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前編  

 彼はもう失う物など無いと思っていた・・・。


満月を隠す程の雪雲が、輪郭を残して天空を覆っていた。青年はそこからチラチラと落ちてくる白い結晶を、屋上の手摺りに頬杖を付いて、見るとも無しに見ていた。

学内にはまだ所々明かりが付いていて、学生達が勉学に励んでいるのが見て取れた。

 遠くには街のネオンが煌めいていて、かけ離れた世間の喧噪はここまで届かない。


 翼をもがれて飛び立つ事が出来ずにいる、鳥籠とりかごの中の僕・・・。

 腕を伸ばすと、手の平の中で雪が溶けていった。 


次の瞬間、不意に彼の身体は宙に浮き、何かを掴もうとした指先は空を切り、後頭部から真っ逆さまに下に落ちて行った。

敷き詰められた煉瓦に身体が打ち付けられ、やがて頭からどす黒い血が流れ出した。

 ”失う物など無い”なんて思っていたが、今になって気がついた。

僕の命・・・、最後の砦・・・。



 頭上で、ひらひらと舞い散る桜の花びらが、青の空と綺麗なコントラストを成しているのを、流川冬馬るかわとうまは感慨深気にぼんやりと眺めていた。三年前は自分の未来も将来も、何も思い描くことも出来ず、うつむいて足下を見ることしか出来ないような絶望感にさいなまれていたからである。

冬馬はこの春、大学生になった。

この一年と半年、必死に勉強をして高認を合格、そして大学受験をしたのだった。

風に吹かれてゆらゆらと花びらが落ちて来る。誰かの視線に導かれる様に、ふと校舎の屋上に目をやった。誰かが下を見降ろしている。

誰だろう・・・。目が合った気がした。


流川るかわ、流川!」

後ろから呼び止められて、冬馬は振り向いた。

「あーっ、やっぱり!流川君だ!」

今時の格好をした髪の長い女の子と、人懐こそうな男の子が、手を振りながらにこにこ笑って近づいて来る。

 その、見た事の有るふたりより、屋上の人物が気になって、再び上を見上げた時には、誰の姿も見当たら無かった。

「覚えてるでしょう?高一の時同じクラスだった。戸田茉莉果とだまりかよ、こっちは内田光うちだひかる、忘れたなんて言わないでね、ゴルフ部も一緒だったでしょ?」

二人は相変わらずにこにこしながら期待を込めて、冬馬の反応をじっと伺っていた。冬馬は思い出してはいたが、子犬のようにじゃれてくる雰囲気がわずらわしかったので、無視を決め込もうとした。

「知らない」

平然と言う。

「嘘よ!さっきの微妙な間に思い出していたんでしょう?」

突っ込むなぁ・・・。

「入学式の時にも一度見かけたんだけど、その時は見失っちゃって。今、私達後ろの席に居たのよ、流川君じゃないかって話していた所なの、同じ情報科学なんて嬉しい偶然だわ。クラスは別々だけど中には同じ授業もあるからお昼とかは会えるわ」

助かった。と、冬馬は思った。同じクラスだなんてとんでもない話だ。

「ねぇねぇ、あれからどうしていた?」

でも想像通り、それからふたりはカフェテラスまで、冬馬の後を追って付いて来てしまった。昼時のカフェテラスは学生で溢れていて、ようやく見つけた窓際のテーブルに座ると、前にはふたりが率先して陣取った。しかも、自分たちの食事には殆ど手を付けずに、冬馬が食べるのをただじっと見ている。

「あのさぁ、鬱陶うっとうしいんだけど?」

「ああ、懐かしい!そのぶっきらぼうな言い方!」

「いいからいいから、昔の話しでもしようよ。」

茉莉果も光も、冬馬の冷たい反応には怯まない鈍さがあった。

「高認受けて合格したんだって?やっぱ頭の良い人は違うわ、高校の受験だってトップクラスだったものね、退学したときは先生も勿体ないって嘆いていたけど」

「ま、友人としてこの二年の間に、君に何があったかなんて無粋なことは聞かないことにするよ、」

そう言う言い方こそが無粋なんじゃないの?って冬馬は思ったが、口に出しては言わなかった。確かにこの三年間は人生の激変した年だった。高校は中退、知り合いのクラブで働き、父が亡くなり、家族との再会、猛勉強、・・・。ストップしていた僕の時間が、急激に加速し始めた。

「流川君が学校辞めてから、毎日がつまんなかったわ」

茉莉果がしんみりと言う。

「でも、ここでまた再開出来て楽しい大学生活送れそうじゃないか!僕は嬉しいよ流川」

彼らが平々凡々と暮らしていた日々の中で、冬馬は人生の激動の時期を迎えていた。あんなに辛く寂しく孤独だった時間は、二度と在って欲しく無いけど、予言者では無いから生きて行く限り、未来に何が待ち受けているかなんて、誰にも分かりはしない。君らは自分の環境がとても幸せに満ちているって事を知っているのだろうかと、冬馬は思った。

「あ、カオル先輩だ」

茉莉果の嬉しそうな反応とは対照的に、暗い表情で目線を游がし始めたのは光だった。服からして高級そうな身なりで、いかにも金持ちの集団ぽい連中が三、四人連れだってやって来た。女の子からはため息とも、歓喜とも言えぬ声がもれ、男の子達は嫌な者でも見たかのように目線を反らした。それは彼らとて同じで、自分たち以外総べての者達は劣るとでも言いたげな高慢な態度で周りを威圧した。

どちらにしろ、達の悪い連中であることに変わりないだろうと冬馬は思った。

 そんな彼らが、気が付くと何故か冬馬達のテーブルにやって来た。

「あ、こんにちは、カオル先輩」

おどおどしながら光が挨拶しても、カオルは彼には目もくれず、黙れと言わんばかりに手を振り上げて制しするなり、冬馬を見たまま、その隣にいきなり腰掛けた。

「君が流川冬馬クン?」

「はい?」

「今、話題の探偵小説を書いた人?」

勉強の暇を見て、気分転換に書いた小説が、去年の暮れに大賞を貰ってしまい、出版社が総力上げて宣伝するものだから、冬馬は今や時の人になりつつあった。しかも、何気なく本名で出したものだから、逃げ隠れ出来ない。一生後悔することになるだろう予感はあった。

「・・・・」

「面白かったよ。とても」

「ありがとうございます」

カオルの、卒のない笑顔が返って冬馬を不穏にさせる。

「君、高校の時ゴルフやっていたんだって?」

「中退です」

ハハハっと、声をたててカオルは笑った。

「それは関係ないよ、別に、中退でも」

「あの、僕そろそろ講義があるんで・・・」と、立ち上がろうとした所で腕を捕まれた。

「まだ、話しが終わってないよ」

冷ややかな笑顔と、比例するような冷静な口調だった。

「何ですか?」

苛々した冬馬の、彼の物怖じしない強気、あるいは冷淡な態度が災いしないかと、光と茉莉果が心配そうにおろおろしている。

「君をゴルフサークルに入らないかと誘ってるんだよ」

「興味ないです」

即答で、あっさりと真っ直ぐカオルを見て言った。

カオルは顔色ひとつ変えない。

「じゃ」

食器を手に再び立ち去ろうとしたとき、カオルの取り巻きのひとりが、そのプレートを態と手で引っかけた。

「あ、悪りぃ、」

辺りに食器と食べ残してあったペスカトーレのパスタが脳みそのように散乱した。賑やかなカフェテラスが一変して湿を打ったように静まり返る。

「駄目だよ、そんな悪さしちゃ」

カオルは仲間に、気のない注意を促した。

「ちっ」

冬馬の舌打ちが、周囲に響く。

そして、しゃがんで食器を拾おうとした時、その仲間の一人に胸ぐらを捕まれて向き合わされた。

何が可笑しいのか横でカオルが笑っていたので、むかついた冬馬は素早くその仲間の腕を振り払うと、その彼の腹部に膝蹴ひざけりを食らわした。それを見ていた別のふたりが、慌てて両脇から冬馬を押さえ込む。

「パソコンにばかり向かっているオタクかと思っていた君が、こんなに運動神経良いなんて、油断していたよ、それに、口はともかく、君の態度は災いの元だよ」

そう言って、カオルが冬馬の胸ぐらを掴んだ時、フォークがカオルのこめかみに突き刺さった。

「痛っ、」

「私の弟に何するの?」

聞き覚えのある声に、カオルも冬馬も直ぐさま振り返った。

海羅かいら!」

ウェーブした前髪を上げ、シルバーラメのアイシャドウはキラキラ光り、ファーが付いた膝丈の真っ白なロングカーディガンに、ロングブーツ姿で、超ど迫力の高野海羅こうのかいらが立っていた。

 その横には、お約束のようにいつも一緒にいる従姉妹の青木シナが、金髪に染めたショートヘアに黒く長いストールを靡かせる、と言う様な独特のキャラを放ち、腕組みをして笑いながら仁王立ちしていた。

このふたりは・・・まったく。

目立つことの嫌いな冬馬は、できれば彼女らに極力関わりたく無いと、いつも思っていた。

「弟って?」

カオルがこめかみをさすりながら、疑い深げに聞く。

「冬馬よ、忘れたのカオルちゃん」

 そして、小学校から一緒だった幼なじみに、ふたり弟がいたことを思い出した。

「流川冬馬は弟なの、ついでに説明すると、五年前に両親が離婚したから名字が違うだけ、二歳しか違わないから、学校であなたも会ったことある筈よ、」

そう言えば何年か前に、海羅が滅茶苦茶落ち込んでいた時期があった。それが両親の離婚だったと言うことにカオルは思い当たった。確かに昔会ったことがある。その時はおとなしい少年と言うイメージだった。考えて見れば十三歳の下の弟、れん、くそ生意気なハッカー少年とそっくりだ。

