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ChaSe?  作者: MIZUNOE
1/4

【α嫌いのΩ】1

見た目良すぎ、出来すぎの俺様αが、α嫌いのΩに一目惚れ?

「…寒…」

思わず、改札を出すぐに、如月(きさらぎ)は呟いた。

首のマフラーを整え、ポケットに両手を突っ込んで、雪が舞い始め、ぼんやりとした黒い空を見上げてみる。

夜の雪雲特有の空色かららサラサラと雪が落ちてくる。

「積もるなよー…」

明日は早いからと、今日は早く仕事を切り上げたけれど。

この辺りで一番大きなこの駅は、如月の自宅から歩いて10分ほどだ。駅を出ると正面にはバスターミナル。通りの向こうには、百貨店。その向こうには、小洒落たショッピングモールが最近できて、クリスマスが近い駅前は平日の夕方だと言うのに、楽しそうなカップルや人を待ってスマホを眺める人々で溢れ、去年までよりも煌びやかになった印象だ。毎年百貨店の入口に飾られる巨大なツリーは、今年も例外なく豪華に飾り付けられてあたり一面をキラキラした世界に変換している。

「…寒っむ…」

幸村如月(ゆきむらきさらぎ)はもう一度低く呟き、百貨店前のそれを一瞥すると、温い笑みを浮かべて足早にその場を立ち去った。


 あー、嫌だ。

 今年も、この季節が来た。

 とにかく俺は、この季節が、大嫌いだ。


如月の自宅は、通りとは反対の方向にある。

 いわば、駅の裏通りだが、そのあたり一体はどちらかといえば高級住宅街と言われる価格帯のマンションや戸建が並ぶ。それを少し越えた所に、如月の住むマンションがある。自己負担で住むにはやや負担が大きいが、社宅として会社が借り上げてくれているのでそこはありがたい。

「?こんなところに、カフェなんてあったっけ」

ふと、左の道沿いに、小ぢんまりとした感じの良い洒落た扉と、大きな窓を見つけた。出勤時には全く気づかなかったが、ついこの間までは雑貨屋か何かだったはずだ。

「…?」

そっと中を見ると、いかにも女性が目を輝かせそうな洒落た造りになっていて、それこそカフェにしか見えない。如月は思わずドアの前で立ち止まってしまった。

「邪魔」

 耳触りの良い低音が、滑舌良くはっきりと如月を否定した。反射的に声の方を見ると、如月よりも頭ひとつ背の高い、銀髪に淡い茶色の瞳の、恐ろしく整った芸能人かモデル並みの顔が、いかにも不審そうに如月を見下ろしていた。耳にはいくつものピアスを光らせている。ネックレスにバングル、指には複数のリング。見るからに仕立ての良いコートに、シンプルなニット。あらゆるアクセサリーをつけまくっているのに、全く嫌味がない。

「へ?」

「何か用?そこ、邪魔だからどいて」

 相手は、怪訝そうに眉を顰め、もう一度言った。

「…すみません」

 如月がそこから三歩ほど下がると、大きな段ボールを抱えた彼は、

「もっと下がって。この荷物、見えてんだろ?」

 いかにも面倒臭そうに、もう一度。

行き交う人が例外なく振り返る容貌の彼は、顎で向こうを指すと、それだけで如月を更に向こうへ追いやった。

 いい声をしているし、同性から見ても、モデルのように格好がいい。

 が。

(腹ったつっ‼︎めっちゃくちゃ、感じ悪いやつ‼やっぱりこーゆーやつは例外なくαだよ!︎)

 相手の引っ越しを邪魔したことは棚に上げ、如月は迫力の無い大きな瞳で相手を睨みつけた。


 現在、この世の中には血液型が大きく分けて3つある。

 α、β、Ωだ。

 人口の多くはβだが、α、Ωの型を持つ者は若干特殊性がある。

 αは人口の数%というごく少数だが、統計で見ると身体能力・知能ともに一般人口の平均よりもはるかに能力が高い傾向がある。しかし、動物学的には非常に繁殖能力が低いために、彼らが国の人口において占める率は血液型が発見された当初からほぼ横ばいだ。β・Ωは身体能力・知能は共に一般的であるが、Ωの人口はαよりも更に低い傾向にある。Ωにはやや特殊な能力があり、彼らにのみ存在する繁殖期であるHeat期に発するフェロモンはαの繁殖能力を刺激し、その繁殖率を上げる状態を作ることができる。それぞれの型にはそれぞれ女性と男性の性があるが、ことΩに関しては男性でも体内に子宮を有し、男性体Ωの場合には繁殖期となるHeat期でかつ相手がαの場合に限り、妊娠が可能になる。

