幽霊だって、見つけてもらわなくちゃ困るよね
幽霊について、俺はいつも疑問に思っていることがある。
なぜ、奴らは人を殺めなければならないのだろうか。
なぜ、そこまで必死になって殺そうとするのだろうか。
『成仏したいから』というのなら不可解だ。人を殺めても徳を積めることはなく、そもそも繰り返し人を殺しているのであれば、いくら罪を重ねたところで、成仏できないとわかっているはずだ。
人間が恨めしい、という理由も不可解。いくら恨めしいといっても、飽き足らず殺していれば、むなしさというものがこみ上げてくるはずだ。
意思があるのなら、例え幽霊だとしても、人間とのコミュニケーションを図り、マンガみたく楽しく過ごす方法もあるのでは?
それを放棄し、むやみやたらに殺人を繰り返す理由は皆無。
以上のことから、幽霊とは不合理な存在であり、存在するのかも疑わしい。
と、結論づけた俺が、幽霊の存在を信じ――そして、幽霊の気持ちがわかった時の話をしよう。
☆
静岡県某所の山へ行った時のことだった。日帰り登山を目論んでいたのだが、昼過ぎから、天気予報にないはずの大雨が降ってきてしまった。趣味程度の登山スキルしかなかった俺は、早く帰りたい一心で、ろくすっぽ地図も確認せずに下山を始める。
そんなわけで、凄まじい雨のせいで視界も悪く、結果的に遭難してしまったのである。
電波は届いていなかった。しかし、この山へ登ることは、同居している恋人にも伝えてある。明日になれば、連絡の取れないことを不審に思って、捜索願を出してくれるだろう。
日も落ちてきたので、俺はリュックからライトを取り出す。ここまで暗くなったら、俺にできることは、この夜を乗り越えることぐらいしかない。夏とはいえ、一昼夜雨に打たれ続けられたくない。雨風をしのげるような場所があればいいなと思った。少しでも快適な場所はないかと移動してみる。
すると、山には不釣り合いな洋館を見つけた。三階建てのレンガ造り。付近に目立った山道はないが、どうやって建築したのだろうか。壁面にはツタが這っていた。
どれほどの年月の間、放置されてきたのだろうか。不気味だったが、幽霊なんて信じていなかったし、雨ざらしになりながら、森の中で過ごすより全然いい。この時の俺は、むしろ『運が良かったな』ぐらいに思っていた。
俺は、さっそくとばかりに屋敷の中へと入ることにした。
「オジャマシマース」
ふざけた挨拶。当然、返事はない。扉は木造で、半壊していた。扉を閉めると、自然に鍵がかかって出られなくなる――なんて、映画みたいなことは起こらなかった。
正面には絢爛な階段があった。それが両サイドへと伸びるように二階へと続いていた。なんとも贅沢なつくりだと思った。こんな建築をするのなら、山奥なんかじゃなくて、都市部にすればいいのに。
これから、朝までここで過ごすのかと思うと、少しウンザリする。時間は午後8時。まあ、素人が道なき道を使って下山するのも無理に近いので、仕方ないかと思った。
俺は、ペットボトルの水で軽く口を潤すと、屋敷の中を見て回ることにする。ソファかベッドがあるとありがたいと思った。床へ寝るよりいいだろう。
移動すると、ダイニングと思しき部屋があった。家具はあるが、棚は空。そもそも、この洋館の持ち主は、どういった経緯で、こんなところに住居(別荘?)を構えようと思ったのだろうか。
テーブルの上を見ると、一枚のメモ書きがあった。
メモにはこう書かれていた。
『お疲れ様です。ここは、資産家の文豪が、ひっそりと執筆するために建てられた別荘です。現在は使われておらず、山小屋の代わりになっております。どうぞ、おくつろぎください。地下に保存食がございます。ご自由にお召し上がりください』
なるほど、そういうことか。
なんともありがたいことだ。
俺は地下への階段を探す。携行食しか持ち合わせていなかったので、缶詰のようなものがあったら、ありがたいと思った。
玄関正面の絢爛な階段の裏に、地下への階段があった。降りると廊下が延びていた。狭くて鬱蒼としていた。部屋が三つあった。手前のふたつを調べてみるが、そこにはなにもなかった。
いちばん奥の部屋を開けると、そこには本棚とかデスクなど、使われていない家具が置かれていた。部屋の隅に、木箱がある。開けてみると、缶詰が数個あった。
「缶詰……サーモンか、あんまし好きじゃないんだよな。お、こっちはコンビーフ」
念のために賞味期限を確認し。
俺はガッカリした。5年ほど前に切れていた。
――と、その時だった。
廊下の方から、コツコツと足音が聞こえた。
ぞく、と、背筋が凍った。
幽霊とか、そういうものは一切信じていない。けど、誰もいるはずのないこの屋敷に、足音が聞こえてくるというのは、いささか不自然。もしかして、他の遭難者だろうか。
足音が近づいてくる。
地下――薄暗い空間で、ライトだけが頼りの世界。スポットライト気味のそれがドアの方へと向けられる。
――足音が扉の向こうで止まった。
心臓の鼓動が慌ただしくなるのを自覚しながら「誰だ?」と、俺の方から尋ねた。すると、ドア越しに呻くような声が聞こえた。
「や、やット……見ツケテくレタ……」
――見つけた? なにを?
