一大決心
「ピンポーン」
元気良く我が家のチャイムが鳴った。
あの騒動から早2時間。俺と比良はリビングでまったりと時の流れに身を任せている。
その後、俺は水泳部のジャージから私服に着替えた。
そんな午後1時過ぎにチャイムが鳴ったのだ。
「はーい」
俺は玄関に向かい、扉を開け放つ。
そこには、地味なジャージを可憐に着こなした若い女性がいた。
もちろん、俺はその人物をよく知っている。
「宮野先生、どうしたんですか?」
「あら、由紀さん。まさか忘れたわけではないでしょうね?」
「……あ、そういえば仰ってましたね。“来る”って」
「そう、それで来たのよ。……あがってもいい?」
「あ、どうぞ」
俺は先生を家に招きいれ、リビングに通した。そこで比良を目にした途端、先生すかさず尋ねてくる。
「あら、由紀さんのお宅って二人暮しよね?」
「ええ、そうですけど……」
「じゃあ、あちらの方はどなた?」
「あー、あいつはですねぇ……」
そのあと、俺と比良で詳しく事情説明。
宮野先生の理解が早かったおかげで、ものの数分で説明し終えることができた。
「つまり比良さんは、由紀さんの想像が実体化したわけね」
「仰るとおりです」
「不思議なことがあるものねぇ」
先生はうーんと唸った。確かにそれは俺も思ったことだ。
その後、比良は「私が居てはまずいから…」といって二階に移動した。
果たして何が気まずいのだろうか。俺には理解しがたい。
「……ところで先生、どのような用件で来たんですか?」
「うーんと、制服はあるのよね?」
「はい」
「ジャージは?」
「なんとか大丈夫です」
「それじゃあ話が早いわね。由紀さんには、転校生になってもらいます」
「……はい?」
唐突に凄いことを言われ、ポカンと口をあける俺。
「これは学校で決めたことだけど……、まずかったかな?」
先生は申し訳なさそうに声のトーンを沈める。
この件に関しては別に構わない。でも、もうすでに水泳部のみんなにはばれている。
いまさら正体を隠しても意味ないと思うのだが……。
「先生、水泳部のみんなには俺が裕樹だって事が露見しているのですが……」
すると、先生は微笑んで親指を立てた。
「大丈夫。何とかなるから」
……先生、何をどうするんでしょうか。
「それでは、水泳部のみんなが俺のことをみんなに告白したら……?」
「そのときは生徒指導室に連行して指導します」
「……」
先生、さらりと恐ろしいことを言わないで下さい。
そんなことを思われているとは知らない彼女は、言葉を続ける。
「という訳で、由紀さんには〝女性〟について学んでもらいます」
「先生、〝女性〟についてどのようなことを学ぶのでしょうか?」
「例えば言葉遣いなどよ。女性が『俺』とか言うのはおかしいでしょう。だから由紀さんは、これからは自分のことを『俺』じゃなくて『私』って言うようにしてください。あと、男言葉も禁止です。女の子らしい優しい言葉遣いを心がけてください。分かりましたか?」
「……」
これは新手の拷問ですか?
『俺』という単語と男言葉の禁止って。元男の俺にはきつすぎる。
俺の口から弱音が漏れる。
「先生、俺には耐えられそうにありません」
すると、先生は心底笑っていない笑顔を湛え、諭すように言葉を紡ぐ。
「我慢してください。そして言葉遣いがなっていませんよ? グーで叩かれたいですか?」
「……先生、本当に怖いです。後ろから黒いオーラが出ていますけど」
「では、素直に言う事を聞いてください。そうすれば、このオーラは消えてなくなりますから」
「……分かりました。素直になります」
「よくできました。それじゃあ先生、学校に戻らないといけないから。……言葉遣いに気をつけてね。さようなら、由紀さん」
「さようなら、先生」
先生はそのまま学校に戻っていった。
……あー、怖かった。
まるで、あれは悪魔だ。我が家に悪魔が光臨した。
あの怖さはもう二度と感じたくは無い。寿命が僅かに縮まった感じがする。
リビングでガタガタ震えていると、二階から比良が下りてきた。
震える俺の隣に腰を下ろすと、静かに口を開く。
「あの先生、怖いですね。私、あんな先生のクラスには居たくありません」
「そうだね。俺、なんか見てはいけないものを見た気がするし……」
俺が比良の言葉に相槌を打った直後、開いていた窓から何かが家の中に入ってきた。
良く見てみれば、小さな紙切れがくくりつけてある。
俺はそれを拾い上げ、紙を広げてみる。
するとそこにはこんなことが書いてあった。
「由紀さん、ちゃんとした言葉遣いを心がけていますか? 私が居ないからといって、油断してはいけませんよ。いつも見ていますからね? 宮野莢香」
場の空気が凍りついた。
俺、この先ちゃんと生きていけるか不安になってきた。
紙面を盗み見た比良が、俺の華奢な肩に手を乗せる。
何かと思って顔をそちらに向けると、彼女は深刻な顔つきのままで言った。
「裕樹さん、これから頑張りましょう」
比良が言った一言で、俺の心の不安が解消されていく。
よし、決めた。これからは身も心も立派な女の子になってやると。
「比良、私……がんばるよ!」
すべては、お……私の明るい人生のため。
十五話目です。
※2011年6月26日…内容を編集、加筆しました。
※2011年10月17日…表記を変えました。