肌さらし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん、つぶらやくん、もう日焼けしたんじゃない? ほんのり肌が黒くなっているような気がするし。
試しにさ、腕時計外してみてよ……うわー、もう色の違いができかけてる。あんたが暑がりで半袖好きなのは知っているけど、ぼちぼちお肌の手入れも考えた方がいいんじゃない? マジで。
聞くに、日焼けって火傷の一種なんでしょ? 夏になったら肌を焼きにいくって人。ときたま見かけるけれど、遠回しに「自分からケガをしにいく」っていってるようなものよねえ。
え、私? 断然、肌焼きたくない人よ。
服とか日焼け止めも気をつかっているけど、食べ物も気をつけてるわ。イチゴとかトマトとかは、日焼けを抑える効果を持っているらしいわね。
それに、昔にちょっとおかしなことを体験してからは、あまり陽の下に肌をさらしたいと思わなくなっちゃったし。
――その時のこと、話して欲しい?
うーん、まあネタにはなるかしらね。いいわ、じゃそこらへんの店にでも入りましょうか。
私が小さいころ、父さんの仕事の関係で引っ越した場所での話よ。
引っ越した直後こそ、天気がご機嫌斜めな日が続いたわ。私は入学した当初から、クラスメートたちとお互いの雨具を見せっこすることになった。
でも空が晴れ渡った数日後。夏日だというのに、厚着で登校してくる子の多いこと多いこと。
授業が始まっても、彼らは上着を脱がない。そのくせ汗をダラダラかいて、机の上に垂れるのをしきりに拭うさまは、まるで拷問を受けているかのように思えたわ。
対する私は、レイヤードの半袖Tシャツに、ミニ丈のギャザースカート。惜しげもなく手足の素肌をさらしていたわ。この格好でもむしむしする空気なのに、どうして厚着組はこんな苦行を重ねるのか、私には理解できなかった。
それからはしばらく天気の良い日が続く。
厚着をする子はじょじょにその数を増し、ついにはクラスで私だけが軽装になってしまう。まるでみんなが、南半球へ旅立ってしまったかのごとき様相だった。
「そのかっこう、暑くない?」と、突っ込んだことは数知れず。対してみんなは「これでいい」の一点張り。
何がいいのかは教えてもらえず、さっぱり分からなかった。試しに、家で同じような厚着をしてみたけれど、とうてい耐えられるものじゃなく。すぐ涼しい服装に逆戻りしちゃった。
――みんながそろって寒がり……ってわけじゃないよね。たぶん。
私はシャワーを浴びながら、つい自分の身体中をぽんぽんと叩いちゃったの。
疑惑がますます膨らんだのは、二週間後のこと。
私の通学路の途中に、犬を飼っている一軒家があったの。玄関先には小さい犬小屋があって、ポメラニアンがそこにつながれている。そばの壁には「猛犬注意!」のステッカーも。
ポメラニアンはよく噛む、よく吠えるとは、一部でささやかれていること。ただその子の場合、私が家の前を通りかかっても、たいていは小屋の前に敷かれたタオルのうえで座り込んでいる。
ときたま吠えてくることはあっても、そのたび家の中から「うるさい!」と声だけが響く。それを聞いてすごすごと引っ込んでしまう姿が、ちょっと気の毒に思えてきちゃった。吠えることは飼い犬にとっての本懐のひとつでしょうに、それをしたら怒られるんだもの。
そのポメラニアンだけど、登校するときも下校するときも、タオルの上でうずくまっていたわ。炎天下で暑いでしょうけど、狭い小屋の中じゃもっと蒸し暑いと判断したのかも。
ろくに散歩すらさせてもらえないのか。初めて会った時より、ぶくぶくに太り出しているのが、はためにも分かったわ。
――ポメラニアンって、たしか他の犬よりも、肥満のときの危険が大きいんじゃなかったっけ?
そう思いつつも、他人の飼い犬のこと。おせっかいを焼く義理もなく、私にできるのはせいぜい、教室での話題の種に取り上げるくらいだったの。
で、そのことを話した帰り際。
クラスメートのうち、アームカバーをつけた二人が帰りの挨拶と一緒に、席を立つ。一番廊下に近い机ということもあって、私が腰を浮かせたときには、もう姿が見えなくなっていた。
なにか急ぐことでもあるのかな? とのんきに考えながら、ゆったりと帰路につく私。けれどその途中で、私は向こうから歩いてくるあの二人にかちあったの。
おかしい。知り合ってまだ日は浅いけど、ここと彼女たちの家が反対方向なのは、私だって分かっている。なのに、どうして向こうから彼女たちがやってくる?