 性質上、αとΩは番と呼ばれるパートナー同士になると、番となったパートナー限定で繁殖が可能となり、現在法律上では、α型がΩ型をパートナーに選ぶ場合に限り、同性でも婚姻が認められることになっている。

 男性Ωである如月は、世間一般の例に漏れず、天敵であり、かつ番にもなり得るαを本能的にその場で見分けることができるのだ。


「普通、一度でそこまで下がるだろ」

 そっけなさすぎる相手の物言いに思わず如月が半眼になったが、所詮、童顔の大きな瞳が瞼に半分隠れたからと言って、迫力があるわけではない。銀髪の彼は、当然それに全く動じる様子もなく、むしろ如月を押し除けるように中へ入っていったが、二人がすれ違うほんの一瞬。

「……」

 何かに気づいたように、ちらりと銀髪の青年が視線だけで如月を見た。如月本人はすでに自宅の方に視線を向けていたためか、それには気づいていない。

「葉月ー、そいつら、全部こっち持ってこいよ。ホノ、そこ登るな、…おい、危ないって!うわ‼︎」

きゃあ、と楽しそうに幼稚園くらいの少女が積まれた段ボールの上から青年にダイブしたのを見て、慌てて段ボールを放り投げた青年が受け止めた。

「おっまえ…、危ねーだろが!うわ、中壊れてねえ?あーーーもうー‼︎葉月、ホノ何とかしろよ‼︎」

向こうにいる、ショートカットの、やや気の強そうな美しい女性が彼に向かって頷いた。やや厚手のそれでも体の線が出るハイネックのニットに、細身のカラーパンツとブーツ。首から肩にかけて巻かれたボリュームのあるストールのおかげで、これだけの寒さも気にならないようだ。

 サラサラしたアッシュの髪の下に、銀色に近い髪が見える。

「あは。ホノー、良かったねえ。そっち、もっと高いよ」

 けろりとして彼女が言えば、

「アホか‼︎」

 頭から湯気が出そうな勢いで、青年は苛立たしげに叫んだ。

(家族三人か。若い夫婦だな。…引越しか。いい雰囲気にリノベーションしたわけだ)

体の向きを変えつつ、如月は思わずまた彼らに目を向けていた。

 女性が大きな段ボールを抱えて入っていく。

「あ、ツリーは外な」

「バカ言わないで、あんたが持ってきなさいよ。あんな生樹、重くてもてるわけないでしょうが‼︎」

「お前、力あんじゃん。たまには役に立てよ」

「うっさい、炊事してやったでしょ!」

 一瞬だけ青年は黙り込み、次の瞬間にはにっと笑ってみせた。

「ホノ、ツリーのデコレーションすっか」

「お外で?」

「そ」

「やるー‼︎」

「おいこら、走んな!」

きゃあきゃあと幼児の声も入り混じり、楽しそうだ。

(クリスマス...)

既に如月の視線は、彼らからは外れていた。

 正面に車のライトが見えると、ふる、と華奢な肩が震えた。

「…寒…。コンビニ寄るかな…」

 もともと炊事は苦手だし、せいぜい作れる鍋も、今日は面倒で何もする気にならない。

(何かあったかいものでも買って帰るか。…でも、あんまりお腹空いてないから、ま、いいか)

如月がくるりと背を向けて歩き出すと、ふと銀髪の青年が顔をあげ、自宅に向かって歩き始めた如月の後ろ姿をその視線が追った。

「カヤト?」

 可愛らしい少女が、足元で顔を真上に上げて銀髪の青年を見上げた。

「ん?おい、危ねえって!」

 顔を上げすぎてバランスを崩した少女を受け止め、苦笑する。

「お前なあ…、ふふ。ほんと、ホノは葉月そっくりだな。あー、星?それ先か?…ほら」

大きな金の星を持ち、期待を込めた目でわくわくと自分を見上げる少女を軽々と抱え上げ、木の頂上に星を飾らせてやる。

「それってさ、普通、最後の仕上げじゃね...?」

 一つも飾りのないシンプルな木の頂上に、キラキラの金の星がちょこんと乗った。

「いいじゃない、順番なんて。ほら、ホノ。おいでー」

 青年の後ろから、葉月と呼ばれたショートカットの女性が声をかける。

「まあねえ...」

(どーでもいいけど)

「きれーーー‼︎」

 母親に抱き上げられた少女は、満足そうに微笑んだ。


翌日、幸いにして雪は積もることなく朝を迎え、交通機関の乱れもなく如月は会社に着いた。駅までの通り道にある昨日の家の前を通ると、家の前に飾られた大きなツリーはセンス良く飾り付けられていて、いよいよカフェか洒落た飲食店と間違う通行人も出てきそうだ。

