死んだ兵士と虎目石
「水晶の魔女」シリーズ第15弾。ついに登場「医療の魔女」アユミ。
このシリーズを書き始めた当初から、アユミの活動場所はアフガニスタンという設定だったのですが……まさか、あんな事件が起きるとは、思ってもいなかった当時でした……
「水晶の魔女」一門、七大魔女の一角たる「修辞の魔女」アヤは、既婚者である。夫は「錬金の魔術師」リョウ。ところで、二人には子どもがいる。それも双子である。男女の双子である。
帝王切開での出産の際に、とり憑かれたように「女の子がお姉ちゃん、男の子は弟で」とアヤが繰り返し訴えたからなのか、姉と弟として二人は生まれた。
そして、すくすく育つこと七年。今や、ランドセルの小学生だ。
姉の名は倫。弟の名は練。
幼少時から英才教育など、してはならない。迂闊にこの道に近づけば、下手をするとアンリの二の舞になる。アンリは己が時間をかけて、ようよう習得した諸々を、妹弟子たちにサラリサラリと覚えられて、嫉妬で道を踏み外したのだ。
そういうわけで、なるべく魔法には近づけたくないのが、二人の親心である。
しかし、この世には「血統呪術」などというものが存在する。先天的に生まれ持ってしまう高い呪術適性が、うっかりと術を行使してしまう事例がある。
封印の意を兼ねて、だから二人は、子どもたちが赤ん坊の時に、色々の水晶をこっそり試した。知らぬは本人たちばかりなり。子どもというのはやはり呪術的感受性が高いらしく、合う石とそうでない石とで、がらりと反応が違った。もっとも、当分の間は内緒である。
家族でお揃いなのよ、と言って持たされているキーホルダーが、実は「詩歌の魔女」門下の双璧による全力の護符など、双子は想像もしていないだろう。
「……その分やと、双子の成長は順調のようやね」
「順調です……いろいろな意味ですこぶる順調で、今から寒気がします」
「弟子を取ってもう十年にもなるのにね」
「いや、エリカ姉さん、弟子と実子の勝手が同じわけないでしょうが」
ここに集うは三人の魔女。
すなわち「修辞の魔女」アヤ、「未知の魔女」エリカ、そして「医療の魔女」アユミである。一門屈指の頭脳派ばかりだ。普通、こんな会合は「工芸の魔女の村」の「万象館」でするのだが、今回は諸事情あって、アヤの店の「実験室」である。
一番の理由は、現在エリカがこちらに滞在中だから。
二酸化ケイ素を主体とする鉱物を媒介にして魔法を使う「水晶の魔女」一門で、頭抜けて高い能力を持つのがエリカである。
アフガニスタンでの医療支援活動に従事するアユミは、今回、呪術装備更新のために日本に戻ってきた。明らかに「医療」感のないあやしげな活動を、わざわざ向こうでやるようなリスクは背負い込めなかったのもあるが、自分のリズムと水晶のリズムを同時に「読み」「解き」しながら、調律を実行できるような技量の持ち主が、向こうでは見つからなかったこともある。
キリスト教圏で魔術を使うものが異端であるごとく、イスラーム圏でも魔術を使う者は悪魔の手先だ。土着の呪術師はどこにでもいるが、イスラーム原理主義過激派政権が支配をしていた国では、そういう存在は今も息をひそめている。
アフリカの一部地域などでは、現在も呪術師が強い発言権を有する。たとえば知っている人は知っている通り、サッカーの国際ルールには「魔術の使用禁止」が含まれている。だが、試合に勝つために呪術師と契約を交わす事例は、それでも後を絶たなかったりする。
いわく、相手ベンチの出入り口の下に、呪いのアイテムを埋めておく。いわく、相手ロッカーに豚の血をかける。後者はただの嫌がらせなのではないか、とも思いそうだが、やっている方は真剣であるし、やられている側も呪術と理解している。とある呪術師曰く、アフリカのサッカーの試合は、各チームと契約した術師同士の対決も見ものなのだそうだ。
往々にして、一神教は呪術と相性が悪いと見なされがちである。
だが、土着の呪術師が一定の地位を得ながら、キリスト教と共存している地域もある。南米アンデス地域など、実に興味深い事例だ。インカ帝国で有名なペルーでは、現地の呪術とキリスト教とが、奇妙な相互補完関係を構築している。その典型例が、復活祭前の大盗掘祭りである。
