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ChaSe?  作者: MIZUNOE
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【 α嫌いのΩ 】2

猛烈アプローチ開始のαに、「αお断り」モード全開のΩ。

無意識に如月に手を出してしまい、完全拒否を食らった御堂。胃袋戦法と強烈アプローチも全く逆効果で。

完全無欠のαが、Ωに冷静にフラレまくる。

京都は顔をしかめ、

「キサ?これ、誰に貰ったの」

 昨日、如月が御堂から貰ったカプセルシートの一部を返すとパソコンを閉じた。

「昨日の医師。御堂さん」

「あー、なるほど。…納得」

「何?そんなに特殊なものなのか」

「特殊と言うか、高価なのよ。メーカーも、モノも。1カプセルで、…そうね、le brouillardのアフタヌーンティーセットくらいかな」

「何だよ、そのセレブ価格…。それ、ほいほい人にあげる金額じゃないけど」

「だーかーら、よ。価格に見合った効き目だって言うけど、ある程度の期間は飲まなきゃいけないらしいから、よっぽどのセレブしか使えないわよ、そんなの。おまけに、そんなもの「当分やるから飲みに来い」って、どんなナンパ?さすが、医師ともなると太っ腹ねー」

「ナンパはないと思うけどね。Ωでも男はお断り、って言ってたから、ちょっと気が楽。おまけにさ」

「何よ」

「御堂さんのお姉さん、le brouillardのパティシエで、オーナーの奥さんなんだって」

 京都が半眼になった。

「…どーゆー家?」

「俺も同じこと聞いた…」

 で?と京都がパソコンを閉じた。

「で?結局、なんだったの、昨日の体調は?」

「フェロモン発生不全の、Heat?よくわからないけど、栄養不足のせいもあるんじゃないかって言われた」

「確かに、あり得るから怖いわね。…で、この立派なお弁当まで持たせてもらったの?」

「ついでに、って夕食ご馳走になって、余ったから昼にでも食べろって」

「どれだけ出来のいいセレブなのよ」

 溜息をつきつつ、

「でも、暫く、夕方はごはん食べにおいで?ハルも心配してたよ。最近忙しかったから、余計に自分のこと後回しにしてたでしょ」

「…ありがと。でも、昨日の今日でいきなり約束すっぽかしたら今後の付き合いに支障が出そうだから、今日は御堂さんとこ行ってみる」

 京都は小さく頷いた。

「…そう?じゃ、明日ね?」

 携帯電話が小さく振動し、京都が画面をスワイプして受電する。

「朝宮さん?お世話になります。ああ、…はい、1時間後なら大丈夫ですよ」

 小さく頷きながら如月に向かって片手を上げ、京都はパソコンを持って立ち上がった。クライアントからの電話だ。

 静かに閉まったドアを見やり、如月は小さく伸びをした。

「さ、仕上げてしまうか」

 セカンドモニターの電源を入れ、如月はデスクに戻った。


 クリスマスまで、あと3週間。

 平日だと言うのに、今日も改札を出ると駅前は幸せオーラでいっぱいだった。

(息詰まりそう…)

 ややげんなりとして、足早にそこを通過する。

 にこやかな会話、笑い声。

 お約束のイルミネーションは、確かにいつ見ても綺麗だ。

 それなのに、ぞくり、と如月は背中が冷たくなって小さく肩を震わせた。

 ぽん、と頭を叩かれ、

「は…?」

 驚いて顔を上げれば、進行方向を向いたままの御堂が隣に立っていた。

「ひでー顔してるな。ほら、行くぞ」

 とん、と背中を押されて歩き出せば、周りの視線が突き刺さった。

 相変わらずの長身は、最近の流行もおさえた大人な着こなしで周りを気にもせず、大股で颯爽と歩く。この辺りでは大きな駅のロータリーの人々の視線を釘付けにし、隣を歩く如月にも視線が刺さってきて、如月は思わず俯いた。

 華奢な如月は、いかにも男性的な容貌の御堂に比べどちらかと言えば中性的で穏やかな顔立ちをしていて、身長は低くはないが御堂よりも頭ひとつ低い。衣類は、一応それなりに小綺麗にはしているが、御堂ほどのオーラはない。

「…わ」

 つまずきかけた如月の方を見ることもなく、御堂はその腕を掴んで支え上げた。

「危ねえな。気を付けろよ」

「…転ぶの得意なんです。ありがとうございます」

 く、と御堂が喉で笑う。

「な、何?」

「そんな特技あんの」

「は?」

「面白いな」

 御堂の腕は、いつの間にか如月の腰に回っていた。

(何、こいつ⁉︎)