どういうことだ? 遭難者? それとも住んでいた? そもそも『見つけてくれた』ってどういう意味だろう?
煮え切らない状況。俺は、恐る恐るドアを開けてみようとした。すると、その時だった。
――バギャン、バリバリバリッ!
鉈のように巨大なサバイバルナイフがドアを貫いた。木製のそれは、凄まじい力で豪快に引き裂かれてしまう。
「おわぁああぁぁぁッ!」
俺は、飛び跳ねるように後退した。そしてライトを向ける。
「見つケて、クレて、アリガトぉ……」
「ひ、ひっ……ひと?」
ベストを着たキャンパーといった感じの人間だった。だが、頭部にはまるで斧でかち割られたかのような巨大な傷跡があって、そこからどっぷりと血の流れた跡がある。血液はすでに固まっているのか、ドス黒い色をしていた。身体の所々にも、ナイフで刺されたかのような跡があって、衣服を黒く彩っていた。ガタイが良く、まるでクマのようではあった。眼球が、ぶら下がるように飛び出ていた。
「な……ななななッ!」
「見つカッたラ、鬼コウタイ……」
「み、見つかった……? なんだよ……それ」
「ウォオオオォォォォッ!」
怪獣の咆哮のようなうめきをあげながら、襲いかかってくるバケモノ。
俺は、木箱にあった缶詰を投げつけた。だが、バケモノは巨大なサバイバルナイフで次々に弾き飛ばしていく。缶詰の汁が飛び出し、床へと染みをつくっていく。
「おわあぁぁぁッ!」
バケモノがサバイバルナイフを振り回した。それが、壁へと深く突き刺さる。その隙を俺は見逃さなかった。脇を潜り、部屋を飛び出そうとする。
「マッテッ! 行かないデ!」
ナイフが俺の背中をかすめた。ズァっと熱くなった。
「あづッ!」
苦しんでいる暇はなかった。泳ぐかのような足取りで、勢いよく部屋を飛び出す。
「ウグァアアアァァァァッ! 逃げルなぁあぁぁッ!」
バケモノが部屋から出てくる。俺は、階段を駆け上がるのだが、その時、足が熱くなった。そして、じんわりと痛みが滲み出てくる。
「へっ……?」
軽く振り返ると、巨大なサバイバルナイフが右のふくらはぎを激しく切りつけていた。どうやら、バケモノが投げつけたようだった。
「うがッ――!」
四つん這いになりがらも階段を越えていく。そして、バランスを立て直しながら、よろめくように玄関へと向かう。だが、バケモノが追いついていた。
「マッテくレ、待っテくれああぁぁぁがぁああぁああぁぁッ!」
バケモノが手を伸ばした。俺のシャツを強引に掴んだ。
「ひいいぃぃッ!」
俺は全身を投げ出すように振り払った。すると、シャツがビリビリと破れていった。かろうじて、バケモノの腕を逃れる。玄関のドアを弾き飛ばすように外へと抜け、地面へと転がった。
「待てッ! マテェェェェッ!」
この足で、森の中をアイツから逃げ切る? 冗談じゃない。そんなことできるわけがないッ――!
