いつもと違う朝
翌日。
朝からとてもよく晴れていた。
「くぅ…いい天気」
ベッドから起き上がって背伸びをすると、まどろんでいた視界がはっきりとする。
時計を見ると、久しぶりの早起き。
パジャマを素早く脱ぎ、制服に着替えた。
そして、机の上に乗っかった鞄を背負い、私は部屋を出た。
リビングに入ると、姉さんが大きな欠伸をしながら朝食の準備をしていた。
「おはよう、姉さん」
私が元気良く挨拶をすると、姉さんは「おはよ」と短く返してくれた。
いつもの場所に鞄を下ろすと、そそくさと身支度に取り掛かる。
まずは、寝癖直し。
今日はそれ程ではなかったけど、やはり寝癖はあった。
それを直すために、結構苦労した。
でも、何とか直せた時の達成感は少なかった。
多分、「所詮、寝癖でしょ」という考えがあったからだと思う。
次に、洗顔&うがい。
冷たい水が、眠気を吹き飛ばした。
顔を上げると、パッチリと開いた二つの目があった。
そして、水が頬を伝って顎に集まり、雫となって落ちていく。
私はそれらを素早くタオルでふき取ると、マイコップでうがいを開始。
概ね五回うがいをすると、口内がすっきりした。
最後に、頭髪チェック。
たまに髪の毛が一本だけ飛び出していたりするので、櫛を使って髪の毛を割いていく。
私の髪の毛は、酷い寝癖を起こしたり、寝癖直しにかなり苦戦するものの、元々サラサラストレートヘアだったりする。
そのためか、櫛で割くと、とても綺麗になりやすい。
とってもありがたい。
まだ私が男の子だった時、他のクラスの女の子が「青柳君の髪の毛って、綺麗だよね…」と悔しそうに言っていたのを思い出す。
お…もとい。私は当時、そんな髪の毛を嫌っていたのだが、今は本当にこれでよかったと思える。
と、そんな時。
「由紀、ご飯だよー!」
姉さんの声が聞こえた。
「はぁーい!」
私はそれに大きな声で答え、出ていたコップを洗い、所定の位置に戻した。
そして、足早に洗面所を後にした。
リビングに戻ると、隅っこでもそもそと比良が起きだすところだった。
「んむぅ……」
ゆっくりと上体だけ起こし、眠たそうにしょぼつく目を擦っていた。
頭には、物凄い寝癖。
目頭には、目脂が。
到底このままでは学校に行けるはずも無く……
「比良、しっかりして。今日から学校行くんだから、さっさと準備してね?」
姉さんがガツンと言った。
それに「ふぁい…」と答えると、のっそりと立ち上がり、おぼつかない足取りで比良はリビングを出て行った。
「……」
私はその様子を横目で見ていたが、朝食のいい匂いに気がつくと、急いで茶碗に真っ白に輝くご飯をよそり始めた。
それを片手に味噌汁をもう片方に。
自分の席に並べると、いかにも美味しそうなそれは、朝の空腹に飢えている私を誘惑し始めた。
でも、お箸を持ってこなければ食べることが出来ない。
仕方なく、少しの間それはお預けで。
私は台所のシステムキッチンの奥にある戸棚に向かい、自分のお箸を取り出した。
綺麗な空色のお箸は、見ているだけでうっとりとする。
だが、こうしている間にも、私の胃袋は「食べ物を下さい…」と飢えている事だろう。
そそくさと自分の席に戻ると、早速私は朝食を食べ始めた。
朝食を食べ終えて食器類を流し台に置いた時、身支度を終えた比良がリビングに戻ってきた。
髪の毛を後ろで一つに束ね、前髪は薔薇のように赤い髪留めで止めてある。
そして、服装は、今日から通う潮凪中の真新しい制服を着ていた。
比良はスカートの裾を両手で押さえて見せると、恥ずかしそうにポツリと呟いた。
「似合います……?」
徐々に声のボリュームを下げていったので、最後のほうは聞き取ることができなかったが、あらかた言いたいことは分かった。
私と姉さんは互いに顔を見合わせ、頷いた。
そして、ほとんど同時に口を開いた。
「うん、とっても似合ってるよ」
それを聞いた比良は、とても喜んでいた。
「ありがとうございます」
彼女の表情は、今日の天気のように晴れ晴れとしていた。
あの後、私は一足先に家を出た。
どうやら、比良は後からやってくるらしい。
転校生って、大体そんなものだろう。
私自身、転校生として登校した時は特別扱いだったから。
……というわけで、私は今、冬奈と保坂さんと共に学校に向かっている。
道端には、日向ぼっこをしている野良猫が、天におなかを向けていた。
その猫を見て、保坂さんが突然立ち止まった。
私と冬奈もそれに気付き、立ち止まる。
保坂さんはその猫に近づいてしゃがみ込むと、口を開けて欠伸した猫を見て言った。
「あの猫、とても可愛いですね……」
私と冬奈も近づいてきて、それを見た。
「うん、可愛いね」
「そうだねぇ」
そうして三人で見ていると、猫はその体勢のまま、心地よさそうに眠ってしまった。
「……かぁ」
再び大きく口を開けて欠伸をする猫。
「本当に可愛いですね」
保坂さんが言った。
すると、冬奈が思い出したように言った。
「そうだ! 由紀もこの前の尻尾と猫耳を着ければいいじゃん!」