 結局、回った腕が解けず、持ち帰られ状態の如月は憤慨気味だ。

「何すんですか!」

「…何でかな。…何か、自然に…」

 御堂の自宅に着き、昨日に引き続き引きずり込まれるように中に入ると、開口一番で如月が抗議に出た。茶化す様子もなく、御堂本人も首を傾げている。

「からかうのもいい加減に…ッ!?」

 ぐい、と引き寄せられたと思った途端、あっさりと唇を塞がれた。

「…⁉︎」

 眼を見開いたまま、如月はある意味パニックだ。ぬるりとした舌に歯列を割られると、何かが口の奥に押し込まれ、

「ん、…っ!」

 反射で飲み込んでしまい、力任せに御堂を突き放すと、御堂はくす、と笑った。

「別に、からかってねーけど」

 ぽい、と手元に飛んできたペットボトルを掴むと、

「心配すんな、昨日のサプリだよ。それ、飲んどけ」

 ぱき、とキャップを回し、苛立ちとともに如月はボトルを飲み干した。

「必死で相手を威嚇する猫みたい」

「うるっさい!」

 さもおかしい、という様子で御堂が俯いて肩を震わせた。

「何ですか!」

「悪い悪い…さっきの、ごめん。…終わらなさそうだから、どうやって黙らせようかと思ったら、つい」

 肩を震わせたまま、御堂は昨日のようにキッチンに立った。

「キサ?」

 静かに呼ばれ、如月は顰めた顔で振り向いた。

 やはりどう見ても迫力がないそれに、御堂はやはりおかしくなった。

「何ですか」

 コートを直して玄関に向かう如月を見、御堂が目を細めた。

「手、洗って、食器出して。白い、右の大きなやつと、グラスを2つずつ」

 2つずつ?

「帰りますから、ご自分でどうぞ」

 ブーツに足を突っ込み、素気なく答えると、

「夕食の用意、あるのか」

「…御堂さんに心配されることじゃありませんから、お構いなく」

 くす、と御堂が微笑した。

「まあ、そうなんだけど。こっちはできてるから、食ってけよ。さっきの悪ふざけは悪かった。お前見てたら、何でかああなったんだよ。ビーフチシューは、嫌いか?」

 一瞬、如月が動きを止めた。

「…好き」

「この後の予定は?」

「別に…」

「じゃ、問題ねーな。ほら、皿取って」

 結局、御堂に肩を押されてコートを脱がされ、引き戻されるとあっさりと御堂のペースに乗せられて。

「…御堂さん、αの典型ですよね。俺が一番嫌いなタイプ」

「そうなの?」

「そうですよ。自信満々で、自分の思いが全部通ると思ってて、通しちゃう」

 半眼で見つめてくる鋭さの無い視線に、思わず御堂の唇が緩む。

 くす。

「何がおかしいんです」

「悪い悪い…。それ、迫力なさすぎなんだよ。まあ、そうだな。自信満々だの自分の思いがってのは置いといて、自分のしたいことでどうにもならなくて、やきもきした事はねーな」

「…でしょうね」


 自分に好意や好奇の目を向けない相手は、初めてだ。

 御堂はふと、自分が如月に確実に興味か、それ以上の感情を持ったことに気づいた。同級生でさえ、親友の桜橋以外は常に自分の顔色を伺うか少しでも利用してやろうという意識が見え見えだった。しかも、相手がΩであれば、尚更だ。それが、この如月はどうだ。