如月の勤める会社Us.companyは、都心から少し離れたベッドタウンに近い市街地の中心部のそれなりのビルの中にある。主に医療用のアシスタントアンドロイドの開発を行なっている会社で、その他に医療用システムの開発、保守などを扱う、いわゆるベンチャー企業だ。最上階を含めた3フロアほどを借り上げて、贅沢な密度で仕事をしているが、如月は発起人に声をかけられた設立当初からのスタッフの一人だ。役員などそれなりのポジションは用意されているが、如月自身、あまり経営に興味がないこともあり、今のところ現場での仕事の方が性に合っている、と役員契約は保留になっている。

 おかげで今のところ待遇はレギュラースタッフとほぼ同じ扱いだが、如月本人は対して気にもしていない。

「あ゛ーーーーっっ‼︎」

 デスクに突っ伏したまま、如月が叫んだ。

 一応、ある程度の職位者として個室は与えられているので、20畳程度はある自分の空間は好きなようにデコレーションして使用している。お気に入りのチェアにお気に入りのデスクは同じメーカーのもので、自分で購入するには桁が一つ違うが、会社が経費であっさり認めてくれたものだ。学生時代から使用しているワールドブランドのPCは、最近ハイエンドモデルのものに会社が変えてくれている。それにチップやカードを好き勝手に増設し、モデルがわからないほどステッカーで覆い、完全に自分仕様にしているので、おそらく何か問題が起こってもメーカーはまず対応してくれない。

「うるさいわよ」

 ぺし、と頭を叩かれて如月がデスクから突っ伏した顔を上げると、長い黒髪をかき上げながら、笹原京都が呆れ顔で立っていた。彼女も会社設立から一緒に働いているが、京都もやはり「もう少し現場で勉強する」として役員契約は当分保留にするつもりらしい。

「新人そこに居るんだから!個室だけど、防音壁貼ってるわけじゃ無いんだから大声出さないの!大体、何を煮詰まってんのよ」

「もーだめー…書類嫌いなんだってば...」

「なーにを今更。知ってるわよ、そんなことは。あんたを筆頭に、うちのチームに書類好きな人なんていないでしょ。だからって、事の選り好みしないの!仕様書書かなきゃ終わんないわよ、あんた待ちなの。はい、差し入れ。どうせ朝食べてないでしょ」

紙コップの紅茶が差し出された。サンドイッチはデスクに置き、紙コップを受け取る。

恐ろしく仕事ができるこの同僚は、いつものようにバッチリスーツとピンヒールでリアルなキャリアウーマンを演出し、腰に手を当てて半眼で如月を見下ろしていた。

んー、と立ち上がって如月は伸びをしてそれを受け取り、

「あのさ、ヒール履かないでくれる?俺より背が高くなるだろ」

「うっさいわね、1センチでしょ。気に入ってんのよ、このパンプス。ほら、お茶」

くん、と香りを確かめ、如月が一口飲む。

「セイロンだ?京都がリーフで淹れてくれた?」

「…こんのくっそ忙しいのに、それはないわね。そこのティーバックだけど、割と美味しいわよ」

「じゃあ、要らない…」

「ゼータク者。人の好意と経費を無駄にすんじゃないの。さっさと眼と頭冷まして、午前中に仕上げなさい!」

「…鬼…」

「あー、うるっさい!あとはあんた待ちなの!チェックはしてあげるから、さっさと雛型仕上げて送って。今日はハルの誕生日なの知ってるでしょ。何がなんでも定時で帰りたいの‼︎」

「ハル〜…。…呼んでくれば?」

 ぴた、と京都が立ち止まり、ゆっくりと如月を振り返った。

「…あんた、真面目に喧嘩売ってる?…床とお友達になりたい?」

「遠慮する‼︎」

ば、と如月は起き上がるとVDIを起こし、猛烈な勢いでキーボードを押し始めた。

「…やる気になれば人並み以上にできるくせに、スイッチ入らないんだから。…ほら、チョコばっかり食べてないで、たまにはちゃんと食事しなさい」

 京都はデスクの端に、今流行りの店の野菜と肉が溢れるほどのサンドイッチが入った紙袋を置くと、そっと部屋を出ていった。

 京都には、遥、と言う夫がいる。

 せっかちで完璧主義、見た目も派手な京都とは違い、地味でのんびりしていてあたたかい彼は、気さくで如月とも仲がいい。

「いーよなー…京都は」

 あったかくて、信頼できるパートナーがいてさ。

 京都には子どもが望めない事情があるが、ハルはそれを十分に理解している。二人は信頼しあっていて、良いところもそうでないところも理解し合えていて、愛し合っていて。 本当に仲がいい。