いわく、キリストが磔刑に処せられた聖金曜日から、復活祭までの期間は、キリストが全人類の罪を贖うべく「完全なる死」を経験している。であるからして、この期間中だけはキリストは死んでおり、つまり、この期間中にはキリストの加護は機能しない。であるから、その期間中に悪魔が自分たちを呪えば、それを防ぐのはただ人には不可能である。ただ人には不可能であるということは、ただ人ではない者ならばそれが可能だということである。ただ人ではない者とは、すなわち、呪術師である。
キリスト教が伝えられる遥か昔から、アンデス地域の人々は呪術とともに在った。キリストの加護が消え失せる(と彼らは信じる)聖金曜日から復活祭までの期間、彼らは古きまじないの力によって、悪魔の呪いから身を守るのである。キリストが死んでいるので、これは仕方のないことなのだ。
古きまじないの力は遺跡の遺物に残っている、とされる。遺跡には、古のまじないパワーが込められており、そこから掘り出したものを持ち帰れば、古きまじないの力で身を守ることができる。だから人々は盗掘をするのである。
ではなぜ、それが「盗掘祭り」になるのか。
遺物には、たしかに古きまじないの力が込められている。しかし、遺跡から掘り出してしまうと、コンセントから引き抜かれたモバイルバッテリーのごとく、まじないパワーは減っていく。だいたい一年ぐらいで、遺物の呪力はゼロになる。であるので、また新たな力ある遺物を求めて、彼らは復活祭が近づくと、キリストが死んでいる間我が身を守るグッズを探しに、時には村を挙げて近所の遺跡に向かい、自分と家族の安全保障のために盗掘にいそしむのである。悪魔こわい。呪いこわい。神様はしんでる。仕方ないよね!
なお、インカ帝国といえば黄金郷伝説が有名だが、盗掘者と呪術師の間にも、奇妙な協力関係がみられる。
出土物の闇マーケットにおいて、もちろん高値がつくのは金製品である。しかし、呪術的パワーが強く宿るのは、金ではなく青銅だと理解されているのだ。青銅製品は、闇マーケットにおいては、金のような高値はつかない。盗掘者は金が欲しい。呪術師は青銅が欲しい。
古代アンデスの人々も、墓荒らしを甘受するつもりはなかった。遺跡には、盗掘者に対する呪いが厳重にかけられている(と、彼らは確信している)ので、盗掘者たちは作業開始にあたり、呪術師に呪いに対抗する術をかけてもらう。呪術師は、青銅製品が出てきたら、それを自分に渡すという契約で、この呪術行使を承諾するのである。
遺跡から掘り出されたものは、もちろん呪力が低下していくのであるが、呪術師が保有するものは目減りがしにくいらしい。そして、考古学者たちにとっては実に災難なことに、大きくて立派な青銅製品であればあるほど、呪術師の呪力は高まり、格も高まるとされている。ライバル呪術師が立派な青銅製品を手に入れたと聞くと、呪術師たちは盗掘者たちをけしかけ、より立派な青銅製品を手に入れようとさえする……といわれている。
故意に嘘はつかないが、人を楽しませるために潤色はする「律動の魔女」リオの話である。全部まるきり本当ではないかもしれないが、百パーセントの嘘でもないだろう。
興味深いのは、アンデスでも呪力が高まるとされている青銅が、古代東アジアにおいても、呪術関連で使用されていたことである。特に、鉄器と青銅器が同時に流入してきたために、青銅器時代・鉄器時代の区分のない日本において、その傾向は顕著である。
古墳時代以前の日本においては、鉄製品がもっぱら実用であったのに対し、青銅器は主として儀礼祭祀で使用されたと考えられる。鉄の加工には青銅を超す高温が必要であり、青銅の方が加工が容易であったとしても、それでも呪術にあえて青銅が使われたのは、その性質も関連するのかもしれない。
アヤの開拓する「魔道」では、一門の「適合水晶」と同時に、適性を最大限に引き出す「最適金属」を探し出す。
たとえば「破理の魔道士」レイは、蜜柑水晶を「適合水晶」とし、鉄を「最適金属」とする。台湾の外省人にルーツを持つ彼女は、二つの「張」姓の能力を発現しており、そのどちらも鉄にきわめて親和性が高い。彼女は戦闘にアルミニウム剣を用いるが、本当の本領発揮は鉄剣だろう。
ただし、彼女の全力全開は、どう考えても殺戮になる。張飛の能力と推定される「強化」は、セーブできる可能性がゼロではないが、張献忠の能力と推定される「狂化」は、制御不能だからこその「狂」である。一代で四川省を無人の荒野にしたとまで言われる、中国史上屈指の大量殺人鬼。今なお廟に祀られる「タタリ神」。それが張献忠である。
ゆるふわ女子の中に、間違いなくその能力が潜んでいるのを「見」た瞬間、血統呪術「鑑定」を持つ二人は、ともに「げえっ」という顔をした。その一人はエリカであり、もう一人は曹文宣である。
