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冬奈用、魔法の言葉

 次の授業は、社会。

 この学校の名物教師、北原先生の授業だ。

 七十五歳という老齢ながら、実力で市の教育委員会から、定年後の今でも教師として働くように依頼されている。

 本人もそれを快諾し、現在に至る。

 教え方も上手く、この先生に社会を教わった生徒で成績が落ちたものは一人も居ない……らしい。

 実質、私も先生に教わってから成績が上がった内の一人だ。

 それまでテストは40点常連だったけど、先生に教わるようになってから90点台まで上り詰めた。

 だから、自身を持って言える。

 先生は本物だと!

「……青柳さん。この問題を解くのじゃ」

「へ? あ、はい!」

 やば…。全く聞いてなかった。

「何事じゃ? さあ、早く黒板に答えを書き込むのじゃぞ?」

「……はい」

 仕方ない。

 私は席を立ち、黒板のところまでやって来た。

 北原先生から白いチョークを受け取ると、問題文を見る。

 『1716年、暴れん坊将軍として有名な徳川(    )が将軍になり、(    )の改革を始める』

 ……。

 以外に簡単かも。

 私はチョークを使って、空欄になっている部分に語句を書き込み、文章を完成させた。

 『1716年、暴れん坊将軍として有名な徳川( 吉宗 )が将軍になり、( 享保 )の改革を始める』

 私が席に着くのを確認して、北原先生は「天晴れ(あっぱれ)じゃ」と言った。

 それにつられて、クラスはどよめきたった。

 そんなに難しい問題だったかなぁ。

 先程の問題を素早くノートに書き写すと、今度はしっかりと黒板のほうを見るように意識する。

 そして、先生は早速二問目を出題した。

 『享保の改革で、吉宗は(      )を提唱。(    )を設置したり、(       )を制定した』

「この問題は重要じゃからな?」

 そして、先生はこの問題を解いてもらう人を決めるため、辺りをゆっくりと見回した。

 しばらく見回した後、視線はある一点でとまった。

 私がその視線をたどっていくと、そこに居たのは冬奈だった。

「それでは、綾瀬さん。この問題を解いてもらおうかの」

「は、はい……」

 指名された冬奈は、『何で指すんだよ…』という嫌悪感を顔一杯に押し出しながら席を立った。

「ほれ、そんな顔をしているでない。せっかくの可愛らしい顔が台無しじゃ」

 先生がそういうと、彼女は少し苦笑い。

 多分、良くは思っていないのだろう。

 先生からチョークを受け取ると、問題の前で少しの間考え込んでいた。

 少しの後、彼女は空欄に語句を書き始めた。

 『享保の改革で、吉宗は( 質素・倹約 )を提唱。(目安箱)を設置したり、( 武家諸法度 )を制定した』

 冬奈は渋い顔のまま、自身の席に戻っていった。

 彼女が席に着くのを見計らい、北原先生の答え合わせ。

「残念じゃが、はずれじゃ。惜しかったの……」

 いかにも残念そうに言う北原先生。

 冬奈は「はぁ…」と大きな溜息を吐いていた。

 北原先生は答え合わせを続ける。

「武家諸法度というのは、大名達を統制するために三代将軍家光がちゃっかり作った法律みたいなものじゃな。これには参勤交代という、大名達には厳しい制度も組み込まれていたのじゃ。大名達は参勤交代によって、懐をかなり抉り取られてしまってのう。……まさに、踏んだり蹴ったりじゃな」