恐怖に打ち震えながら起き上がろうとした。けど、バケモノは追いかけてこなかった。
「戻レッ! 戻っテ! 戻っテェエェエェェェェッ!」
「な、なんだ……」
バケモノはまるで見えない壁へに阻まれているかのように、ドンッドンッと身体を打ち付けていた。
「……? あいつ……もしかして、この屋敷からでられないのか?」
そう、解釈するしかなかった。玄関を境界線に、奴は喚き叫んでいる。透明の壁を殴り、身体をぶつけ、なにを必死になっているのか、喚き散らしていた。
「は、はは……」
――助かった。
奴は本当にバケモノなのか。それともたちの悪いサイコ野郎なのか。屋敷から出られないのを見るに、奴は本物のバケモノか、あるいは幽霊の類いなのだろう。
そういった存在は否定していたが、経験してしまうと、信じざるを得なくなる。もっとも、これを他人に話したところで、信用してくれるかわからないが。
「まいったな……」
安堵すると、今度は不安がこみ上げてくる。そういえば、リュックは屋敷の中だ。戻ることはできないし……どうやら、森の中で雨に打たれながら虫たちと一緒に過ごさなければならないようだった。
止血も必要だ。
――が。
その時だった。俺の身体が、屋敷に引き寄せられる。
「えッ?」
ズルズルと、ズルズルと、屋敷の方へと吸い込まれていく。
「うわぁああぁあぁぁッ!」
見やると、足にキラリと光るものを見つけた。
「テグス……?」
要するに釣り糸。それの先端に、ルアーなどに使うようなフックが付けられていた。俺の体重を吊り上げるほど丈夫なそれが、俺のズボンに引っかかっていた。
「戻れ、戻レッ! おまエは鬼ッ! 今度はおマエがッ!」
「や、やめッ! 助けッてッ! 嘘だろぉぁあぁあぁぁぁぁッ!」
いつ付けた? 俺のシャツを掴んだ時に引っかけていたのか? 奴自身、外に出られたら終わりだと知っていた? だからこそ、念には念を押して、こういうものを用意していた?
指を地面にめりこませる。爪が剥がれるかと思った。けど、それ以上に人間の姿をしたバケモノが怖くて、指の骨が折れるぐらいに地面を掻いた。
けど、無駄な抵抗だった。扉の向こう側へと引き込まれた俺は、うしろくびを抑えつけられる。
「これデ……終わル……」
「ひぐッ――」
もはや、声を出すこともできなかった。まるでゴリラに抑えつけられたような感覚。ビクともしない腕力によって、昆虫標本のように床へ。
そして、サバイバルナイフが背中を貫いた。
「あ……」
そこからは……そうだな。痛いとか、熱いとか、そういう感覚はなかったと思う。ただ、これから死ぬんだなって思った。考えていたことは『早く意識がなくならないかな?』だろうか。
一刻も早く、恐怖が終わって欲しいとか、そういう気持ちだったのだと思う。走馬灯だなんて嘘っぱちだ。どうでもいいから早く、苦しみから解放してくれって思っていた。悲しみも、心残りも、恐怖に押しつぶされたのだ――。
☆
――さて、ここまでが俺の物語だ。
話を冒頭に戻そうか。
幽霊は、なんのために人を殺すのかという話だ。
疑問だろう? 俺も疑問だ。
だが、実際に殺されたことで、ようやく殺す理由がわかった。
――殺す理由は『呪い』だ。
バケモノは、俺を殺したあと、床へと仰向けになるよう倒れた。そして、肉体がドロリと腐敗するように溶けていった。ボロボロの衣服と腐臭だけが残った。要するに、このバケモノは誰かを殺すことによって、死を迎えることができるのである。
事実、彼は元々人間だった。工場勤務の中年男性。彼女も友人もいない、登山――というか、サバイバルが趣味だったらしい。俺と似たような理由で、この洋館へと迷い込み、不運なことにバケモノとなってしまった。
バケモノに与えられた呪いは『この屋敷からでられないこと』と『誰かを殺すまで死ねない』こと。なんと、彼は6年もの間、この隠れた洋館に、ひとり寂しく住んでいた。ただただ時間が過ぎ去るのを待っていた。
そこへ、ようやく現れたのが獲物だ。彼にとっては、俺を殺すことが救いへと繋がるわけだ。そりゃ、逃がすわけにはいかないよな。
今ならわかる。こんな不気味なところに6年も滞在していたら、頭がおかしくなりそうだ。死んだ方がマシ。事実、彼は死にたかったからこそ、俺を殺したのだろう。
――幽霊は、人を殺したくて殺しているのではない。
連中もまた、殺さなければならない理由があった。それは理不尽なシステム。今回のケースで言えば、洋館の『呪い』とでもいうのだろうか。『呪い』のせいで、殺さざるをえない状況に置かれている。連中には連中の都合というものがあったらしい。
ん? なぜ、俺がそこまで理解できたかって?
