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放課後の一人プール

 文化祭前は、放課の時間がぐっと遅くなる。その上、クラスごとに終了時間が異なるため、潮凪中では全面的に部活動は自由参加となっている。

 今日も、合唱コンクールの練習が終わったのは午後5時。学校から出なくてはならない時間まで一時間半あるから、少し泳いでいこうと思い、水着の入ったバッグを肩から下げて足をプールへと向けた。

 廊下に出ると、教室の中とは違った、冷たくて無機質な冷気が襲いかかってくる。窓の外ではちょうど太陽が沈んでいくところで、遠くの山からオレンジ色の波紋が空に漂っていた。

 少しの間それを見つめていたかったが、時間がなくなってしまうのを避けるため、私は階段を一段飛ばしで駆け下りた。


 昇降口を出ると、校舎のあちこちに明かりが点っていて、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。私はそんなBGMを聞きながら、体育館の脇を通ってプールへと到着する。しかし、プールは鍵こそ開いているものの、明かりの一つさえ点っていなかった。

「暗いなあ……」

 靴を下足入れに入れながら、恐る恐る中をのぞいてみるけど、人の気配すらしない。どうやらここには私しかいないようで、ほかの部員は帰ってしまったか、あるいはまだ文化祭に向けての作業をしているのかもしれない。

「は、入りますよ?」

 少し迷ったけど、せっかく来たのだからと私は足を踏み入れた。


 明かりの点っていない更衣室は、なんだかすさんでいるように思えた。

 空気が重々しく、そして、不自然なくらいに生暖かい。

 しかし、明かりを灯してしまうと、それはあっという間に消え去ってしまい、逆に不気味だった。

「うん、大丈夫大丈夫。何も無い何も無い……」

 自分自身を鼓舞するように何度も言い聞かせ、ロッカーのひとつを開いて、薄空色のブレザーを脱ぎ始める。そのほかも手早く脱ぐと、持ってきたバッグから水着を取り出してさっと着た。さらにゴーグルとキャップ、バスタオルを持ち、節電のために電気を消してプールサイドへと向かった。


 太陽はすでに沈みきってしまったのだろうか。プールサイドは闇に包まれていて、僅かな月明かりが水面を照らしていて、私の目の前には幻想的な空間が広がっていた。夜光塗料の塗られた時計の長い針が、4を指していた。時間がどんどん無くなっていく。

 私はタオルをビート板の上に畳んでおくと、準備体操をするために、その隣へと腰を下ろす。

「ひゃっ!」

 しかし、この時期のこの時間帯。プールサイドの床はひんやりと冷たく、反射的に声が出てしまった。

 でも、この場には私一人しかいない。誰かに聞かれたという心配は必要なかった。

 ほっと胸をなでおろし、全身の筋肉を揉み解すようにして準備運動を開始する。

 最初は床の冷たさに身震いをしたものの、次第に慣れてきた。前屈を始めとした柔軟体操も忘れない。いざ泳ぎ始めて筋肉がってしまったら元も子もないため、これは少し念入りに行う。すべて終えて時計を見れば、五時半を回っていた。

「大変。時間がなくなっちゃう」

 急いで立ち上がり、プールサイドの一角にあるシャワー室へ急ぎ足で向かい、温水を浴びた。以前より伸びた髪の毛が、顔や首にぴたりと張り付く。私はそれをさっと取り除き、シャワーのノブを閉めた。


「おねがいします」

 静寂に私の声が広がって、溶けてゆく。ようやく準備を終えて入水。時刻は午後五時四十分。

 プールのひんやりとした水が私の身体を包み込む。思わず身震いをしたものの、すぐに慣れた。ゴーグルとキャップを装着して、何度か水中に頭までもぐる。五回くらいくりかえした後、水を書き分けるようにして5コースに移動し、私は泳ぎ始めた。

 一人だけのプールは、とても静かだけど、これ以上ないくらい泳ぎやすい。ゆっくり流すようにして100mを泳いで、休憩。揺れる水面に移った月の明かりが激しく踊っている。それは時間の経過とともに優しくなっていき、静かに止まった。その後も僅かに揺らぐその姿は、私に対してお辞儀をしているようにも見えた。

「すぅ……はぁ……」

 一度深呼吸をして、心を無にしていく。それに従うように、頭の中で蠢いていた雑念が消えていくのを感じる。

 今、私の目の前にあるのは、25m先の壁のみ。身体がプールの水と一体になっているように思えた。

 息を吸って、再び私は泳ぎ始めた。


 気がついたときには、六時十分を過ぎていた。

 あわててプールから上がり、「ありがとうございました」と感謝を述べて、シャワー室へ。塩素にまみれた私を、温水が優しくきれいにしてくれる。シャワー室から出ると、時計の長い針は十五分を指していた。滑って転ばないように気をつけながら、ビート板の上におかれたバスタオルのところまで小走りで向かい、濡れた身体を拭う。そして、ビート板を片付けると、更衣室へと移動した。


 先ほども感じたような印象を感じる。

 しかし、漂う空気は先ほどよりも僅かに重く、不自然な生暖かさは相変わらず。しかも、今回は電気を点けても空気は変わらず、私は少し怖くなった。

“誰も、いないんだよね。何も、いないんだよね……”

 自問自答してみても、当たり前のことで、実際にこの場所には私ひとりしかいない。でも、突然感じた視線は何だったのだろう。じっと見つめてくる強い視線。今もそれは、どこからか私を見つめ続けている。

 怖い、怖い。とっても怖い。

 でも、着替えなくては。時間が迫っている。

 濡れた水着を脱いで、下着、制服といつものように着ていく。最後に学校指定のハイソックスを履いて、着替えが終わる。荷物をまとめて鞄を背負い、バッグを肩に掛けたところで、視線が強くなったのを感じた。

“えっ、何!? いったい何なの!?”

 途端、私の中で『恐怖』が大きく膨れ上がる。急いで更衣室から立ち去ろうとすると、プールのほうから“カタッ”という音が聞こえてきた。

 ビクッとして、電気をすばやく消して下駄箱のところまで走ると、急いで下足を履いて建物から出た。建物から出た途端、それまで感じていた視線はぴたりと止み、いつもの状態に戻った。恐る恐る振り返ってみると、建物の奥地、ちょうど更衣室の辺りに、白い何かがこちらを覗くようにしていた。

「い、いやぁ!!」

 見てはいけないものを見てしまった。余りの怖さで、それからのことはあまりよく覚えていない。気がついたら、自宅玄関の扉の前にいた。

 胸元に手を当てると、ものすごい勢いで鼓動が鳴り響いている。そうして、息も荒い。

 おそらく、ここまで走ってきたのだろう。ひとまず、深呼吸をしておこう。

 そして、あの出来事を忘れようと何回か首を振って、玄関の扉を開いた。


五十二話目です。


2012年11月24日…部分的に修正しました。

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