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事件 宇佐美ひかり

ひかりが心痛めるのはこだまの事。そして、お母さんの事。

なんとかしなくちゃ、悩むひかりの頭に浮かんだのは、和樹の笑顔だった。

事件 宇佐美ひかり



噂は瞬く間に広がった。

人の口になんとか、だと思った。うわさは早い。


「なんだぁ、マッチョな人が好きな訳じゃなかったんだね、ひかりったら」

「河西くん、ちょっと頼りなさそうだけど女子には人気あるんだよ。ボンボンだしね」

「彼氏もスポーツジムに行っているんでしょ?やっぱり」


 いろいろな質問に「ああ」とか「う~」などと言いごまかしていたひかりだが、彼氏がスポーツジムに来てそれから仲良くなったという話にまとまっていて、最後は面倒くさくなってそういう事で良いと思うようになっていた。


だいたい、なんで人にそんな事を言って歩かなきゃならないのだろうか。

人のことなのだ、ほっといて欲しいものだ。


いい加減いやになったころだった。

噂の彼氏、河西くん登場。


 教室で囲まれているひかりのところに、花を持って現れた。


「これ、余っちゃったからスポーツジムに飾ってもらおうかなって持ってきたけど」


「わぁ~~うれしい~。二人になりましょう、外野がうるさくってさぁ~~」


 和樹のぽかんとした顔に噴出しそうになりながら、腕をひっぱってこの間の応接室のソファーを目指した。

背後から聞こえてきたのは、お決まりの口笛だったり奇声だったり。


 うん、河西くんの彼女としての特典としては、最高のロケーション。


 うちの大学のキャンパスはたいして広くもないし、どっちかっていうと私って目立つらしく、ゆっくりゆったりすごす事って難しいんだよね。

いつも、誰かに囲まれちゃってて。


 そんなことを思いながら、ひかりは革張りの応接セットを堪能している。

「はぁ~~、疲れが取れるわぁ~。で、なんだったっけ?」


 彼は困ったような顔して、ひかりに花束を突き出した。

 ガーベラとなんだか青い小花と白い雲みたいな花が揺れている。


ひかりは自分で花の名前を知っているのさえ、感心していた。

それくらい花に関しては興味を抱いたことなどなかったのだ。


 ガーベラを知っているなんて私、すごい!

「ガーベラでしょ?これ!」


「うう、まあ、そうだけど。生けたあまりだけど、よかったらと思って」

「うんうん、お花を男の子からもらったのって、意外だと思うかもしれないけど初めてなのよね。けっこう嬉しいじゃん。ありがとう」


 ひかりは素直な気持ちで、喜んだ。


それを見て、彼も表情を崩して嬉しそうな顔になると

「へえ、そうなのか、うそみたいだな、初めてもらったんだ。ちょっと感激だなぁ~」

 と言いながら頬をピンクのガーベラみたいに染めた。


(ちょっとかわいいわね)

 次の授業はなかったので、ひかりはそのゆったりした空間で過ごさせてもらうことにした。


「そうそう、彼氏って事でさ。出会いは河西くんがうちのジムに来て出会ったって事になっちゃってるんだけど、いいかなぁ?とするとさ、一度ジムに来てみる?あなたの家に行く途中に、ジムあるのよね、知ってる?」


「ああ、じゃあ、明日なら行けるかな」

「そう、じゃ明日授業何時に終わる?で、とりあえず、彼氏って家族にも紹介しておこうかな。家族って言っても、今母が家出してるから、親父と妹なんだけどね。あ、妹はすっごくかわいいけど、要、注意って感じなんだよね。実は」


 和樹は、しどろもどろになって困った顔をした。

「そ、それじゃ本当の彼氏みたいだけど」


 なんだろう?もうここまできたら、本当もうそもないじゃないの。

「それでいいと思うわよ。本当の彼氏って事で」


 面白い顔になり和樹は、口は開けているが言葉が出てこないらしく、パクパクしている。


 ちょっとからかいたくなる気持ちが膨らんできた。

(だいたい、自分があ~んな大胆な発言しといて責任とってもらっちゃおうかな、ってノリよね)

「イヤ?」

 彼は首をぶんぶん振った。


(おもしろい。私の彼氏第一号は華道家、って訳だ)


