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ChaSe?  作者: MIZUNOE
4/4

【 α嫌いのΩ 】4

酷い風邪をひいた如月の看病をすることになった御堂。如月の生活環境を目の当たりにして、遥を巻き込むすったもんだ。

「付き合って」

オレサマ御堂主導、押しまくりの告白に、如月は。

 頭が痛くて、酷く、怠い。

 喉が、痛い。

 正月休みが明けた最初の週末の早朝。

 ひどい頭痛で目を覚ましてから、眠れなくなった。

 酷い頭痛のせいで、吐き気までし始めた。

「ごほ…っ」

 咳き込むと、全身の関節という関節が、軋む。

熱感と、頭痛と、関節の痛み。

悪寒が、如月の背中を走り抜けた。

 

 昼前、御堂は遥からの電話でタブレットから目を離し、読んでいたページにしおりをセットすると、スマホの画面をスワイプした。

「もしもし、遥?」

『香哉斗?今日、何か予定があるか?』

「いや」

 電話の向こうで、京都だろうか、酷く咳き込む様子が聞こえてきた。

『悪いけど、ちょっとキサの様子を見てきてもらえないかな?』

 御堂は一瞬電話を耳から離し、スマホを見つめた。

「…いやそれ、安定の地雷だろ」

 向こうで、また京都の咳が聴こえた。

「笹原、風邪?咳が酷いな」

『そうなんだよね、会社でもらってきたみたいで、昨日の晩から熱出してるんだ。キサも京都とほぼ一緒にいたらしくて。今朝から電話してるけど出てこないから、京都と同じで熱出して倒れてるんじゃないかと思って』

 なるほど、と御堂は半眼になって納得したものの、

「でも、俺、あいつの自宅の場所知らないけど」

『知らないの?』

「あいつ、俺に対しては警戒心の塊だからな。大晦日も、送らなくていい、って歩いて帰った」

『キサ、まだそんな意地張ってるのか。大晦日は二人で初詣行ったんだろう?』

「一応」

 遥が苦笑したのがわかった。

「そんなことなら見に行ってやりたいけど、弱ってるところに俺が行っても、つけ込んでると思われて、逆効果になりそうだろ」

『あ、キサから電話だ。悪いな、かけ直すよ』

「ああ」

 そこで電話が途切れると、御堂は時計を見、

 11時30分。

 少しだけ思案するように上目遣いに天井を見上げ、立ち上がった。お気に入りの小さな土鍋を取り出して簡単な雑炊を作り始める。ケトルで湯を沸かし、最近仕入れた蜂蜜紅茶を淹れて、味をみた。

「甘…」

 甘い飲み物を好まない御堂は、いかにも如月が好みそうな甘みと香りに思い切り眉を顰めた。

「まあ、…悪くは、ないか…?」

 美味いのかどうかがよくわからないが、紅茶は保温用のマグに詰めた。一昨日菜月が持ってきた洋酒のパウンドケーキを切り分け、小洒落たパラフィン紙で包むと遥からの電話が鳴った。

「遥?」

『香哉斗、悪いけど、キサにはよく言い含めておいたから行ってやってくれないか。というかまあ、結構な熱が出てるみたいで、何が何やらよくわかってないから大丈夫だと思うよ。何かあったら電話して』

「わかった。けど、場所は?」

 メッセージが届いた通知音がした。

『今、地図送ったから。悪いな。頼むよ』

 京都の酷く咳き込む様子が聞こえ、電話が切れた。

 地図を開いてみれば、

「…近」

 歩いても数分の距離。確か、この反対側に時間貸しの駐車場があった筈だ。

 この荷物を持って移動をするのも面倒だと思い、少し大きめのバッグに持ち物をまとめて入れ、クリニックで使用しているパソコンと医療用IDも放り込むと、御堂は自宅を出た。

 如月の住むマンションは、賃貸物件としては充分な印象だった。まともにここの家賃を払っているなら、そこそこ高給取りだ。

 管理人室の前を通って綺麗に整えられたロビーに入り、インターホンで部屋番号を押すと、返事もなくエレベーターに続く内扉が開いた。

「…無用心だろ、おい…」

 そのままエレベーターで10階まで上がると、その左側の突き当たりが如月の部屋らしかった。ネームプレートも置かれていないが、教えられた部屋番号の入り口に設置されたインターホンを再度鳴らすと、ここでも相手を確認することもなく、かちゃりとドアのロックが解除された。

(大丈夫か?)