リョウの第一師匠が、今では曹と手を組んでいる劉貴深であったこともあり、アヤの「最初の四人弟子」は、全員が曹文宣と顔見知りだ。そして、中国系の回路の情報は、全員が彼に抜かれている。特にレイの中に残っていたという「燕」の回路は、彼の「十七国計画」最大の山場と予想される「戦国の七雄」を解決するために必要不可欠だそうだ。少なくともレイは保険として、今後も命は保証されることだろう。
同じく「四人組」の一人である、ベトナム系のアインにも、古代中国系の血統呪術回路が出ている。こちらは春秋期のクリアに必要らしい。
アインは紅玉髄を「適合水晶」とし、青銅を「最適金属」とする魔道士である。四人の中では最もシンプルで「古代的」な適性を見せる。いわゆる「守護霊憑依型」だ。
ただし、同じく憑依体質に分類されるアヤの最新弟子マイが、ありとあらゆる霊を引き寄せ招き入れるホイホイであるのに対し、アインはゲート認証システム型の「憑依体質」である。ベトナムで、米兵の怨霊相手に戦闘訓練を積む羽目になっても、なお彼女がピンピンしているのは、彼女のセキュリティの強固さを物語っている。
さて、中国系の回路というと、アヤの夫たるリョウもまた、その一人なのである。
曹文宣と劉貴深が、手に手を取って大暴走を始めたら、最悪の場合は億単位の死者が出る……と「予言」した先代「天文の魔女」孫高明は、計画を強制終了させるために、二人の術師を選抜した。一人は現「天文の魔女」サヤ。もう一人がリョウである。
もっとも、リョウの回路は不完全であり、現時点では起動できない。彼の保有する血統呪術回路は、かの『三国志演義』で神算鬼謀をめぐらせる天才軍師・諸葛亮を含む、諸葛一族のものである。ただし、不完全故に諸葛亮本人とは断言できないらしい。あの曹文宣が言うのだから、まさにその程度の断片である。
一方、孫高明が大事に育てた隠し玉・サヤの方は、ほぼ完全に近い司馬一族の呪術回路らしい。諸葛亮のライバルとして有名な司馬懿ではなく、八達とよばれた司馬一族の優れた者たちの能力を、重複して発現できるらしい。ただし、彼女自身が未熟なために、まだ十全には機能しない。
つまり、今は「十七国計画」を実行するにあたって、最高のタイミングというわけだ。
「マイの血液サンプルが、どうやら曹の手に渡ってしまったみたいで……動き始めてしまったみたいなのよ、あの『計画』が……」
「例の夏商周、三代の血統回路を全部持ってるって子?」
「それも、見事に全部、建国者のを」
アヤが、頭痛を堪えているような顔で告げる。エリカの「全部建国者」という注釈に、アユミは顔をしかめた。そんなことがこの世にあるのか。いや、あるのだ。
エリカの保有する血統呪術回路数も異常であるが、彼女は術師家系の出身である。故意に「品種改良」をされた血統の持ち主であり、全部盛りもあり得なくはない家系だ。
しかし、マイは術師家系の出身者ではない。つまり完全なる偶然の産物だ。
その偶然を「予言」するのだから、孫高明も寿命を相当に削ったのに相違ない。
「で、それが双子とどう関係するん?」
「あの子たちも、中国系の血統呪術回路を持ってるみたいで……まだはっきりとは『見』えないけど、どうも曹に手を出されるような古さを感じるのよね。私のベースは環地中海だから、結社の手はあまり私には向いてこないけれど」
「アンタもヨーロッパ系術師からすれば、垂涎ものの回路持ちやで?」
「撃退能力のある私と、『ま』の字も知らない双子とでは、危険度が違うでしょう?」
「……嘘やろ」
「アユミさんの言いたいことは、何となくわかりますよ。ええ、エリカ姉さんの口から『危険度』なんて、そんな常識的な言葉が出てくるなんて、通常は夢にも思いませんよね」
常識は粉砕するもの。むしろ歯牙にもかけぬもの。それが「未知の魔女」エリカである。
だが今回の状況に関しては、エリカも「危険度」という語を出さずにはいられない。
繰り返して言うが、アヤの子どもたちは小学生である。
そして、エリカは選りすぐりの魔術師の血統たる「ワイズマン」に育ち、一門に預けられる以前から「ま」の字に親しんでいたクチである。番の石もへったくれも知らない時期から、本能的に術を行使できたような特殊な人間である。そういう意味でも、エリカは「水晶の魔女」一門の異端だ。
だが、どのぐらい異質かの自覚は足りないが、異質である自覚はあるらしい。