 自分に意識すら向けず、それどころか手を伸ばし、間合いを詰めれば「近づくな」と毛を逆立ててくる。それでいて、妙な危うさというか、何か微妙な雰囲気を放っている。

 この如月は、御堂にとっては、初めての人種だ。


 数分後には、ビーフシチューにサラダ、パン、鯛のカルパッチョなどがテーブルに並んだ。

「魚、食える?」

「…はい」

「箸はそっちな。はい、いただきます」

 昨日と同じように、御堂は手を合わせると、静かに食べ始めた。

「…いただきます」

 ふわふわの肉は、口の中でホロリと解け、

「おいしい…」

 思わず呟いた如月の低い声に、無意識に御堂の唇が緩んだ。

「そ」

「お店のみたい」

「まだあるから、それが終わったら、生クリームとチーズのせて焼いてやろうか」

「…それも、おいしそうですね」

 籠にもられたパンを一つ取る。

「これ、le brouillardの限定の」

「よく知ってんな。週4で通うとやっぱそうなんの?ベーカリーも小規模で展開するんだと。確かにこれはうまいよな。いい職人が入ったみたいで」

「京都も、おいしい、って買ってきてましたよ」

「京都?誰」

「同僚…あの、御堂さんが初めてうちの会社へ来た時に対応した女性です」

「ああ、あの美人か。彼女?」

「まさか。もう結婚してるし」

「その京都が、会社じゃお前の食事から面倒見てるわけ?」

「仕事では一応パートナーなんで」

「へえ…でも、関係ねーだろ、それ」

「………まあ、そうかも」

 くす。

 炭酸水を一口飲み、

「キサ、クリスマス嫌いなの」

「は?」

 御堂はちぎったパンを口に入れ、飲み込むと如月を見た。

「駅で見かけると、いつもツリー見て泣きそうな顔してるよ」

 …そんなに酷い顔してるのか。

 如月は一瞬自嘲の笑みを浮かべかけた。

「…嫌いですよ」

「何で」

 如月は正面の御堂を上目遣いに見た。

 茶化している様子ではないが、如月としては、特段それを話すほど心を許したつもりもない。

 御堂は視線を如月の瞳に移したが、如月はふいとそれを避け、その後は、口をつぐんでしまった。

(まあ、去年一昨年の、って話じゃなさそうだな。会って間もない他人にペラペラ喋ることではないか)

「チーズのっけて、グラタンも作るか?」

 ほぼ皿を空けた如月が首を横に振ると、御堂はそのまま食事を終えて立ち上がった。

 如月が目の前の料理を全て食べ終えると、それを見計らったように、紅茶と可愛らしいプチプールがいくつも載った大皿がテーブルに運ばれた。

「…何ですかこれ。…?le brouillardのロゴだ」

「また、試作品だと。ケーキの大きさやら、見た目やら、昨日そのへんのお前の感想伝えたら、旦那も納得してたって姉貴が大喜びしてた。で、これも試食の依頼」

「へ?」

「で。直接感想聞きたいから、紹介しろってうるさいんだけど。本人同士が大した知り合いでもないのになあ。あーほら、電話かかってきた。なんだよこのがイミングは…盗聴器でもつけてんじゃないだろうな」

 最後の方はほぼ独り言だ。その内容に、如月は思わず笑った。

「葉月とオーナーの顔観れるけど、どうする?」

「え?」

 ただ驚く如月の目の前で、面倒臭そうな表情で肘をつく御堂の電話が振動し続ける。

「あの、出なくていいんですか」

「お前はいいの?画像電話だけど。俺のカメラ、動画だと360度フルであっちに映像入るぞ」

「…はあ、まあ、別に」

 御堂は溜息をついた。

 プツ、と小さな接続音の後、

「カヤトーー!」

 少女の顔がアップで出てきた。

「あ?ホノがかけたのか?声でかいって。どうした、葉月いねーの?」

『今日ね、おいしいおやつ、たくさん食べたんだよ!葉月があたらしいの作ったんだよ!』

「…これだろ?また山ほど置いて行きやがって…」

 プチフールをさせば、

『そー!それ!おいしいよ!あ、キサちゃんだー?』

「へ?」

 思いがけず少女から名前を呼ばれ、如月は面食らった。

「ホノ、葉月は?」

『あ、ダディと…、来た!』

 ぱたぱたと音がした。

『ちょっと、ホノ!勝手に電話かけないでよ。ごめんごめん、用意してたら、ホノが待てなかったみたいで。…あ、そっちがキサくん?』

「お前らな、紹介する前に勝手に進めんな。皇さんは?」

 がちゃ、と音がして、背の高い男性が電話をしながら入ってきた。

『や、すまん』

 電話を切って葉月の隣に座ると、絵に描いたような美男美女+愛らしい娘像だ。

 す、と御堂が如月の後ろに立った。

「le brouillardのオーナーで、うちの姉貴の夫の久条寺皇さん、姉貴の葉月、娘の仄禾」

『初めましてーー』

「待て葉月!こっちが幸村如月。本人紹介する前に、好き勝手呼んでんじゃねーよ」

『うっさいわね、独り占めすんじゃないわよ!キサちゃんでいいよねー!香哉斗の姉の葉月と、夫の皇、娘の仄禾よー。名前で呼んでねー。あ、昨日は感想ありがとう!指摘が的確で、皇も感心してたのよ。ねえ?』