 半ば呆れながら御堂が中に入る。

「キサ?俺だけど、入るぞ?」

 返事の代わりに、酷い咳が聴こえてきた。

 ブーツを脱ぎ、咳が聴こえた方向へ歩き出す。廊下の右側にあるドアを開けると大きな窓があり、明るい日差しが入っていた。全く飾り気のない部屋の中央に置かれた大きめのベッドの中で、如月は布団に埋もれるように横になり、酷く咳き込んでいた。

 御堂はすぐに如月に近づき、額に手をやると、結構な熱だ。体温計で測ると39度にもなっている。そっと顔を近づけて視線を合わせると、熱で潤んだ瞳がぼんやりと御堂を映した。

「起きてから、何か飲んだ?」

「…飲んで、ない…、のど、痛、い…」

 布団に潜ったまま、掠れた声で呻くように言いしな酷く咳き込んだ如月を見、御堂は持ってきた荷物の中から生理食塩水のソフトバッグを取り出した。周りを見回し、固定できそうなところを見つけると、如月の隣に座り、背中を摩ってやった。濡れた額の髪を避けてやる。

「点滴するか。少し楽になる」

「う、ん」

「の前に、着替えた方がいいな。タオルと着替え、どこ」

 酷い汗で、着ているものが湿っている。

「…一番、上の、引き出し。と、…洗濯機、の隣」

「ちょっと待ってろ」

 御堂は立ち上がると、壁際においてあるチェストの一番上の引き出しを開けた。畳んであるのかないのかよくわからない状態で何枚かTシャツやイージーパンツなどが放り込まれている。一枚を持ち上げると、薄手のセットアップが上下とも重なって出てきたのでそれをベッドに置いて引き出しを閉めた。部屋を出、廊下を見回し、手近にあったドアを開くと、洗濯機が見えた。立て付けの棚の扉を開くと、半分から下は綺麗に畳まれ、半分から上は洗濯が終わったタオルがそのまま放り込まれたような印象だ。フェイルタオルを数枚取ると手早くたたみ直し、何枚かを濡らして絞った。

 室内は全体に、小綺麗にはなっている。

(ああ、週一で業者を入れてるとか言ってたな)

 遥がそんなようなことを言っていたのを思い出した。

(タオルも、上の方だけ畳んでないのはそのせいか)

 年末年始はさすがに業者も休みだったのだろう。

 寝室に戻ると、如月はやはり酷く咳き込んでいた。

「ごほ、ごほごほ…っん、く…」

 咳が酷く、吐き気になってしまったようで、口元を手で押さえていた。

「少しでいい、飲めるか」

 落ち着かせてから背中からそっと起こし、持ってきたグラスにペットボトルから冷たい水を注いでストローをさし、口元に持っていってやると、薄く唇がひらいた。

「ん…っ」

 ごくりと喉が動くのと同時に、如月が顔を顰める。

「口あけて」

 素直にひらいた口の中をちらりと見れば、酷く腫れている。

「着替えるぞ?少し、我慢な」

 如月の体を自分にもたれさせ、タオルで体を拭いてさっさと着替えさせると、嫌がらないのを確認し、如月の右腕をとって袖を捲り上げる。相変わらず細い腕はされるがままで、指先までくたりと力がない。