 もらったサンドイッチの端を齧ると、ふ、と目の前が揺れた。

「あれ?…何…?」

 座ったまま、ぐ、と足で床を踏み締め、 肘をついて頭を支えた。

 身体が、急に熱くなってきた。頭痛の前兆まである。

「あれ、…ない」

 引き出しを開けると、中は整然と小物が並んでいる。が、鎮痛剤が見当たらない。

(切らしてたか)

 携帯電話を取り上げる。

「…京都ー、鎮痛剤欲しいんだけど。切らしちゃったみたいでさ。手持ちがあったら分けて?」

『何よ、また頭痛?大丈夫なの?』

「なんかね、ちょっと変...。おかし…」

目の前がひどく揺れ、如月はどうにか右手でチェアのアームレストを掴んで耐えた。

「…おかしい…」

『キサ?今フロントにいるの、ちょっと待って...すぐに行くから!』

目の前がホワイトアウトしかけ、如月は椅子から転げ落ちそうになった身体をどうにか支えて床に蹲った。鼓動が早まり、体温が急激に上がりはじめたのが分かる。

「な、んだよ、…これ…っ」

ソファまで這うように移動するとどうにかそこで横になり、リモコンでブラインドを下すとガラスの壁の向こうに影が見えた。

「キサ?入るわよ」

 京都は顔を覗かせると、眉を顰めた。

「あんた、Heat起こしてない?」

「な、のかな?…よくわからな…頭痛、酷…」

「医師呼んだ方が良さそうね、すぐ呼ぶ。Heatだといけないから、他のスタッフが間違っても入らないように、部屋私のIDでロックして、医師の入室承認は私がするよ?」

「…頼む…」

「うん」

 京都は部屋を出るとドアをロックした。

 天井に設置されているセンサーにIDカードをかざし、

「サイガに接続して」

 遠隔で提携クリニックに置いてある医療用アシスタントアンドロイドに接続した。

「サイガ、聞こえる?大至急ドクターコールを要請して。対象者は社員番号21013よ」

『サイガです。笹原さん、畏まりました。御堂(みどう)医師が急行なさいます』

 フロアに、訛りのない完璧なアクセントの、穏やかなアンドロイドの声が静かに響いた。

「…御堂医師って、誰?」


 再開は、割と唐突だった。


 医師だと告げてオフィスへ入ってきた人物に、スタッフがどよめいた。

 長身に銀髪、耳には宝石が付いた多数のピアス、えげつないほどに整った容貌。

「…ちょっと、笹原さん、あれ誰」

「佐々木!びっくりさせないでよ。知らないわよ、あんな派手なの」

 白衣も着ていないが、ネックストラップにIDプレートと医師会のプレート、隣に医療用アンドロイドを連れている事で医療関係者だとわかるが、スタッフに彼を知っている者はいない。

 全く愛想のない彼は、大股で真っ直ぐに如月の部屋の前まで歩いてきた。右手の人差し指と中指で自分のIDカードを摘み上げ、天井のセンサーに反応するようにかざすと、ピピ、と認証の音が短く鳴った。

「中央医師会所属、アルビクリニックの医師、御堂(みどう)です。IDを確認くださったら、どなたか案内願います」

 滑舌の良い、耳障りの良い声がフロアに響いた。

『御堂医師のIDを確認しました』

 認証のアナウンスが部屋に響いた。

「…本当に医師なんだ」

「同感だけど、声デカいわ、あんた」

「あた!」

 佐々木の頭を叩きしな、ぴ、と京都がリモコンで如月の部屋のロックを解除した。

「社員番号21013の幸村如月です、お願いします」

「はい。失礼します」

 振り向きもせずに御堂は中へ入ると、御堂は如月が倒れているソファにまっすぐ進み、僅かに眉を上げた。

 如月の傍で膝を折ると、ぐったりとした細い腕を取り上げ、脈を見始めた。

「メディカルIDは」

「ID、は、デスクの、…引き出し…」

「サイガ、スキャン。俺のコードで医師会のDBに接続しろ。血液型と既往症」

 アンドロイドがセンサーでIDのチップを遠隔で読み取った。

「幸村如月、男性、ΩA+、既往症無しです」

「は?」

 さらにその御堂は険しい表情を作った。

 アンドロイドから即座に差し出されたマスクを受け取りつつ、

「アホか、そりゃ別のカードが混在してるだろ。フェロモン全く出てねーよ。再確認」

 毒づいた。

「幸村如月、男性、ΩA+、既往症無しです」

「んなはずが」

「…ほん、とですって…あっつ…」

「は?」

 如月は苦しそうに身体を捩った。

「Heat…?」

「…サイガ、Frシールド貸せ」

サイガから受け取った注射器を自分の腕に突き刺し、薬を押し込むと、御堂は怪訝そうに如月を覗き込んだ。

 御堂香哉斗は生粋のαだ。何なら、両親ともαと言う、女性αが圧倒的に少ない現在希少この上ない出生で、Wαとも呼ばれる人種である。

 αは、Ωのフェロモンを感知すると、本能的にそれに対する抵抗ができない場合がある。ヒートを起こしたΩは確実にαに影響を及ぼすので、注射はその対応だ。

(Heat…いや、似てるが、全くフェロモンが発生していない…、これで、こいつがΩ?んな馬鹿な)

