私の先生
その日は、雨が降っていた。夕飯を買ったアルバイト帰りのある日、狩りているアパートの前に奇妙なものが捨てられている事に気が付いた。
女の子だ。それも汚れてはいるが、着ている服も良い値段がするものであることが容易に見て取れる。
とりあえず警察や救急車を呼ぼうにも、両手がふさがってい携帯を取り出すのが至難な上に、呼んで警察が来るまでここに放置しておいてはまずい。ひとまず自分の家に連れ帰り、様子を見ることにした。
とりあえず彼女を洗面所で寝かせ、買ってきた夕飯を冷蔵庫にしまう。さすがに服を脱がせるわけにはいかないので、家の中で放置している。
警察に誤解がないようどう説明しようかと考えていた時、少女が目を覚ましたらしく、洗面所から出てきた。少女は周囲を見渡し、こちらが携帯を持っていることを見るや否や、足早に寄ってきて取り上げた
「おい!なんだよいきなり!」
「すみません。私、いわゆる家出をしてきた者ですから。不躾なお願いで申し訳ないのですが、私を匿ってくれませんか?」
少女は意外過ぎる申し出をしてきた。取られた携帯を取り返そうにも、紙一重で交わされてしまうので、こちらはそれを承諾するほかなかった。
とりあえず少女に風呂を貸して、服を洗濯かごに入れさせた。着替えの服は当然ないので、意匠だなノ億で眠っていたワイシャツを置いておいた。少女は比較的小柄なので、応急処置としては十分だろう。念のためタオルケットも用意しておく。
風呂が上がった少女は用意しておいたワイシャツを着て、こちらに戻ってきた。そして、念のためと伝えてタオルケットを渡す。少女も流石にワイシャツ一枚では恥ずかしかったようで、すんなりと受け入れた。
「ありがとうございます。申し遅れました。私、麗華と申します。すでにお分かりかもしれませんが、あなたから見て、お金持ち、と言えるかもしれません」
麗華は軽く会釈をした。事情は分からないが、多分家出少女というやつなのだろう。
「冬夜だ。よろしく」
少しぎこちない動きで握手を求め、麗華もそれに応じた。麗華は自分の体を晒さないようにとぎこちない動きだが、それでも動作の節々から気品の良さが染み出ている。どこかの令嬢なのは間違いない。
「あの、では私を匿っていただけるということでよろしいでしょうか?」
「ああ。特に断る理由もないしな」
冬夜は取り返した携帯を操作して、通販サイトを表示させた状態で麗華に手渡した。
「あの、これは?」
「服ないんだろ?新しい服を買うから選んでおけ」
麗華は携帯を受け取ると、服を選び始めた。この間に冬夜は二人分の夕食を用意する。とりあえず、保存用として取っておいたレトルトのカレーを解凍し、二人分の食事を用意する。
「ほら、できたぞ」
麗華は携帯の画面を凝視しながら、真剣に服を選んでいる様子で、目の前にカレーを差し出されて初めて操作する手を止めた。
「ありがとうございます!では、いただきます!」
羽織っていたタオルケットを一度脱ぎ、麗華は嬉しそうにカレーを口にする。
「おいしい……。お金がなくてもここまでできるんですね」
「まあ、それが貧乏人のやり方って奴だ」
元々そこまで量のある食事ではなかったので、二人の間には会話もなく、想定より早く終わった。
片づけを終えると麗華は携帯を差し出してきた。新しい服が決まったらしい。
「こちらで、どうでしょうか?」
「ん?どれどれ……」
金持ちの娘ということで、どんな額を要求されるかとヒヤヒヤしたが、画面に表示された額は想定より低かった。
服にしても随分と簡素で、露出が控えめだった。
「すみません、高すぎましたか?」
「いや、問題ない。でもまあ、ちょっと付け足すか」
適当に検索をかけて、なんとなくこの服に似合いそうな髪飾りを付け足した。本当に安物なので、怒られるかもしれないが。
麗華にとって自分の部屋は珍しいものらしく、テレビやゲーム機に興味を示している。
「珍しいのか?」
「はい。今までは知識として知っている程度でしたので」
麗華はゲーム機に興味を示したようで、冬夜はスイッチを入れてコントローラーを渡す。
「やってみるか?」
「では、せっかくですので」
麗華はそれを受け取ってゲームを始める。選択するタイトルは、学生時代友達と遊ぶ用に買ったタイトルで、それほど操作説明をする必要もない。
内容は簡単なパーティーゲームで、色々とゲームを遊んでいく麗華の反応は新鮮な遊びに驚いているようで、一つ一つの反応が見ていて面白い。
