皺の対処法
今日は部活が無かったため、いつものメンバーで帰宅。
家に着くと、ただいまの挨拶だけをして自分の部屋に飛び込んだ。
鍵を内側からしっかりと閉めて、制服のままでベッドに飛び込む。
そして、布団をしっかりと抱えて、顔を埋めて声を出す。
「……やったぁ!」
でも、布団に顔を沈めているので、そんなに大きな声は出ない。
私はその後しばらくベッドの中でにやにやしていた。
ふと顔を上げると、薄いレースのカーテンの先は、もう薄暗くなっていた。
時計を見てみれば、時刻は午後6時14分。帰ってきてから既に2時間が経過している。
そこで私は気がついた。制服を着たままだったことに。
「いけない! 皺になっちゃう」
ベッドから出てみると、案の定。すでにスカートはよれよれになってしまっていた。
“あの時、ちゃんと着替えていればよかった……”
今更後悔しても遅いのは分かっている。でも、そう考えられずにはいられない。
よれよれのスカートを脱いで、ハンガーに掛けた。その後、部屋着にさっと着替えて、かのスカートをどうするか、考え始める。
“アイロン掛けたほうがいいのかな。それとも、別の方法があるのかな……”
考えてみても、答えはなかなか出てこなかった。
ちょうどその時、階下から姉さんの声が聞こえてくる。
「由紀、ご飯だよぉ!」
それを聞いた私はひらめく。
“そうだ、姉さんに聞いてみればいいんだ”
「はーい!」
返事をして部屋を飛び出す。もちろん、よれよれのスカートを小脇に持って。
リビングへの扉を開くと、香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
テーブルに視線を移すと、きれいな狐色の衣を身に纏ったチキンカツがお皿に盛り付けられていた。
「由紀、ちょうどいいところにきたわ」
台所の奥から姉さんの声が届き、私は彼女の元へと急ぐ。
「味噌汁もう少しで出来上がると思うから、ちょっとお願いしてもいい?」
「うん。分かった」
私はすぐさま返事をすると、小脇に挟んだスカートをいつも自分が座る席において、エプロンを身につけて手を洗った。
「煮立たないように混ぜておいてね」
「うん」
流し台の下からおたまを取り出して、味噌汁をかき混ぜる。
底に沈んでいた沈殿物がゆったりと鍋の中を泳ぎまわり、手を止めると、次第に勢いを失って再び沈んでいく。
静かに、音も立てないで。
「由紀、ぼーっとしてないで手を動かして」
鍋の中をじっと見ていたまま、手が止まっていた私に姉さんは喝を入れる。
すぐさま私は作業を再開した。
「うん、いい感じね」
度々姉さんは私の方を見て、頷きながらそう呟いていた。
それから十分くらい後、今晩の食事が出来上がった。
青菜と油揚げの味噌汁にチキンカツ、ポテトサラダに豊水入りのプレーンヨーグルト。
もちろん、白米も忘れずに。
それらを全てテーブルに並べ終えた頃、比良が帰ってきた。
「た、只今帰りましたぁ……」
一歩一歩が重々しく、そのうえ猫背なため、たった一日のうちに比良はぐーんと年を取ったように見える。
「お、おかえりなさい」
そんな彼女の姿を見て、私は驚きつつもそう呟く。姉さんも私に続いて「おかえりなさい」と口を開いた。
比良はそのままゆったりとした足取りで自分の席に座ると、とたんに体重を木製の椅子の背もたれに預けた。
「ふぅ……」
溜息をする彼女は、真っ白に燃え尽きたかの様だった。
いたたまれない空気がリビングを覆う。堪らず、姉さんが「由紀、夕食にしよっか」と私を見つめてくる。私はこくりと、それに応じた。
夕食が始まった。
比良は今だ白くなったまま、しかし、かろうじて手を動かして食事にありついているというような状態。
私と姉さんは、自分の食事のことよりも彼女の身を案じている。
「姉さん、比良、大丈夫かな?」
「うーん……多分大丈夫なんじゃないかな」
「んー……」
視線を比良に移すと、瞳は焦点が合っておらず、気を抜いたら御箸を取り落としてしまうのではないかとも思えた。
私は一抹の不安を拭いきれずにいたけど、一先ず自分の食事を優先することにした。
まずは、姉さんが揚げたチキンカツから。
口に含んで歯を立てた瞬間、サクッといういい音が耳に届いた。パン粉が丁度良く揚がっていて、最高の出来だと思った。
次は味噌汁。いつもなら私が大部分を作ってしまうけど、今日の味付けは姉さんだ。ひと口試しに啜ると、濃すぎず、薄すぎずの味噌風味が口内に広がる。これはおいしいと心の底から思った。
「どう? おいしい?」
食事中、姉さんが私にそう尋ねてきた。私はもちろんと言わんばかりに首を縦に振ると、姉さんは満足そうに笑った。
一方、比良は食事をするうちにいつもの比良へと戻ったので、心配の種は無事消えた。
食後。一足先に食事を終えた私は、食器を流し台へと持っていく。その際、忘れていたことを思い出した。
「あっ、そうだ!」
口を突いて出た言葉は姉さんを驚かせたようで、食事の手がぴたっと止まる。
「何よいきなり……」
姉さんはジト目で私の事を睨みつけてくる。私はそれを気にしないようにして座っていた椅子のところに戻ってくると、傍らに置いたスカートを手に持って口を開いた。
「姉さん、これってどうしたらいいかな?」
突然の問いかけに驚いたかに見えたけど、すぐに表情が緩む。
「なんだ、そんなことね。それはアイロンで皺を伸ばせばいいのよ」
僅かな微笑を湛えながら、姉さんは簡潔に言った。
「なるほど……」
「ありがとう」と感謝を伝えて、私はリビングの隅っこにあるアイロンを持って廊下に出た。そして、姉さんから教わった方法を忘れないように、何度も頭の中で反芻する。
部屋に戻ったら、早速皺を伸ばしてしまおうと思い、急いで階段を上っていく。
途中、スカートを落としてしまいそうになりながら、その足は変わらなかった。
部屋で早速アイロンを掛けてみると、見ているのがつらいほどに皺のよったスカートが、まるで新品のようになった。
「す、凄い……」
思わず、呟いていた。
これでもう大丈夫。
私は今日、また新しい知識を身につけたのだった。
四十九話目です。
※2011年10月17日…表記を変えました。