 一瞬で、今まで読んだ論文を頭の中で総浚いする。

「俺、フェロモン、出ないん、で…」

(…フェロモン分泌不全のHeat?…本当なら、世界遺産並みにレアだな)

「サイガ、血液検査の仮オーダー、ベース型、現状のPr発生値とPrAV、以上、最短で何分だ」

「28分です」

「お前、今まで同じような症状で医療機関にかかったことは?」

「…な、い」

「注射針のアレルギーは?」

「な…」

「サイガ、正オーダーだ。大至急」


 画して、あっという間に採血を終え、検査数値の推移を見つつ、ほとんど意識のない如月の脚の間を撫でた御堂は半眼になった。

(…マジか。キてんな)

「ΩA+…、分泌不全は本当だな。サイガ、点滴用意、YA01を500、15分で落とせ」

「まだ、結果が確定していません」

「問題ない。幸村、利き腕は右?…左か。右に刺すぞ」

「………」

 検査開始から10分で、既に、ほぼ如月の意識はない。

 御堂は、デスクにあるマウスの形状を見て右腕を取った。開いてあるノートPCにベタベタと貼ってあるステッカーは、お世辞にもセンスがいいとは思えない。

 素早く血管に針を入れ、薬を落とし始める。

「あのー、大丈夫ですか」

 京都がドアの向こうから声をかけると、御堂はちらりと視線を上げた。暫く時計を見、如月の頬に掌を当てると

「もう少し待ってください」

 数分後、薄らと開いた如月の瞳に気づき、御堂はもう一度膝を折った。

「わかるか」

 眩しそうに閉じた瞼と僅かに動いた唇を見て、御堂の薄茶色の瞳が細くなった。苦しそうな如月に、

「…キツそうだな」

 御堂は低く呟き、そっと如月の首元の髪を避けた。頸に傷はない。

「触るぞ」

とりあえず言い置いて、足の付け根に触れれば、明らかにHeatの反応を起こしている。

(パートナーはいないのか。…誰かとヤっちまえば楽にはなれるんだろうにな。本人にその気がないし、フェロモンの分泌がないから強制的に相手を誘う手段も無く…体だけが反応して体内に熱だけが篭ってんのか。高熱出してるのと変わらねー訳だ。おまけに、アンカーの効きも悪いときた…。難儀な奴だな)

「サイガ、02の200を輸液の残りに追加しろ」

「一部成分の重複投与になりますが、よろしいですか」

「問題ない。早くしろ」

「畏まりました」

御堂の指示とアンドロイドの対応は的確だった。数分後には、浅かった呼吸が元に戻り、如月は通常と何ら変わらず、座っていた。

「…何だったんだ、今の…」

放心状態で如月が呟けば、

「Heatだろ。ちょっと特殊だけどな。経験ねーのか、お前」

「無いです、けど。…御堂先生?」

「何」

「…俺のこと、お前呼ばわりしないでもらえます?」

「そりゃ悪かったな。幸村?だっけ?昨日、うちの前でうろついてた奴だろ?」

「うろついてない!帰り道なだけ!」

「で?もう、大丈夫だな」

御堂は既に電子カルテの入力をしながら喋っている。

アシスタントアンドロイドのサイガも、医療器具や消耗品の撤収を完了していた。

「熱感も治まりましたね。痛みも、痺れも無いですか?」

サイガに穏やかに問われ、え?、と如月は自分の身体を見下ろした。

確かに、

「…無い…」

「もう一度聞くぞ、幸村?Heat起こしたことはないか」

「…一度だけ、高校の時、同じようなことはあったけど。解熱剤で熱さげて終わってる。周りにα型のやつもいたけど、俺からは全くフェロモン感じなかったって言ってた。それ以降は、無い」