「リョウさんの回路、たしか諸葛氏やっけ?」
「孔明じゃないと思うけどね。第一、孔明の回路でも、曹操には勝てない。劉老師もあの人に与しちゃった今、孫先生が何を理由に彼を『保険』の一つに指名したのか……本命はどう考えてもサヤなのよ。三国時代を終わらせた司馬一族。曹も劉も潰せる数少ない素質」
「……何かウラがありそうやな」
「諸葛氏の知名度を『おとり』にして、何か隠しているような気配があるのよ、ね……ただ、漠然としてて私にも『鑑定』しきれない。ただ、私に読めないということは、曹にも読めないということだから、切り札は伏せられたまま、とも言えるのだけど」
「アンタ、やっぱり『計画』関係なしに、欲しがられるんとちゃうん?」
「血液サンプルを一滴ほど融通したので、しばらくは大人しくしてくれるかな、と」
「アホちゃうんか、アンタ……」
まぁ、もう渡してしもうたモンはしゃあない、と、アユミは肩をすくめた。
マイから手を引かせるための取引だった、と言われれば、さらに継ぐ句は特にない。
今までは「十七国計画」の起動条件がまったく分からず、マイが拉致されてバラバラ死体にでもされるのでは……と、西洋系の黒魔術結社にありがちな最悪の想定をしていたが故の、厳重警戒だ。
血液サンプルだけで勝手に開戦するなら、あとはもう結社内部の話だろう。こっちを巻き込まなければ問題にはなるまいと、アヤもアユミも結論づけた。
「リョウさんに、中国系の血統呪術回路があるんは、確定……で、問題はアンタやな、アヤ。アンタの呪術系の素質は、ほとんど新規のモンや。仕事柄、世界じゅうの血統呪術回路を『み』る機会に恵まれたけど、アンタと同じ気配の系統に会うたことがない……アンタは突然変異種やな。歴史的蓄積はない代わりに、可能性に満ち溢れとる」
「ある意味、私とは対極の『魔女』よね、アヤは」
「リョウさんの素質と、アンタの素質とが、双子のDNA上にどんな突然変異を引き起こしとるんかは、まったく見当がつかへん。ただし『ま』の字の関係者の誰が見ても、アンタら家族は興味深い研究対象やで。一門を離れたら、誰も身辺の安全は保障できひん」
アユミの声音は脅すように低かったが、アヤは分かってます、と軽い調子で頷く。本当に分かっているのだろうか。途上国だとか何だとかで、呪術適性の高い人間がどんな目に遭っているのかを、様々見聞しているアユミとしては、平和ボケしているのではなかろうか、という気しかしない。
しかし人間は、自分の足元で地雷が炸裂しない限り、頭上にロケット弾が降ってこない限り、どこかで自分だけは大丈夫だと思ってしまう存在でもあるのだ。
何はともあれ、調律しましょう。
そう言い出されて、話を切り上げられてしまうが、装備更新のために帰国したのは事実である。アユミは医療鞄から、大量の紫水晶をちりばめた装備を取り出した。
ちなみに「灯火の魔女」テルに無理を言って手配させたあの晶洞の中には、向こうで活動する時のブルカを入れている。もちろんお洗濯はバッチリ、ここから丸三日、きっかり72時間を、「音楽の魔女」チームの特別なカセットテープを聞かせながら寝かせる。
そのとおり、CDではない。カセットテープである。さもなくば、昔懐かし黒ドーナッツのレコードである。デジタル音源は、人間の耳には同じように聞こえる音を、段階で区切ってしまっている。しかし、この音を響かせたい相手は人間ではないのだ。繊細な全ての音を記録するには、アナログ音源でなければならないのである。
で、さらに乳香で燻して、呪術行使の基礎礼装としての下準備ができる。
さて、アユミの専門は産婦人科である。イスラーム圏で婦人科の女医は重宝される。
彼女が医学部でこれを専攻に決めた理由は、魔女というものは元来は産婆だったらしいから、という何ともボンヤリしたものだったが、多分ああいうのを「よばれた」と言うのだろう。巷にありふれた言い回しを使うのならば、運命というやつである。そうなる流れだったのだ。
この世には、抗い得ない動きがあることを、魔女は魂で受信する。
ブレスレットにピアス、ペンダントにブローチ、ベルトバックル、髪留め。
なお、アユミの最適金属は鉄だが、装備の金具はすべてサージカルステンレスである。アフガニスタンの冬はとても厳しいが、夏もとても厳しいのである。錆びる装備など言語道断だ。
で、並べられた装備を見て、エリカは白目をむいた。
「……何をどうしたら、こんなに汚れるのでしょーか?」
「日々のお手入れは欠かしてへんけど」
