2.ララの後悔(2)
ララが周囲を顧みずフィリップに接近し、一家で噂を流した(信じる者はほぼいなかったが)ことでペリン男爵家の評判は落ち、家業の商売は傾いた。当時のララはそれがフィリップの婚約者であるランバート侯爵令嬢による卑劣な妨害だと思い込み、ある茶会で直接抗議した。
『わたしは、最近フィリップ殿下と親しくさせていただいています。その上で申し上げます——殿下の寵愛が得られないからって嫌がらせはダメだと思います!』
それからはあっという間だった。
恐らくは茶会での一件が切っ掛けとなり、より詳細な調査が入ったことで、ララの父であるペリン男爵が家族にすら隠していた犯罪が王家の知るところとなった。
税金の横領、書類の偽造、その他幾つか。中でも極めつけは隣国ルストゥンブルグ帝国の第二皇子・皇后一派との内通だった。第二皇子はかつて国外追放処分を受けたグラネージュ王国の王弟(当時の国王の弟)と手を組み、王国にクーデターを起こそうとしていた。
グラネージュ王国では、側妃を迎えるのは正妃を他国から迎えた時と正妃に子を望めないと判断されたときだけであり、伯爵より低位の家の者は目に見える実績を出して高位貴族の養女にでもならない限り側妃としては認められない。慣例ということにはなっているが、事実上の規則であり、貴族家の当主なら低位であっても常識だった。
その常識を何故か知らなかったペリン男爵は、フィリップを慕うララが側妃になった後の後ろ盾になるという甘言に乗り、横領によって得た資金を彼らに流そうとしたり、不法入国に手を貸したりしていたのだった。
その結果、ペリン男爵家は取り潰しとなり身分を剥奪されたララの両親は辺境の地で開墾を行うことになった。
一家が死罪を免れたのは、ララの懇願によりクーデター計画の頓挫に貢献することと引き換えに命だけは救うことが約束されたからだった。
その時ララが王家の想定以上の働きをしたことにより優秀さが見込まれ、父親の犯罪とは一切関わっていなかったこともあって彼女は両親との戸籍上の縁を切ることを条件に官僚試験を受けることを提案された。
隣国との内通者となったペリン男爵の娘であるララを国の監視下に置く——飼い殺しにする意味が大きかったのだろうが、紛れもなく破格の提案だった。
ララは両親との戸籍上の関係を切ることに抵抗感を覚えて最初はこの話に乗るか迷った。しかし彼女の母の強い後押しなどもあり、提案を受けて監察官を目指すことにした。
グラネージュ王国の監察官の任期は数年ほどで、その間国王の命を受けて各地の庁舎に赴き、不正がないか内密の調査を行う。そして任期が満了すれば中央でひとっ飛びに昇進する可能性もある、若手官僚の登竜門である。
ララが監察官を目標にしたのは、犯罪を未然に防いだり大ごとになる前に止めることで自分のような思いをする者が少しでも減るのではないかと考えたからだった。
しかし、数々の苦難の末漸く去年正式に監察官に就任した時、即位したばかりの国王フィリップと王妃(元ランバート侯爵令嬢)の仲睦まじい様子を遠くから見て、果たして自分が監察官を目指した理由は本当にそれだけだったのだろうか、とララは考えた。
ペリン男爵が断罪されたあの日、ララは「王子様」の仮面の下を目の当たりにした。
氷よりも冷たく一家を睥睨する彼は、彼女の好きな彼ではなかった。物語から抜け出たような優しい「王子様」ではなく、一人の「王族」がそこにいた。
全身の血が凍るような恐怖によって、ララの恋心は粉々に砕け散った。
自分は、彼の「何」を見ていたのだろうか。「王子様」の彼に、こんな一面があるなんて知らなかった。愕然とした。
ララにとってその一面はただ恐ろしく、受け入れがたいものだった。
それなのに——紆余曲折ありつつもフィリップと想いを通わせたランバート侯爵令嬢は、その一面すらも受け入れて微笑んでいた。彼の傍で幸せそうに頬を染めていた。
(わたしは、あんな風に笑えない。わたしじゃ、駄目だったんだ……)
見つめ合う二人。なんてお似合いなんだろう。なんて——眩しいんだろう。
ララは、そんな二人を見ていられなくて目を背けた。逃げるように、いや、多分逃げるために官僚試験のための勉強に励んだ。
監察官は、その任期の殆どを王都の外で過ごす。試験に合格し無事に就任すれば、数年は彼らの様子を直接見ることはないだろう。
この感情がランバート侯爵令嬢への嫉妬からのものならどれほど良かっただろうか。でも、そうではないことをララ自身が一番よく分かっていた。
(わたしは、あの人の優しい部分しか見ていなかった。全てを受け止めることなんてできなかった。見たいものだけを、うつくしくてやさしいものだけを見ていたんだ。——わたしは、なんて醜いんだろう……!)
だからきっと、自分は彼の「お姫様」にはなれなかったのだ。
——それからララは、恋というものが怖くなった。
恋愛感情を人に向けるのも向けられるのも避け、そういった関係になりかけると距離をとった。樫の木の下で告白してくれた青年のように彼女が幾重にも張った壁をすり抜けて好意をあらわす者もいたが、それ以上に育つ前に彼らの想いを殺した。
残酷なことをしているのはララにも分かっている。それでも心のどこかにいるもう一人の自分が、「恋」に触れる度に彼女に問いかけてくるのだ。
『貴女は、この人のことを本当の意味で見ているの? あの時のように綺麗なところだけを見ているわけではないなんて、ほんとうに言えるの?』
そしてララが自身へ向けられた恋の息の根を止める度に「彼女」は皮肉げに唇の端を吊り上げるのだ。
『恋から逃げるためなら、相手を傷つけたって構わないの? とんだ「お姫様」だね?』
(なら、どうすればよかったのっ? あのまま放っておいて、逃げられなくなればよかったとでも?)
『逃げる、ねぇ……。そもそも貴女はどうして「恋」から逃げているの?』
(だって、怖いから……)
『誰かを好きになるのがそんなに怖いの?』
(怖い。怖いに決まってるよ!)
『怖いのは、醜い自分を見たくないから?』
(――っ!)
『相手の綺麗なところだけしか見たくない。そんな自分が嫌で嫌で仕方がない。だから恋なんてしない。自分のきたないところを剥き出しにしてくる「恋」が怖い』
(っ、やめて‼)
歌うように並べられた鋭い言葉に耳を塞いだ。頭を庇うように抱え込み、瞼を下ろして固く閉ざした。
「彼女」は他でもないララ自身の心が生んだ存在。それを自覚していても、この五年間、ララは「彼女」に真っ向から立ち向かうことができないでいる。