「少し痛いけど、動くなよ」

 血管を探り、針を刺す。

「…痛い…」

 御堂に体ごと顔をを預けた状態でモゴモゴと呟く如月にくす、と御堂は笑うと、

「痛い、って、言っただろ」

「…注射、嫌い…」

「少し我慢。水分補給と、その他もろもろな」

「…ごほっ!」

 御堂は、咳込む如月の背中を軽く叩いてやり、咳が治まるとそっと髪を撫でた。

 すり、手のひらに頬を擦り寄せてくる如月にやや驚いた表情を見せたものの、そのまま御堂が頭を撫でてやると、気持ちが良さそうに如月は目を閉じていた。

「おでこ、冷たいの貼っとくか」

「貼る…ごほ」

 いつになく素直な如月に御堂は思わず唇を緩めた。

 こんな如月は、見たことがない。

 額に持ってきた冷却剤を張ってやり、点滴を入れ始めて30分もすると、如月の咳も止まり、穏やかな寝息を立て始めた。

 御堂は洗濯機の中身を洗濯して干してしまい、台所に残っていた僅かなグラスを洗ってしまうと、ぐるりと部屋の中を見回した。

 部屋の作りは3LDK。一部屋は書斎、一部屋は寝室、一部屋はものも置かれていなく、全く使われていない。20畳程度のリビングはこざっぱりとモノトーンでまとめられていて、テレビとソファ、ローテーブルとこたつ程度しか置かれていない。キッチンはほとんど使われた形跡がない。HIのクッキンヒーターも組み込み式の食器洗浄機も使われた形跡がない。家電製品といえば、冷蔵庫と電子レンジのみ。電子レンジは多少使っている様子はあるが、食器は北欧ブランドの皿が数枚と、マグカップが一つある程度で、必要最低限どころか、茶碗や汁椀もない。申し訳程度にフライパンと鍋が置いてはあったが、これも使われた痕跡は見当たらなかった。

「…どうやって生活してんだ、お前…」

 納戸には掃除機とフロアモップが置いてあるだけだ。

 点滴が落ちきって1時間もすると、如月がふと目を開いた。

 水音がするキッチンの方向に視線をやり、銀髪を認めて起き上がった如月に気づいた御堂が顔を上げた。

「起きた?食える?」

「?」

 寝ぼけているのか、御堂を認めて目を丸くした。

 近づいてきた御堂に一瞬身構え、そっと差し出された盆を見て、御堂を見上げた。

 一人用の小さな土鍋に、塩昆布、梅干し、ほぐした焼き鮭の三種類の小皿。

「え…」

「警戒すんな。遥に頼まれてここ教えられて、さっき来ただろ。点滴したの覚えてないか?ついでに持ってきた」

 御堂が土鍋の蓋を開けると、ふわりと柔らかな出汁の香りが広がった。

 そっと木製のスプーンを渡され、如月がふと御堂を見た。

「レンゲじゃないの…」

「レンゲ、熱くなるから俺が嫌いなの」

「あ…、そっか…」

 こくりと頷き、如月はひと口雑炊を口に入れ、ふわりと微笑んだ。

 塩昆布でひと匙、梅干しでひと匙、焼き鮭でひと匙。ゆっくりと食べ進めたものの、3分の1ほどを食べると、如月はことり、とスプーンを置いた。

「もう終わりか」

「…お腹いっぱい」

 盆を受け取り、嫌な予感がして御堂が如月の顔を覗き込んだ。

「お前、いつからまともに食ってない?」

 ごそ、と布団に潜り込みながら、

「…正月の3日くらい?」

 一瞬、目を丸くした御堂は、何かを言いかけて唇を閉じた。

(またかよ…。そりゃ、抵抗力付かねーわな…)