「ああ、思いだした。早く言えよ、」

「僕が海羅の弟じゃ無かったら、殴るつもりだったんでしょ?最低、」

カオルは肩をすかして笑う。

鷹揚おうように見ていたのは冬馬の方だった。

「久し振りね冬馬、受験良く頑張ったわね」

相変わらず不思議のシナは、ここが禁煙だと言うのに、平気で煙草を吸いながら冬馬に微笑んだ。

「こんにちは」

「チビはますますあんたに似てきたわね」

外見うんぬんはさておき、連のひねくれた性格は、周りの環境を見れば一目瞭然なんじゃないかと冬馬は思った。

「海羅、それにしてもフォークで突き刺すなんて、痛いじゃないか、オレはモデルやってんだぞ、キズでもついたらどうしてくれる?」

「だから遠慮して頭狙うつもりだったのに、目標を誤っちゃった」

悪びれずに海羅は答えた。絶対、ちっとも反省などしてはいないと冬馬は思っていた。それから海羅は冬馬に向き直ると、持っていたバッグでいきなり頭を殴った。

「痛ってー」

あまりにも不意を突かれたので、冬馬は側面にもろに打撃を受けてしまった。

「何度電話したと思ってんのよ、わざとでしょ。ちゃんと出なさいよ」

「うっとうしい」

海羅がもう一度殴ろうとしたところ、今度はひょいっと簡単に避けた。それから、しゃがみ込むと冬馬は食器を片付け始めた。そして、およそ似つかわしくない格好で海羅も拾い始めるので、それまで呆然と突っ立っていた光や、茉莉果までもが我に返ったように、一緒になって辺りを掃除するのだった。

「カオルちゃん、モップ借りてきて頂戴」

素直に行こうとするカオルに変わって、光がそそくさ取りに行く。

 当然、奇妙な展開に周りはざわめいていた。


 一年が講義へと去った後、カフェテラスではカオルとシナ、そして海羅が食事を取っていた。

「あいつについての噂話は山ほど聞いてるぜ、」

カオルがそう言った。

「多分、全部当たってるんじゃない?」

海羅は、さほど気に留めてない様子で言う。

「ほんとかよ?」

「言ってみて」

シナが面白そうに催促した。

「高校中退したが、猛勉強して高認受けた秀才」

「ホント」

シナが笑って答えた。

「たとえば、ホストクラブで働いていたとか、」

「ホント」

「まじかよっ」

カオルは驚いてコーヒーカップを落としそうになった。

「客を取っていた」

「ホント」

「まじっ?」

「カオルちゃんは丁度、アメリカに留学していた頃だから知らないでしょうけど、亜美が冬馬に入れあげちゃって、独占していたのは事実よ。他にもいたらしいけど」

冬馬は今でこそ、しおらしい大学生を演じているけど、少し前までは街の擦れたチンピラ

風で、世間を斜めから見ていたガキであった。性格は今よりもっと暗く屈折していて複雑だったが、根本的には大人しく、必死になって父親の入院費を稼ぐような真面目な所があったので、元々、好きで入った世界でも無く、生活の為に働いているだけで、あまり他人にも興味なかったし、誰にも媚びを売らない分、総ての人に平等でいられたので、女たちから金品を巻き上げなくても、冬馬の前には差し出された品物が溢れていたが、必要以上には受け取らなかった事が返って好感を、或いは人気を呼び、そんな一風変わった彼の為に、こぞってロマネコンティのボトルをおろす事態を引き起こした。そして、綺麗な顔も双を成して、若干十七歳にして、あっと言う間にホストNO1の座に着いた程だった。

 冬馬の周りだけは90年代のバブル期のように、ミラーボールがくるくる回転していた。 しかし、浮かれすぎた後の末期に、海羅の友人だった亜美が不幸な事件に巻き込まれ、亡くなったのだった。

「亜美が死んだと聞いた時は驚いたよな」

急にしんみりとカオルが言った。

「その話は止めよう、私も悲しくなるから」

「冬馬はね、過去に恥じてはないから、カオルちゃんがそんな噂を流しても、耳に入ったって動じない強さを持ってると思うわ」

珍しくシナが冬馬をかばった。

「失敬な、誰が噂を広めるだって?奴は小説が売れて有名人だから、既に面白可笑しく話は流れているのさ、」

「仲良くしてね。冬馬はあまり友達作らないし、生い立ちからあまり笑わなくなったの、ぶっきらぼうに見えるけど根は良い子だから」

「目にいれても痛くないってか?」

「弟だもの、それに美形でしょ?でも時々、妙にいじめたくなるけどね、ならない?連と同じ顔してるけど又違うのよ・・・」

「ふたりは怖い物知らずな所は似てるけど、連が太陽なら冬馬は月、明と暗。連は放っておいても大丈夫なところがあるけど、冬馬は何となく放っておけないんでしょ?」

シナが言う。

「そうなのよね、それが私の性格上裏目に出て、ちょっかい出したくなるの」

海羅は笑った。

そして、みんなも納得したように笑って頷いた。



「驚いたなぁ、海羅さんと姉弟だったなんて、」

 昨日からずっと考えていたに違いない。光も茉莉果も、まだその話しをする。冬馬達は講義が終わって渡り廊下を歩いていた。

「お母様は弁護士でしょう?お祖父様は国会議員も務められた方よね?流川君家はお金持ちなんだ」

「残念でした。それは海羅の方、僕は父方の人間だから金も家も無い貧乏な奴なの、」

「でも、お母様じゃない、」

「関係無いね、五年前に離婚してから母親とは殆ど会ってないし、ま、忙しい人だから自宅に帰るのも希らしいけど」

冬馬は母の話題に触れられたく無かった。胸の奥に閉まってあるパンドラの箱には鍵が掛かっていて、決して開けてはいけない秘密がそこにはある・・・。

 眉間に皺を寄せて、母親の話をする冬馬の様子に気が付いて、茉莉果はそれ以上家族の話題を続ける事は止めた。

「じゃあさ、一緒にまたゴルフやりましょうよ、私達もサークル入ってるのよ。勿論、海羅さんも入ってるし」

「やだね」

「どうしてよ、三年前はあんなに真剣に取り組んでいたじゃない」

そう、父子家庭ではあったが父親が元気で働いていて、金銭的不安など考えた事もなく、将来プロの選手になりたいと、意欲もあった頃だ。でも、父が病で倒れ、借金があることに気が付いてからは、入院費を稼ぐ為にも高校を中退して働かなければならなかったのだ。その時に、未来や、希望、夢ををどこかに捨ててきた。興味が失せたと言ったら嘘になるが、何の不安もなく青空にショットを打ち込んでいた頃の自分と対面するのが少し悲しかったのだ。

「カオルさんも昨日は少しやりすぎだったけど、本当はそんなに悪い人じゃないのよ。結構面倒見が良いし、あの通り容姿端麗でしょ。女の子には絶大な人気なの、光はまだビビってるけどね」

「僕ら平民の子は、金持ちって聞いただけでオドオドしてしまうのさ、」

「なんだよそれ」

冬馬は情けないなと、言うような表情をして光を見た。

「カオルさんは雑誌のモデルをしているから、週一で東京に通ってるの。お父様はは市内の総合病院の院長だし、お兄様も外科医なの、確かにお坊ちゃまよね。私達と違って素敵過ぎて、世界がかけ離れ過ぎちゃってるのよね」

悩みなんて全く無さそうで、脳天気な前橋薫

も海羅やシナも、冬馬から言わせるとみんな同じ部類の人間だ。

彼らに恐れる物があるとすれば”退屈”ぐらいだろう。

「あ、海羅さんだ」

 三人は桜の花びらを敷き詰めたような中庭に出て来た。すると、車の前で腕組みをして立っている海羅と出くわした。昨日とはうって変わってグレーのカーディガンにブルーとも薄紫とも付かぬ色の綺麗なシャツを着て、派手柄のストールを巻いてはいたが、いきなりトラッドの装いだ。前から思っていたが、掴みにくい性格同様、着る服も一日でころっと変わる。冬馬は本当に付き合いにくいと思っていた。

「講義終わったんでしょ?」

「うん」 

いぶかしげに冬馬はうなずいた。

「ママがさ、入学お祝いにパソコンでも買ってあげなさいって言うのよ、今から行きましょう」

「いらない、持ってるし」

「もう古いでしょ、」

「愛着あるから」

「じゃあ、他に欲しい物はないの?」

「しつこいなぁ。あのさあ、今日は店手伝う事になってるから急に言われても駄目」

冬馬は父の親友であった町田祐二が経営する、クラブの三階部分を、父が病気で倒れ、住むところを失った時から彼の好意により無料で借りていた。父親の生命保険、小説の印税が少なからず入ってきた今、家賃を払うと言っても受け取ってくれないのでせめて店の手伝いでもしようと、暇なときは店に出る事にしていた。

「じゃ私がマスターに言って今日は都合が悪いって断ってあげる」

そう言うなり、海羅は携帯を取り出しアドレス帳を呼び出していた。

「分かったから・・・強引なんだから全く。良くあの医者は我慢できるなぁ」

冬馬は海羅の携帯を、無理矢理取り上げてため息を付いた。

 光も茉莉果も、ふたりの会話を興味津々黙って聞いている。

「研修医よ、まだ医者じゃないもの」

「どっちでもいいさ、何年付き合っているか知らないけれど、よくあんたに我慢できてるなって不思議でならない」

「私も時々そう思うわ、彼はあんたと違ってお坊ちゃま育ちだから寛容なのよ。」

「あんたが怖いんじゃないのか?だから手をださ・・・」

途中で海羅に口を塞がれた。茉莉果と光には聞かれたくないのだろう。海羅にそそくさ促され、二人に別れを告げると冬馬は海羅のスポーツカーに乗り込んだ。

「あなたね、余計なことをべらべら喋るんじゃないわよ」

「どうなったの?医者と進展あった?」

「嫌みなの、それ?研修医って言ったでしょ」

車は急発進する。

「どうなんだよ?