ひかりはそんなことを考えながら、自分で感心していた。


 クーラーの効いた部屋は時間の流れがゆっくりしているようで、応接室は甘い花の匂いでいっぱいになっていた。


「本当にこの部屋はゆったりと時間が止まっているみたいに感じるなぁ、ふふふ」

とひかりは笑った。

とても居心地が良くて、ああ、ずっとここにいたいな、外は暑いし。


 そう思いながら、彼の顔を見ていた。


    



 お日様の明るい午後にその事件は、起きた。

 河西和樹は二時過ぎにひかりの家のジムの前で、どこかのクッキーを手にして立っていた。


 ひかりはその日授業も昼には終わり、家でゆっくりしていたが、ふと思い出して妹を探した。


こちらも学校が昼前に終わったらしく、ジムの長谷さんと一緒にお昼を食べている。

父は母はるかが家出をしたからか、少しはやる気にもなったようで仕事で出かけていた。


「長谷さん、こだま。今日これから私の彼氏が挨拶ってうか、ええっと、顔出しに来るからよろしくね」

 来客のベルがなった。


「少し身体鍛えたほうがいい感じの彼氏なんだけど、お手柔らかにね」

 そう言いながらドアを開けた。

照れてちょっとかわいい彼が頭をポリポリかいていた。

 中に案内して、長谷さんと妹のこだまを紹介すると、長谷さんと紹介しているのに父かと思った和樹が

「お父さんも妹さんも、ぜんぜんにてないんですね~」

 言ってしまった河西くん。


(ああ、それだけは説明しておかなくちゃいけない一件だったっけ)


 すぐ横に立っていたこだまの握りこぶしが和樹のあごに当たっていた時には、もうすでに彼の身体は長谷さんの腕の中で嬉しそうに眠っていた。

「ごめん」

 小さくてかわいい妹のこだまがつぶやいた。


「あはは、私の彼氏ってこんななの、気にしないでオ~ケ~よ」

 長谷さんに二階の休憩室に運んでもらうと、ひかりはため息をもらした。


 そうよね、こだまの事説明しておかないといけなかったわ。


 血のつながってない妹、始めて家族になった時からいつでもクラスで一番小さかった。


 でも、長谷さんが運動神経いいねっていろんな事教えたりして、それを父がものすごく褒めるものだから、大好きなお父さんに好かれたくてがんばった妹。


 ボクシングジムだった我が家で、ボクシングなんかやるようになっちゃって。

 口下手で何かあるとすぐに手が出てしまうようになったのは、絶対父のせいだとひかりは思っている。


 今はボクシングなどはやらなくなった妹のこだまだが、ドキッとしたり驚いたりするだけでも手がでてしまう。

反射神経を鍛えすぎたせいだ。


 小学生の頃は、かなりクラスの男子の家に母が謝りに行っていたようだ。

 最近では、やはりお年頃なのだろうか、少なくなったと思うけれど。


 和樹は結構幸せそうな寝顔を見せてくれた。

 とてもアッパーをくらったという感じの表情ではなくて、口元はほころんで楽しそうな夢でも見ているようにすやすや眠っている。

そんな顔を見ていると、罪悪感は見る間に無くなってゆく。


(いけないとりあえず、お家の人呼ばなくちゃ)

 と我に返った。

 彼の弟のアドレスだろうと決めつけて和樹のアドレスから慎という番号に電話すると、困惑しているようだったが迎えに来るようだ。

和樹の方は目を開けると、ノックアウトされたことも忘れているようでいつもよりニコニコしてハイテンションだった。


 この場にいることが、とりわけ嬉しいらしかった。


 迎えの弟に説明するのはちょっと気が引けて、まあ後で兄から聞くだろうとそのまま帰した。


 それよりもひかりの心をしめていたのはこだまの心中な訳で、なんでもないような顔でいるけれどたぶん本当はきっと自己嫌悪真っ最中なのではないだろうか。


 言葉に出さない分、胸の中にためちゃうタイプだ。。

 少し、いやいやかなり心配。


 和樹の事は、とりあえず後ほどで大丈夫そうなのは安心だし。


「こだま、彼氏かえったよ~。元気だったから大丈夫みたいだよ」

 こだまはぶすっとして、目も合わせずにうなずく。


 長谷さんがにっこり笑って

「反射神経良すぎ症候群って感じかなぁ。僕にも責任あるからなぁ、はははは」

屈託なく笑い飛ばす。

この人の笑顔には癒される。


 こだまは、ぶんぶん首を振る。

「ちょっとびっくりしただけだよ。誰だってそんなのあるしね。気にしなくていいよ、こだま」

 黙っているけど、気にしているのは歴然な感じ。


(このくせはどうしたら治せるのかしらね。お母さんはいないし、こだまのこのへんなくせ、なんとかしなくちゃいけないわよね)

