女の子として、初めての登校
俺と冬奈は他愛もない話をして盛り上がっていた。
バカらしくもあり、そして時に『なるほど』と思う。
そんな話だ。
「それでね、空からおいしそうな肉まんが落ちてくるわけだよ」
饒舌に冬奈が言う。
「それってどんな夢だよ!」
笑いながらも、即座に突っ込みを入れる俺。
傍から見れば、お笑い芸人を目指す陽気な少女にしか見えなかった。
気がつくと、俺達は学校のすぐ近くまで来ていた。
少し先のほうに、見慣れた石造りの校門が見える。
そろそろ覚悟を決めたほうがよさそうだ。
「ふぅ……」
長く、そして大きく、息を吐き出す。
心の中に居座る不安を出し切るため、もう一度息を吸って、吐く。
そして、隣を歩く冬奈に声を掛けた。
「行こう、冬奈」
俺よりも僅かに小さい冬奈の手を握ると、一歩、足を踏み出した。
その直後、彼女は強引に俺の手を振り解くと、申し訳なさそうに俯いた。
「どした?」
「俺、やっぱり行きたくない」
「急にどうしたんだよ? せっかくここまで来たのに……」
「心配なんだ。俺が綾瀬冬樹だっていうことを信じてもらえるかどうかが」
冬奈の瞳が潤んでいる。
今にも泣きそうな顔をじっと見つめた。
冬奈の表情は、俺の母性本能を直にくすぐる。
しばしの間、俺は冬奈を見ていたが、彼女は決断したかのようにはっきりと言った。
「……行く」
そうして、俺たちは校門をくぐりぬけた。
今、俺達は職員室の前にいる。
何故かって?
それは俺の所属する水泳部に存在する決まりがあるからだ。
『部活をしに来た場合、その部の顧問である宮城先生に一言挨拶をしなければいけない』というもの。
だが、女の子になってしまった俺たちには職員室に入るという勇気がない。
でも、行かなければならない。
隣で冬奈が心配そうに見つめる中、俺は意を決して職員室の扉を開けた。
「失礼します」
「えっ?」
入って早々、そんな声が聞こえた。
声の主は、俺と冬奈の担任である宮野先生。
彼女は俺たちを見て、こう言った。
「あなたたちは誰?」
職員室に入室してから早五分。
先生は俺たちが誰であるか、やっと理解した。
そして、感心したように言った。
「それにしても、あなたたち、こんなに可愛くなっちゃったのね。なんだか先生、羨ましいわ」
「そんなこと言わないで下さい。俺たちはこれでも苦労しているんですから」
冬奈が釘を指した。
先生は罰が悪そうに顔を歪める。
「それはごめんなさい。ついつい可愛いものだから……」
後頭部で束ねる髪の毛を触りながら、自らの非を詫びる姿は、まるで少女のそれ。
思わず見とれてしまいそうだ。
でも、俺達がここに来たのには理由があるのだ。
早々と宮城先生に挨拶をしなければならないのだ。
「あの……宮城先生はどちらにいらっしゃいますか?」
「ああ、宮城先生は水泳部の部室にいると思うわ」
宮野先生は考えるそぶりも見せずに即答した。
何故に知っているのだろうか?
あれか? 伝言か?
どちらにしても、これでここにいる理由は無くなった。
「ありがとうございます。失礼しました」
俺たちは足早に職員室から立ち去った。
場所は変わって、俺達はプールの前にいる。
潮凪中学校のプールは屋内に作られているので、一年を通して泳ぐことが可能である。
しかも、結構広い。
水泳部の部室は建物の中にあるので、俺と冬奈は中に入らないといけない。
この姿になってでは、これまで何気なくやってきた作業でも勇気がいる。
白くて小さな手をドアノブに伸ばし、思いっきり引いた。
うわっ、重い。
男だった頃には感じなかったが、こんなに重かったとは。
やっぱり、力が違うんだな。
中に入ると、少し遅れて冬奈も入ってきた。
靴を脱ぎ、下駄箱に揃えて入れた。
「それじゃあ、行こうか」
「うん」
俺と冬奈は、水泳部室に向かい、開けっ放しの扉を潜り抜けた。
部室に宮城先生がいた。
ほかの部員は誰もいない。
これは絶好の機会だ。
素早く先生に近寄ると、俺と冬奈は声を揃えて言った。
「おはようございます」
「おはよう…って、お前ら、何者だ!」
……。
思いっきり、怒られた。
「……なるほど。お前が青柳で、こっちが綾瀬か」
「はい、そうです」
「ぐすん……」
宮城先生に事情を説明すると、すんなり受け入れてくれた。
おそらく、俺達が女になったと言うことが伝わっているのだろう。
隣で目を潤ませているのは、綾瀬だ。
先程の叱咤で来てしまったらしい。
「先生、納得していただけましたか?」
「ああ、納得した」
「それで…その…俺達はこれからどうすればいいんでしょうか?」
「どうって、これまで通り部活に来て練習すればいいじゃないか」
「みんなに不審がられないでしょうか?」
「何とも言えないな」
先生は腕を組んで思案顔。
「きっと変態って思われるんだろうな……」
未だ泣きそうな冬奈。
「多分大丈夫だよ」
彼女に声を掛けてやると、「うん」と力なく頷いた。
「まったく、どうするべきかな……」
先生はそう呟き、考えをめぐらせていた。
と、その時。
「おはようございます!」
部室に河野部長がやって来た。
部長は一瞬その場で固まったものの、ダッシュで俺達の元へとやってくると、頭の天辺から足のつま先まで、余すところ無く眺めた。
この行為、変態のすることじゃないのか?
しかし、河野部長は全くイヤらしい様子を見せることなく、先生に訊ねた。
「先生、この麗しき女性達はどちら様ですかね?」
「ちょっ!」
部長、“麗しき女性達”って……
「あぁ、こっちが青柳で、そっちが綾瀬だ」
先生、乗らないでくださいよ!
「なるほど……随分と可愛らしくなったな」
今度はイヤらしい満面の笑みを顔に浮かべる河野部長。
イヤ。気持ち悪い。
ストーカー被害に遭う女子の気持ちが分かった気がする。
「それでは先生、緊急ミーティングでも開いて、二人に自己紹介でもさせますか」
「うん? それもいいな」
おいおいおい……。
「それじゃあ、決まりですね」
「進行は頼んだぞ、河野」
「任せてください」
なんか勝手に決まっちゃったぞ!?
「というわけだ。頑張れよ、二人とも」
あぁ、帰りたい。
隣の冬奈を横目で見てみれば、俺と同じ事を考えているようだった。
「サプライズで登場ってことはどうですかね?」
「それも面白そうだ。でも、そんなに長引かないように、な?」
俺と冬奈を置いて、話はどんどん加速していった。
十話目です。
※一月十日《一部編集しました》
※2011年3月6日…本文を大幅に編集&加筆し、構成を変更しました。
※2011年10月17日…表記を変えました。