「あなたに関係ないでしょ、」

「あれあれ?」

「うるさい!」

「あれから一年だよ、一年間何も無いなんて、あんたに魅力ないか、あいつゲイなんじゃないの?」

余程悩んで居たのだろうか、一年前、海羅は付き合っている彼氏が、自分に手を出さないのは、魅力がないせいだろうかと冬馬に聞いてきた。普通弟に聞くか?って笑ったが、真剣に悩んでいるようだったので、あの時は「弟から見ても魅力的だと思うよ」と言ってやった。その時の海羅の嬉しそうな笑顔が忘れられない。

「何だよ、あんたらしくない悩んでるの?」

運転しながら海羅はちらっと冬馬を見たが、何も言わなかった。

「また言って欲しいわけ?」

前を向いたまま、海羅は何も答えなかった。。

「”弟じゃなかったらって、思う程に魅力的だと思うよ”って」

丁度、車は信号で止り、海羅は冬馬を見たが笑顔どころかまだ怒っているようだった。

「何だよ」

「心にも無い台詞はよしなさい、素人の俳優じゃないんだから・・・・、それに、ほんとうは違うのよ、もうとっくに別れたの」

「え?」

「私、彼を好きなのかどうか分からなくなっちゃって」

海羅は前を向いてそう言った。

「医者に、女でも出来たんじゃないの?」

「私に男が出来たとは思わないわけ?」

「ふーん」

「何、その気のない返事」

「どっちでもいいし」

「チッ・・・」

チラリと海羅は冬馬を見た。

「何だよ」

「前から気になっていたけど、あんたってほんと他人には無関心よね、」

「面倒じゃん、」

呆れて冬馬を睨む海羅だった。

「なにさ?」

「ひとりで生きていけるって、そう言う態度が嫌い」

「そう?でも、なんとかなってきたよ」

わざと指輪が当たるように、海羅は開いた甲の手で額を狙って叩いて来た。しかも素早く。

「痛ってー、何するんだよ」

冬馬は両手で額を押えながらわめいた。暴力への抗議には耳を貸さない海羅であったが、その考え方は何とかしなくてはならない、と思うのだった。




 結局、海羅がフルスペックのデスクトップパソコンを勧めたが、冬馬は持ち運びしやすいノートパソコンを選んだ。

「折角だから良い物買ったらいいのに、」

「今欲しいのはノートパソコンだから十分だよ、母さんにお礼言っといて」

「自分で言いなさいよ。たまには家に帰って来なさい」

そう、外で一度家族と食事はしたが、家には帰って居なかった。

「あなたの部屋は出て行った時のままなのよ。

もっとも連が物置代わりに荷物を置いてあるけどね」

「帰るつもりはないから、始末していいのに」

「どうしてそんな寂しい事を言うの、」

「今は伯父さんが後見人になってくれているし、父さんからは高野の家には迷惑かけるなって言われてるから」

「迷惑も何も私達家族じゃない、確かにママは私達の事だってずっと昔に育児放棄してるけどね、典型的なワーカーホリックね。父さんが嫌になった理由も今なら解るわ」

キャリアを追い求めた母親と、貧しくても家族を大切にする父親の意見が食い違い、離婚へと発展するのは時間の問題だった。

「ま、ひとりの方が何かと都合がいいんでしょうね」

「なにその皮肉った言い方、棘があるよ」

昔のお姉さん達はどうなったんだろうと思う海羅だったが、今、その事に触れるのは流石の海羅でも躊躇ためらわれた。受験勉強期間中は女の影が見あたらなかったので、少しほっとしていたが・・・。

「家族、家族って、ウザイんだよ。何処にいたって家族は家族でいいんじゃないか?それにもう子供じゃ無いんだし、何時かはみんなバラバラに巣立って行くんだよ」」

「言ってなさい、私は父さんにあなたの面倒見るように言われたから、」

「放っとけよ・・・」

ふたりは堂々巡りのような会話にうんざりし始めていた。

「ご飯食べに行こう」

海羅の提案に冬馬も承諾しょうだくした。





「どうしてここなんだよ、」

優に駐車場百台は停めることができそうな、ここはゴルフ練習場だった。

「ここの中に入っているお店のパスタが美味しいんだって、」

嫌な予感に躊躇する、冬馬の背中を海羅は押して中へ入って行く。案の定、レストランに入って行くと、奥の席にいたカオルとその他数名が、冬馬達に気が付いて振り向いた。冬馬は回れ右をして、帰りたい衝動に駆られた。

「よっ、」

カオルが海羅にとも、冬馬にとも付かない挨拶をした。

「驚いたな、ふたり揃ってやって来るなんて」

「買い物行ってたの、食事しに来たのよ。ここのパスタは絶品でしょ?マスター」

海羅がそう言うと、奥のカウンターから白いユニフォームを着て、顎髭を生やした五十歳台の男の人が笑って手を振った。

「昼間は悪かったよ冬馬、今までオレが誘って一度も断られたこと無かったから、ついムカツいてね」

カオルは椅子を引いて同じテーブルに着いた。ゴルフの練習をしていたのだろう、若者に人気のメーカーのウェアを着て、広告から抜け出たようにお洒落で垢抜けている。

「冬馬、カオルちゃんが謝っているんだから、あんたも謝りなさい」

「すみませんでした」

素直に頭を下げる冬馬を見て、カオルは少し驚きつつ感心をした。元々単純なカオルは何事も無かったかのように冬馬を受け入れていて、ふたりと同じ今日のお勧めパスタを注文すると、来週遠征する県外のゴルフ場の話で海羅と盛り上がるのだった。

「どう?少し打ってみたら?」

暫くして、退屈そうな冬馬に海羅が聞いた。

「どうしてオレが誘ったか分かる?君が三年前にインターハイに出るほどの実力を持っていたって茉莉果から聞いたんだ。毎年、大学対抗試合があるんだけど、去年は負けてしまって、優秀な人材が欲しい所なんだよ」

「昔の話しですよ、学校辞めてから一度もクラブ振ってないし、興味も失せましたから」

「家に引きこもってばかり居ないで、少しは運動でもしたら?興味が失せたなんて嘘よ、プロになりたいって言ってた人が、昔を思い出すのが嫌なだけなんじゃない?」

冬馬は言い返す言葉が見つからなかった。

 認めたくはなかったが海羅の言う通り、怖い者無しの、夢や希望に溢れていた頃の、自分を思い出すのは辛い事だった。

「オレのクラブ使ってみ、」

そう言って立ち上がり、クラブを取りに行くカオルの後を追うように、海羅も立ち上がり、会計を済ますとフロントに立ち寄って、手袋とカードを買って来て冬馬に渡した。

 その時、丁度外から光と茉莉果が入ってきて、冬馬を見定めるなり、その偶然にふたりは飛び上がらんばかりに喜ぶのだった。

「冬馬!やっとやる気になったのね、」

「嬉しいよ」

「何でふたりして?」

「今日はサークルの練習日なの、だから来たんでしょ?」

冬馬は振り向いて海羅を睨み突けたが、雲行きに気が付いた海羅は、既に背中を向けて他の仲間の元へ行ってしまった。

「来てみ、冬馬」

カオルが自分のゴルフバッグを、空いている打席のキャスターに立てかける。光と茉莉果も、その後を追って近くに打席を確保した。しかし、自分の練習そっちのけでカオルの横で冬馬の様子を伺うのだった。

 冬馬はもう覚悟を決めていて、カードをボックスに突っ込んだ。

「何番いく?」

カオルに聞かれて五番アイアンと答える。

 差し出されたクラブの、グリップの感触が懐かしかった。軽く素振りをしただけで、冬馬はいけそうな気がしていた。意外にも身体が覚えている。

「冬馬、190ヤード超えたら一杯飲み物おごってやるよ」

カオルはそう言ってにやりと笑った。

冬馬は自分の飛距離を思い出し、不適に笑う。

「ナメてんの?」

「カオルさん、ヤバイっすよ、高一の時でさえ、冬馬は軽く195は飛ばしてましたから、確かに三年のブランクはあるかも知れませんが・・・」

光が耳打ちする。

「へぇ」

カオルは言葉ほど驚きもせず、なぜか微笑んでいた。

いつの間にかサークルの面々が集まって来ていた。新入生テストにしてはカオルが入れ込んでいるので、皆が興味を持ったのだ。

 数回の素振りの後、冬馬の打ったショットは、正確に真っ直ぐ190の標識を軽く超えて転がって行った。周りからは「おお」と言う驚きの歓声が上がった。

「ナイスショット」

茉莉果が手を叩いて喜んでいる。海羅はと言うと、ガラス張りのカフェの店内から、コーヒーを飲みながら一応は気に掛けて外をちらちら見ていた。

「流川冬馬、やるじゃん」

感心したようにカオルが言った。それから何発打っても正確に標識を捉えて、軽くその後ろに転がって行くのだった。

「これ、良いクラブですね。ボールにフィットしやすい」

フェイスを覗き込んで冬馬が言う。

「それ、やるからサークル入らない?」

「何言ってんですか」

冬馬は苦笑した。

「ドライバー見せてくれよ」

カオルからドライバーを渡され、それに触れた瞬間、冬馬の脳裏に映像がフラッシュバックしてきた。


 いつか見た、屋上から下を見下ろしていた青年だ。

 舞い散る雪、屋上のフェンス、彼の揺れる前髪、宙に浮く身体、振り向く・・・、空を切る指先・・・、地上に激突、赤い鮮血が地面に広がる・・・。


「うわぁ、」

冬馬は、いきなり声を上げるとドライバーを放り出し、頭を抱えてその場に崩れ落ちた。

「流川くん、どうしたの?」

茉莉果が駆け寄り顔をのぞき込む。顔は真っ青で後頭部を押さえてしきりに痛がっている。しかし、外傷がないのでどうしたものかとみんなが思案している所に海羅が現れた。

「みんな、大丈夫だから心配しないで、直ぐに良くなるから」

そう言うと、海羅はゆっくりと冬馬を抱えて、カフェ店内の隅の席に座らせた。

「落ち着いて冬馬、ゆっくり息をしてごらんなさい、」

前に、”何か楽しいことでも思い浮かべなさい”って言ったら、”楽しいことなんて何も無かった”と、睨まれたので今回は言わなかった。痛がる後頭部を撫でながら、冬馬の気が逸れるのを待っていた。