「あっちは、どーなってた」

「あっち?」

「生殖機能」

ぼ、と如月が赤くなった。

「ど、どどど…どうし」

「医師としての問診だけど。他意はねぇよ」

いかにも興味なさそうに、しかめっ面で聞いてくる御堂に、

「…少し、…前が反応しかけてたくらいで、…解熱剤ですぐに治まったから、Heatだなんて思わなかった」

「天然記念物並みだな、お前…」

「は?」

まーいいわ、と御堂は電子カルテを仕舞うと立ち上がった。

「薬出してやるから、帰りにうち寄れ。クリニックより、そっちの方が近いだろ」

「いりません」

ぴた、と御堂が動きを止めた。

「何で」

「いらないからです」

「だから、何でいらない?外で同じ事が起こったらどうするつもりだ?万が一フェロモン発したらどーすんだ。犯罪者を量産して、自分も辛い思いをするつもりか?」

 黙り込み、ちら、と如月は御堂の顔を見ると、

「…どこへ、行けって」

 苛…。

 御堂が半眼になった。

「俺ん家。昨日、お前が突っ立ってたところだよ。保険証貸せ、スキャンする」

「はあ」

保険証を手渡す如月に幾らか戸惑いながら、御堂は必要事項の確認と保険証のスキャンを済ませると、さっさと建物を後にした。

「…んだ、あいつ…。調子狂う」

御堂にとって如月は、今までに経験したことがないタイプだったが、何だか自分のどこかが如月に意識を向けさせようとする。 

「何だか、すっごい先生入ったのねえ…」

 御堂が出て行くと、京都は呟いた。



「ひゃ!」

 駅を出、いつものツリーを目にしながらやや気分が降下しかけた時、くしゃ、と大きな手のひらが頭を撫でた。

「すげー反応だな。驚きすぎだろ」

「先生!」

 アンドロイドを連れていなく、ネームプレートもしていない御堂は、やはり一人周りとは違うオーラを放ちまくっている。

「丁度いいから、俺んとこ寄って、処方箋持ってけ」

「…はあ…」

 隣で連れ立って歩くと、とにかく目立つ。

 そもそも御堂がモデル並みの容姿で目立つところに「ごく普通」な如月が並ぶとどうもこちらにも視線が集まり、居心地が悪い。

 す、と御堂が如月の腕を引き、如月と視線の間に入った。如月は小柄なため、すっぽりと御堂に隠れてしまい、他人の興味は遮られた。

「……」

 如月がそっと御堂を見上げると、御堂は無表情で前を向いている。

 何故か、視線を持っていかれてしまう。

「何」

 視線だけを如月にやり、御堂が問いかける。

「いえ、…何でも」


「…ここ、病院ですか?…それ、何してんです」

「職場は別、ここは自宅。これは、鍵?」

 看板はないものの、一見カフェにしか見えない建物の前で、前髪をかき上げた御堂を見上げて如月が聴くと、御堂はあっさり答えた。

「鍵?」

 顔の高さに設置された、一見洒落た表札にしか見えないプレートに顔を近づける。

 ピッ、カシャ!

 キーロックが解除された。

「玄関で群がんな。入れ」

「何、今の」

「網膜スキャン」

「…一般人ですよね?」

「だからなんだ。面倒なくていいだろ。鍵は無くすから面倒なんだよ」

「なくしませんよ、普通…わ!」

 引っ張り込まれるように中に入った如月は、一瞬立ち尽くした。

 どう見ても、小洒落たカフェだ。

 カウンターに、観葉植物に、本、雑誌。

 ソファに上着を投げた御堂は、カウンターの奥から何かを取って顔を上げた。

「ほら、処方箋。まだ薬局も間に合うだろ」

「…ありがとうございます」

 その様子を見て、御堂がコートを羽織り直した。

「お前、かかりつけの薬局あんの」

「…まあ、一応」

「どこ」

「…いいじゃないですか。ありがとうございました!」

 逃げるように出て行こうとした如月の腕を御堂が掴む。

「何…」

「俺も行く」

「は?」

 整った御堂の容貌の半眼に睨まれると、相当なダメージだ。

(く、…苦しい。視線が…)

 ぐい、と顔が近づいた。

「お前、飲まねーつもりだろ。つか、薬受け取る気もねえな」

 如月の動きが止まる。

(…図星)