『うん。ありがとう。連日で悪いけど、もう一つお願いできないかなあ。届いてるよね?』

「すっげー量なんだけど」

 御堂のツッコミに、九条寺が一瞬葉月を見た。

『ちょっと待てよ?葉月、どれだけ持ってったんだ』

『試食用にLサイズの箱3つ。あと、キサちゃんのお土産用にM1つと、会社用に3L2つ。会社用のは、焼き菓子のアソートにしたし、日持ちするからいいでしょ』

 皇が指でこめかみを押さえた。

『3L、2箱…。葉月、流石に多いだろ、それは。…香哉斗すまんな。明日取りに行くよ』

「いいよ、何とかするから。…ただし、葉月お前、いい加減に一般人の適量っての覚えろよな、お前が異常なんだって自覚しろ!」

「一般人の?」

「こいつの食う量半端ないんだよ」

「あんなに細いのに?」

『うっわ、キサちゃんいい子ねーー!』

「乗るな、馬鹿!」

 思わず、如月が噴き出した。

 かくして。

 映像でお互いの顔を見、談笑しながらのデザートは格別だった。

『…ってとこね。そっか、ありがとう!』

『うん、助かるなー。こっちのこだわりもあるけど、やっぱり食べる側の印象は大事だからね。キサくん、ありがとう』

「いや、そんな」

『あ、香哉斗、invitationまだあるわよね?』

「あと2枚。桜橋んとこのが、まだ渡せてない」

『じゃあ、最後のはキサちゃんに!今度ね、新作発表会するの。良かったら来てくれない?会いたい!』

「もー、会ってんじゃねーか…。それに、面倒だろ」

『実物と会ってナンボよ!ね??』

「はあ…」

『やった!決まりねー、楽しみにしてる!…あ、そろそろベンチタイム終わる。んじゃ、ありがとう、またね!』

『またねーー』

 プツ、とあっけなく映像は切れた。

「…ったく…」

 はー、と御堂が長い溜息をつく。

「悪かったな。うちの姉貴、あんなだけど、悪い奴じゃないから勘弁」

 くす、と如月は思わず笑った。

「あったかくて、いいですね。それに、強引なところとか、御堂さんそっくり」

「あれよりはマシだろ」

「くく…っ、変わりませんよ、その間とか、同じだし」

 と如月が腹を抱えた。

 かた、と御堂は立ち上がり、向こう側のデスクから何かを持ってきた。

「新作発表会のinvitation。向こうでも来賓リストに写真がエントリーされるし、これにも名前入れたから、身分証無しで入れる。誰か誘いたきゃ、一人ならそれで一緒に入れるから、身分証だけ持ってってもらえ。新作食い放題のおまけ付き」

「折角ですけど、いいです。そういうところ、慣れないし得意じゃ無いんで。俺なんかが行っても」

すい、と御堂の目が細くなった。ぐ、と如月の顎を引き上げ、顔を近づける。自然に如月の唇に人差し指で触れた。

「俺の前で、俺なんか発言は禁止」

 ギョッとして身体を引いた如月から指を離し、御堂は壁の時計を見た。冷蔵庫に近づくと中から菓子箱をいくつも取り出した。

「ごめん、遅くなったな。明日仕事だろ?」

「わ、ほんとだ」

「土産、会社に持ってくか?」

「ありがたいです。うちのスタッフ、le brouillardのファン多いから」

「持てる?」

 よいしょ、と出てきた箱は、見たことのない大きさだ。

「え、…これ?」

「お前よりデカいじゃん。3Lはパーティサイズだからな。まあ、いいか。今日はやめとけ。明日の朝、職場までお前とこれを送ってやるよ」

「え?」

「迎えに行くから、今日は送ってやる。家までナビしろよ」

 さっさと上着を着込むと、御堂はじゃら、とハードなキーホルダーをつけた高級車のキーを取り上げかけたが、

「いいです。歩いて帰りますから」

「これ持って?」

「はい」

 じ、と御堂は如月を見つめ、降参、と言うように両手を挙げた。

「わかった。明日、これだけ会社へ届けとく」

「いいんですか」

「姉貴のしたことだし、こっちの責任だ」

「ありがとうございます。ごちそうさまでした」

 ブーツを履き終えた如月がにこりと笑うと、ぞわり、と御堂の背中が騒いだ。

(こいつ…)

 無意識に、御堂の腕が、如月の身体をドアに追い詰めていた。一瞬で身体を竦ませ、警戒を顕にした如月の顎をやや強引に引き上げる。

「…っ⁉︎」

 如月の目の前が、銀色で溢れた。

 どん、ガチャ!