 ”チャンネル”が合ってしまい、スイッチが入ってしまったのっだ。


 冬馬が平静を取り戻した頃には、心配してやって来た光と、茉莉果、そして海羅が、店内にいるだけだった。

「あのドライバー誰の?」

アイスティーを持って来てくれたカオルに、不振気に冬馬は尋ねた。

「オレのだよ。あ、正確には友人にプレゼントした物だけど、使わなくなったのでオレが今使ってるのさ」

それで納得。想念は総べてあの映像の青年のものだった。

「どうして殺されたの?」

その問いには一同が驚き、カオルを怒らせたくない光が口を挟んだ。

「殺人では無くて、自殺したんだよ・・・」

「違う、彼は殺されたんだ」

「冬馬、」

海羅が口を挟んで嗜めた。。

「奴の話はしたくない、」

「自殺だなんて・・・無能な警察だ」

「冬馬、そろそろ帰りましょう」

海羅が席を立った。

「何を根拠にお前はそんな事言ってんだ?」

「僕の小説読んでくれたんでしょう?どこかに書いてなかった?自伝的フィクションだって」

主人公の少年は霊感が強く、念が強い物に触ると、その人物の思いがフラッシュバックして、事件の真相を解明して行く、と言う推理小説だった。すらすら書けたのは、主人公に自分を投影していたからだ。

「自伝的主人公は僕、事件はフィクションだけど、意外とリアルなんだ」

ドアが空いて海羅が出て行った。

「ええ?本当に見えるの?」

「すげぇ」

光と茉莉果が驚いている。

「いいよ、信じなくても。俄には信じがたい話しだからね」

そう言って冬馬は立ち上がり、花冷えのする夜の冷たい空気の中、海羅の後を追った。


 車のドアが閉った時、海羅が尋ねた。

「どうしてみんなにベラベラ喋るの、」

「いけない?」

「心配しているの、人が冬馬のことを危惧しないかって、」

「光と茉莉果なら心配無いと思うけど?」

自分以外にも、冬馬の秘密を知る人物が居ることが、ほっとすると同時に海羅は少し気に障った。

「何だよ」

「別に」

運転しながら冬馬を見た時、ふたりはちらりと目が合った。

「彼の名前は?」

「間宮充、カオルちゃんの親友だったのよ、でも死ぬほど悩んでいたなんてカオルちゃんは知らなかったから、すごくショックを受けたの。だから暫くアメリカに留学していたわ」

冬馬が再び顔を顰めた。

「まだ痛むの?」

「大丈夫だよ」

「今日泊まろうか?」

「何で?」

「前みたいに・・・・」

「出るってか?」

幽霊の真似をする。

「冗談言ってる場合じゃないと分かってるんでしょう?前の時もそうだったじゃない。スイッチが入ってからはどこに行っても離れてくれなくてあなた苦労してたじゃない」

そうなのだ、本当は厄介なのだ。頼られても僕には何も出来ないって、断っているのに付きまとわれる。生に執着、恨みがある分、霊は強力に訴えてくるのだ。


 自宅に着くと、冬馬はシャワーを浴びてさっさとベッドに横になった。海羅はその横顔の苦痛を見て取っていた。

「大丈夫?」

「大丈夫だから・・・」

「あんたはいつだって大丈夫って言うのね、そんなに具合悪そうなのに・・・」

海羅はベッドの縁に腰掛けた。

「具合悪いから助けてくれって言ったって、海羅には何もできないだろう・・・?」

そのムカツク言い方に、海羅はクッションで冬馬の頭を殴ったが、余程具合が悪かったのか、冬馬はぴくりとも動かなかった。

「ほんとうに可愛くないんだから・・・」

取り合わない冬馬を尻目に、海羅はすることが無かったのでコーヒーを入れて、テレビを付けた。いつも寝ながら音楽をかけたり映画を見ていたので、音は全然気にならない冬馬だったが、テレビを見ながらひとりケラケラ笑っている海羅の声を聞いて、その呑気さに張り詰めていた神経が緩んで行くのを感じていた。

 そうして漸く、うとうととし始めた頃、ベットに重みが加わり、冬馬はギョッとして振り向いた。

「何だよ、ソファで寝ろよ」

「幽霊だと思ったんでしょ」

海羅は人の気も知らないで、ケラケラ笑っている。確かにそう思ったからギクリとしたんだ。

「ソファは嫌、狭いんだもの、寄って」

ずんずんくっついて来るので、冬馬は否応無しにも寄らざる得なかった。同じシャンプーの匂いがする。

「懐かしいね、パパにキャンプに連れて行って貰ったとき、こうやって並んで寝たよね」

満点の星空だった。幾つもの流れ星を数えて、暖かいホットチョコレートを飲んだ。母親は仕事で忙しかったので、ふたりはいつも父親と一緒に出かけた。キャンプに行ったり、泳ぎに行ったり、海羅は両親が離婚する時、本当は父親に着いて行きたかったのだ。でも、母親に止められ、説得される理由を知って衝撃を受けた。それが今に至って頭の隅で少し擡げている。

「探してみようか?良い霊媒師さん、その能力を封じ込めてくれるような」

「いいよ、」

背中を向けて冬馬が静かに言った。

「責任感じてるのよ、私があなたの霊能力を目覚めさせてしまったから・・・」

一年前、階段から足を踏み外した海羅を助けようとした冬馬の眉間に頭がぶつかり、それ以来第三の目が開いたように霊が見え始めたのだ。同じような能力を持っていた父親が封じ込めていた力を海羅が開けてしまった。しかし、もう、その閉じこめる能力を持っていた父親はいない。

「一生付き合って行く覚悟はできてるよ、ただ、誰も巻き込みたくは無いと思ってるんだけど、好奇心が擡げてくると、解明したくなっちゃって、気が付いたらとても危険な橋を渡ってたりするんだ・・・」

「幽霊には優しいのよね」

「なんだよ、それ」

冬馬は笑った。

「家族には滅茶苦茶メチャクチャ冷たいのに、」

「家族ではなくて、海羅にだよ。だってうるさいんだもん」

足で蹴りを入れてくるので、冬馬は笑いながら布団で防御する。

「私は冬馬を見付けて嬉しかったのよ、でも、ホストやってるって聞いたときは、すごくショックだったけど」

「十七のガキが、生きて行くには何でもしないとね」

「連に聞かせてあげたいわ、あのバカは苦労知らずで温々と育ち過ぎて、犯罪まで犯すなんて・・・」

「苦労知らずな点は、あんたも似たようなものでしょ、」

「金銭面ではね、否定はしないわよ。でも、私達には家庭の暖かみとか・・・言葉では表せないけど何かが欠けているのよ・・・」

「望んでも手に入らない物の方が多いのさ、人はそれぞれだよ。パーフェクトな人生なんてあり得ないでしょ、」

「なに、その大人発言」

海羅は冬馬の方を向き、澄ました横顔を見て言った。

「まあいいわ、こうして再び一緒に居られるんだもの」

もう、二度と会えないと思っていたが、友人のバースデーパーティーで偶然再会してしまった。しかし、それがふたりにとっては苦く辛い思い出となってしまった。

「玩具くらいにしか思ってないんだろう、”ああ、これでまたいじめる弟がひとり増えたわ”って」

「あれ?霊が見えるだけじゃなくて、心も読めるのね?」

海羅はクスクス笑った。いつの間にか頭痛も消え、背中に海羅のぬくもりを感じながら、冬馬はこんな風にゆるゆるした時間も悪くないと思っていた。そしていつの間にか、心地よい眠りについていた。


次の朝、海羅は自分の車で着替えをするため自宅に戻り、冬馬は車中で待っていた。するとそこに連が自転車に乗りながらガレージから出てきた。

「何で、入んないの?」

有名私立校の灰色の制服を着ている。

「これから講義あるし、少しの間だから」

「あのクソ女、支度遅いよ」

冬馬は笑った。連の口の悪さは天下一品だ。誰に似たのだろう。

「またスイッチ入ったって?」

姉弟の間では霊をキャッチしたとき、そう言っていた。

「まあね」

「冬馬はいいなあ、オレにもそんな能力ないかなぁ・・きっとスリリングだよね」

「よく言うよ、恐がりのくせに」

冬馬は笑った。

「退屈しないじゃん」

連も笑う。兄にだけは懐いている。徐に鞄の中から何かを取り出すと、運転席の前にそれを置いた。冬馬の眉毛が上がる。

「クソ女さぁ、バカだからパソコンにロック掛けたら使えないと思ってんの、昨夜は海羅のパソコンから、友人と警察の犯罪文書の入手を競いあってたんだけど、あいつのパソコンスペック不足で負けちゃったよ」

後ろからぼこっと音がして、連は頭を殴られた。

「三度目の逮捕記録作りたいの?」

「痛てぇなぁ、暴力女」

「遅刻するわよ、さっさと学校行きなさい!」

連は手を振りながら、自転車に乗って坂道を降りて行った。

「全く、どいつもこいつも・・・」

と、言いながら車に乗り込んだ海羅は、目の前に置いてある巧妙に作られた”うんこ”を見て叫んだ。



「間宮充について何か分かった?」

午前中の講義が終わって、三人はカフェテラスでランチを取っていた。どう考えても自分より情報通の茉莉果と、光に間宮充について

調べてもらっていた。

「彼は優待生でこの大学に入ってるんだ。カンニングがバレると退学か若しくは授業料免除が廃止される、そうなれば普通の母子家庭ではかなりきついからね、結果的には辞めざる終えない。で、吉原教授がその辺りを考慮して、研究室で彼にレポート作成などの仕事を与えて、不問にするつもりだったらしいいんだが、いつの間にか彼がカンニングした話しが洩れて、インターネットの掲示板に書き込まれたらしいんだ。それを苦にしての自殺だったとみんなは噂している」