ああ、言ってなかったが、この洋館にはもうひとつの呪いがあったのだ。
――それは、殺された人物が、その呪いを受け継ぐこと。
バケモノに殺された俺は、数分後に甦った。そして、全身をナイフでぶち抜かれたというのに、動けるような状態になっていたのだ。
「うッがぁあぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁッ!?」
しかも、怪我がそのままだった。幽霊とかゾンビってのは、痛みを感じないように表現されているが、ありゃ嘘だ。俺の背中も足も、かきむしりたくなるぐらい痛い。気を失いそうなぐらい痛い。悶え苦しむしかなかった。
けど、死ぬこともできない。この痛みがいつまで続くのか、不安――なんてものじゃない、地獄だ。
生きたい? 死にたい? 逝きたい? わかラない。とにかく、痛みを消してくれって思った。そのためならなんでもすると思った。死んだっテ良かった。
「ああぁッ! あぁぁあぁぁあぁッ!」
あのバケモノは6年だって? 冗談じゃない! こんな痛みは一日だって耐えられない。早く終わらせたい。終わらせてくれ。終われ、終われ! ああ、終わらせるには、誰かにここを見つけてもらわなくちゃ。殺して――交代してもらわなくっちゃ――。
「ぁは……は……はぁ、はぁ……あぁあぁあぁぁぁあぁぁッ!」
歩くだけで悲鳴をあげたくなる。そんなわけで、とにもかくにも、この洋館から脱出できる方法がないかと、部屋をくまなく調べてみたわけだ。
そうしたら、あのバケモノの遺留品を見つけて、こういった情報を手に入れることができたワケ。まあ、ありがたいことに、あのバケモノは、ポケットの中にメモを残してくれていた。呪いのことが書かれていて、おかげで理解が早かった。
そういう意味では、奴もそこそこ知識というか、人間としての考える頭は残っていたらしい。テーブルに置いてあったメモも、地下へと誘導するための罠だったわけだし。
まあ、俺も一刻も早く解放さレたイ。
こんなところ、滅多に人がこないんだ。
きた奴は確実に殺さなくちゃ。殺さなくちゃ――。
☆
昨日。『彼』が消息を絶った。夕方までに連絡がなければ、助けを呼んでね。と、雑なお願いをされていたので、恋人である私は言われたとおりに警察に電話。山岳救助隊だかが動いてくれるようだ。
けど、彼のことが心配な私は、いてもたってもいられなかった。
彼の趣味に付き合わされることが、多少なりともあったので、そこそこの登山用品は揃っていた。経験はそれほどないけど、山を歩くのはそれほど苦じゃない。なので、彼が入山したと言われる、静岡県某所へとやってきた。
――けど、慣れないことはするものじゃないわね。
初心者には厳しい山だったようで、看板は不親切。電波も届かない。
結果として、道に迷った。
うん、道に迷った。
洋館があって安心した。
愛する彼と再開することができた。
嬉しかった。良かった。
……良かったと思った。
うん。彼は、ある意味救われたのかな。
そして、私は――私は――私は――。
良くない。良くない。良くない。良くない。良くない。良くない。
早く、私を見つけてくだサい。