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1.ララの後悔(1)




 グラネージュ王国のとある地方庁舎の中庭の一角にそびえる樫の大木。ララはその下で一人の青年と向かい合っていた。


「……」

「……」


 ララがここにいるのは、青年に手紙で呼び出されたからだ。しかし呼び出した当人である青年は彼女と顔を合わせたきり、顔を赤く染め黙り込んでしまった。


 ここ半年、青年と同じ職場でララは働いていた。青年はこの地方庁舎に赴いたララに親切で、施設の案内から書類配布の手伝いまでしてくれていた。半年間の赴任だったが、やけに親切な彼がある種の感情をララに抱いていると彼女が悟るには十分な時間だった。


 しかし青年が何故ララを連れてきたかはそんな普段の様子を見ずとも、今の彼の表情や雰囲気——例えば頬から耳に滲んだ紅色——から、余程鈍い者でもない限り察しがつくだろうが。


 そわそわとあらぬ方向を向いたり前髪をいじってみたりと落ち着かない様子の彼にララはニコリと微笑んでみせた。その柔らかな表情に勇気づけられたようで、青年は一瞬だけ緩ませた顔を引きしめた。


「あの、その」

「はい」

「——好きです! 僕の恋人になってください!」


 ああ、()()()()()()()()、という思いがララの心に落ちた。ぽとり、と雫が波紋を生み出す。


「……ごめんなさい」


 丁寧に頭を下げたララの返答に青年は絶句した。


 この半年、ララと最も親密にしていた男性は自分であるという自信から、まさかここまですげなく断られるとは思ってもみなかったのだろう。もちろん、ララにとっても青年は()()仕事の同僚としては親しい相手だった。


「そう、ですか」


 呆然としていっそ無感情と感じられるような声。ララは胸の辺りを掴まれるような痛みを覚え、ギュッと目を瞑った。


「あ、はは……馬鹿みたいだな、僕は」


 無理に笑っているのだろう。青年の言葉は震えてか細かった。目の前の地面に映る影が揺らいで傾いだ。


「困らせて、すみませんでした。――では、僕は、これで」


 視界から影法師が消え、足音が遠ざかっていった後も、ララは暫く伏せた顔を上げられなかった。お気に入りの靴の爪先は、日々丁寧に手入れをしているお蔭でピカピカだ。しかし今はその光沢が酷く虚しいものに思えてくる。


(わたしが言わせたくせに、何を傷ついているんだろう……)


 本当は、「困らせてなんかない」「気持ちは嬉しい」、そう言いたかった。


 でも彼の想いを理解した上で諦めさせるために告白するよう仕向けて断ったララにはそんな綺麗な言葉で自分を飾る資格すらない。それなのに何を良い子ぶっているのか。心のどこかでそう嘲笑う声がした。


(裏の仕事とか関係なく、怖いから逃げているだけのくせに)


 ララはこの地方庁舎に表向き研修中の新人職員として赴任している。一方、「裏の仕事」——監察官としては昨年即位した国王フィリップの命に従い密かに官僚達の仕事ぶりについて調査をしていた。その仕事の都合上、出向いた先の職員や官僚とは親しくなり過ぎない方がいいのは確かだった。例の青年ともそれなりの付き合いはあったが、友人と呼べるほどのものではない。ララにとって真に「友人」と呼べるのは一人だけだった。


 つかず、離れず。広く、浅く。そんな付き合いをしていた。


 しかし、「裏」の同僚たちの中には調査に出向いた先の人間と結婚に至っている(もちろん公私混同はしていない)者もいることを考えれば、ララがそういった好意を受け止めるのを避けているのはやはり彼女自身の問題だと言わざるをえないのだろう。


(だからやっぱり、わたしは、)