箸を止めて考え事をする冬馬の様子を、ふたりはじっと見ていた。

「屋上から飛び降りたんだって、遺書は自分のパソコンから送られていた、教授宛のメールらしいわ」

「教授のアリバイは?」

「教授のアリバイなんて、ある訳無いじゃない、仕事の合間に間宮さんが屋上に一息入れに行くのは恒例になっていたし、二人は遅くまでいつも仕事をしていた。その時、あまりにも帰りが遅いので教授が探しに行き、どこにも見当たらなかったので、もしやと思って下を見下ろしたら間宮さんが倒れていたって聞いてるわ」

「第一発見者ってことか・・・」

「そうなるわね」

「校舎には、他に誰もいなかったのか?」

「いいえ、みんな研究室とか図書室とか、週末だったので遅くても沢山人はいて、売店に間宮さんが現れた時には全然そんな自殺するような雰囲気は無く、楽しくみんなと話をしていたと聞いたわ。だから誰もが驚いたの」

「彼の使っていたゴルフクラブがあるっていったよね、後で、連れて行ってくれないか?」

「いいけど大丈夫?」

茉莉果が怪訝そうに見た。

大丈夫だと、冬馬は笑って答えた。


 その日の講義が終わると、冬馬は早速光と茉莉果とサークルの部屋に向かった。中には誰も居らず、鍵が掛かっていて光がドアを開けた。八畳くらいの広さだろうか、部屋は比較的綺麗に片づいており、隅のロッカーを開けてこれが間宮充のクラブだと教えてくれた。

冬馬は少し躊躇ためらいがちに、手を伸ばすとアイアンに触れて見た。

・・・・。

あれ?

何も起こらなかった。

どうしてだろう?

「何か分かった?」

茉莉果の問いに冬馬は首を横に振った。何故だろう。

「カオル先輩から貰ったものだからかな?」

「そうなの?」

「元々ゴルフにあまり興味が無かったらしいんだけど、あの通り少し強引な先輩なので、このセットを彼のために買い揃えてまでして、やっと始めたみたいなの、でもあの事件以来このゴルフセットは練習場に置いてあったらしいんだけど、見るのが辛いんでしょうね、ここに持ってきてロッカーに置いたままになってるらしいわ、先輩はここには殆ど来ないから」

どうりで、愛着が少ない分クラブに宿る想念も無かったのだ。


 成果が得られず、構内をとぼとぼと歩いていた冬馬は、建物の中に入って行く充とおぼしき”人物を”見つけた。

「ここにいて、」

戸惑うふたりにそう告げると、充の後を追う。冬馬が校舎に入ってくるのを待っていたかのように、充は振り返り冬馬を見た。それから着いて来いとでも言うように屋上へと続く階段を登り始める。意外にも早いので息を切らせながらたどり着いた時に、冬馬は肩で息をしていた。そこは誰が植えたのか別世界のように緑で溢れ、いくつかの椅子とテーブルが置かれて、休憩するのには絶好の憩い場だった。隅にある東屋は蔦が絡まっていてかなり古めかしく、塀に絡まった触手から枝分かれした白い花が風に揺れている。

 そして、冬馬が何気なく塀の手摺りに触れたとき、再び映像が溢れ出して来た。


”舞い散る雪、充の顔、後ろから持ち上げられた両足、振り向こうとしてバランスが崩れる、とっさに手摺りを握りしめようとしたが手が空を切る・・・。”


「流川君!流川君!」

後ろから茉莉果に肩を掴まれ、冬馬は我に返った。

「落ちちゃうかと思ったわ、何してるの、」

半泣き顔で茉莉果は冬馬の腕を握りしめていた。

「来てよかったよ、落ちる所だよ」

光も顔面蒼白だった。

間宮充は犯人を知らない。

それだけは解った。振り向く瞬間に、バランスを崩して犯人の顔を確認する間も無く落ちたのだ。

「怖かった。流川君が落ちるかと・・・」

考え事をしていたので、冬馬は茉莉果が大粒の涙を流し泣き始めたのを見て戸惑った。

「ごめん」

自分の為に泣いてくれる茉莉果への罪悪感と、好感が入り交じった複雑な気持ちで、冬馬は彼女をそっと胸に抱きしめた。


 暫くして、茉莉果の涙も落ち着き、辺りを見回していた光が、ここのエコガーデンの話を始めた。

「ここはエコの一環で、主に物理の教授が率先してガーデンを作ったらしいんだ。夏は木陰が出来て、冷房苦手な人とかはここで休憩を取ったり、昼食を食べたり、理工学部の連中は難しい数式の後でコーヒーを飲んだりするらしいんだ、確かに植物ってのは心を穏やかにさせてくれるよね、そして構内は殆どが禁煙になってしまっただろう?喫煙者はここに来て一息いれるんだよ。エコとは少し矛盾しているけどね。水やりとかは清掃の人が朝晩やっているけど、好きな教授がいてさ、ガーデンはどんどん増殖して行ってるってわけ」

確かに屋上の半分以上が植物に占領されていて、風に揺れる葉影がアスファルトの上で優しく揺れていた。

 穏やかな午後だ。

「あ、海羅さんだ」

塀に凭れて、下を見下ろしていた茉莉果が言った。海羅が医者と並んで歩いているのが見えた。何だ、別れてねえじゃん、嘘つきやがって。

「綺麗な人よね、憧れちゃうわ」

手を繋いで歩いているかと思いきや、医者に引き寄せられて腕の中に収まった。そのまま笑い合ってなにやら話し込んでいる。

「映画のワンシーンみたいだね」

「ちっ、」

冬馬は、下手な台詞を言ってあげて、あんなに心配してやったのにと、急にムカツいてきて憤慨しながらその場を後にした。


 あれから冬馬は海羅にも、カオルにも会って無かった。嵐の前の静けさとはこのことだろうかと思った。今日は偶然にも吉原教授の情報科学の講義を受けていた。四十歳になったばかり中肉中背でスポーツマンタイプの教授だ。その時、ふと何かが気になり横を見てギョッとした。充が当時のまま、ノートを取りながら教授の講義にじっと耳を傾けているのが見えたのだ。君はこうやってみんなと一緒に、ずっと勉学に励みたかったんだよね?

でも、死は唐突に訪れた。

君には、当たり前にやって来る明日が来なかったんだ・・・・。無力な自分に冬馬は気が滅入るのを感じていた。



お昼になってカフェテラスに食べに行こうとしたところ、茉莉果に呼び止められた。

「流川くん、今日お弁当作って来たの、お天気も良いし、外で一緒に食べましょう」

大きなトートバックをかざしてそう言った。

 その日はピクニック日よりで、風も無く空は抜けるように青かったし、花壇のビオラは咲き乱れ、どこからか花の甘い芳香がしていた。

 ふたりは、中庭のプラタナスの木の下で、芝生の上にお弁当を広げた。

「すげえ、自分で作ったの?」

冬馬は色取り取りで、どれも美味しそうな料理に驚いた。高野家では家政婦さん及び、父親の作る料理以外、手料理と言う物は食べた事が無かったからである。

「勿論よ、料理は得意なの。食べて、食べて」

「あれ?光は?」

いつもいる光が見あたらない。

「大丈夫、流川君だけに作ったら光が拗ねるから、ちゃんと用意してあるし、メールしたから直ぐに来ると思うわ」

明るい日差しの下でお昼を食べるなんて何年ぶりだろう、第一、ここ数年太陽の光なんてまともに受けて無かったことに冬馬は気が付いた。これが普通の生活なんだと少し実感する。

 春の風は優しく頬を撫でる。

「冬馬くんさ、どうしてひとり暮らししているの?」

「伯父さんにはお世話になってるから、暇な時は店を手伝いたいんだ。伯父さんはいいって言ってくれてるんだけどそうは行かないからね」

「律儀ね、ご家族は寂しいでしょうに」

「あのさ、海羅と一緒に暮らすなんて考えられる?一日も耐えられないと思うよ」

茉莉果は嬉しそうに笑った。例え姉であろうと、時々見せるふたりの仲の良い行動には、少し嫉妬したくなる茉莉果であった。高校の時から、冬馬に会って以来ずっと彼のことが好きだったのだ。

「何だよ、お前らデートか?」

噂をすれば、嵐がふたつ揃ってやって来た。海羅とカオルである。学部が一緒らしく、迷惑な事にいつもふたりして連んでいる。

「やだ、そんなんじゃないですよ先輩、」

茉莉果が照れて言い返す。

「お前、顔赤いぞ、図星か?」

「先輩ったら、もう」

海羅は前髪を上げ後ろで束ねて、化粧もシンプルだったので一瞬誰だか分からなかった。しかも妙に大人しい。無表情でみんなの会話を黙って聞いている。何かあったのだろうか?海羅が黙ると妙に不気味だ。

「ういういしいなぁ、海羅もたまには作って来てくれよ」

「冗談でしょ?」

海羅は眉毛をつり上げた。うん、それはあり得ないと冬馬は思う。

「行くわよ、お腹空いたわ」

女王様の一言で会話は打ち切られ、ふたりは立ち去って行ったのだった。



 店に海羅と医者がやって来た時、冬馬はカウンターで注文のハイボールを作っていた。最初ボックス席で酒を飲んでいた海羅だったが、ひとりホールに降りて行って踊っている。酔っぱらっているのか足下が覚束ない。医者もそれを感じたのか、直ぐに席の方に連れて帰った。それからふたりは親密そうに顔を寄せ合って話をしていた。