「限界まで使い倒して瀕死じゃない! いくつかはもう、取り換えた方が良いぐらいよ!」
「お仕事きばってくれたんやなぁ……」
おおきに、とアユミは手を合わせて感謝の念を、装備品に注ぐ。はいはい、こっちですよ、と、アヤはアユミの腕を引っ張って、リラックス間違いなしのアームチェアに座らせた。美容院にあるような、ゆったりくつろぎの品である。
はーい、深呼吸しましょうかー、ゆっくり息を吐いてー、大きく息を吸ってー、と、これから催眠術にでも掛けるような調子で、アヤはアユミの呼吸のリズムを整えていく。
規格サイズの石ばかりで作っておいて良かった……と、エリカは予備の紫水晶の裸石を詰めた箱を取り出した。25×18、18×13、14×10、10×8、8×6。同じサイズの石が詰まった箱を、装備を並べた机の上に広げていく。アヤは加工の道具を、可動式のワゴンの上に並べる。準備完了。
あ、あ、あー……と、エリカは喉を慣らし、音叉を叩いた。澄んだ音が響く。それと全く同じ周波数で、エリカは、アー、と長く声を伸ばす。音叉の振動を止めても、声に共振してまた鳴り始める。
左右の手を肩の幅に広げ、人差し指以外の指は軽く折る。開演を待つ指揮者のようである。
エエーイーエー、エエーエーアー、アアーアーアー
オーケストラの指揮を執るように小さく、片から腕、指先までを振りながら、エリカは朗々とうたいはじめる。歌詞に意味はない。空間と共振し、石と共鳴する波長を探しながら、よく通る音を並べただけだ。
魔女の「目」に切り替えたアヤとアユミの目にも、石たちの反応が見えてくる。
いくつかの石は、死んだように反応がない。エネルギー切れなのだろう。何をどうしたらここまで汚れるのか、と言われたのも、致し方のないことかもしれない。アヤもアユミも、これらの装備の初期状態を知っているのだ。恐ろしいほど「くたびれて」いる。
そんなことを言うと、石のパワーのポテンシャルが云々とか思われそうだが、腐ってもロマンは叩き潰していく派の「水晶の魔女」一門である。つまり褪色したりひびが入ったりと、過酷な環境下で使い込みに使い込み倒されて、「想起術の媒体」として行使できるレベルではなくなった……というわけだ。
紫水晶は、長時間日光を浴びると褪色するものがある。
アアーアーエー、エエーアーアー、アーアーアアー
オーオオーオーオー、オオーオーオーオー
エリカの声が一気に低くなる。地に響くような深さと広がりがある。
エエーエー、エーイーイエー、アーアーオーオオー
音程の上下が激しくなり、より「音楽」めいた調子を持ちはじめる。朗々と高らかに、低く厳かに、時には二重声まで交えながら、複雑な旋律を組みはじめる。
うたい終えると、エリカは水で喉を潤しながら、平ヤットコでいくつかの石の留め爪を、一本だけ立てていく。交換対象という意味である。その数は、一つや二つや三つではなかった。
「……姉さんの歌でも『起きない』なんて」
「それだけ苛酷なんでしょう。さて、と……代わりに入れる石を選ばないとね」
アヤはルースの箱を、アユミの膝の上にのせた。エリカはまた歌いはじめる。エリカの歌のペースに合わせて、アユミも声を響かせる。きれいな和音が形成された。
アヤの「魔女の視覚」に、ぱちっ、ぱちっ、と火花が散る。真っ白い閃光を散らした石を、アユミは機械のボタンを押すように、とん、とん、とん、と順番に叩いていく。アヤは、アユミの叩いた石の番号を素早くメモしていく。手が止まったら、次の箱を膝へ。エリカとアユミの歌は続く。
全てのサイズの箱から「波長の合う」石を選別すると、歌が終わる。
水ちょうだい、とアユミが訴える。はいどうぞ、と渡せば、アー、と何とも中年じみたしゃがれ声を洩らしながら、アユミは水を一息に飲み干した。エリカも水を飲んでいる。
これで差し替えの石は選べた。あとは、元から嵌めてある石とのバランスを「読み」ながら、配置を決定する。ひとまず、第一段階クリア、といったところだ。
ドゥッドゥッ、ドゥドゥッ……と、また新たな歌を歌いながら、エリカはヤットコで解体作業を開始する。
「今後も『数打ち』で行くんですか?」
「そらぁ、質の高いやつ持ってっても、盗られたらなぁ。最低限の機能だけで良ぇわ。あんまりあからさまに呪術くさかったら、それこそ危険やし」
「人によっては、ただのアクセサリー以上の意味持ちませんよね、アユミさんの装備」
「そのぐらいが安全やねん……そのぐらいで丁度良ぇねん……」