二人は私のことなど眼中にないかのように、会釈ひとつなくすれ違った。その口には仲良く棒をくわえながらね。
アイスとかにつく、木の棒じゃなくて銀色に光る棒。すれ違い際に、ほんの少しだけに追った臭いは、ステンレス独特のものだったわ。
買い食いをしたとは考えづらかった。あの手のスプーンはお菓子についているより、家具として並んでいることのほうが多いから。
なら、彼女たちは自宅から持ってきたのかも。時間的に考えれば、あらかじめランドセルの中へ仕込んでおいたとみて、間違いない。
――じゃあ、いったいそのスプーンを何に使ったの?
彼女たちの顏に張りついていた笑顔が、妙に頭に引っかかっていた。
翌朝。パジャマから着替える段になって、私はがくぜんとしたわ。
両腕が膨らんでいる。いつもの五割増しくらいに太くなった腕は、握るとぷにぷにした感触と一緒に、柔らかく形を崩す。でも手を離すと、あっという間に元へ戻る姿は風船を思わせたわ。
こんなかっこう、誰にも見せたくない。
私はその日はカーディガンをまとう。特に涼しい朝でもないのに、急に長袖をチョイスした私に、親は少し首をかしげたわ。けれど、追及はしてこなかったの。
昨日、彼女たちのことでいっぱいだった私は、まともに気を払えなかったあの家の前。ポメラニアンの様子を見ようとしたけど、彼はチェーンを残したまま姿を消していた。
考えてみると、彼女たちとすれ違った延長線上に、この家はある。万が一、私の想像が合っていたとしたら、ポメラニアンは……。
正直、逃げたかったけれど、きのうすれ違った彼女たちがタレコミをしていたらまずい。逃げたと分かったときの手を、すでに打たれている恐れがある。
ここは知らんぷり一択。無知なおバカを装って、一日を平然と過ごす。その作戦でいこう。
「おっはよー」
平静を装って、私は教室に入りがてら挨拶をする。
あの二人はまだ来ていない。男子も女子も、私にちらほら挨拶を返しては、各々の席でだべるのに戻る。
「ねーねー、昨日の番組見た?」
ランドセルを置くや、隣の席の子が声を掛けてくる。
転校当初からお世話になっている子。つい意識がそちらへ向いたところで、
「ご開帳〜!」
いつの間にか後ろにきていた男子が、私の腕を。厳密にはカーディガンの袖をつかんだ。あっという間に肩近くまでたくし上げられ、私の二の腕が露わになる。
朝見たときよりもひどかった。腕はただ膨らむばかりじゃなく、全体的に黒みがかかっていたの。
金網の上で焼くおもちと似ていた。日焼けなぞ通り越して、私の腕は焦げていたのよ。
「いっただっきまーす」
あの声を掛けてきた子が、いつの間にかスプーンを握っている。きのう、あの二人が持っていたのと同じ、ステンレス製の。
慣れた様子で、私の焦げ付いた肌に呑み込まれていくスプーンの先。ぷつりと音がしたかと思うと、私はとたんに強い眠気に襲われる。
あっという間に重くなるまぶた。そのわずかな時間で私は、クラスメートたちが私めがけて殺到してくるところ。腕の先から、濃いバニラエッセンスの香りがあふれ出ていること。
そして、膨らんだ腕の肉をスプーンでぶちぶちとすくい、夢中で口へ運んでいく隣の子の顔が見えたの。
ふと、私は名前を呼ばれて目を覚ます。
すでに先生が教室へ来ていて、みんなも席へ座っている。朝の会の出席確認の時間だった。
わけもわからず返事をしてから、カーディガンの袖をまくってみる。膨張した腕の姿はすでになく、昨日までの私の腕とほぼ同じ太さになっていた。
ただところどころ、虫に刺されたように赤みが差している。クラスメートはというと、隣の子も含めて、いつも通り。あの凶行を働いた気配など、みじんも残っていなかった。
やぶへびを避けるべく、私は話を蒸し返すのを避ける。下校するとき、あの家の前でポメラニアンの姿を見たわ。家の人に連れられていたのかもしれないけど、あの太っていた身体は、元のようにちんまく戻っていたの。
私はそれ以降、できる限り肌をさらす服を避けるようになる。
下手に陽に照らされたら、また彼らが好むような味に、身体が調理されてしまうかもしれないから。