「海羅はどうしていつも、あんなに飲んだくれているのかしら?」

カウンターで珈琲を飲んでいた、道路を挟んだ向いのゲイバーのママ、マリコが眉間に皺を寄せて言った。暇を見付けては、仕事の合間にやって来る。本人は否定するが周りは認めていない、百?を超えてそうな巨体は、椅子が玩具のように見えた。

勿論、ゲイである。

「さあ、」

素っ気なく冬馬は答えた。

「彼氏とはもう長いよね、あの彼、よく我慢してるわよね」

くっくっくっと大きな胸を振るわせて笑った。

「ですよね?僕もそう思います」

「あれ姉ちゃんじゃないか?かなり酔っぱらってないか?」

奧の厨房から現れたマスターが言う。

「ええ、」

「祐ちゃん、少し海羅に注意してあげなさいよ、若いのにあの娘ちょっと飲み過ぎよ」

「うちではみんなに海羅には一杯以上酒を出すなって、言ってあるんだけど、ここに来るまでにいつもかなり飲んで来てるからなぁ」

「放っとけばいいんですよ、痛い目に合わないと分からないんですから」

「あら、冷たいのね」

「真面目に取り合うと疲れますから」

「海羅は怖い物無しの、お嬢様だからね、」

微笑んでマリコママが言った。

「残念ながら唯一、あいつを止められる人物は死んじゃいましたから」

「慧の事ね、本当に残念だったわ」

マリコママもマスターも、昔から父親の知り合いで仲が良かった。今でも父親の話が出る度、マリコママは目を潤ませる。

「慧は男気のあるいい奴だったわ。祐ちゃんだって負けないけどね」

と言って、長い着け睫をしばたかせ、マスターにウインクして見せる。

「ありがとよ」

マスターは苦笑しながら答えた。

「冬馬、今日は暇だし、もう上がりな、姉ちゃんとこに行ってくれば?」

「いいですよ、彼氏がついているから大丈夫ですよ、じゃ僕はこれで」

「おう、ご苦労さん」

マスターに暇を告げて店を出た。

外の冷えた空気が心地よく、星は春風に震える様に瞬いていた。


 夜中にふと目が覚めた。

気配のする方に目をやると、ルームランプに照らされて、充がぼんやり椅子に座っているのが見え、流石に冬馬はギョッとした。心の中で悪態をつく。何なんだよ。どっと気分が落ち込んで行く。

と、その時、チャイムを執拗に鳴らされ、時計を見ると午前二時だったので、誰だよ、とこちらにも悪態を付いて、ベッドから抜け出しテレビドアホンを確認した。

海羅だ。

ドアを開けると夜風のごとく、海羅が雪崩れ込んできた。

「うぇ、気持ち悪い・・・」

そう言うと、そのままトイレに直行して、ゲロを吐いている。ブーツくらい脱げよと言いたかったが、文句言うその間も無かった。

「何時だと思ってんだよ、」

しばらくして声を掛けると、海羅はじゃらじゃらアクセサリーを付けて煌びやかな手を挙げたが、まだ気分が悪いらしく、顔は便器に突っ込んだままだった。

 冬馬は海羅をそのままにして、自分はベッドに潜り込んだ。付き合ってられない。

しかし、その数分後、海羅はコートを着たまま俯せにベッドに倒れ込んできて、冬馬は再び呻いた。

「海羅!」

「動かさないで、気分が悪いから吐くかもよ・・・」

冬馬は頭を掻きむしった。それから海羅の履いているブーツと、コートを無理矢理脱がした。化粧をしたまま、既に寝る体制だ。

「私が・・・何もれきないと思って・・・、手をだすんじゃないわよ・・・」

と、ろれつが回ら無いほど酔っぱらっているのに笑っている。

「誰が!姉に手をだすんだよ」

冬馬は毛布を持ってきて、風邪を引かないようにくるんでやった。

「やっぱ冬馬がいいや・・・」

ぽつりと呟いた一言が、どういう意味かと冬馬が思案している間に、海羅は穏やかな寝息を立てて眠りについた。

 充はとうに消え去り、この部屋に現実を持ち込んできた本人は、スヤスヤと素知らぬ顔して眠る。一瞬にして部屋の空気を変えた海羅に、闇に支配されそうになっていた自分を重ねた冬馬は、馬鹿馬鹿しくなって苦笑いをするのだった。




 寝返りを打って、何かに頭がぶつかった海羅はうめき声を上げた。

「痛っ」

「こっちの台詞だ、」

声に驚いて、海羅は頭を持ち上げたが、くらくらする。完璧二日酔いだ。

「えー、なんで冬馬がいるの?」

「じゃ、なくて、自分がどうしてここにいるのか思い出せよ、痛ってえな」

冬馬は上半身を起こしたが、目頭に海羅の頭が当たったので手で抑えている。鉛のような頭を擡げて辺りを見回した海羅は、ようやくここが冬馬の部屋だということに気が付いた。

「覚えてない・・・」

「最悪・・・」

冬馬は首を振った。

「鏡見てみ、化粧が滲んで酷い顔、おまけにまだ酒臭い」

「何時?」

「七時」

「私、車は?」

「知らないよ、医者に乗せて来て貰ったんじゃないの?」

何となく記憶が戻ってきた。まずい、今日は朝から講義がある。どうしてこんなに飲んだのだろう。

「着替えかして、シャワー浴びてくる」

冬馬がため息を付いて立ち上がる。その間に、海羅はカオルに迎えに来てくれるよう電話を掛けた。

 海羅がシャワーを浴びている間に、冬馬はコーヒーを入れてトーストを焼き、優雅にノートパソコンで今日の講義のチェックを入れていた。

「私にもコーヒー頂戴」

「トーストは?」

「いらない、」

キッチンを覗くと、生活の気配が無いほど、どこもぴかぴかだったが、冷蔵庫の中には卵とかベーコンとか入っていたので、ちゃんと自炊もするのだと海羅は感心していた。

「何見てんだよ」

「ちゃんと自分で作って食べてんだ。それに誰に似たんだか相変わらず綺麗好きよね、お風呂だって髪の毛一本落ちてないもの」

差し出されたコーヒーを美味しそうに飲む。

「医者とは別れたんじゃなかったのか?」

「研修医、」

「どっちでもいいよ」

「別れたよ、でも友達として付き合ってるの、悪い?」

「そうは見えなかったけどな」

「そう?」

「医者はまだその気なんじゃないの?あんまり男を振り回すなよ、」

「あら、心配してくれてるわけ?」

ケラケラと海羅は笑った。

「当然だろ?遅くまで男と一緒で飲んだくれて、見てるとハラハラする。父さんが生きていたらどやされるところだぞ、」

「でも、いないじゃない・・・」

「だから代わりに、僕が言ってんの、効き目ないだろうけどね」

そうだと言わんばかりに海羅は鼻で笑い、これ以上話しをしても無駄だと思った冬馬は、その話を打ち切った。

「僕はそろそろ行くよ、」

「どうして?一緒にカオルちゃんに乗せて行って貰いましょうよ」

「いいよ」

そうこうしてるうちに、カオルから下に着いたと電話が鳴った。ふたり揃って降りて行くと、オープンカーのほろを降ろした車の中でカオルが待っていた。

「こんな所に住んでるのか?クラブの真上じゃん」

「便利すぎて、つい酔っぱらって寄っちゃうのよね、」

「また二日酔いだろう海羅、ま、乗って、乗って、冬馬も乗りなよ、どうせ同じ大学だ」

と笑い、その強引さに冬馬は断り切れなかった。

 途中、海羅は着替える為自宅に寄った。何だか最近恒例になってきた。そして偶然か、今日も連がガムを噛みながら自転車で出てきた。

「クソ女に、大の男二人が振り回されてんの?たいした女だ」

「ガキはさっさと学校へ行きな」

カオルが言う。

「クソ女の振り回され方とか教えてくれるかな?」

生意気に、カオルに向かってそう言い放ち、自転車をゆっくり漕ぎ出した。

「クソガキが、」

カオルの罵声が聞こえたのか、ゆっくりと自転車でユーターンして戻って来るなり、口からガムを取り出してフロントガラスに投げつけた。

しかも、不適に笑っている。

「うわぁ、やめろクソガキ汚ねえなぁ」

カオルが慌てて立ち上がろうとした時、またもや鞄からごそごそ何かを取り出そうとしていた、そして、運転席の前に置いたのは超リアルな”目玉”だった。しかも血管がビラビラ着いて生々しい。

「なんだよこれー、気持ち悪い、連!てめぇ」

既に連は走り去った後で、辺りには笑い声が響いていた。

「古典的な遊びだ、今でもこんな物あるんだね?」

悠長に冬馬は笑っていた。

「お前ら姉弟は・・・ホントに、先が思いやられるぜ」

ため息をつくカオルであった。それから目玉を摘むとガレージの奥に投げ入れた。

「そうだ、お前あれから大変だったんだって?」

「今でも付きまとわれてますよ、間宮充に」

「え?」

カオルが怪訝そうな顔をした。

「もう、一年以上前の話だぞ、どうして今頃・・・」

「僕が、偶然にも彼の念が隠った私物を触ってしまったから・・・、そして、彼の存在を”キャッチ”してしまった。彼はもしかしたら、僕なら今の苦しみから解放してくれるとでも思ったんだよ」

「良く分からないんだが、幽霊になって彷徨っているってこと?」

「簡単に言えばそう言う事、ラジオの周波数が合ったとでも思ってくれればいい。きっと犯人を見付けて欲しいんだよ。でも、今の僕には分からない。カオルさんはアリバイあるんでしょうね?」

「まさか僕が殺したとでも?」

驚いた顔をして冬馬を見ている。

「警察がどんな捜査をしたのか知らないが何と言おうと、殺されたのは事実だからね、成仏できてないから構内を彷徨っている、霊感の強い奴は気が付く頃だよ、幽霊騒ぎが始まったらなお気の毒だ」