「ほら、来い」

「やだ!いい!」

「何言ってんだ。自分のことだろうが」

「大きなお世話だって!」

 ぴた、と二人の動きが止まった。

「…」

 続けて何かを言おうとした如月が、そのまま俯いた。

「…あー…、すみません。でも、いいんですよ。俺は」

 如月は小さく呟き、御堂の指を振り解いた。

「多分…こんなこと、もう起こらないし、そもそもフェロモン出ないから、他人に迷惑はかけません」

 御堂は身を細め、後ろの小さな引き出しから真っ新なカプセルシートを取り出した。

「…お前、調子狂う。自分が辛い思いしないように、とは思わないわけ?」

「ちょうどいいんです、これくらいが」

「…そうなの。それが、命かけることかどうかは、俺には判断しかねることだけどな」

 パリ、と一錠破り、如月に見えるように自分の口に入れると、冷蔵庫から出したボトルの水でそれを飲み込んだ。

「…え?」

 そのシートを如月に示し、

「好きなの1個取って」

 新しい水のボトルを手渡す。

 ぱり、と乾いた音をさせ、如月の指が、カプセルシートの角の一つを弾き出す。

「…飲んで」

 暗示にかかったように、穏やかに言われるがまま、如月はそれを飲み込んでいた。

「というか、これ何ですか?」

 呆れ表情を隠そうとせず、御堂はカプセルシートをしまいながらため息をついた。

「…そーゆーのは普通、飲む前に聞くもんだろ。変な薬でも盛られたらどーすんだ。…明日以降もここへ来て、俺がいいと言うまで飲むと約束すんなら、今すぐに教えてやる」

「え」

 一歩後退。

「引くな引くな。如何わしいもんじゃねーよ」

「だって」

(この人、αだった)

 今更ながら、明らかな警戒を見せる如月に盛大なためいきをつきながら、御堂は薬品名と登録コードが印字されたシートの一部を如月に手渡した。

「ネットで調べるなり、知り合いに聞くなり好きにしろ。すぐに知りたいなら、さっきのが条件。で、返事は?」

 一瞬戸惑い、如月は顔を上げた。

「明日も、来ます」

 いちいち調べるのなんて、面倒だ。

 ぽふ、とリングだらけの長い指が如月の頭に触れたが、すぐにその手は引っ込められた。

「………」

 …何だ、一体。

 御堂は思わず如月に触れてしまった自分に疑問を投げつつ、

「滋養強壮剤。お前、栄養状態悪すぎる。そんなんだから、身体が思いもしない状態引き起こすんだよ」

 コートを脱いで壁に掛けると、御堂はカウンターの裏へ回った。

「俺もこれからだし、まだなら飯食ってけ」

「へ?」

「この後、予定あんの」

「な、いですけど、…結構です。帰ります」

「夕飯、用意は」

「適当にコンビニででも買って帰りますから」

 さっさと靴を履きかける如月を見て、御堂は溜息をついた。ドアに手をつき、如月に顔を近づけた。

「警戒不要だっつの。Ωだからって、男に何もしねーよ。お前、栄養管理できてねーだろ?細っせーくせに、コレステロール高かったし、貧血。大したもんは出ねーから、気にせず食ってけ。上着はその辺に置いて、あっちで手洗え」

ほぼ反論のできない内容で頷かざるを得ず、如月が御堂の姿を追うと、既にシンプルな黒いエプロンをして、何やら調理を開始している。

「あー、…名前、何だっけ」

「…幸村です」

「名前」

「如月?」

 ふ、と御堂が如月を見つめた。

「…だったな。キサ、手伝え。手を洗ったら、後ろのキャビネットから、グラスと隣の器、2つずつ持ってきて」

 ぎょ、として如月が御堂を見ると、まるで自然体でもうフライパンを混ぜている。

「何で名前」

「知り合いになったんだから、いいだろ」

「…抵抗あるんでやめてもらえます?」

「ああ、酒は出ねーよ。辛いの平気?」

「あんまり得意じゃないです。…俺の話、聞いてます?」

「聞いてる。気にすんな」

(…やっぱり、俺さまα!)

 三口のIHヒーターは蓋の乗った鍋とフライパン、スープを煮込む鍋で満杯だ。

 かくして、30分程度でテーブルには半熟卵ののったキーマカレーと野菜スープ、彩りの良いサラダが二人分並んだ。

(…とは言え。鍋炊きご飯のキーマカレーとは…)

「半分野菜だし、まだあるから、食べれるならおかわり推奨。はい、座って」

 まるで手品のような手際の良さだ。確かに御堂は、如月必要以上に近づくこともなく、おかしな様子もない。今まで出会ったαのように自分に靡かせてやろう、という雰囲気はひとつも感じられない。

 まだ戸惑いがちに言われるがままに向かい合って座ると、

「だから。変な薬なんか入れてないから警戒すんな。何なら、皿変える?」

「…結構です」

「はい、じゃあどうぞ。いただきます」

 静かに手を合わせた御堂が食べ始める。

「い、…ただきます…」

 遠慮がちにすくったスプーンを口に入れると、

(お店の味)