 そこで先生は言葉を区切ると、私たちの事をゆっくりと見回し、そして続けた。

「然らば、武家諸法度は吉宗が作ったものではない。ここは公事方御定書くじかたおさだめがきが正しいんじゃ。皆、よく覚えておくんじゃぞ?」

 問題はそこで終わり、普通の授業が始まった。


 それから40分後。

 授業はあっという間に終わり、只今給食準備中。

 ぽけ~っと座っていると、保坂さんがこちらにやって来た。

「青柳さん。お見事でした!」

 保坂さんは目を輝かせて、先程の問題について話してくる。

 でも、あの問題は褒められるほどのものでもなかったので、私は「そんなに難しい問題じゃないよ…」と答えた。

 しかし、彼女は「あの問題、私は解けませんでした」と言って、私を煽て挙げようとする。

 もう、程々にしてほしい。

 ふと、私は冬奈のことが気になった。

 さっき大きな溜息を吐いていたので、落ち込んでいるんじゃないかと思って冬奈の席のほうを見た。

 すると案の定、彼女は白く燃え尽きていた。

 というよりは、白く落ちぶれていた。

 自分の席にぐったりと座り込み、何処を見るわけでもなく、その視線は虚空を凝視している。

 更に、背筋はしっかり伸びておらず、俗に言う『猫背』。

 完全に、彼女の周りにはどんよりとした空気が漂っており、周囲との温度差は軽く十度くらいあるだろう。

「……ねぇ、保坂さん」

「何でしょうか?」

 私は保坂さんに、冬奈の様子を見るようにジェスチャーをした。

 保坂さんは冬奈を見ると、途端に表情が激変した。

「まずいですね……」

 保坂さんの呟きは、私が心の中で思っていたことと全く同じことだったので、私も「うん、そうだね…」と相槌を打った。

「青柳さん、どうします?」

 ふと、保坂さんが私に問いかけてきた。

 私は「う~ん…」と唸り、頭を抱えた。

 多分、今の冬奈は給食ではまったく動じないはず。

 ならば、面白い話は……?

 でも、あの温度差を均衡に戻すためには、世界を覆すほどの面白い話でないといけないか。

 それじゃ、ブラックユーモア?

 でも、これが逆効果を与える可能性だって否定できないからなぁ。

 全く思いつかない。

 一応、話しかけてみますか。

「保坂さん。ちょっと私行ってくるね」

 私はそう言って席を立った。

「えっ!? どちらに行くんですか?」

 保坂さんは戸惑いながらも私に問いかけた。

 私はあくまで口に出さず、指を冬奈のほうにさっと向ける。

 すると、保坂さんは「私も行きます」と言ってくれる。

 とてもありがたい。

 正直、一人よりも二人のほうがいくらか効果があるかもしれない。

「ありがとう、保坂さん」

 私たち二人は、冬奈の気持ちを盛り返すために行動を開始した。


「冬奈!」

 私が落ち込んでぐたっとした冬奈と思われるモノに声を掛けた。

 その“モノ”はもそっと動くと、こちらをどろんとした目で見上げてくる。

 くぉ! 吸い込まれそうなほどに暗い瞳!

 これはかなり深刻なのではないか?

 すると、その“モノ”はボソッと声を発した。

「由紀、ごめん。今は放っておいて欲しいんだ……」

 微かにそう呟くと、尚一層縮こまってしまった。

「はぁ…。どうしたものかなぁ……」

 私は万策尽きたように項垂れる。

 しかし、保坂さんは私の耳元で「最終兵器がありますよ」と小声で呟いた。

「えっ!?」

 私が驚いて保坂さんの顔を見つめた。

 すると、彼女は顔に微笑を宿し、「まあ、見ていてください」と言った。

 私はこくりと頷き、その場から離れた。

 保坂さんはそのまま冬奈の耳元に近づき、何かを呟いた。

 すると……まあ、なんということでしょう。

 あれほど落ち込んでいた冬奈が目を輝かせ、背筋をしっかりと伸ばしているではないか。

 一体、どんな魔法の言葉を掛けたのだろうか?

 暗示では無いと思うが、何か強烈な一言でもあったのか?