「どうして・・・、殺されたんだ?理由は?」

「それはわからないけど、どうやって殺されたか知りたい?」

カオルは戸惑いながらも頷いた。

「屋上の塀に寄っかかって下を見ていたら、後ろから足を持ち上げられてそのまま落とされたんだ」

「・・・」

カオルは頭を抱えて絶句した。

「彼が振り向いて相手を確かめる間も無く、バランスを崩して落ちた・・・。あっと言う間のようだったよ」

「おまえはそれがどうして分かるんだ?」

「僕は彼の記憶、想念を通じて映像を見せられているんだ・・・彼が見ていない物は見えない。後はこの身体に宿る痛み・・・。宙に浮く身体の、恐怖に満ちた浮遊感や、後頭部の鈍い一撃・・・即死だったでしょ彼・・・。」

「もし、おまえの言う事が本当だとしても・・・」

「本当なんだ。僕は真相を突き止めようと思ってるよ、彼の為に・・・」

ふたりは黙って見つめ合っていた。

 その時、海羅が現れ、ふたりの雰囲気の悪さを素早く感じ取る。

「何よ、待たせたから怒ってんの?ごめーんお昼おごるから、さ、出してカオルちゃん!遅れちゃう」

カオルは海羅に急かされて、我に返ったようにエンジンのスイッチを入れた。

「昨日、間宮充のクラブを見て来たんだけど、もうあれには何も宿ってなかった、そんなに執着して居なかったんだと思う。どうしても彼が身近で使っていた物、気持ちの隠った物が必要なんだけど、何か無い?」

「じゃ、どうしてドライバーはあんなに反応したんだ?」

訝しげに、カオルが尋ねた。

「分からない・・・、ドライバーだけ練習していたとか?」

カオルはそこでピンときた。よく練習場でその日の夕食を掛けて飛距離を競いあっていたっけ・・・。あの頃は楽しかった。

「お前を信じて良いのかな?」

信号で止った時にカオルが言った。

「あなたが犯人じゃなくて、真実を明らかにしたいと思うなら、信じない理由は無いと思うよ」


 講義の間に冬馬は以前、事件でお世話になった県警の新米刑事、内藤始に電話を入れて、間宮充についてかまわない範囲で教えて欲しいと連絡を入れた。するとその日の午後に会えると言うことだったので、さっそく外の喫茶で待ち合わせした。

「おう、暫くぶりだな」

向かい合わせに座った、二十代前半の内藤始は、温厚な人柄から、どう見ても普通のサラリーマンにしか見えない。

「こんにちは、その節はお世話になりました」

「こっちこそ、弟は元気かい?」

「元気過ぎて、姉はまだまだ手に負えないみたいですよ」

「だろうね、」

内藤始は苦笑いした。ハッカーで二度の逮捕歴を持つ十三歳の弟は、県警でもある意味有名人だ。

「サイバー班はスカウトしたいらしいよ」

クスクス笑っている。

「ところで、間宮充について何を探っているんだ?」

「探っているんじゃなくて、彼が訴えて来たんです。自殺じゃないって、」

「え?えー?自殺じゃない?どうして?」

冬馬の能力を信用している内藤は、驚きつつ、内心非常に困っていた。一年前の自殺と断定された事件が、殺人となるとかなり厄介な事になる。

「警察はどんな捜査したんですか?僕が思うに、彼はフェンスに凭れて下を見下ろしていた所、後ろから足を持ち上げられてそのまま真っ逆さまに落ちたんです」

「犯人は分かってるのかい?」

「残念ながら彼が振り向く間もなかったものだから・・・僕にもわかりません。ただ、足を捕まれて落とされたと言う事実しか、」

「親しい人達のアリバイはあったんですか?」

「悪いけど、あの時は海羅さんも事情聴取されているんだ、仲が良かったみたいだからね。でも、君の姉さんは家で弟と母親と一緒だったし、前橋薫はこれも又、家族の証言で家に居たと言うし、他、数人に至っては怪しい人物もいないし、彼に恨みを持つような人物も見あたらない。」

「吉原教授は?」

「ああ、彼は例外だろう。彼と仕事中に居なくなって自殺したんだから・・・、彼が犯人ならそんな危ない橋を渡らないだろうし、第一理由が無い。彼はカンニングの件を不問にしようと、間宮充に書類の整理等、アルバイトの名目で手伝わせていたらしいんだが、少し長くやらせ過ぎたんだろうかと、後悔していたよ・・」

「では、どうしてカンニングの件がインターネットの掲示板に載ったんですか?」

「そこなんだけど、間宮充から直接聞いた前橋薫は知っていたそうなんだ。前橋薫が言うには、最近急に付き合いが悪くなったし、教授の研究室には入り浸っているし、問い詰めたらそのカンニングの一件を話してくれたそうなんだ。『教授には世話になっているから手伝っているんだ』とね、でも、本人曰く掲示板になんて載せていないと強く否定していたけどね、他は間宮充が誰かに喋っていたとしても、その時は高橋薫以外誰も認めてはいなかった。ま、これが殺人事件となるともっともな反応だろうけどね・・・」

「君は、高橋薫は知っているかい?」

「ええ、姉と幼なじみだそうで、仲良いみたいですね。疑っているんですか?」

「うーん、どうだろうね、君の姉さんには悪いけど、家族のアリバイは信憑性に欠けるし、いや、海羅さんのことを言ってるんじゃ無いんだよ、彼女は殺人なんて犯すような人ではないからね」

と、内藤刑事は笑った。確かに、海羅は単純だからね。

「カオルさんも同じような性格ですよ、何の苦労もなく、すくすくと育ってきた人たちだ、彼らは、人の命を奪う事なんて、これっぽっちも考えてないような、呑気な人種ですから、」

「相変わらず君は、冷静に物事を判断しているなぁ」

そう言って、内藤始は微笑みながらコーヒーを一口飲んだ。

「カンニングがバレてそれを苦に自殺と言うシナリオか・・・・、確かに、それだけで自殺をするのには、動機が薄すぎるような気もするな、」

「彼は特待生で入学しているので、その辺りかなり厳しい処分があると思います。留年は濃厚、下手をすると退学もありかも。でも、現行犯に限りますので、その時点で教授が公にしていなかったって事は、後で誰かに指摘されたとしても、シラを切れば通せることもできるんですけど・・・」

「特待生と言う立場上そう言う噂がインターネットに流れて、中傷されると確かに打撃ではあるな、それを自殺動機に持ってきたと言う訳か・・・教授のパソコンに送られた、遺書と思われるメールも、打とうとすれば誰にでも打てそうな、短い文章だったし、持ち歩いていたパソコンからのメールとなると・・・、いや待てよ、その時、証拠品として押収した間宮充のパソコンは、ウイルスか何かで、レジストリいじられて壊れていたそうだよ、サイバー班でさえ直せなかった」

「メールはそのパソコンから送られたもので間違いないんですよね?ますます怪しいなぁ。メールを送った後で、ウイルスでもぶっ込んだのかも・・・。そうなると、そこには、見られてはマズイ何かがあったに違いない。しかも、そのメールが送られた時間をチェックすれば、構内に居た人物が殺人犯の可能性が出てくる・・・」

「まずいなぁ・・・、」

内藤始は頭を掻いていた。

「この件は僕が調べます。警察は今の段階で事件を蒸し返すのも、教授のパソコンを調べるのも、まず無理でしょうから、カオル先輩にお願いをして、間宮充の家族に、彼のパソコンを借りて来ます、まだ、あればいいんですけど。そして、我が家の”サイバー班”にパソコン直させてみますよ、警察には負けないと思いますから」

「確かに、優秀なのが一人いたな」

内藤は笑った。

「悪いなぁ、何もできそうに無くて」

新米デカと言う立場上、証拠も無いのに、しかも一年前の解決済み事件の、捜査をやり直すなんて到底無理だろう。

「迷惑掛けないよう内密にやりますから、心配しないで下さい。それから、カンニングの件を掲示板に書き込んだのは誰かも調べてみます。あの掲示板は巨大だから昔のレスもそのまま有るはず、ま、調べれば直ぐにわかりますよ」

「ひとつ忠告しておくけど、頭を突っ込み過ぎて危険になる前に、必ず連絡して来ること」

そう言いながらも、内藤始は目の前で穏やかに笑っている少年が、どこでブレーキを踏んでくれるのか不安は募るばかりだった。



 もっと早く、探して見るべきだった。

その掲示板には大学名から学部まで、そして間宮充のイニシャルを載せて血祭りに上げていた。”特等生のくせに””退学は避けられない””あいつと同じ講義受けているけど、貧乏くせー奴だ”とか、目も当てられないような内容が、延々と書かれていた。

多分、関係無い奴までが面白がって書いているに違いないが、自殺云々《うんぬん》を除いても、本人がこれを見たらかなりショックには違いない。

「大学生も大人げないなぁ・・・」

ポテトチップスを摘みながら、連が言う。

「最初に書き込んだのは誰か、調べてくれ」

早業で連がキーボードを叩くと、あっと言う間に所有者の名が出てきた。

「出たよ。なんだ大学のパソコンじゃん、」

型番をメモする。

「たいへんだぁ。莫大な数のパソコンの中から見つけ出さなきゃ、何台あると思う?」

「何台あっても調べてやるさ、」

「なんで、死んだ人の為にそんなに一生懸命やってるの?」

「殺人を犯していながら、温々と平気な顔をして毎日を送る殺人者が許せないんだ。みんな明日が来る事が当然だと思って生きているだろう?それがある日突然暗闇に突き落とされるんだよ、死者はどんなに無念で悲しいか・・・・。ここにね・・・響いてくるんだよ・・・」