溜息。

「りんごとシナモンのソルベがあるけど」

 もぞ、と目出し帽のように、布団の隙間から如月の目が現れた。

「食べる」

 やはり、スイーツならば入るわけだ。後で、le brouillardへ何か買いに行くか。

 どうやってビタミンを摂らせるか…。

 頭の中であれこれ考えつつ小さなグラスにソルベを盛ると、小さなスプーンと一緒に起き上がった如月に手渡してやる。

「残りは、冷凍庫入れとくとから。あと、葉月のパウンドケーキと、紅茶はここな」

出来るだけ手の届くところに一式を置き、

「うん。ありがとう」

 点滴の道具などを一通りバッグへ放り込むと、如月の掛け布団を直してやった。

「しばらくは薬が効くけど、辛くなったら夜中でも電話しろよ?遥には、様子連絡しとくから」

「…うん。…あの」

「ん」

ドアを開けた御堂が、振り返り、

「…帰る?」

思わぬ如月からの一言に、無表情のまま目を丸くした。

「…どうした?」

じ、と如月を見つめ、一瞬無言になった。

 一瞬であれこれを頭の中で考え、

 「勘違いすんなよ。心配なのは事実だけど、俺は、お前が弱ってるところにつけ込むつもりは全くねーからな」

うん、と如月はスプーン をくわえたまま頷いた。

「…分かってるよ。…今、俺、おかしいから。…多分」

御堂が如月の隣に戻り、額に手を当てた。

「お前、大丈夫?」

「だ、から!」

「あー…、分かった。夕方、また来る」

まだ熱い首筋に掌で触れれば、ぎゅっと目を閉じた如月の肩がびくりと跳ねる。

「あ、…悪い」

やや俯いて詫びつつ。

「弱ってる時は、人恋しくなるもんだけど。いてもいいなら、いようか?」

冗談めかして言ってみれば、如月が上目遣いに御堂を見た。

暫くそのまま見ていたが、こくり、と頷く。

「…いいの」

驚いたのは、御堂の方で。

「いて」

今度は、御堂がこくりと頷いていた。

「あ、…あ、…うん」

「ごちそうさま」

如月が差し出したグラスを受け取ると、

「…ここ」

如月が、御堂の手を引いた。

「ここに、いて」

自分の隣に座らせると、如月はそのまま、すう、と眠ってしまった。

一瞬で眠りに落ちてしまったそのあどけない寝顔を見て、どく、と御堂の心臓が踊った。

(なんつー、無防備な…)

なんだ、この状況は。

「キサ?」

とりあえず、呼んでみても、返事はない。

まだ平熱というには温かい指が、御堂の手首を掴んだままだ。

 柄にもなく戸惑いを感じながら自分の手首を掴む細い指を人差し指でそっとなぞると、長いまつ毛は伏せられたまま、僅かに震えて御堂をどきりとさせた。

起こすわけにもいかず、御堂はそのままスマホを眺め始めた。

(勘弁しろよ…)

 自分で言い出したにもかかわらず、自分の切羽詰まった状況を如月のせいにしつつ、2時間もすると、さすがの御堂もやや退屈になってきた。本は読み終え、ネット記事も飽きてしまった。相変わらず如月は御堂の手首を掴んだままだ。 如月を覗き込めば、ぐっすりと眠っているように見える。まだ、少し頬も赤い。

 長いまつ毛に、薄く開いた紅い唇を見ていると、自然に御堂は顔を近づけていた。

 触れそうなほどに唇が近づき、ぐ、と衝動を押し留めて顔を離した。

「………」

 小さくため息をつき、そっと手首から如月の指を外そうと触れると、ふ、と焦茶の瞳が御堂を映した。

「帰る…?」

 子どものような表情で見上げてくる如月に、御堂は苦笑した。

 いつもの様子を考えると、正直なところこんなに懐かれるとは思っていなかったので、これだけ荷物は持ってきたのだが、この状態では容易に帰してもらえそうにないのではないかと、やや心配にもなっできた。