その日は麗華とゲームを遊んでいたら遅い時間になったので、その日は布団を敷いて寝ることにした。さすがに布団は一人分しかないので、冬夜が床になることになった。
翌朝、朝食を済ませた後、改めて麗華と話をすることになった。
「一応さ、聞いておきたいんだ。君の事」
「はい、名前は申し上げた通り麗華。家出少女です。昨日は行き倒れていたところ、助けていただきありがとうございました。」
麗華は深々と頭を下げた。
「それで、私を置いていただく代わり、私は何をすればいいのでしょうか?家事のお手伝いはできませんが、お金ならいくらでも出せます。もし必要なら、この体を好きにしていただいても……」
「やめろやめろ。そこまで求めてない」
麗華は服をはだけさせようとしたが、全力で止めた。別にその為に拾ったわけではない。けれども何もさせないというのは精神的に負担になってしまうかもしれない。
「よし、じゃあ家事を教えるから、それを代わりにやってくれればいい」
「すみません、何から何まで」
今日は幸い予定がない日だったので、 麗華に簡単な家事から教えることにした。
これから先、彼女の服も洗濯することになるのだから昨晩は簡素になってしまったが、今度はしっかりを教えることにした。
彼女は物覚えがよく、すんなりと家事を覚えていく。洗濯モノの干し方や注意事項もすんなりと覚え、この調子なら明日からでも大丈夫だろう。
「すごいですね、冬夜さんは。こうも教え方がうまいなんて。もしかして、学校の先生とかですか?」
「いや、違う。ただのフリーターってやつだ」
麗華の言葉を冬夜はすぐに否定した。昔は教師を目指してはいたが、昔の話だ。今は関係ない。
突如、呼び鈴が鳴った。昨晩頼んだ荷物が届いたらしく、冬夜が応対して麗華に渡した。都心から少し離れているが、都内で物件を借りられた恩恵がこうしてみると実感できる。
「ありがとうございます。それじゃ、さっそく着替えますね」
浴室を使って麗華が着替え終わるのを待つ。もう今日の分の洗濯はしてしまったが、着ていたワイシャツは明日洗えばいい。
「終わりました」
着替えを終えた麗華が出てきた。昨日、商品の画像をバラバラに見ただけではわからなかったが、こうして一式揃ってみると一体感が生まれ、麗華の整った容姿も相まって安価ながらも非常に完成されていた。
「どうでしょうか?あまり派手すぎないように選んだつもりですが」
麗華はその場で回って見せるが、特におかしな点は見当たらない。黙っていれば、一般人との見分けがつかないだろう。
「それと、これは、あなたからのプレゼント、と受け取っていいのでしょうか?」
麗華が差し出したのは、頼んだ髪飾りだ。値段で決めてしまったものなので、簡単な花の飾りがついてるだけのヘアゴムなのだが。
「ああ。少し寂しい気がしてな。ちょっと付け足したんだ」
麗華はそれを聞いて、その場で髪を結んで見せる。少し形が変だが、サイドテールのつもりらしい。
「どうでしょう?これで十分ですか?」
「完璧、かもな。ちょっと髪を直してこい」
麗華は少しだけ嬉しそうな笑顔を作り、洗面台に向かって乱れた髪を直す。髪を直すと、すぐに自分に見せてきた。
「今度はどうです?」
「ああ、バッチリだ」
麗華の着替えが終わった時、ちょうど昼時を時計が示していた。これからの必要品を買いそろえるためにも、買い物がてら外に食べに行くことにした。
その日の夜は、麗華が買った材料でカレーを作ることにした。そして麗華が教えてほしいとせがむので、作り方を教える。一応、材料におかしなものは見当たらず、しっかりと一式揃っているようだった。
カレーを作った経験は少ないが、流石に失敗する方が難しいだろう。
「昨日もカレーだったのに、いいのか?」
「ええ。手作りのカレーにも興味がありましたので」
麗華と二人で料理を完成させて、その日の夕食にする。自分で作ったということもあってか、麗華はおいしそうにカレーを頬張っていた。
食事を終えて、後片付けをしていると麗華があるものを持ってきた。洗い物をしている手を止めて、麗華の方を向く。
「これ、なんです?」
麗華が持っていたのは、教員免許のテキストだった。学生時代に買って、そして無駄に終わったものだ。
「やっぱり冬夜さんは学校の先生ですよね。あんなに教え方がうまいんですから」
「昔の話だ。目指してたってだけだ」
対策は完璧なはずだった。それでまでもしっかりと勉強だってしてきたし、努力も怠らなかった。しかし、突き付けられた現実がこうだ。教師にはなれず、実家に帰る気にもなれず、ただただこうして毎日フリーターとして働いてるのだ。