 スパイスと野菜が絡み合った、優しい風味が口いっぱいに広がった。

「おいしい…」

 思わず呟いた如月を御堂がチラリと見た。

「そ」

 薄味の野菜たっぷりのスープも、オリーブオイルと塩で味付けをした、シーフードがのったシンプルなサラダも、食欲がなかった今朝までが嘘のように、箸が進む。

「先生って」

御堂香哉斗(みどうかやと)。先生、以外で好きに呼べ。お前は俺の患者じゃない」

「はあ」

「処方した薬を拒否するよーな患者はお断り」

「どっちでもいいですけど。何で、俺なんかに食事させるんですか」

「何かの縁だろ。引越し当日は邪魔されるし、仕事では経験したことのない事態に呼び出されるし。お前の家、住所だと自治会同じだし。すぐそこだろ」

「邪魔してないって!…そもそも、住所、何で知ってんですか」

「保険証」

「あ」

「お前の職場とは、提携期限までの先何年かは健診やら何やらでも必然的に顔合わせるし。そう言うことで、今日からオトモダチな。御堂デス。ヨロシク」

 まん丸になった瞳が真っ直ぐに御堂を見つめると、銀色の眉が僅かに動いた。

「…んだよ」

「いや、その。出来るだけお世話にならないようにします。よろしくお願いします」

「…何だそれ」

(まあ、一理あるか)

 揃って、カレーを一口。

「…御堂さんて、料理上手なんですね」

「そう?店の惣菜に食いたいもんがあれば普通に買うけど。お前はしないの」

「あんま、得意じゃないです」

「そ」

 さく、と野菜を噛み締める。

「御堂さんて、何歳なんですか?」

「何の面接だよ」

「嫌ならいいです」

 聞いた割には如月も素気なく、御堂は苦笑してグラスから炭酸水を一口飲んだ。

「26。Hメディカルスクール卒、Ω専門医師歴4年。研究内容も聞きたい?」

「…いいです。俺の1年上で、もう4年も医師業してるんですか?」

「あっちの学校は、何歳でも受かりゃ大学行けるからな。日本とは違う」

「…何歳で入ったんですか」

「14。さすがに真面目に勉強するつもりで入ったから、まともに8年過ごした」

「8?」

「あっちは医学部って括りがないからな。大学4年、メディカルスクール4年。まだ食える?」

 いつのまにか空になった皿を見た御堂が語尾を上げたが、如月は首を横に振った。

「も、いっぱいです」

「おっ前、青年男子の胃の大きさじゃねえな…。野菜残すなよ」

「は、い」

 あわてて口に入れたレタスに絡んだ岩塩が、カリ、と乾いた音を立てた。

「甘いものは食える?」

「はい…もお腹いっぱいなので、少しなら」

「じゃあ、手伝って?助かるな」

 皿を片付けてしばらくすると、小洒落た小さめの湯気が上がるカップとガトーショコラが出てきた。

「…手作りですか?」

「葉月のな。あいつのお陰で食い切れないほどあるから、食えるなら遠慮なく持って帰ってくれるともっと有難いけど」

昨日の、女性を思い出した。

「ああ、あの、綺麗な人…、奥さんですよね。お子さんも」

 御堂がコーヒーを一口飲み、明らかに嫌そうに顔を顰めた。

「冗談だろ。葉月は姉貴。ホノ…、仄禾は姉貴の娘。引越しの手伝いに来てただけだよ」

 手伝いと言うより、ひやかし?とぶつぶつ言いながら、香哉斗はザックリとケーキをフォークで切ると、口に放り込んだ。

「試作品らしいけど、一応パティシエだからさっきのカレーより味は間違いないだろ」

「カレー、十分すぎる味でしたけど。…お姉さん、どこでお菓子作ってらっしゃるんですか」

「le brouillard。姉貴のパートナーがそこのオーナー」

 如月の目が更に丸くなった。

「…それ、俺週4で通ってますよ」

「マジかよ。俺は、開店当時から食わされてるから、うまいんだかなんだか、もう麻痺してるわ」

「…どーゆー家系なんですか…」

「人生一度きり、やりたいことと欲しいものにに遠慮はするな」

「…それ、家訓…?」

「そうそう」

「…あのこれ、めっちゃくちゃおいしいですけど…」

(この人、人の話聞いてない…)

「苦!」

 カップから熱い液体を一口飲んで顔を顰めた如月を見て、御堂が小さく笑った。

「コーヒー嫌い?」

「…苦いの、苦手です」

「ある意味、見たまんま」

「何ですかそれ」

「かわいい」

「は?」

「あ、…悪い悪い」

 ふふ、と御堂は笑い、立ち上がると持ってきたピンク色のハーブティーとコーヒーカップをすい、と入れ替えた。

「え?」

「菓子に合う、って淹れ方だけは葉月に聞いたけど、自分で飲まないから味は保証しねえよ」

 確かに、ケーキととてもよく合うお茶だった。

 結局、「朝か昼に食え」とカレーとテーブルパンと、サラダとガトーショコラを持たされ、

(なんなんだ、あの人は)

 如月は戸惑いながら帰途についた。

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