤になる。
(ば、馬鹿なこと考えてないで、ちゃんと対策練らなきゃ!!!)
真琴がベッドの上に座り腕を組んで考える。
(水着が着られない以上、服のままで過ごすのが無難よね。更衣室だって使えないし。風邪を引いたとか何とか理由を付ければ大丈夫。いや、そもそも何で行くとか行っちゃったんだろう……)
真琴が首をひねって考える。ある程度の作戦が練り上がった時、不意にドアがノックされた。
コンコン
「マコ、いるか??」
「え!?」
龍之介の訪問。部屋には来ないでと約束してあるはずなのに一体何だろう??
「な、なに??」
ベッドの上に置かれたクッションを抱きかかえながら真琴が答える。今はお風呂上がりで髪を乾かしたばかり。まさに女の真琴の姿である。龍之介が言う。
「いや、ごめん。部屋に来ちゃって。さっき思い出したんだけど、俺さ、ようやく免許が取れたんだ。だから今度の日曜日、レンタカー借りてどっか行こうかなと思って。よかったら一緒に行かないか?」
「え? レンタカー」
真琴は少し前から龍之介が自動車教習所に再び通い出したことを思い出す。
「リ、リビングに行ってて。後で行くから」
「おう、ごめんな」
龍之介はそう言うと廊下を戻って行く。
(ドライブ、龍之介さんと……)
真琴はにこっと笑みを浮かべて男装をしてリビングへと向かう。
「龍之介さん、お待たせしました……」
(うっ!?)
龍之介はそのお風呂上がりの真琴を見て一瞬どきっとしてしまった。
男なのに美しいと思えるほどの白い肌がピンクに染まり、薄いトレーナーからは男の逞しさというよりは女特有のしなやかさを感じる。しかも石鹸の良い香り。頭の中の真琴と目の前の真琴が一致せず、龍之介の脳が一瞬混乱する。
「ドライブ行くんですか?」
「え、あ、ああ……」
真琴に声を掛けられた龍之介が我に返り答える。
「場所は? もう決まってるんですか??」
「い、いや、まだ決めていないけど……」
龍之介はなぜこんなにどきどきしているのか理解できない。真琴が言う。
「じゃあ、北山植物園に行きたいです!!」
「北山植物園?」
それは隣町にある割と大きな県立の植物園。国内のみでなく、海外の植物もたくさん展示されている。龍之介が答える。
「そうだな、ちょうど車で一時間ぐらいか。ドライブで行くにはちょうどいいかも。でも何でそんなところ行きたいの?」
龍之介にとって植物園など全く興味のない場所。真琴が答える。
「今そこで『あじさい祭り』やってるんです! この間駅のホームでポスター見て、ずっと行きたいなと思ってたんです!!」
「あ、あじさい祭り……」
まったく興味が持てない龍之介。それでも嬉しそうな顔をする真琴を見て笑顔で言う。
「よし、じゃあ、そこ行こうか」
「え、いいんですか??」
「いいよ。マコが行きたそうだし。花、好きなの?」
真琴が一瞬口籠ってから答える。
「え、ええ。好き、かな?? ス、スマホで写真撮りたいんです!」
「そうか。よしじゃあ決まりだ!」
「やったー!!」
真琴は突如決まった龍之介とのドライブに、胸弾ませる。
そして約束の日曜日を迎えた。