 はぁ、と零した溜息は鉛のようだった。






***








 ララにとって人生で一番の後悔は間違いなく五年前に当時の第一王子に恋愛的な意味で接近したことだ。



 ララはとある男爵家の庶子で、男爵である父の前妻が亡くなったため彼女の母が後妻として入ったことで貴族令嬢として迎えられた。初めは平民との生活様式の違いなどに戸惑っていたララだったが、元来要領が良いこともあって必要なマナーや知識は順調に身につけることができた。


 貴族令嬢として付け焼き刃ながらも恥ずかしくない程度に淑女の振る舞いができるようになったララは、貴族社会に入って半年ほどで王宮の夜会にも出席するようになった。


 初めての王宮での夜会。彼女は早速困った事態に遭遇した。


 王宮で開かれる夜会では当然ながら開放区画も広く、王宮を初めて訪れた彼女は口紅を直すために入った化粧室から会場の大広間に帰る途中で迷ってしまったのだ。


 人気のない廊下に迷い込み、大広間への戻り方を探して右往左往していると、金茶色の髪の美しい青年が従者らしき人を何人か連れて声を掛けてきた。彼は紳士的にララを会場近くまでエスコートして去って行った。


 その青年こそ当時まだ王太子に内定したばかりの第一王子フィリップであった。


 ララは「物語の王子様」然とした彼に一目で心を奪われた。


『ララは可愛いわね。物語のお姫様みたい。だからきっと、素敵な王子様が迎えに来てくれるわ』


 母が彼女によく言ってくれていた言葉。その言葉通り、物語から抜け出てきたような王子様が自分を見つけてくれたのかもしれない。


(わたし……この人の「お姫様」になりたいな)


 珍しい平民出身の男爵令嬢ということで、平民からみたあれこれの話をするとフィリップは興味深そうに瞳を輝かせ、今度また聞かせてほしい、と言ってくれた。


 最初は「今度また」なんて社交辞令かと思っていたが、後日ペリン男爵邸にフィリップから王宮のサロンへの招待状が届いて彼女は飛び上がりそうになるほど歓喜した。


 そして、迷っていたら王子様にエスコートされたという劇的(ドラマチック)な出会い方をした夢見がちな十五歳の少女は、自身が彼のお姫様であるかもしれないという期待を抱いた。


 ……「元平民としての意見を聞きたい」という、王宮に呼び出された名目がまさかフィリップの本心からのものだとはその時は思ってもみなかったのだ。


 ララは、自分の容姿にそれなりの自信があった。よく愛らしいと称される小動物めいた顔立ちに、華奢だが女性らしい曲線を備えた身体つき。男性からの受けは悪くない方だと思っていたし、下級貴族の子息たちからは贈り物や手紙を貰うこともしばしばだった。


 だからフィリップから声が掛かったのも、少しは自分を意識してくれたからだと思っていた。フィリップには婚約者がいるのは知っていたが、幸いこの国は側室を認めており、当時の国王にも側室が一人いた。


(もしかしたら、わたしにもチャンスがあるかも……っ!)


 彼女は周りの冷たい視線やヒソヒソと陰で囁かれる針のような言葉をものともせずにフィリップに近づいていった。


 しかし彼はアプローチをしても中々反応を返してくれず、かといって拒絶もしなかった(後々、彼が女性からの好意に非常に鈍いだけだったことが判明した)。痺れを切らしたララは両親と共にフィリップの外堀を埋めるために彼とララが恋仲であることを仄めかす噂を流した。


 彼女を傷つけようとする「悪意」の理由なんて、気にも留めていなかった。


(だって、彼が好きだったから)


 賢く美しい王子様。柔和な笑みを向けられると胸が高鳴った。的を射た意見を述べると褒められるのが嬉しかった。優雅な仕草が、穏やかな声が、きらきらと輝く金緑の瞳が、たまらなく好きだった。


 苦難を乗り越え、きっと最後にはこの人の隣で自分は幸せになるのだと思っていた。——でも。


『お姫様は王子様に迎えられていつまでも幸せに暮らしました』


 そんなハッピーエンドのおとぎ話の女主人公は自分ではなかったのだと気づいた時には全てが遅かった。







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