魔術を使わない者にさえ命の危険が迫り、使う者にはもっともっと危険な環境である。あからさまに「私はあやしい者です」と宣言するような装備など、自殺行為そのものだ。
ということは、あからさまに胡散臭いものでなければ、装備可能かもしれない。
「せめてブルカを『工房』製にしましょうよ」
「具体的に、どうする気やの?」
「裏地にエリカ姉さん謹製、幻惑効果の複素数術式図案のジャカード織を使いましょう。染料はアユミさんと一番相性の良いタイセイで。中性抽出鉄媒染ですよ」
「……そのぐらいやったら、まぁ良ぇかなぁ」
「よし、善は急げ! 早速『工房』に連絡をして、在庫の染色やってもらいましょう。伯祐に頼めば運んでもらえるはず。たしか今『村』にいるし」
カタカタとメールを打ち始めるアヤに、待って、とアユミが鋭く言った。
「待って……伯祐って、もしかして、曹文宣の息子の?」
「そうですけど、『計画』不参加組、かつ『魔導連盟』に中立宣言提出済みですよ」
「いや、待て待て……あの曹やぞ? さすがに『連盟』に喧嘩は売らへんやろうけど、息子になんぞ変な暗示を掛けるぐらいは、余裕でやりよるぞ、あのオッサンは」
そのアユミの言葉に、歌いながら作業を進めていたエリカが、あっ! と、突如とんでもないことを思い出したように、叫び声を上げた。
何、何やの、と、二人は戦々恐々とエリカを見やった。
ありとあらゆるものが規格外、『工芸の魔女』の村では「オバケ様」の二つ名をほしいままにする、「未知の魔女」エリカだが、たまに致命的なウッカリをやる。こういう唐突な叫び声をあげた時には、たいていろくでもない案件が待ち構えている……というのが、付き合いの長い二人の理解である。
「結社の末端、ひとり、匿ってたんだった」
アユミの脳みそは、いったん、理解を拒絶した。
そういえばそうだった、と、アヤは顔をひきつらせた。
便利に使い回せる「運び屋」というと、やっぱり伯祐だと思うわけであるが、計画不参加組とは言え、伯祐はすなわち曹の実子である。しかも、計画のために生まれた第一世代であることを示す「伯」の名。
第一世代「伯」には、色々の人体呪術実験が、過激に施されている。結社から足抜けした者を見つければ、いつの間にか刷り込まれていた「命令」が大暴発……などという事態も引き起こされかねない。
劉老師の方は丸め込み終えているし、一応は曹だって引き下がっている。ただし、停戦宣言とセット済みの未回収機雷の発動とは、別に連動しない。そういう意味では、むしろ手を引くと言った親父よりも、伯祐の方が、よほど危険である。
「……エリカちゃん、ちょぉっと詳しく、聞いても?」
「マイを襲撃した術師を、ついてた曹の呪いを外して、匿ってまー、す……」
「ちなみに、マイちゃん襲撃って何日前?」
「五日前ですね」
エリカの目が泳ぐ。盛大に泳ぐ。カレンダーを数えて答えたのは、アヤだ。
アユミは、ジトリと冷たい目になった。
「アッホちゃうんか、アンタはあぁぁ!!」
「だって殺人なんかしたら、ペナルティどうなるか分かんないんでしょ! ワイズマン系の日本の術師なんて、実質私しかいないも同然なのよ!!」
まぁ、それはちょっとどころではなく怖い。エリカが殺人などやってしまった暁には、ワイズマンのサンプルを欲しがっている連盟から、ペナルティと称して何をどれだけ要求されるのか、もはや想像もしたくない。血液一滴で曹文宣が引き下がるレベルの研究素材である。
「私、毒ガエルの幻覚で撃退した、としか聞いてへんかったんやけど」
ヤドクガエルの精緻な「ゴーレム」を起動したのは事実だが、バトラコトキシンなどというおぞましい毒を量産など、エリカはしていない。やろうと思えばできるが、やる気はない。むしろ「人造生命」と言っていい水準の出来なのだが、エリカ個人の分類では幻覚である。
そういうわけで、エリカの説明は、客観的には非常に不適切なものになった。
「幻覚で気絶させて、そのまま放置するわけにもいかないから……こう、人道的理由に基づく措置というか……いや、だって街中の公園にフル装備の呪術師が転がってたら、もうあやしいなんてものじゃないというか……でしょう?」
その言い分にも一理ある。一般人の暮らす街中に、わざわざ胡散臭い存在を、分かっていて放置をすれば、たしかに『魔導連盟』からも指導が来るだろう。
「……そんで、そいつどこに?」
アユミは険しい視線のまま、二人に問いただす。
アヤが歯切れ悪く、ここの「なんでも部屋」です、と白状した。