 さすがに、自分のことは何も用意をしてきていない。

「一応、帰るけど。さすがに俺も腹減ったし」

如月はふ、と顔を逸らすと、もそもそと布団に潜り込んだ。

「…食事、ありがとう」

小さく言うと、布団の中で小さく丸まってしまった。

溜息を吐きかけた御堂のスマホが震えた。

「遥?」

御堂は、スマホを耳に当てながら部屋を出た。

『キサ、どう?』

「一応、処置して今は熱下がってるけど、当分駄目っぽいな。全くまともに食事してないみたいだから、一人にしとくと回復しそうにないけど。いつもどうしてんだ」

『やっぱりなあ…。いつもは、うちで面倒見るんだけど、今回は京都もこれだからねえ…。香哉斗、キサ、一時的に預かってもらえないか?』

「は?」

御堂は思わず電話を離して見つめた。

『そこ、何もないだろ』

「…まあなあ。世話するには不便極まりねーな。でも、俺はいいけどあいつが嫌がるだろ」

『んー。香哉斗?』

「何」

『気を悪くするなよ』

「だから何」

『キサに手を出すのは、キサが合意してからだよな?』

思わず、耳から離した電話を半眼で見つめ、

「…何の確認だ」

『キサを言い含めるから、そのための確認』

「当たり前だろ」

『うん。まあ、その辺、君はちゃんとしてるみたいだから、僕は全く心配はしてないけどね、念のため。じゃ、キサに代わって』

遥は穏やかな物言いで分かりにくいが、実はそれなりに押しが強く、その言葉にはそれなりの威圧感がある。今回については、御堂としてもやぶさかではないので何ともではあるが。

「キサ、起きてるか?」

「…ん」

もそ、と布団の中の体がこちらを向いた。

「遥から」

「ハル…?」

伸びてきた手にスマホを持たせると、手がまた熱を持ち始めている。

「…うん、…うん。…え?」

如月は、遥の言うことには大人しく従うことが多い。

「でも。…ん、…うん…」

暫く如月は頷きながら遥の話を聞き、

「…わかった。御堂さん、ハル」

スマホを御堂に戻した。

『キサにはよく言い聞かせたから、連れて帰ってくれるか』

「…何をどう言えば、あいつがあんなに大人しく納得すんだよ」

遥が笑った。

『何言ってるんだ?君自身で、キサの信頼を勝ち得てる、ってことだろ。まあ、キサもちょっと素直に慣れない事情があるけど、自分の身の危険のことなんて、人に言われて納得できるものじゃないよ。じゃ、悪いけど、あとは頼むね』

遥の電話が切れると、御堂は如月を見下ろした。

「連れて帰っていいなら、いくらでも世話はするけど」

「…行っても、いい?」

御堂の目が丸くなった。

「お前ほんとに」

「?」

「遥に何言われたの」



2階から咳が聞こえてくる。

自宅に病人がいると言うのに、不謹慎にも御堂は機嫌が良かった。真夜中のキッチンで生姜湯を作りながらテレビをつけると、ニュースが読まれていた。

『…6名の行方不明の方は何れも中学生から20歳迄のΩの方だと言うことで、警察庁では組織的な犯罪の可能性が強いと見て捜査本部を立ち上げました』

一瞬、階段に視線をやった。

咳は、部屋から聞こえている。

プツ。

御堂はテレビを消した。

出来上がった如月用の生姜湯と自分用のコーヒー、ソフトタイプのクッキーををトレイに載せて階段を上がり、自分の寝室の向かいのドアを開ける。

「ごほ…っ」

枕に顔を埋めた如月が、苦しそうに咳を繰り返している。

「咳、止まらねーな…」

ちらりと壁の時計を見、

「もう一度、咳と吐き気どめの点滴するか」

「…うん…っごほ!」

疲れ切った顔の如月が、僅かに御堂を向いた。

(熱もまだ下がらないか)

手早く用意をして点滴を落とし始めると、如月が温かい指で御堂の腕を掴んだ。

「ん?」

「嫌な…夢、見る…」

涙目で盛大に咳込む。

「…っごほ!」

今日は、見たことがない如月ばかりを目の当たりにしているな、と御堂は苦笑した。

「ここにいようか」

髪を撫でてやるが、如月の指は、解けない。

「連れて、…行か、れる…」

 どき、と御堂の胸が痛んだ。

子どもの頃に誘拐された時の記憶が混同しているのか。

 誘発剤を乱用され、瀕死の状態になっていたと聞いた。

確かに患者によっては、治療時の誘発剤の使用で熱感や身体の怠さ、節々の痛みを訴えることも少なくない。

「…キサ、こっち来るか?」

御堂は如月の隣に足を伸ばして座り、そっと如月の肩を叩くと、薄く開いた潤んだ眼で御堂を見た如月は躊躇なくその膝に熱っぽい身体を擦り寄せた。

(風邪のたびに、思い出すんじゃ、…辛いな)

