自由曲選定
文化祭の話し合いは、なおも続く。
「えー…では、合唱コンクールで歌う自由曲を決めたいと思います。自由曲指揮者と伴奏者は前に出てきてください」
突如として呼ばれた私と保坂さん。
互いに視線を交わらせ、アイコンタクトを取った。
『これって、出ないとダメだよね?』
保坂さんの瞳が、そう語る。
『出るしかないですよね……』
仕方なく、席を立ちながら保坂さんに伝えた。
私が教卓の前にやってくると、保坂さんもそれにつられて席を立つ。
彼女の足取りは、死を恐れずに最後まで戦い抜いた古代の戦士のようにしっかりとしていた。
僅かな間だったが、私は保坂さんが緊張に強いのではないかと思った。
そうして、保坂さんが私の隣にやってくると、宮野先生が話し始めた。
「では、これからこの二人に進行をしてもらいます」
彼女は私たちの元へ近寄ると、二枚セットの紙を私に差し出した。
それを受け取ると、先生は小声でこう言った。
「ここに内容が書いてあるから、これに沿って進めてね」
「はい。わかりました」
こくりと頷き、紙を受け取った。
その後、先生は保坂さんにも同じような紙を渡して離れていった。
教壇に残された私と保坂さん。
紙の内容を相互で確認し、役割を簡単に分担。
私は進行係。
保坂さんは板書係。
これは、紙に書いてある内容をスムーズに進めるために分けてみたのだ。
手早く決めたため、私が進行係になってしまったけど、しっかりと司会ができるかどうか不安で仕方が無い。
しかし、今から「換わってもらえる?」なんて言えるはずもなく、そのままの状態で進めることにした。
まずやらなければいけないことは、ラジカセとCDを音楽室から借りてくること。
先生。こういうことは前々から準備しておくべきでは?
何故授業が始まってから取りに行かせるのだろう。
「一緒に行きましょうか?」という保坂さんの配慮があって、今私は彼女と共に音楽室に続く廊下を行く。
流石に授業中ということもあり、廊下はひっそりと静まり返っている。
このまま夜になったら、きっとお化けもすぐに出てくるだろうと思う。
なんだか、怖くなってきた。
その恐ろしい考えから、私の身体を襲った震え。
「大丈夫ですか……?」
保坂さんが私を見て、心配そうに尋ねてくる。
「うん、大丈夫だよ」
まだ微かに震えているものの、先ほどの主要動は終わりを告げた。
この程度の余震、なんてことは無い。
そもそも、この学校に七不思議なんて存在しないんだから、怖がったって意味が無い。
私は自分自身を鼓舞するように、笑っていた脹脛を軽く二、三回叩いた。
そして、先ほどの妄想を吹き飛ばすように、保坂さんに言った。
「よし、行こう!」
しん、と静まり返った廊下にその声はよく響く。
走り出すと、〝タッ、タッ……〟と軽快なリズムが反響する。
「待ってくださいよぉ…」
少し後ろのほうで、保坂さんが困ったように声を挙げた。
音楽室は、教室が密集する棟の最上階にある。
私たちの教室は二階にあり、階段を使って1フロア上がることで到達する。
階段を登って左の突き当たり。
でも、そのフロアは三年生の教室がずっと続くエリア。
つまり、音楽室に辿り着くまでに、三年生教室前を通過するのである。
気まずい……。
かといって、通らなければラジカセとCDをクラスに持って帰ることが出来ない。
ここは覚悟を決めて、通りますか。
「保坂さん、行こう」
遅れてやってきた保坂さんにそう声を掛け、私たちは歩き出した。
二つ教室を越えると、漸く音楽室に辿り着いた。
「はぁ……気まずかったぁ」
大きく息を吐き、私はその場に崩れ落ちそうになった。
「青柳さん。まだ気を抜いてはいけませんよ?」
保坂さんは音楽室と記入されたプレートを見上げている。
私はなんとなく、彼女の言いたいことが分かった。
つまり、ここの中に入るということ。
音楽の授業はやってないはずだから、そんなに大勢人はいない。
でも、今の時間は『文化祭』のための時間。
合唱コンクールのための時間。
私たちのようにラジカセとCDを取りに来ているクラスがあるかもしれない。
気が進まないけど、仕方なく音楽室の扉を開けた。
予想をしていた通り、人が居た。
しかも、三年生と見て取れる。
何故なら、シューズの色が違うから。