 …パタン。

 思い切り突き飛ばされた御堂が後ろによろめいたところで、如月はドアから飛び出していた。

「…は?」

 一瞬、何が起こったのかわからなかったのは、御堂本人だ。

「何してんだ、一体…」

 ふ、と我に帰り、ドアを開けると、既に足音は随分向こうに遠ざかっていた。

 唇に残る、柔らかで冷たい感触。思わず自分の唇を指でなぞり、御堂は自分の心臓の音を聞いていた。

 今までに感じたことのない、物凄い速度の鼓動。

 人通りのない道路に、ひとつだけ足音が響く。

(何なんだ、あいつーーーーっ‼︎やっぱりαは信用できない!二度と行くか‼︎)

 全速力で走りながら、如月は心の中で悪態を突きまくっていた。


「うっわーー…。すっごい。le brouillardのアソートじゃない。すっごい高いやつ…。どうしたのこれ」

「すごいねー」

「わ、これ、すぐ売り切れちゃうやつ」

 広げられた菓子箱を囲み、声を上げるスタッフも見られる中、京都が目を丸くして如月を見た。

 朝、出勤前には、如月の名前でフロアに大量の菓子が届けられていた。

「…お店の関係者と知り合いになって、新作の試食頼まれて、…その、謝礼かなあ…」

「新作の試食?何その役得!」

 京都が目を丸くした。

「御堂さんの、お姉さん。昨日、画像通話で話したよ」

「何なの、その異次元」

「自分でもそう思う」

 如月と京都が小声でやりとりしていると、

「幸村さん、いただきますー」

「如月さん、ゴチです」

「ありがとございますーー!」

 想像通りスタッフの評判は申し分なく、如月の株はどーんと上昇した。

 その日はトラブルもなく、定時を少し回ったところで、内線が鳴った。

「はい、幸村で…」

『昨日は悪かった』

 御堂の声だった。恐らく、外線から回ったのだろう。一瞬で半眼になった如月を見た京都がキョトンと目を丸くした。

「ご用件をどうぞ」

『昨日の詫びに、今夜食事でもどう?』

「先約があるのでお断りします。それに」

『何』

「業務中に、私用電話やめてください」

『定時過ぎただろ』

「あ」

『いや、仕事で電話した。サイガのバグ見つけたから何とかして欲しい。…で、私用電話は明日以降お前の番号にかけるから番号教えて』

「断ります。お前呼ばわりされる筋合いもありません。サイガのことは、ちょっと待ってください。佐々?サイガのバグのことだって。電話転送するよ」

『ちょ』

 ぷつ。

 あっさりと電話を転送すると、如月は何もなかったように電話をポケットに滑り込ませた。

 周りのスタッフの視線が集まっている。

「?αの御堂さんだよ」

 αの、を強調したその一言に、一斉にスタッフは「ああ」と納得して、それぞれがいつも通りに動き始めた。

 京都も納得したように頷く。

「キサのα嫌いは健在ねー。で、何だったの?」

「今日も来れるかって?二度と行くか」

「?昨日はそこまでじゃなかったじゃない。何かあったの?」

ぴた、と如月が動きを止め、俯いた状態で京都を上目遣いに見た。

「ちょっと、怖いって」

「腰に手、キス?物言い。女も男も好き勝手出来ると思ってるああいう馴れ馴れしいα、一番嫌いなんだよ。こっちがΩだと思って馬鹿にしてる」

「あー…。何、もう手を出されたの。昨日、色々あったわけね」

 湯気が出そうな如月の様子に納得しつつ、京都は苦笑した。

 確かに、学生時代を含め、如月のα運の無さには定評がある。それどころか、事件の被害者になり得た過去まである。事件のことは皆知らないが、α運のないことは周知の事実で、ここでは如月のα嫌悪症について誰も否定はしない。同僚や後輩は彼らがここに就職をしてからのことしか知らないが、それでも社員一同、如月のα嫌いは暗黙の了解で、皆あっさり納得したものだ。