そっと足の上に熱い身体を引き上げてやり、肩を撫でてやる。暫く咳き込んでいたが、やがて薬が効き始めたのか、咳の間隔があいてきた。

「生姜湯、冷めたけど…飲むか?」

「…甘い?」

くす、と御堂が笑う。

「甘すぎて、俺は遠慮するけど」

トレイを示すと、如月は意外にクッキーも欲しがった。

「ナッツの、おいしいな」

「自分で用意しといてなんだけど、その甘いの二乗でよく食えんな…」

「平気」

食べ終わると、ぽふ、と御堂の足の上に倒れ込んだ。

「…やっと、寝れそ…」

トロリと微睡むように瞳が揺れ、やがてふ、と瞼が落ちた。

点滴には少し鎮静剤も入れておいたので、それも効き始めたかもしれない。


翌朝、御堂は如月の隣で目覚めた。

「…俺まで寝ちまったのか」

 加湿をしながら部屋を暖めていたせいか、自分の体調に問題はなさそうだ。

小さく呟くと、如月が目を開いた。

「…はよう…」

ぼんやりと呟くような挨拶が少し可笑しくて、御堂は思わず笑った。

「おはよ。気分どう」

「治った」

多少咳は残っているが、けろりとした表情で如月が答えた。

「熱、みていい」

「いいよ」

額に手を当てると、ほぼ平熱だ。

「ありがとう。明日は、出勤できる」

にこりと笑って言われれば、気分は良くなるだけで。

「歯磨きしたいな…」

「洗面所に、新しいのが置いてあるから。これ着てけ」

置いておいたパーカーを如月に着せてやると、

「汗かいたから、いい」

「気にすんな」

「…ありがとう」

如月は部屋を出たところに設置してある洗面台へ歯を磨きに行った。

サイズが合わない自分のパーカーを着ているのを見て、興奮するとか。

「俺、変態…?」

こんな経験は、皆無だ。

如月よりもずっとスタイルも良く魅力的な女性との関係も数知れず…のはずだが、何せ全く比較対象にならないし、如月については根拠も無く惹かれるのだから、仕方がない。

あれやこれやと考えていると、足音がしてドアが開いた。

「すっきりした。ありがとう」

にこりと笑う如月は、本当に可愛らしい…、と思える自分が信じられなくて。

「ん?…何、頭抱えてんの。もしかして、風邪移した⁉︎」

「や、違う違う。俺の煩悩…や、いい。何か食う?」

「うん」

そして、昨日に続き、この素直さ。警戒されっぱなしの状態から一転。

もー、駄目。やられる。

「…うん、何でもいいよな…」

「うん」

「ちょっと待ってて…」

「あ」

「?」

「あの、シャワー借りていい?汗かいて気持ち悪くて」

「あー、だな。そこ出て、左。ゲスト用のあれこれ置いてあるから、好きなもん使って。ああ、下着は後で新品置いとく。俺用だから多分サイズ合わねーけど、我慢して」

「ありがとう」

いつの間にやら、打ち解けたようなこの自然なやり取りとか…。

如月が部屋を出ると、御堂は溜息をつきつつ、キッチンへ降りて食事の支度を始めた。


「…おいしそう」

納豆、だし巻き卵、魚の干物、味噌汁、ごはん、漬物。

「ああ、生卵も…あるけど」

「ううん。入れない派。だし巻き、大好き。マヨネーズつけて食べるの、すごく好き」

「だし巻きに、マヨネーズ…?」

立ち上がり、冷蔵庫からマヨネーズを持って来れば、

「え、ありがとう!」

少しだけ皿に出し、だし巻きに乗せて、パクリ。

「んーーー」

幸せそうに笑った顔は、

(…これだけでメシ食えそうだわ…)