「ん?」
一人の先輩がこちらに気付き、唸るような声を出した。
その声がいかにも怒っているように聞こえて、私は思わず「ごめんなさい!」と謝ってしまった。
保坂さんも、私に釣られて。
突然の謝罪に、三年生は戸惑っているようで、どうしていいのか分からないように「顔を上げて」と言っていた。
顔を上げると、逆に謝られた。
理由はいわれなかったけど、そうしなければ労われなかったみたいだ。
なんだか、申し訳ないような、そうでないような……。
私と保坂さんは足早にラジカセとCDを手に取り、音楽室を後にした。
教室に戻ると、ガヤガヤ賑わっていた。
それは、まるで下町の朝市に放り込まれたような感じ。
廊下が物凄く静かだったので、耳の奥が少し痛い。
早く治らないかなぁ……。
「ラジカセを持ってきたので、少し静かにしてください!」
流石にこれではCDの中身が聞こえるわけでもないので、一度教室内を静かにさせた。
いい塩梅になったところで、ラジカセの電源を入れる。
〝ピッ〟という電子音が聞こえた。
CDをセットすると、教室内が静まり返る。
きっと、自分達が歌うことになるであろう合唱曲が始まると感じたのだろうか。
この静けさは、CDを聴くには最高だと思った。
「それでは、曲を流していきます」
私はそう言うと、再生ボタンを軽く押した。
曲を最後まで流すと、CDを取り出した。
全部で十曲。
それぞれ、最初の一分間だけを流した。
それでも、十分掛かった。
もし全部流していたら、一体何分掛かるのだろうか。
そんな疑問が心に芽生えた。
ラジカセの電源を落とし、コンセントを抜いた。
CDを専用の袋に入れ終えると、教卓の前へと歩を進め、私は紙を見て、そこに書いてあることをなぞるように言った。
「これから、先ほど聴いた曲の中から二曲選びます。流した順番にタイトルを言っていくので、良いなぁと思った曲に手を挙げてください。なお、ひとり二回まで手を上げることが出来ます」
「おぉ……」
クラス内がざわつき始める。
おそらく、二回手を挙げられるということに喜んでいるのだろう。
保坂さんに、進めてもいいか確認を入れた。
すると、彼女は右手で小さな輪を作り出し、私が見えるようにそれをちらつかせた。
私は了解したと彼女に伝えるため、こくりと頷いた。
そして、曲名が書かれた紙を手に持つと、一つずつゆっくりと読み上げていった。
五分後。
選ばれた二曲は、私の好きな曲でもある『かすかな記憶』。そして、『友情の花』。
どちらも同じ人数ということもあり、これから多数決を取ることとなった。
「えーっと。これから第一希望と第二希望を決めたいと思います」
今度は紙に書いていないことなので、私がアドリブで言葉を紡ぐ。
またもや、教室内が騒がしくなる。
ここで真打、先生の登場。
「静かにしなさい!」
先生の大きな声が教室に、霧のように広がった。
途端、嵐が過ぎ去った後のような静けさが漂う。
さすがは先生。やる時はやる。
心の中で感謝を示し、言葉を続ける。
「今度は、一回だけ手を挙げることが出来ます。こっちがいいと思うほうに手を挙げてください」
静かだが、分かったという雰囲気が満ちていた。
保坂さんは「いつでも大丈夫」と小声で伝えてきた。
準備万端、といったところかな。
妙な空気の中、私は口を開いた。
「それでは、『かすかな記憶』がいいと思う人」
クラスの大半が手を挙げた。
保坂さんはそれらを丁寧に数えていき、黒板に〝15〟と書き込んだ。
私たちのクラスは29人だから、これだけでもう過半数。
必然的に、『かすかな記憶』が第一希望となった。
決定事項を確認するため、私は一度、口を開いた。
「それでは、第一希望が『かすかな記憶』。第二希望が『友情の花』となりました。これでいいですか?」
最後に確認を取ることに。
すると、クラスのみんなは「それでいい」と口々に言った。
ここに、合唱コンクールで歌う自由曲が決まった。
私が密かに希望していた曲、『かすかな記憶』。
決まったとき、夢見心地だった。
自分の好きな曲が選ばれたからだろうと思う。
自分の席に戻ると、私は机に顔を伏せ、にんまりと微笑んだ。
四十八話目です。
※2011年10月1日…文章表記を改めました。
※2011年10月17日…表記を変えました。