「はぁ!?」
とんでもないことを言ってくれたね。
「着けるはずないでしょ!?」
私が怒鳴ると、冬奈がしれっと言った。
「でも、この前着けてたじゃん。しっかりと」
「うっ……」
思わず、呻いてしまう。
そんな私を面白そうに冬奈は眺めていた。
「あれは…仕方なかったんだからね! 別に好きで着けた訳じゃないんだから……」
必死の言い逃れも、負け犬の遠吠えのように聞こえてしまうこの悲しさ。
敗北というものはこういうことだと、改めて実感した。
ガックリと項垂れると、冬奈は「少しからかいすぎたかなぁ…」と、罰が悪そうに呟いた。
その間にも、猫は一度欠伸をした。
それからまもなく、私たち三人は学校に到着した。
一人、私だけが浮かない表情のまま、下足を脱ぐ。
「本当にごめんね」
冬奈がそんな私に言う。
「別に謝らなくてもいいよ。そんなに気にしてないから……」
私はそう言って冬奈の気を楽にさせようとする。でも、気にしていないといっても、やはりあれは気を逸らすことは出来なかった。
なんせ、猫耳と尻尾を着けたことは成り行きで仕方がなかったとしても、思い出すだけで顔が赤くなるほど恥ずかしいものだった。
かといって、忘れることも出来ない。
結構デリケートな問題になってきている。
それを言われたのだから、結構応えてしまうのだ。
「やせ我慢は身体に毒ですよ?」
隣で、保坂さんが心配そうに言った。
「うん、そうだね……」
作り笑いを浮かべ、私はそれに答える。
と、
“キーン…コーン……”
「やばっ」
チャイムが鳴ってしまった。
「急がないと、起こられちゃう」
「じゃあ、走りますか」
先生よりも先に教室に入るべく、私たち三人は廊下をめいいっぱい走り始めた。
「はぁ…はぁ……」
息も絶え絶えになりながら、教室のドアを開ける。
幸い、先生はまだ来ていないようで、教室内はざわざわと賑わっていた。
素早く自分の席に座ると、鞄の中から教科書の類を取り出して机の中にしまった。
そして、空になった鞄を机の横に掛けた時、ちょうど先生が教室内に入ってきた。
なんとも、絶妙なタイミング。
先生が入ってきた途端に静まる教室。
立ち話をしていた人たちは、すぐさま自分の席に向かって行動を開始していた。
あらかた席に着き終わると、先生が口を開いた。
「今日、転校生が一つ上の学年にやってきました」
それに、クラス内がざわつく。
「お知らせはこれだけです。さあ、朝の学活を始めましょう」
ざわつく教室を無視し、先生はそういった。
日直が教卓に登り、短学活が始まった。
短学活が終わると、私は一時間目の授業である数学の準備をしていた。
すると、教室の前のドアが慌しくなっているのに気がつく。
「何だろうね?」
突然隣で声が聞こえた。
ふとそちらを見てみると、いつの間にか冬奈が私の隣にやってきていた。
私はびっくりしたものの、すぐに「さぁ。分からない」と呟く。
「何か人が困った表情でこちらを見ているのですが……」
今度は反対側から声が聞こえた。
顔をそちらに向けると、そこに立っていたのは保坂さんだった。
授業用だろうか、モダンな眼鏡を掛けている。
「困った表情を浮かべた人……?」
保坂さんの言ったことに反応しながらも、もう一度人だかりのほうに視線を移すと、確かに、人だかりの中に一人、違う雰囲気を持った女性がいた。
自分の周りに集まっている人たちを困った表情で見回し、そしてこちらを見ていた。
「……ん?」
私は、その女性を見て何かに気付いた。
席を立つ。そしてその女性の元へ。
近づいていくごとに、それは確信へと変わる。
人だかりの中で困っていた表情を浮かべていたのは、比良だった。
「比良……どうしたの?」
私が声を掛けると、彼女は「ちょっと来て欲しいのですが…」と言って私を教室の外に連れ出した。
比良が私を連れてきたのは、教室からさほど離れていない階段下のスペース。
「比良、どうしたの?」
私は再び彼女に問いかける。
すると、比良は辺りを見回し、誰もいないことを確認して言った。
「トイレって、何処にあるんですかね?」
「……はい?」
思わず聞き返してしまった。
比良は少し困った表情を深め、もう一度言った。
「だから、トイレの場所ですよ」
もじもじしながら言う彼女はきっと、限界が近いのだろう。
時間はあと少ししかないけど、多分間に合うはず。
「ちょっとついて来て」
私は比良をトイレまで案内することにした。
道中、比良は「迷惑かけます…」と悪そうに言った。
トイレに到着すると、比良は個室に飛び込んだ。
私は扉越しに「教室に戻るからね」と言うと、「了解しました」という声が聞こえてきたので、私は教室に走ってもどった。
教室に入り、席に座る。その瞬間、大槻先生が教室に入ってきた。
私はギリギリのところで間に合ったのだった。
ちなみに、比良は授業に遅れたそうな……。
四十四話目です。
※2011年10月1日…文章表記を改めました。
※2011年10月17日…表記を変えました。