御堂の箸を下げさせた。

「これも、どーぞ…」

差し出されただし巻き卵の小皿を素直に受け取ると、如月は機嫌良く平らげた。好き嫌いは無いようで、箸づかいも綺麗だ。

暫く如月の食事風景を見て自分が食べることをすっかり忘れ、いつのまにか御堂はキッチンで如月の食後のお茶を入れていた。

自分は飲まない、煎茶と食後の饅頭を小さな和盆に載せ、如月の前に置くと如月の正面に座った。

「キサって」

「ん?」

「家で、何食ってんの?」

「何って」

「普段の食事。自炊してないだろ?そんなに外食してる様子もないし。…しょっちゅう帰りに会うもんな」

御堂はやっと自分の食事を思い出し、茶碗を持ちあげると、冷めてしまった干物を箸でつついた。

「朝は、食べないな。…仕事の帰りに買って帰るカフェラテ飲んで、昼は時間があれば食べに出る。時間無いと、チョコと紅茶くらいか」

段々と御堂の目が細くなってきた。

「お前…」

「夕方は、帰りにコンビニで適当に食べたいもの買う、だろ。面倒だと、寄らずに帰るから、次の昼まで何も」

「ここに住め!」

「は?」

如月が目を丸くした。

「食事も寝床も洗濯も掃除も面倒見てやる!生活能力以前の問題だお前のは!生存本能が欠けてる‼︎」

「…何言ってんの」

「何じゃ無いだろ。お前一人じゃこの先、遠く無い未来に野垂れ死だアホ!」

「αとなんて無理」

「…はあ?」

青筋を立てそうな表情で御堂が如月を睨んだ。

「昨日今日と二人でここにいただろうが。俺がお前に何か悪さをしたか?」

「…それはないけど」

「もういい。とっとと遥に電話して、俺がこう言ってるって聞いてみろ。あいつ、間違いなく俺側だ」

「ハルは関係ないだろ」

ムカ。

御堂は自分の携帯電話を取り出すと、さっさと電話をかけ始めた。

「遥、笹原どう?…そ。ちょっと出れる?」


かくして。

30分後には、遥が二人の間に座っていた。

「何だよ、険悪だな。どうした?」

何となく事情を察した遥が、御堂が持ってきたカフェオレのカップを受け取った。

「あ、長居できないからな。京都、病み上がりであんまり動かしたく無いし、機嫌斜めになると大変なんだ」

「御堂さんが。俺に、ここに住めって」

きょと、と遥が如月を見た。

「へ?」

御堂が半眼でキッチンに立ったまま、淹れたてのコーヒーのカップに口をつけた。

「こいつん家行ったら、あんまり生活感なさ過ぎてびっくりしたわ。で、生活習慣聞いて更に驚いて、この際、食事から何から全部面倒見てやるからここに住めって言ったんだよ」

「あ、なるほど」

まるで人ごとのように、遥は相槌を打つと笑った。

「で?キサは?」

「嫌だ」

「ふうん」

こと、と御堂がカップを大理石のカウンターに置いた。

「自分の好きな相手がいつ死ぬかわかんねーような生活してんの見過ごせるか?」

「好…っ」

如月が目を丸くしたところで、遥がにこにこしながら立ち上がった。

「はい、キサの負け」

ば、と如月が遥を見上げた。

「うん、僕的には香哉斗が正解。僕にジャッジさせるなら、キサには勝ち目ないから、諦めろ。でも」

「あ?」

既に御堂は迫力満点だったが、

「香哉斗、一つ約束な?」

穏やかな遥の呼びかけに、す、と御堂の雰囲気が和らいだ。

「…何だよ」

「キサが合意するまで、絶対にそう言う意味での手は、出さない」

ぱちり、と目を瞬かせ、

「今更何言ってんの。当たり前だろ」

訳がわからない、とでも言いたげな表情で当然のように返した御堂を、如月が驚いたように見やった。

「またその確認か?そのつもりなら、とっくに襲いかかってるだろ。そもそも嫌がってる相手を無理やり何とかしようなんて、そんな趣味はねえよ」

呆れたように御堂は言うと、カップに残ったコーヒーを飲み干した。

「ね、キサ。せっかくこう言ってくれてるんだから、世話になって、ゆっくり香哉斗のことを知って、自分とも香哉斗とも向き合えばいいよ」

さて、と遥はコートを着込み始めた。

「僕は香哉斗に賛成。香哉斗は信頼できるαだと思うし、正直、キサに生活能力ないのは事実だからありがたいと思うよ。僕も、キサがこのまま自分のマンションに帰るのは、反対。あれ、キーどこやったっけ」