ほほぉん、と頷いて、まぁ後でカチコミさしてもらうで、とアユミは宣言した。
「今日か明日あたりで、結社の施した術式、全部解析・解体・改竄、完了できると思う、ます」
アユミの目つきが一向に緩まらないので、エリカの目が泳いで、変な語尾になる。
紘然、もとい星夜本人には「解呪には丸三日ぐらいかかる」と宣言したが、ヤマ場は昨日に越している。むしろ、アルコール度数の高い神秘薬まで使っても、昨日のうちに大掛かりな術の方を終わらせたのは、今日アユミという「一門」の大物が控えていたからでもある。
術師としては突出して有能なエリカにも、いくつか敵わないものはある。現実世界の医師免許。文学部卒かつ文学研究科修了のエリカには、医学部に入り直しをしなければ、手に入れることは出来ないものだ。
気まずそうに目を逸らすエリカを、まるで「鑑定」でも起動させたかのようにじぃっと見つめて、はぁ、とアユミは、長く長くため息をついた。
「……うん、もう、西洋系呪術結社に、アンタがバラバラにされる未来が見える気がする……優秀過ぎる。できひんこと探す方が難しいんちゃうんか。あの曹の術を完全解呪とか、正気の沙汰やない」
本当はもっと正気の沙汰ではない術を行使している。
ということを、アヤは黙ることにした。
曹文宣の術式を解析し、解体し、解除し、さらに占星術の「目くらまし」という、禁術まで行使したという話は、どう考えてもここで話すことではない。むしろ学会でも沈黙すべき内容に違いない。
そういうわけで、話題を少しずつずらす。
「『魔導連盟』に作ってある貸しを使って『未生の魔道士』に登録予定です。そうしたら保護権は連盟に移るので……まぁ『水晶の魔女』一門は、後見ですね」
「それやったら『適合水晶』見なアカンやん」
そのとおりである。伯祐だって、『工芸の魔女』の村に入るために、適合水晶は割り出してある。なお、アヤと同じ「番なし」こと無色透明水晶だった。
エリカは、チェック済みよ、と頷いた。
「今朝がたテストをしたけど、『虎目石』だったわ。石綿に二酸化ケイ素がしみ込んだ、アレ」
綺麗な金色に縞模様の浮き出る様は、金運のパワーストーンとして人気である。
だが、うーん、とアユミは唸りながら腕組みをした。
「中国では富を生む石みたいな扱いやけど、我々『魔女』『魔道士』としては、結構要注意な適合水晶と違うんちゃうんか」
「……やっぱりそう思うのね」
苦い顔をしたエリカに、そらそうやろ、とアユミは応じる。
イメージを行使する起点に「石綿」だなんて、物騒にもほどがある。
「なんでかな。一門で『虎目石』を『適合水晶』にしとるんは、転向組ばっかりやん。今回もかいな。それも全員が物騒な結社からの乗り換え」
「最年長が『工匠の魔女』タクミさん、で」
つまり「工芸の魔女」の村の長老である。御年ぼちぼち三桁。文字通りの最長老だが、軍国少年だった過去に、国家神道系の呪術結社で戦闘訓練を受けていた。マリどころかマヤにも遡れる超古参だ。
「他に有力なとこで言うと『冶金の魔女』」
「あー、『すずのや』の親方ね」
エリカが、あの人だな、とばかりにぽんと手を打った。
伯祐の西洋かぶれ装備を拵えている職人である。彼が緊急避難で先日逃げ込んだ際に、不具合を来した水道管のメンテナンスのため、水脈探知術用のペンデュラムに使う合金を計算していた、年嵩の男性だ。彼は東南アジア某国の戦闘礼装の職人集団からの移籍組である。
伯祐は名前こそ勿論のこと中国系だが、その装備はエルフ耳イヤーフックだったり、組み立て式の弓だったり、やたらとRPG趣味だ。そのシーフ職エルフみたいな装備で、杜甫の詩のイメージなどぶち込んでくるので、本当にキャラがぶれている。趣味と素質の不一致である。そこで趣味の方を優先してくれるのが、親方の優しさだろう。
「……エリカ、いっぺん伯祐の『鑑定』したら? ちょっと危ないモンないかどうか」
アユミの提案に、それは無理、とエリカは首を左右に振った。
「本人から依頼が来ない限り、越権行為で問題になっちゃう。私も伯祐も『魔導連盟』の方針には順守義務があるから。特に私は『連盟』がにらみを利かせてくれるから、自由に動ける部分も大きいわけだし」
「ウッソやろ……アンタが自分の立場を認識しとったなんて」
「同感です」
目をまんまるにしたアユミと、ぶんぶんと首を縦に振るアヤ。
二人とも私を何だと思っているのよ、というエリカの問いに対しては、非常識人、という端的な回答が二重奏で返された。ぐうの音も出ない。