「今日は、夕飯食べにくるでしょ?」

「行く」

 如月は躊躇なく頷いた。


「ああ、じゃあ頼む」

 一応、仕事の話を終えると、如月にかけた電話を一方的に佐々木へ転送された御堂は片眉を上げた。

「ったく。猫が毛を逆立ててるみたいだな…」

 小さく呟けば、

「なあに、先生?フラれたんですか」

 看護師の一人がカルテを整えながら呆れたように声をかけた。彼女はΩの女性で、もう60歳になる。

 過去に何があったものか、生涯独身を貫く、という姿勢は今も健在だ。

「そんなとこ」

「珍しいですね。…その様子じゃ、先生の方が入れ込んでるのかしら」

「…そんなとこ」

 ふふ、と笑う彼女は、とても60歳が近いとは思えない。スタイルは良く、肌もみずみずしい。

「面倒なことは嫌う貴方がね。先生、想う相手を追いかけたことないでしょう」

 御堂は天井に視線をやり、

「無い。てか、それなりに遊んだし付き合いはしたけど、まともに人を好きになったことが無いかも」

「そのままじゃ玉砕ね」

「は?」

「追いかけるのは、大変なんですよ」

「そんなもんなの」

「そんなもん、じゃないの。その人に本気なら、あれこれ画策するよりも先に、今までの女性とはきちんと縁を切って、スマホのデータも全部消しておきなさい」

 訳がわからない、という表情できょとん、と見返してくる御堂を見て、看護師は温く笑った。



 翌日は一転して、朝から如月は仕事に追われっぱなしだった。

「要件聞いといてください…あ、アンドロイドのことなら笹原か佐々木へ」

 回ってきた内線に応答すると、途端に、京都の電話が鳴った。もともとは如月と京都がツートップで開発をした医療用のアシスタントアンドロイドだ。一体で数人の看護師や薬剤師の仕事がこなせるため、構想通りに使用できれば、廃棄までに充分に元が取れる計算となっている。御堂のクリニックはサイガを2体使用している。如月が勤務するUs.corporationが、提携の条件でサイガの使用を申し出たものだが、実際クリニック側としては充分すぎる提案だったようだ。ことに御堂はUs.corporationの担当となってから、常にサイガを連れて歩いている。彼曰く、

「足し算から薬剤の組み合わせと副反応まで網羅、昨日までの文献データを持っていて、上場企業一社分以上の数のカルテを持ち歩ける。セキュリティも万全なのに、使わない理由があるか」。

 如月は今日は朝から夕方までアポでぎっしりだ。重要な連絡は別として、私用電話に割く時間はない。

「佐々ー、応接Aにプロジェクター用意しといて。古倉さん、応接CにM病院の資料3部置いといてくれる?あ、京都」

 一瞬目眩がして、如月が壁に手をついた。

「キサ?…ほら、5分あるからこれ食べて。朝も食べてないでしょ」

 差し出されたのは、バナナマフィンと、ミルクティーだった。

「お茶は、お砂糖入れてないからね」

「うん。さっきの電話も、ありがと…あち!」

 ミルクティーを一口飲み、マフィンを齧りながら如月が切り出せば、

「ああ、御堂先生からだったわよ。サイガ、メンテ入れないとダメね。話しかけた時の反応速度が遅れてるって。薬剤に関するデータが増えた分、ちょっとそっちを圧迫しちゃったかな。気になるから何とかしてほしいって」

「…怖いな。あの反応速度の差に気がつくなんて、やっぱ常人じゃない」

「そうは言っても、あれだけあの子を現場で使ってたら、そうなるのかも。できることなら何とかしたいけど、ラボにも代わりの子がいない」

「プロトタイプじゃ、サイガには追いつかないもんなあ…」

「代わりがいないと回らないって言ってたしね。とりあえずまだ支障は出てないって言ってたから、1週間先にマニワが戻ってくるから、それまで待ってもらうことにした」

「そっか」

 実際のところ、御堂のサイガの使い方は如月たちの予想を遥かに超えていた。そのため、サイガ自身の学習成果が驚くほどのスピードで蓄積され、御堂とのやりとりで彼の癖や間までもを把握しているため、往診だけでなくクリニック内でもフル稼働だ。

「あ、あと、バッテリー容量上げてくれって」

「あれで足りないって?」

「もって半日、予備バッテリーも弱ってきて足りないって言ってたから」

「…嘘だろ?どーゆー使い方してんだよ…」

「悪いけど、帰りに届けてくれる?」

「は?」

「家、近いでしょ?」

 ぽろ、と如月の口からマフィンのかけらが落ちた。

「何で俺が」

「今日は直帰なんだって。明日もフルで出るから、どうしても予備バッテリーが最低一つは欲しいんだって。4個在庫があったから、2つ持ってって。あ、ほら時間だ、キサ、行かないと!」