「玄関のカウンター」

「あ、よかった。じゃ、香哉斗、ごちそうさま。僕、帰るよ」

「遥、ありがとう。これ、笹原と二人で食べて。遥好きだっただろ」

「え?いいの?」

le brouillardのアフタヌーンティーセットを手渡され、遥はにこりと微笑んだ。

「ありがとう。じゃあキサ、意地張るんじゃ無いよ?」

遥は釘を刺すと、慌ただしく帰っていった。

残された二人のうち、一人はコーヒーをもう一杯淹れた始め、もう一人は居心地が悪そうに俯き加減で顔は窓に向いている。

コーヒーが落ち切ったのを見て、御堂がカップに口をつけた。

濃いそれを、小さく一口。

「で?」

そっぽを向いた如月に向けて、短く問う。

「返事は?」

如月がちらりと御堂を見たが、何も言わない。

こと、と御堂は自分のカップを起き、もう一つカップを手にしてカウンターをぐるりと回って如月の後ろに立った。

「な」

「何」

 コト、と御堂が如月の前にカップを置くと、紅茶とはちみつの香りがふわりと舞った。

「俺、真剣にキサのことが好きだって気がついたから」

「………」

「付き合って」

「は?」

 如月がぐるりと振り返る。

「何言って」

「冗談言ってると思うか?」

 いつかのように、ぐい、と御堂は如月の手首を掴むと、自分の心臓の上に引き寄せた。

 すごい勢いで鼓動するそれに如月が戸惑ったように御堂を見上げると、御堂は小さくため息をついた。

「キサ?」

「…何」

(この表情、なんだよな)

寂しそうな、戸惑ったような、はにかんだような。プラスとマイナスの感情が入り混じった、たとえようのない表情。

 抱きしめたい衝動を何とか抑えつつ、御堂は一瞬思案した。

「俺と居るの、嫌か?」

 如月は首を横に振った。

「別に」

「俺と居ると、疲れる?」

 如月は首を横に振った。

「…別に」

「俺に触られると、気持ち悪い?」

 如月は首を横に振った。

「…そんなことないけど」

「俺と居ても、嫌じゃない?」

 こくり。

「キスしても、いい?」

 こくり。

「…え?」

「違うの」

「や、…違…」

「こういうことは、無理強いはしない。ちゃんと、キサから俺を抱きしめてくれるのを大人しく待ってるから」

 俯いた如月の顎を引けば、見たことがないほど真っ赤になっていた。

「茹だってる」

「るっさい!」

「今日は、軽いので我慢するから。…キスしていい?」

視線を逸らしたまま動かない顔を肯定といいように理解した御堂は、そっと自分の顔を如月の顔に近づけた。

 する、と冷たい唇が如月の唇に触れ、ぺろり、とそれを舐められ、甘噛みされて、びくりと如月の肩が震えた。

 そっと離れた御堂の唇からちらりと赤い舌が見え、如月は更に耳まで赤くなって俯いた。

「な…で、俺、なんか…」

 絞り出された声は、小さく、掠れていた。

「キサが、いいんだよ。気がつくとキサのことばっか考えてて、そばに居ると目が離せなくて、触りたくて仕方がなくて、…もう完全に頭イカれてそうだけど、俺」

 今はあんまり、触れないけどね。

「…だから」

 ふわ、と如月の身体から、甘いオーラが僅かに立ち上った。

「キサの隣で、恋人気取りたいんだけど。いい?」

 どんどん如月の顔が下を向く。

「どんな告白だよ…」

 顔が熱い。

 …でも。

「なあ」

「…俺、御堂さんのこと、好きがどうか解らないけど、…いいの」

「今のところ嫌いじゃないなら充分。好きにさせるからいい」

「……」

「返事は?」

 如月が小さく俯くと、

 ちゅ。

 御堂の唇が、如月の頬を掠めた。

「で、ここに住むんだろ?3食、休日は昼寝付き。で、毎日、好きなだけ好きなもの食わせるよ?」

「…うん」

 軍配は、御堂に上がった。

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