2話 処理完了。
2話 処理完了。
パタリと静かに扉を閉めてから、天童は天を仰ぎ、
「ふぅう」
安堵に属する深めの溜息をついた。
(あとは、観察官と技術士官連中に根回しして、現場記録や射撃記録等の証拠を固め、なるべくはやく『主』に報告し、直々の許しを得れば、今回の件は、俺が『ちょっとしたマヌケ』をやらかしてしまった『不慮の事故』という事で片がつく)
遠い目をして、
(出世しておいてよかった。コネや名誉や権力を手にしたいと思った事など一度もなかったが、なるほど、こんなに便利なら、今後、何かあった時の事を考えて、より貪欲に求めていったほうがよさそうだな)
今までは、地位や名誉に対して、まだまだ払拭し切れていない『十代らしい潔癖の部分』から、どうしてもというか、なんというか、しかしやはり『薄汚い』という印象を受けていた。
しかし、『それで大事なモノを守れる事もある』と経験的に理解した今では、まったく真逆の、尊い概念だと感じるようになった。
(高瀬……下の名前はなんだっけ? まゆだったか……漢字はもう忘れてしまったな)
廊下をゆっくりと歩きながら、
(罪と罰)
なんとなく、頭の中で、そんな言葉が浮かんだ。
別にロシア文学は関係ない。
極めて単純な罪悪感の話。
(高瀬まゆ。お前の許しを請う気はない。恨みたいなら存分に恨め。ただし、その対象は俺だけに限定してくれ。作楽には罪を償う気があった。俺が邪魔しただけだ。呪うというのなら、俺が必ず受けとめてやるから、作楽には何もするな)
――司令室が設置されている校舎を抜けてすぐの所に生えている大きなクヌギの木陰で、
作楽がヒザを抱えてしゃがんでいた。
天童を見つけると、スカートをはたきながら、ゆっくりと立ち上がって、
「処罰は?」
「ない。当然だ。あれは、事実、ただの事故だからな」
「よかった……ぁ、でも、キャリアは?」
「損耗率が0ではなくなったが、逆に気が楽になった。あの『どうでもいい記録』……実は、結構、プレッシャーだったからな」
どうにか安心させようと、余計な言葉を繋いだ結果、
つい『矛盾した発言』をしてしまった。
(アホか、俺は。どうでもいいなら、プレッシャーになんか、ならんだろぉが)
天童は、気づかれないよう、心の中で舌を打った。
「……ごめん、久寿男」
ふいに俯いて、かすれた声をこぼす作楽。
(本当に、俺は、どうしようもないクソバカ野郎だな……どこまでいっても……ちぃっ)
天童は、自分自身の愚かさに対し、
心底イラつきながらも、
それを必死に隠して、
ソっと、作楽の頭をなでながら、
「キャリアなど、本当にどうでもいい。『降格でもしていれば、多少は思うところもあったかもしれんが、今回の事故くらいなら、査定に大きく響きはしない。上からすれば、人の命など、単なる数値。記録上の『損失1』でしかない。つまり、俺にとっては『何もなかった』のと同じだ。だから、謝るな。頼むから、忘れろ。お前のその顔を見る方がしんどい。俺を疲れさせるな」
「……」
「これからも、すべてうまくいく。だから、笑え。これは命令だ」
「……うん」
無理をしているだけの笑顔を見せられて、天童は、
(このままにしておくのは、まずいな。どうにかしないと……どうにか……)
★
演習で死んだ候補生は、世界から抹消される。
『そんな人間は存在しなかった』と、宇宙記録ごと改竄される。
つまり、今となっては、『高瀬という人間』など『最初から、この世界には存在しなかった』という事になっている。
高瀬の親でさえ、自分たちに、麻友という名前の娘がいたという事を、カケラも覚えてはいない。
ただし、肉親のような、死者と深いつながりがある対象の場合、
処理しきれない齟齬が発生する事が多いとかなんとかで、だから、
下位天使が、直接、『源記憶』の改竄に向かったりしたり、向かわなかったり……
「つまり、佐々波。根源的な世界記録の抹消に関しては、主のみの荒技だが、記憶の改竄自体は、下位天使にも出来ること――つまりは『そこまで難しい事じゃない』……という認識でいいんだよな?」
「そもそも、記憶が、短期と長期に分かれているのは、脳を極度な負担にさらさないための自己防御策っす。つまり、人間は、何もしなくとも、嫌な事は忘れる、あるいは、そうではなかったという記憶にすり替えて自己を労わるんすよ。そのちょっとした手助けを『電気信号に介入してくるタイプの神経毒系兵器』と『同じ系統のツール』を使って、おごそかに綽々と行うわけっす」