冬馬は心臓に手を充てた。

「ふーん、不思議な能力だよね。なんでオレには無いのかな?」

「は、きっとお前は単純な高野の血が濃いんだよ」

「バカ女と一緒にして欲しくないね。気まぐれだし、単純。あいつ悩みなんてあるのかなぁ」

「いいじゃん、呑気で。でも、毎日気分がころころ変わるのは付き合いきれないよな」

「ほんとだよ、”美味しいパスタ食べたい”なんて言って外出した先で、”やっぱカレーにする!”って、行き先帰るんだぜ、付いてけないよ」

「ねえ、オレもここに来ちゃだめ?いいなぁひとり暮らしって」

「お前がここに来たら、僕は一人暮らしじゃ無くなるし、海羅がひとりになっちゃうだろう?母さんも仕事で殆ど家に居ないだろう?せめて、お前が居てあげないと物騒じゃないか」

「全然、あいつ、ああ見えて結構強いんだぜ、父さんの言いつけ守って、高校三年まで合気道やっていたから。時々、取っ組み合いの喧嘩になるけど、オレまだ負けるし、」

悔しそうに顔を歪める。

「どんな喧嘩してんだよ、お前ら可笑しいよ、絶対」

と言って、冬馬はクスクスと笑った。

「どうせいつも他愛ない喧嘩さ、ケーキを喰った喰わないとか」

「低次元だなぁ」

笑わせてくれる姉弟に、冬馬は感謝しつつも近づく距離に少し戸惑っていたのも事実だった。”高野の家族とは縁を切ったのだ、会いに行ってはいけない”と父は僕に言いつつも、死ぬ間際、海羅には”冬馬をよろしくたのむ”等との賜った。単純な海羅は正義感を漲らせ、その言いつけを守る為か、僕の私生活にどんどん入り込んできた。ま、確かに昔から海羅はファーザーコンプレックスだったので、父の言いつけは母親より効いた。

「聞きたかったんだけどさ、」

「何?」

「一度も僕らに会いたいと思ったこと無かった?」

「勿論、最初の一、二年は家族が恋しかったよ。楽しかったからね。後は親父が身体を壊して、学校辞めて、働いてって、毎日が忙しくて考える余裕も無かったし、堂々と会える様な生活もしていなかったからね」

そんな過去がやけに遠く感じられた。同じ質問を返すのは、まだ幼かったであろう連には酷なことだと冬馬は考えていた。でも、連の事だからハッカーの腕前を駆使すれば、冬馬の居場所なんて簡単に分かる筈だし、口に出しては問えない事実さえ知り得る可能性は大きい。だけど、冬馬はあえてその事に触れなかった。その方がまだ居心地は良いし、今の付かず離れずの距離が心地良いのだ。

 連は黙ったまま何も言わず、パソコンのモニターを見るとも無しに見ていた・・・。


 午後になって、カオルから間宮充の母親と連絡が取れたので、これから行こうと性急な連絡が入った。冬馬はパソコンでオンラインゲームに興じている連を部屋に残し、迎えに来てくれたカオルの車で、間宮充の実家に向かっていた。

「充のお袋さんは今は仕事が休みらしい、昨日連絡入れといたから、家で待っててくれている。」

冬馬は、急に好意的になったカオルの態度を考えあぐねていた。

「そんな不思議がらないで欲しいなあ、疑われているとなると当然な行動だと思うよ、」

「分かんないよ、秘密がばれそうになると先に僕を殺るとか?」

静かに冬馬は笑った。

「やめてくれよ、そんなことしたら明日には、海羅にオレが殺されるじゃないか」

運転しながらカオルが笑う。

「オレだって真実が知りたいんだよ。充とは育った環境も、性格も何もかも違ったんけど、親友と言える程に何かとても気があったんだ、イカレてる世界の中で、総てが普通でオレにはとても新鮮だった。」

車は信号で止った。

「何となくお前はあいつに似てるよ・・・」

前を向いたまま、カオルはぽつりとそうつぶやいた。


 間宮充の母親は、市営住宅に住んでいた。

チャイムを鳴らすと直ぐに出てきた。

「こんにちは、」

「久し振りね、前橋君。良く来てくれたわ」

五十過ぎの少しやつれた女性が、力なく微笑んでいた。

「こいつは後輩の流川冬馬です、一緒にいいですか?」

「勿論よ、どうぞ入って」

充の母は気軽にふたりを招き入れてくれた。

通された部屋は狭く、六畳くらいのリビングの隅に間宮充の写真が飾られた仏壇があった。線香の煙が一直線に上に伸びている。家具は少なく真ん中に置かれた小さな座卓とテレビが置いてあるだけのシンプルな部屋で、冬馬は気が滅入るのを感じていた。カオルは進んで仏壇の前に座ると、暫く充の写真を見てから線香に火を付けていた。

「お茶でも入れるわね」

「お構いなく」

母親が居なくなると、更に冬馬は辺りを見回していたが、充の私物など何も見あたらなかった。

「小母さんには一応軽く説明はしておいた。半信半疑だと思うけど」

「まあね、真っ当な反応だと思うよ。それと、もし私物を貸して貰えるならここじゃない方がいいと思うんだ。僕は触れないからカオルさんが持ち帰ってくれる?」

その時、母親が部屋に入ってきて、二人の前に茶器を差し出した。

「あらから一年が経とうとしているのに、まだあの子が居なくなったなんて信じられなくてね・・・ふらっとあのドアから”ただいま”なんて帰って来るんじゃないかと思ってしまうのよ」

市営住宅のありがちな、ベージュ色した金属のドアを、何と無くみんなが見やった。

「電話で説明したんですけど、流川が言うのには自殺では無いと言うんですが・・・」

「どっちでも、同じことなのよ。もう、あの子は帰って来ないんだし・・・。いえ、あなたを疑っているとかでは無くて、生きて戻らないのなら、私にとって結果はもうどうでもいいことなの」

「いいえ。それは違いますよ。彼は無念で、無念で、この世界をまだ彷徨さまよっているんです。恨みを晴らしてあげないと、彼は天国に行けないんです。それに、彼をあやめながら何も無かったような日常を送っている犯人を、許せますか?僕は彼の気持ちが良く分かるから絶対に許せない」

充の母親は、冬馬の真剣な言葉に目が覚めたように耳を傾けていた。

「もし息子が自殺でないとしたら・・・、警察が断定した事件に、あなたは間違いだったと言うのですか?」

「ええ、警察だって万能ではありませんから」

そう言い切った冬馬を、呆然と母親は見つめていた。どこまで信じていいのかあぐねているのだろう。

「真実は、明らかにするべきなんです」

華奢きゃしゃなだけの少年かと思いきや、冬馬の澄んだ瞳の中の果敢かかんな闘志を見て、カオルは今までどこか、曖昧あいまいなスタンスだった自分が恥ずかしかった。結局、自分は充が生きていた頃も、亡くなってからも、彼のことを、全く理解出来ていなかったんだと、カオルは悔やんだ。

 母親は関を切ったように、溢れ出る涙を拭っている。

 充の母親はまだ捨てきれなかった、死ぬ当日まで毎日身につけていた鞄と、その中のパソコン、財布、携帯と、中身はそのまま総てを貸してくれた。

冬馬達はそれを家に帰って来た。

玄関で連を呼び出し、荷物をカオルから受け取るよう催促した。

「どうして?オレが持って入るよ」

「カオルさんはここで、」

「何いってんだよ」

「今日彼の実家に連れて行ってくれたことは本当に感謝していますけど、ここからは僕がやりますから」

連がカオルからバッグを受け取る。

「おまえ、本当はオレを疑ってるな?」

目を細めてカオルが尋ねた。

「違いますよ、ただ気が散るだけですよ、じゃ」

笑いながらそう言って、冬馬はカオルの鼻先であっさりドアを閉めた。気の毒だが、今は静かに帰って貰おう。

「どこに置く?」

「テーブルの上に」

「ほら、オレが持っても何も感じないよ、高野の血は濃いなぁ」

肩をすくめて、冬馬を見る。

「いいじゃん、そのお陰でお前はハッカーできる程の、抜群の知能を高野から受け継いでいるじゃないか、母さんに似たんだよ」

「つまんないや、」

そう言いながら、気もそぞろな連はオンラインゲームを再開するためにパソコンに向かう。冬馬はテーブルの上の鞄を見下ろしながら一呼吸して、意を決したようにそれに触れて見た。

”電車の窓から見える海の景色、学友の笑い声、カフェテラスの笑い声、・・・。”

 それから、取り出した携帯からも、同じような情景が、心はまだ軽やかで曇はない。


そして、次にノートパソコンを取り出した。

”研究室、白衣、微笑む教授、同級生の不満顔、後ろから誰かに抱きしめられる・・・”

冬馬は驚いて後ずさりした時、椅子につまずいた。その音に連が振り向いた。

「どうした?なんかあった?」

何だ今の?誰に抱きしめられたんだ?女では無いことは断言出来る。頭が混乱する。よろよろと椅子に倒れ込んだ冬馬を見て、連は立ち上がって側にやって来た。うつむいて頭を抱えたまま動かない冬馬に、連は冷蔵庫から冷たいレモネードを注いで持って来ると、テーブルの上に置いた。そして、冬馬が触れたと思われるパソコンを開け、、電源のスイッチを入れる。

「ワームだ。レジストリも壊れている、」

そのとき冬馬が顔を上げ、怪訝な顔をした。

「意図的に?」

「勿論だよ、全く動かなくなってる」

連は感心している。

「直せるか?」

「今日は駄目かな、家にあるソフトをぶっ込むと直ると思うけど?それでも駄目な時はオンラインで勇士に聞いてみるよ。面白いよ、みんなどんな職業なのか、学生なのか知らないんだけど、即答で答えが返ってくるような強者ども達だからね、急ぐ?」

「急ぐけど、今日はもういいや疲れたよ、お前もそろそろ帰りな、」

「じゃあこれ持って帰っていい?明日、学校終わってから届けに来るよ」

「悪いな、頼むよ。先に来てたら下の店でご飯でも食ってな、」

「うん、」

テーブルの上にあった充の私物を鞄の中に戻し、隅に置くと連は帰って行った。冬馬は後ろから抱きつかれた感触が生々しくて、その夜、なかなか寝付くことが出来なかった。






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