後日談
あれから一夜が明けた。
「ふぁあ……」
のそっとベッドから起き上がる。
室内には朝独特の雀の声が響き渡り、日の光が差し込んできている。
いわずと知れた、快晴。
「ねむ……」
そんな心地よい朝に訪れる睡魔に負け、私は再びベッドに倒れ伏す。
時刻は午前六時半。
この時間帯に『二度寝』をするということはどういうことなのか、私はまったく理解していなかった。
そんなこんなで一時間後。
「きゃあぁあー!!」
朝の住宅街に私の甲高い悲鳴が響いた。
「ど、どうしたんですか!?」
一階から比良の声が聞こえた。でも、返事をしている暇はほとんど無い。
ある程度支度を整えて、扉を開いた。
階段を下りようとすると、丁度一階と二階の中間辺りに、心配そうな表情を浮かべた比良がいた。
「ゆ、由紀さん。先ほどの悲鳴は一体……?」
表情そのままの言葉を紡いだ比良だけど、残念ながら、私には彼女を相手している時間はほとんどない。
「ちょっといろいろあって……。比良、ごめん!」
私は侘びを入れ、彼女から道を譲り受け、半ば落ちるような感じで階段を下りていった。
「急がないと、急がないと……」
いつも以上のペースで支度を完了させると、私は家を飛び出した。
「はぁ、はぁ……なんとか、間に合った……」
間一髪で遅刻をせずに済んだ。
校門を少し過ぎた辺りでふと後ろを向くと、紙一重で遅刻してしまった男子生徒数名が、潮凪中“規律の鬼”と称される本堂教諭にみっちりと絞られようとしていた。
「危なかった」
本堂教諭に説教を食らっている男子生徒を見て、ポツリと呟く。
すると突然、本堂教諭が私に視線を移し、ニヤリと口元を歪ませて言った。
「どうした? お前も説教を受けたいのか?」
「……いえ、結構です」
「そうか。それなら早く行け」
本堂教諭は吐き捨てるように言うと、男子生徒のためにありがたい説教を再開させる。
私はその場から逃げるようにして、昇降口へ向かって走った。
教室の扉を開けると、それまでの喧騒が嘘のように静かになる。
無理もないかな。先生が来るかもしれない時間に、いきなり扉が開くんだから。
入ってきたのが先生ではなく私であると知ると、また元通り。
私は大急ぎで自分の席に着くと、鞄を机の横に引っ掛けて、そのまま机に突っ伏した。
「おはよう、由紀」
「おはようございます、青柳さん」
突っ伏してまもなく、いつもの二人が声を掛けてきた。
「お、おはよう……」
もう疲れてしまって、私の口から出た挨拶は朝にふさわしくないほど沈んでいたため、冬奈が声を掛けてくる。
「どうしたの? 今日は一段と元気ないけど」
少し顔を上げると、冬奈はしゃがみ込んでいて、視線が同じ高さにあった。
「そうですよ。青柳さん今日は少し来るの遅かったですし……」
冬奈の言葉に続いて、保坂さんは腕組をして思案顔。
そんな二人を安心させるため、再び突っ伏した私はそのままの状態で口を開く。
「気にしないで。ただ単に寝坊しちゃっただけだから」
その後、「少しこのままにさせて」と呟いて、瞳を閉じた。
二人が歩み去って行く音を聞き、少し申し訳ないことをしたなと後悔した。
あとで謝らなくては。
すると、教室の扉が音を立てて開く。
顔を再び上げると、少しやつれた表情の宮野先生が入ってきたところだった。しかも、無駄に大量のプリントと一緒に。
「起立! 礼。…着席」
日直の一声で始まった朝の短学活。
何とか復活したものの、自分でも凄い顔をしているのだということが分かる。
「皆さん、おはようございます」
宮野先生の話が始まった。
「今朝のニュースで見たという人が多いと思いますが、傷害事件の犯人が無事、逮捕されました」
先生の発言で一気に教室内がざわつき始める。
“ああ、あの事件か……”
“捕まったってよ、犯人。よかったよ”
“なんでも、漫画みたいな結末だったらしいぜ”
「はいはい、みんな静かに!」
先生がそれを沈め、再び話し始めた。
「皆さんもよく知っていると思いますが、犯人は昨夜無事逮捕されました。これから年末まで、不審者や犯罪者が増えてくるかもしれません。皆さん、十分注意してくださいね。……あと、この会が終わったら青柳さん、保坂さん、綾瀬さんは校長室に来てください。以上です」
再びざわつき始める教室内。
“何? あの三人組何かしたの?”
“悪いことでもしたのかな?”
“いや、それはないでしょう”
“それじゃあ、なんで呼ばれたんだろうね?”