「え、ああ、…もう〜…」

 最後の一口を紅茶で流し込み、歯ブラシを取り出すと、如月は大きな溜息をついた。


 会社での1週間で一番忙しい1日を終え、如月はソファに倒れ、ぐったりとしながら残る大仕事を考えて憂鬱になっていた。

「…これがなきゃ、気分良く帰れたのに…」

 御堂宅へのお使い。

 あれやこれやを思い出すと、更に気が滅入る。

「…てか、別に気にしなくていいのか」

 別に、付き合えだの、番になれだのと迫られているわけでもない。あれは、単なる悪戯心でお遊びの一環だ。

「だよな。何を自信過剰になってんだか」

 それに、このお使いは、仕事だ。

 途端に気が軽くなり、如月はダウンジャケットを羽織るとオフィスを出た。

 バッテリーは小型化されているため、やや重さはあるものの、一つが握り拳程度の大きさなので、背中のバッグに入れることができる。

 駅を出ると、平日だというのに相変わらず人が多い。大なツリーも健在で、やはり如月の顔が曇った。

「今帰り?」

「うわ!」

 斜め上から話しかけられ、如月が飛び上がった。

 銀髪に、ピアスだらけの耳に、誰が聞いても耳障りの良い声、それに。

「目が、…紅い…?」

 見上げた顔は、見たことがない美しい紅だった。それ以外の言葉を失い、自分をただ見つめる如月の背中を御堂がポンと叩いた。は、と如月が気づいたように目を瞬く。

「…買い物に出たらコンタクトが落ちちまったの。予備持ってなくて」

「そっちが地なんですか」

「そうですよ。白うさぎと一緒」

「そんなかわいいものじゃないですけどね」

 一瞬、御堂が如月を真っ直ぐに見つめた。

「…お前、相当根に持ってるだろ。こないだの」

「買い物…、車じゃなくて、ですか」

「今日はね」

 歩いていたら、如月を捕まえられるかもしれなかったから、とは言わなかった。

 にこりと微笑むと、御堂は手に持ったスーパーの袋を少しだけ上げてみせた。

 ネギと、白菜と、キノコ類に、肉類。

「鍋。牡蠣も入るけど。食ってく?」

「遠慮します」

「遠慮すんな」

「お断りします」

「断るな」

「あ」

「…何だよ」

「ちょっと…」

 如月は周りを見回し、空いているベンチを見つけるとそこで背中のバッグを下ろし、中からサイガのバッテリーを取り出した。

「はい。とりあえず、2個で何とかなりますか。必要ならあとはこれから発注するので後日のお届けになりますが、どうします?」

 一瞬驚いて目が丸くなった御堂だが、すぐにそれは微笑に変わった。

「ありがとう。助かった…、嬉しいな。まる1日使おうと思うと、追加1個じゃ心許なかったんだよな。笹原にも礼言っといて」

 自然に出た感謝の言葉は、何の飾りもなく、すとんと如月の心に吸い込まれた。

「2個もあれば充分だ。来月の請求に配達料と一緒に乗せといて」

「あ、請求はしませんよ」

「は?何で」

「予想以上の使用に加えてデータ提供までしていただいていますので、俺の判断で消耗品は差し上げるようにと指示をしています。メンテ時の交換部品も、消耗部品は請求していない筈です」

「確かに、…言われれば、確かにそうだな。じゃあ、ありがたく」

 如月がバッグをもう一度背中に背負って歩き出すと、

「下心抜きで、誘うけど」

 御堂が隣で真っ直ぐに如月の背中を前を見ながら言った。

「le brouillardの試食依頼が来てるんだけど。スイーツ食いに来ない?ついでに鍋も」

「行きません。試食なら、le brouillardへ直接行くから、俺に連絡してって言ってください」

「じゃ、連絡先」

「…明日、le brouillard行ってきますからいいです。電話番号を御堂さんに教える必要性も緊急性も感じません」

「あのなあ…」

 二人は赤信号で立ち止まった。如月の顔が僅かに曇る。

 周りの視線が二人に集まっているのが感じられ、如月の表情が僅かに曇ると、いつかのように、歩道側から如月が見えないようにすっと御堂が自分の立ち位置をずらし、自分の影に如月を隠した。

「何でそんなに警戒するかな」

「普通、Ωはαに警戒します。おまけに、あんなことがあったら絶対に信用しない」

「んなことはないと思うけど、そうなら謝る。ごめん」

 実際、御堂はαの中でも稀有なαだ。今まで、何につけても自分の思い通りにならなかったことはない。金も、異性も、Ωも。決して自分にとってマイナスな事実を経験したことがない、自分を否定されたことがない御堂にとって、ある意味如月は不思議で新鮮な存在でもある。

