8話 偉大なる主。
8話 偉大なる主。
翌日は土曜日で、学校は休み。
しかし、天童は、平日と同じように、制服を着込み、
電車に揺られて、学校へと向かっていた。
(……休みの日に呼び出されるのは、正直勘弁してほしいんだが……文句を言える『相手』じゃないからなぁ)
電車を降りると、溜息をつきながら、
天童は、仙草学園敷地内のちょうど中心部に建っている巨大な時計塔の最上階を目指す。
一般生徒や教師はもちろん、
候補軍の将官クラスでさえ、足を踏み入れることが、ほとんど許されない聖域。
(緊張するから、会いたくないってのもあるしな……)
時計塔を見上げながら、天童はまた溜息をついた。
その時計塔は、学校内に建っているとは思えないほど異様な外見をしている。
放物線形の門扉には不規則にうねったドラゴンが象られ、
門扉の真上にも、『惑星にからみついたヤマタの龍』を象ったシンボルがある。
門を抜けると、途端、空気の質が変わった。
剣形の窓にはステンドグラスがはめこまれ、
窓と窓とを仕切るすべての柱に精緻で壮麗な彫刻がほどこされている。
蓮を象った壁灯が品のよい淡い光を灯しており、頭上を仰ぐとアーチ形の天井のこっちから向こうまで、気が遠くなるほど繊細で壮大な天井画が描かれていた。
神話を描いた天井画は、芸術に興味がない天童をも惹きつける。
(毎回思うけど……ここは、本当に雰囲気がエグいな……)
心の中でつぶやきながら、天童は、中央に設置されている蛇腹のエレベーターに乗り込んで、最上階行きのボタンを押した。
(どっか、ほつれたりしてねぇよな……)
身だしなみチェックが終わったところで、
チーンッと音が鳴って、エレベーターが開いた。
「時間通りね。偉いわ」
出迎えの声に、天童は、一度、ピンと背筋を伸ばしてから、
スっと、洗練された動きで片膝をつき、深く頭をたれた。
天童を出迎えたのは、厳かなオーラを放つ者。
ラインが出る網目の大きな紺のハイネックに、タイトなジーンズ。
首から上は黒い靄がかかっており、声は合成音声。
立派な胸と丸みのあるくびれがあるので、女性だろうとは認識できるが、
それ以外は何もわからない謎深き人物。
「わずかも、お褒めの言葉を賜るようなコトではございません。至極、当然のことです。偉大なる主よ」
「前にも言ったはずよ。『そこ』は確かに、私の膝元。けれど、周りに誰もいないのであれば、跪く必要はないわ」
「はっ。では、お言葉に甘え、失礼いたします」
そう言って、天童は立ち上がると、
実に軍人らしい『きれいな休めのポーズ』で、
目の前にいる『首から上が認識できない女性』を見据える。
――天使軍の統率者にして、この世界の支配者である、偉大なりし『天上の主』
「堅くならなくていいわ。ソファーに腰掛けて、コーヒーを飲みなさい。砂糖とミルクを三つずついれておいたわ。甘いの、好きでしょう?」
「はっ。この身に余る恩恵とご配慮、心から感謝もうしあげます」
感謝を述べたのちに、背筋をピンと伸ばした姿勢でソファーに腰をかけると、
「……いただきます」
少し間を置いてから、そう言って、
天童は、ゆっくりとカップに手を伸ばし、申し訳程度に口をつけた。
別にノドは渇いていない。
すべては礼儀。
出されたものに口をつけない方が無礼極まる。
「どう? 最近の学校生活は」
「はっ。なんの問題もなく、やらせていただいております」
「異世界人に襲われたことも、あなたにとっては何の問題もないこと?」
「はっ。おそれおおくも熾天使候補の誉れを預かっている私にとって、あの程度の面倒は問題の範疇に入りません」
「ふふ……素晴らしいわ」
「もったいないお言葉! 感謝します! しかし、それもこれもすべて、偉大なる我らが主のおかげでございます!」
極めて順当に挨拶交換が終わると、
『主』は、天童のトイメンに腰をおろして、
紅茶のカップを、口元で軽く傾けてから、
「では、報告を聞かせてもらえるかしら。異端審問委員長さん」
「はっ」
そこで、天童は、ぬかりなく用意しておいた報告書を、
テーブルの上に、できるだけ見やすいよう全力で配慮しつつ、丁寧にならべながら、
「明確な軍規違反者は、この三名です。適切な処罰を与えるべきかと愚考します」
天童が確認した異端者の発言記録を読みながら、『主』は、
「あらあら、『くそったれの主を殺してやる』だなんて、ずい分と口が悪いわね。キチンと『適切』に粛清してあげなくちゃ」
主が口にする『適切』の意味を知っている天童は、
緊張から、少しだけ身を固くしたが、しかし、反応はそれだけで、
決して『反対意見』などを口にはしない。
したいとも思わない。
天童は思う。
自分以外の誰がどうなろうが知った事ではない。
大事なのは自分の命。
自分を守るためなら、誰だって売るし、主のクツを主食にしたってかまわない。
天童に罪悪感などない。
彼の視点では、不用意に『主への不満』を口にするヤツが愚かなだけ。
そんなバカは死んでいればいい。
「今回は少ないわね。私に不満を持っている者はこれだけ?」
「もちろん『死者を出してしまった部隊の将兵』は、数日ほど、不敬な愚痴をこぼしますが、処罰に値するほど明確な敵意を向ける者は、最近だと、それほど多くはありません」
「まあ、あなたがそう判断したという事は、本当にそうなのでしょうね。信頼しているわ」
「ありがとうございます」
「そうそう。新兵戦はどうだったかしら? 確か、今回の担当は、あなただったわよね」
「はっ! 陣頭指揮をとらせていただきましたが、敵前逃亡や戦意欠如のきらいは、現時点だと確認できておりません。今年の新兵は、良くも悪くも平凡で、それなりに従順かと」
「そう。では、最後に、あなたの部隊について質問があるわ。確か、佐々波……だったかしら? あなたの部隊の副長。彼女についての報告は? 風の噂で耳にしたのだけれど、堕天願望があるとか、ないとか」
「あれは問題ないでしょう。『主の犬』である私をからかっているだけで、害意はありません。ヤツは、『綱渡りをしている己』を他人に見せてハラハラさせることを楽しむ変態ですが、その裏、見えない所で、キチンと、完璧な命綱を用意しておく慎重派タイプです」
「……だとすると、あまり好きなタイプじゃないわ」
「同感です。しかし、破格に優秀なのも事実。出来れば、粛清は勘弁していただきたく存じます。あれは使い潰すのがベストかと」
「優しいのね。隊員思いだわ」
「私の愛・想いは、すべて、主の所有物。アレは使える道具。壊れるまでは大目に見ておくのが、主にとってベストと判断したまででございます」
「ベストじゃなくてもいいから、粛清したいと言ったら、どうするの?」
「もちろん、主がどうしてもとおっしゃるのであれば、疑義などあろうはずもなく。この世のすべては、主の想いのままに。――ご要望とあらば、当然、この手で粛清することも吝かではありません」