「はいはい、静かに! 終わりますよ!」
「起立! 礼。…着席」
こうして、多少ざわついたものの朝の短学活が終了。
私たちは先生に言われた通り、校長室に向かう。その道中、何か怒られる事でもしただろうかと私は考え込み、同時に顔を真っ青にしていた。
そうして到着した校長室は、やはり、ただならぬ雰囲気に包まれていた。
私たちは中に通され、赤くていかにも高級といったソファに座らされた。
〝何が始まるのだろう……〟
私はずっと、そのことで頭が一杯になっていたが、しばらくの後に入ってきた人物を見て、はっとした。
「あ、あなたたちは……」
思わず呟いていた。それに反応するように、相手はこちらへにこやかな笑顔を振りまく。
「よう。久しぶりやな、嬢ちゃん」
「昨日以来ですね……」
入ってきたのは、強面刑事の近藤、童顔刑事の浦部の二人。
「一体どうしたんですか刑事さん?」
「ハハハ。そんな怖い顔しちゃいかんよ。せっかくの別嬪顔が台無しやで」
近藤刑事の一言に、強張らせた顔を伏せた冬奈。咳き込んでいる。私には彼女が照れ隠しをしているのだと推測した。
「今日ここに来たのには意味があるんですよ」
童顔の浦部刑事が言った。その隣で近藤刑事が慌てたように彼に怒鳴る。
「こら、浦部! 何勝手なことしとるんや!」
そう言うと、近藤刑事は浦部刑事の脇腹を度突いた。
「だ、だって先輩……」
浦部刑事は少し涙目になりながら呟く。
「これから俺が言おうとしとるんや。浦部は黙っとき!」
近藤警部はそう言って一呼吸。少しの間を空けて、口を開いた。
「実を言うと、嬢ちゃん達に〝ありがとう〟の気持ちを伝えたいんや。嬢ちゃん達がいたから解決したようなもんやからな」
その言葉を聞いて、私たちは顔を見合わせる。
保坂さんと冬奈は、『私達、何かしたっけ?』というような表情を浮かべている。それに対するように、私はきっとなんともいえない表情を作っているのだろうと思った。
「ささいな物やけど、受け取ってな?」
そんな私達をよそに、感謝の品を私に手渡してくる近藤刑事。
「あ、ありがとうございます……」
しどろもどろになりながら、浦部刑事からのお礼の品物も受け取った。
「ホンマにありがとうな」
はにかみながら言う近藤刑事。その一言には、彼の紛れもない純粋な気持ちが籠もっていた。
「……怒られなくてよかったよね」
「うん、そうだね」
「本当にどきどきしましたぁ……」
校長室を後にした私たちは、一階の中央廊下を教室に向かって歩いていた。
あの後、記念として写真撮影が行われた。
前列に私たち三人。後列には刑事さん。
全員が笑顔を浮かべている、いかにも幸せそうな写真が完成した。
その後、刑事さんたちは再びお礼を言うと、足早に帰っていった。
もう少し話せたらよかったけど、刑事さんだから。
私はその背中が扉の先へと消えるまで見つめていたのだった。
「ところで、中身は何だろうね?」
貰った品物の中身が気になって仕方がないのか、冬奈は校長室を出てからずっとそわそわしている。私と保坂さんは当初、彼女をたしなめていたけど、次第に中身が気になってきていた。
「これって、開けてもいいのかな……?」
私は手に提げている感謝の品を眺め、呟く。
「……ダメなんじゃないでしょうか?」
保坂さんが釘をさす様に言うものの、無駄に視線が動く。
しばらく教室へ向かって歩いていたものの、我慢の限界が訪れたらしい。
私達は教室には戻らず、そのまま校舎一階のトイレに入った。そして、一番奥の個室に入り込むと、そこで例の品を開封することにした。
「は、早く開けようよ」
「青柳さん、早く開けてください」
ものすごい剣幕の二人に気圧され、近藤刑事から頂いた袋に手を掛ける。
「ごくり……」
見守る二人はつばを飲み込み、袋を開けていく私の小さな手を凝視している。
全て袋を開けると、そこには三つの箱が入っていた。
それぞれの箱に名前が書いてあり、各々自分の名前が書いてある箱を手に取った。
「なんだろう、これ?」
「開けていいのでしょうか?」
私と保坂さんは少し躊躇して、それを眺めている。しかし、冬奈は勢いよろしく、早速箱を開けていた。
「……なに、これ?」
彼女の箱に入っていたのは、著名な稲荷神社のお守り。
「お守り? な、何で?」
その中身を見た冬奈は、期待はずれとばかりにがっくりと項垂れた。
「それでは、次は私が……」
そう言って、保坂さんが箱を開けた。
「こ、これは……」
保坂さんの箱に入っていたのは、黄金色に輝く狸。
「見たところ、お守りみたいだね」
私が呟くと、保坂さんは冬奈同様にショックを受けた様子。
「ちょっと、二人ともぉ……」
そんな二人を何とかして立ち上がらせようと試みたけど、何の効果も発揮しないことを悟り、自然に立ち直るのを待つことにした。
残ったのは、この手に持っている箱だけ。私はそれ程大きくも無い箱を凝視して、いろんなことを考え始めた。
〝この中に入っているのはなんだろう? 二人と同じようなお守り? それとも……〟
しかし、結局考えるだけ無駄だと思った私は勢いよく開けた。
「!」
途端、私は吃驚して、しばしの間ふたを片手に持ったままの状態でいた。その後、箱の中身をまじまじと見つめて、小声で「綺麗」と呟いた。
「何? 何が入っていたの?」
「どうしたのですか?」
さっきまで落ち込んでいた二人が復活し、私の箱の中身を確認した。
そして、中身を確認した二人は羨ましそうな視線を私へと送る。
私の箱の中に入っていたのは、空色に透き通った石が中央にはめ込まれた、若草色の十字架だった。
二十五話目です。
※2011年9月11日…文章表記を改めました。
※2011年10月17日…表記を変えました。