「は?」

 鋭く睨み上げられて、流石に御堂も一瞬怯んだ。

「Ωであることを武器にしてαと番になりたがるような人のことは、俺は理解できません。少なくとも、今の俺は」

「…何?」

 ふい、と如月は信号が変わったことを確認し、それでももう一度車の動きを確認してから横断歩道を歩き始めた。一歩遅れて、御堂が続く。

「遊びで触れられたいなんて思っていない」


 どく。


 一瞬、御堂の心臓が大きく鳴った。


 前を歩く如月が遥か向こうに思え、横断歩道を渡り切ったところで御堂はほぼ無意識に如月の腕を掴んでいた。

 びく、と如月の肩が跳ね、

「…離してください」

 身体全体の緊張が指先から伝わると、

「悪い」

 御堂は素直に手を離した。

 確かに、αの存在はΩにとってある意味脅威だ。力関係があるわけではないものの、基本的にΩは自分のフェロモンを自分で制御できない。しかも、Ωのフェロモンに呑まれたαは確実に相手に襲いかかるし、どちらかと言えば、体力的にも精神的にも、αに分があるケースが多いからだ。

(まさに、今回はそのケースか。確かに、警戒するのも一理かな)

 体格差でも体力差でも、精神的な安定感でも明らかに御堂が有利だろう。

「この間は悪かったよ。俺も、別に手当たり次第に声をかけるわけじゃない。でも」

 食い下がる御堂に視線をやることもなく、如月はそのまま無言で歩き始めた。

「キサのことが気になるのは、事実だ」

 やっと如月が右隣を見上げた。明らかに不快な表情で再び前を見る。

「たいてい、そう言うんです。αは」

「俺、真剣に言ってるけど」

「そう。みんな、そう言う。それ、どうやって証明するんです?」

「お前、証明って…」

「俺こっちなんで」

 如月が背中を向けると、一瞬片眉を上げた御堂は、ぐい、と如月の肩を掴んでいた。

「いっ…」

 如月が顔を顰めるが、御堂はそれに構わず自分より一回りは小柄で華奢な体を引き寄せ、

「ちょっ…!」

 ぎゅ、とそれを抱きしめた。

 びく、と如月が身体を震わせ、咄嗟にもがくように身体を離そうとしたが、御堂はそのまま更に腕に囲い込んで離さなかった。

 いくら人が少ないとはいえ、それなりの交通量がある道路の傍で、青年同士が抱き合っているなど滅多に出会える場面ではない。それも、一人は銀髪、紅目、モデル並みのルックスの長身だ。通り過ぎる歩行者が、遠慮なく興味本位の視線を向けるのは当然のことだった。

「何すんですか!離せって!」

「…聞こえるだろ」

 如月の耳を自分の心臓のあたりに誘導し、低く呟く。

「へ?」

 如月の耳から、外界の音が消えた。

 !、!、!、!、!、!、!

 御堂の心臓は、恐ろしいほどのスピードで鼓動していた。

「え…?」

 !、!、!、!、!、!、!

 如月の瞳が更に丸くなる。

 そのままゆっくりと御堂が如月の反対側の耳に、自分の唇を近づけた。

「遊びで声かける奴が、こんなになると思う?」

 身体の芯に響くような低音に耳元近くで囁かれ、如月はぞくりと身震いした。

「…わ、かった。わかったから、離せ!」

 暑いのか寒いのかわからない感覚に、冷や汗すら流れそうな状態で、半ば悲鳴のように叫んで如月が御堂の胸を押し返した。

 一瞬御堂は名残惜しげな表情を見せたが、すぐに潔く如月を腕から解放した。

「………」

 前力疾走をした直後のような呼吸を繰り返し、如月が地面に蹲ると、御堂もその隣に蹲った。

「俺、真剣だって」

 如月が視線だけを御堂にやれば、出会ってから自信満々だったその表情には、明らかに若干の動揺と苦笑が張り付いているのが解った。

「絶対に、何もしないって約束する。この前の侘びだと思って、食事してって」

 子どもを諭すような物言いで、それでも諦めない御堂に、流石に如月も折れた。

「…自宅は嫌です。歩いて行ける、この辺りの、店でなら」

 にこ、と御堂が笑った。

「ん。じゃあ、何が食べたい?」

 如月は、無意識に御堂の手元に視線をやっていたが、その後、御堂を真っ直ぐに見つめ、

「…鍋」

 小さく答えると、御堂は満足そうに頷くと、

「店取るから、ちょっと待って」

立ち上がって電話をかけ始めた。

 如月の眉が寄った。

「…今から行くのに?」

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