「それに……ええと、ほら、私は甥っ子の件もあるから……」
「ああ、ユズル君」
正確には、エリカの従姉の息子である。エリカの血縁者で、高い呪術適性があるというだけで、それはもう大いに『魔導連盟』関係者をざわめかせた。
「あの子は双子と同等以上の『研究対象』やなぁ」
アユミの感想に、エリカは「させない」と宣言した。
「ユズルを犠牲にする気はないわよ。ワイズマンの系譜は、私で終わらせるつもりだった。魔術のために、何もかも注ぎ込むようないかれた家系なんて、潰えるべきなのよ」
それは、まさに曹文宣にケンカを売る言葉である。
そこには矛盾がある。
手を引かせる材料として、エリカは自分の血液を使っている。自分が希少なサンプルであることを、彼女は理解している。理解して、自分自身については諦めている。だが、先の世代を生む気はない。なかったのである。
「でも、あの子が何を選ぶのか……それはあの子の自由なのよ、ね」
遠い目をして、エリカは再び、ヤットコを手に取った。
台座から外した紫水晶を、ころころと転がす。
「生まれは選べないけれど、生き方は選べる。ただ、どう生きるかを強制する権利なんて、誰にもないのだけれど……矛盾まみれね、私。ユズルには『魔女』であって欲しいと思ってる。『魔術師』にはなって欲しくない」
「それはまぁ、自然な感情やと思うで、私は」
顔をしかめつつ、しかし慰めるように言ったアユミに、ええ、とアヤも頷いた。
「私もそう思います……だって私たちは、アンリを見たから。あれが『魔術師』の生き方なら、大切な人に、あんな生き方をして欲しいとは、到底思えない。私の夫は魔術師だけど……でも魔女でもある」
人の声を聴く存在であって欲しい。
自分の欲望のために、他者を操り煽る存在にはなって欲しくない。
「今、あの子、どのあたり?」
「ハイデルベルク。ゴールドスミスから、エーデルシュタインの系列をめぐってるはず」
またピンポイントにやばい地域を、とアユミが顔をひきつらせた。
第二次世界大戦の悪夢を現出した「番の黒魔術師」の片割れは、ハイデルベルク大学で神学の博士号を取得している。別にハイデルベルクという町が危ないというわけではないが、エリカ並みのアンテナ感度を持っていた場合、何らかの「残滓」に反応する可能性は、ゼロではない。
それでも、ドイツを選択したのには理由がある。
「意地でもイギリスは外したんやな」
「ワイズマンのロンドン家なんて、ガチガチの血統主義の牙城でしょ。絶対に近づけないわ」
その点、ヨーロッパ大陸部のワイズマン一族は、すでに壊滅している。
ロンドン=ワイズマン家は『魔導連盟』も非加盟である。距離を取るにあたって、もっともらしい理由はいくつもつけられた。ただ興味深いことに、アメリカに渡った「十三州ワイズマン家」の方は、連盟に加盟している。大陸を渡ったことで、開放的な気質になっているらしい。
「日本に戻ってきたら、水晶を探すかどうか、訊いてみるつもり」
「答えが『是』やったら良ぇな」
アユミの言葉に、エリカは静かに頷いた。
年齢は、アユミ>エリカ>アヤの順。
エリカはアユミに対して、タメ口になったり敬語っぽくなったり、どうにも距離をうまく計れないでいる。第一師匠が同一ではないのと、アユミの方が年上だが、入門はエリカの方が早い、というややこしい経緯による。
当初から設定はしていたが、ようやく明かせたアヤとリョウの家庭事情。あと「工匠の魔女」と「冶金の魔女」の物騒な経歴がチラリズム。
ユズルは連盟登録の「未生の魔道士」として、現在進路選択のための旅路にあります。エリカの血縁者の日系ハイレベル呪術適性人材がやって来た! というので、一時「魔導連盟」はドキドキワクワクが止まらない大騒ぎだった。
ちなみに「未生の魔道士」というのは、正式な所属が決まっていない状態で「魔導連盟」に登録する存在のこと。もちろん後見となる結社によって呼称は変わる。「未生の魔道士」というのは、アヤが弟子を取り始めて以降に定着した「水晶の魔女」一門が後見になる術師の呼称。
アユミが関西弁なのは、大阪の国公立大医学部卒という経歴による。
というか、元々サヤの図書喫茶があるのは神戸の設定だったので、その設定を堅持してたら、登場人物は全員関西弁になるはずだった。地域を固定しない方がいいな、と思って標準語にしたが、アユミはもう関西弁が揺るぎそうになく、よく移動するキャラだから別にいいだろ、と判断した。