「目指していた、ですか……。でも、私の中では先生です。ただ、親の箔付けとしての教育じゃなくて、ちゃんと私の事を思っての教育をしてくださいますし」
「私の事を思っての教育、か……」
少し前、教育とは何かという題で論文を書いたことがある。内容は非常の粗末なものだったが、個人的にはいいものになったと思う。評価は絵空事、現実を見ていないと散々だったが、冬夜自身は気に入っていた。
「こっちは居候として最低限のルールを教えてるつもりだ。別に麗華の事を考えてたわけじゃ―――」
後片付けを終えて、一息ついた。水仕事をしていたせいですっかり冷えた手を、麗華の温かい手が包み込んだ。
「いいえ、あなたは私の夢を一つ、かなえて下さいましたから」
「夢?」
「ええ、私のようなものがいく学校は派閥争があったり、家の格で差別されたり、とても息苦しい場所でしたから。こんな風に暖かい学生生活を送る。それが私の夢でした」
冬夜にもその苦労は何となく伝わってきた。金持ちも決して楽ではないと何となくわかっていたが、こうして実際に話を聞いてみると、改めて実感させられる。
「学校、とは少し違いますけど、ここは私にとっての理想の学び舎、なのかもしれません」
自分に対する麗華の期待が伝わってくる。自分はすでに教師を目指してはいないし、あこがれていたのも過去の話だ。けれど、彼女の夢を無為にしていいのだろうか。資格を持っていることが教師であることの条件なのだろうか。
「分かった。そういうことなら、俺はお前の先生でいるよ」
「ほんとうですか!?ありがとうございます!」
冬夜の答えを聞いて、麗華は本当にうれしそうだった。もしこの家が彼女にとっての学校ならば、自分は彼女にとっての先生でいようと決めたのだ。どこまでできるのかは分からない。けれど、彼女の期待に応えられるだけ答えようと決めたのだ。
こうして、奇妙な先生と生徒という関係が始まったのだ。
麗華と暮らしを始めてはや一週間。最初は冬夜が麗華のサポートをするという日々が続いたが、今ではすっかり二人の分担が自然と決まっていた。
お金はある程度麗華が負担してくれるので、人数が増えても諸経費は以前と変わっていない。むしろ、少しだけ楽になったような気がする。
冬夜はこの生活が続くと考えていたが、転機は突然現れた。アルバイトを終えて帰ってくると、家の前で豪華な装飾の施された車がアパートの前に止まっていて、麗華と紳士然とした男がもめていた。
「君か、冬夜という男は」
麗華がこっちを向いたのを見て、こちらの存在に気付いた男が口を開いた。麗華と似たような雰囲気を醸し出しているが、彼の場合は他者を威圧するような、冷徹な機会を思わせる。
「私の娘が迷惑をかけた。謝礼金ならいくらでも支払おう」
背後に控えさせていた警護の人間に指示を出して、麗華の父は札束の入ったアタッシュケースを差し出させた。
「帰るぞ、麗華。つまらない社会勉強はやめなさいといつも言っているだろう。そろそろ社交界デビューも近いんだ。もっと他に勉強することがあるだろう」
「つまらなくなんかありません!」
麗華は車に引き込もうとしていた父親の腕を振りほどき、冬夜の方へ駆け寄ってきた。
「わたしは冬夜さんと一緒に行きます。あなたのやり方にはついていけません」
「これ以上我が家に泥を塗るつもりか?帰ってきなさい」
「嫌です!」
麗華は冬夜にしがみついて離れない。ここで決断をしなければいけないのだろう。麗華を選ぶのか、それとも目の前のお金を選ぶのか。
「行くぞ」
いや、最初から選択肢などなかったのかもしれない。冬夜は麗華の手を引いて走り出す。冬夜にとって、お金より多少のリスクを負ってでも、彼女を連れて逃げ出す方が正しいことに思えた。
もし将来先生になれたのなら、自分は生徒を守り、幸せにできる先生になりたいと思っていた。例え仮初めの関係だったとしても、麗華にとって自分は先生なのだ。ならば、自分は麗華を導くのが道理なのだろう。
「それではお父様、さようなら。なんなら勘当してくださってもかまいません。そんなに家が大事なのなら、ね」
麗華は去り際に捨て台詞を吐いた。 呆然とする彼女の父親を置き去りにして、冬夜は宛てもなく走り出す。
別に学校にいるだけが先生と生徒なのではない。教え、学び、成長していこうとする関係、それこそが教師と生徒なのであり、場所など関係ないのだから。