 そんな事を思っていると、保坂さんがこちらにやってきて、「成功です!」と微笑んだ。

「保坂さん。冬奈に何を言ったの?」

 私が保坂さんに尋ねると、彼女は「誰にも言わないですよね?」と釘を刺すように言った。

「う、うん」

 頷くと、彼女はそれならと、声を潜めて教えてくれた。

「綾瀬さんの弱いところです。……実は綾瀬さん、甘いものには目がなくて。この前だって美味しいケーキがあるって言ったら物凄く目を輝かせて「ねぇ、それ教えて!」って言ってきたんです。それで、先程も『今度、クッキー焼くんですけど』ってポツリと言っただけなんです。そうしたら、あの通り。まったく凄いものですね……」

 あぁ、そんなことか。

「それだけ?」

 私が探りを入れる刑事のように問いかけると、保坂さんは微笑んだまま「それだけです」と言った。

 そういうのだから、本当にそれだけなのだろう。

 それにしても…良い事聞いたなぁ……(ニヤリ)。


 給食を食べ終えると、午後の時間割が変更になるらしく、昼休み中に宮野先生が黒板に貼った紙には人だかりが出来ていた。

 私たちもそれを見に行くために、人だかりに向かっていった。

 残念ながら、女の子になった私の身長では、何が書いてあるのかは分からない。

 暫く待って、人がまばらになってから再び見に行った。

 すると、こんなことが書いてあった。


 『5・6校時目は総合に変更します。内容は文化祭についてです』


「やった!」

 その一行の文章を見た冬奈が喜びの声を挙げた。

「喜んで良いんでしょうか……」

 保坂さんは喜びを素直に表していいのかどうか、悩んでいるようだった。

「別にいいんじゃないかな?」

 保坂さんにそう言うと、彼女は微笑み、小さくガッツポーズを取って「やった」と可愛らしく言った。

「保坂さん、可愛い……」

 思わず、そう呟いてしまった。

 途端、保坂さんが顔を朱に染め上げる。

「は、恥ずかしい……」

 顔を両手で覆うようにして、その隙間から私たちを見ている。

 なんだか、それを見ていると、とてもいたたまれない様な気持ちになってくる。

 冬奈も、何だか咎めるように見つめてくるし。

 ひとまず、謝ったほうがいいのかな?

「ご、ごめんね?」

 私は保坂さんに謝った。

 すると、保坂さんは「だ、大丈夫です…」と小さな声で言った。

 全然大丈夫じゃない気がするんですが。

 その時、夏目さんが私のところにやって来た。

「どしたの?」

 私が言うと、夏目さんはアイコンタクトで「またあの三年生です」と言ってきた。

 私もアイコンタクトで「了解」と言い、冬奈と保坂さんに詫びて、待ち人の待つ場所に向かった。


 そこは、私の教室から少し離れた階段下。

 そこに比良は居た。

 とても困ったような表情を浮かべているが、何かあったのだろうか?

「比良、どうしたの?」

 私が到着してまもなくそう問いかけると、彼女は「由紀さん、助けてください!」と救助を迫ってきた。

「まず、状況を説明して!」

 いきなり「助けて」と言われても分からないので、ひとまず状況を把握することに。

 比良が離したことは、大まかにこんなことだった。

 まず、クラスの男子から「放課後、校舎裏に来て欲しい」と言われた。

 次に、別の男子から「放課後、校舎端の物置小屋に来て欲しい」とも言われた。

 更に、他のクラスの女子から「私のお姉さまになってほしい」とまで言われたそうな。

「一体、私はどうしたら良いんでしょうか……?」

 今にも泣き出しそうになりながら、比良が言った。

 私は唸り、頭を抱える。

 でも、解決策はあっという間に思いついた。

「放課後のヤツは、時間を分ければいいんだよ。簡単に言うと、時間をずらせばいいんだ」

 そして、概要を細かく説明。

「『お姉さまになって欲しい』っていうのは、「私はその気はない」ってきっぱり断ってもいいんだよ」

 私はそういうと、その後の対処法などを教えた。

 比良は途中、「なんでそんなに詳しいんですか?」と聞いてきたけど、上手に答えられる自身が無かった私はあえて聞こえないフリをした。



 こうして、比良は満足げにその場を去った。

 私も足早にそこを去る。

 後には、不気味なほどの静けさだけがそこに残っていた。


四十六話目です。


※2011年10月1日…文章表記を改めました。

※2011年10月17日…表記を変えました。

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