 ひかりは妹の痛みを感じて胸が苦しくなった。


 今でも出会った頃のようにいたいけで、はかなげで小さい妹だと感じる。


(ああ、お母さんの偉大さがわかる。困ったな、今頃どこで何しているのかしら)

 そんな事を考えていると涙が出そうになって、ひかりは二人に手を振るとジムを後にして自分の部屋にもどった。



 ゆっくりと部屋で考えをめぐらしてみる。

 母について知らない事ばかりだった事に気付いた。


 なんでもソツなくこなして、いつも誰にでもにこやかに感じよく。

 経営の事も誰よりわかっているようだったし父が何かわからない事があると、はるかに相談する。


出身地はどこだっただろう?

親戚はいるのか?

亡くなった旦那さんはどんな人だったのだろう?


今まで、そんな事は考えなかった。

そして、知りたいと思ったりしなかったし、知ろうともした事も無かった。


 ただ、ある日からママの変りのお母さんとして自分の中に当然のように、存在していたのだ。


 それはまだ、小学生だったひかりにとっての新しい嬉しい事実というだけの話だったから。


 疑問に思わなかったし、母のそれまで生きて来た人生があることさえ聞いてはいてもわかってはいなかったのかもしれない。


(子供の頃、ママがいなくなって嵐が吹き荒れる我が家に平和と光を届けにきてくれた天使みたいに思っていたっけ。でもでも、お母さんだって自分の人生歩いて来たに違いない。いろんな事経験して、いろんな想いしてそして我が家にやってきたんだよね)

 何一つ知りもしないで子どもをやってるだけで良かった自分に、罪悪感さえ感じた。


 はるか一人にまかせっきりで、助けた事なんて何一つ無かった。


 心配はしていないけれど、でもお母さんにはそれなりの苦しみや悲しみだってあったのかもしれない、そう思うと不安に襲われる。


 あれこれ考えはじめると、いてもたってもいられなくなる。

探したい。

探さなくちゃいけないんじゃないか。

そんな気持ちが湧き上がって抑えられないくらいに膨らんでいた。



 ある日、中学校から連絡が入った。

 こだまがまた、殴ったという。


 最近は少なくなったのにと思いながら、急いで相手の家に行く事にした。


 なんと、ダウンさせたのは和樹の弟でこの間ジムに来た子だったらしい。


 急いで彼に連絡して、家に謝りに行く事にした。

 大きな家らしく立派な門をくぐると奥には日本家屋が、その手前には西洋的な家が建っている。

 手前の家のベルを鳴らすと、すぐに和樹の笑顔に会えた。


 彼は、上機嫌でひかりを迎えて紅茶を入れると、くつろいだ表情でソファーに座った。

倒れた本人もお母様も学校を出たという。


 少しだけ緊張の糸が緩んで、息を吐き出してみる。


 洋風の居間は、厚いじゅうたんにたくさんの調度品が並ぶ。


 花も生けてあるが、和樹の学校で見たような雰囲気は無かった。

 帰りを待つ間、不思議そうな顔をしているひかりに和樹がいろいろ説明してくれる。


祖母がお花の先生、母がフラワーデザイナーだと。

そういわれても、ひかりにはどっちも同じように思えて違いがわからなかい。


 ひかりのする質問には「二人ともね」という答えばかりが帰ってきたからだ。


「いろんなイベントとかでお花を飾ったり?」

「生徒さんとか教えたり?」

「展覧会とか開いたり?」

「頼まれてお店とかのお花飾ったり?」


(わたしには、何が違うのかわかりません)

 とりあえず頷いていたひかりだったが、天真爛漫な顔で笑う和樹は、お花を生けてるときと違ってかわいくて楽しかった。


 そのうち、和樹の母と弟の慎が帰ってきた。

 母だと紹介された人はたたずまいがきちんとしていて、さすがに緊張しまくりのひかり。


 深く深くお辞儀をして謝った。弟にも。


 きついお叱りを覚悟していたけれど、さらりとかわされて取り残された感じ。

 弟の慎はお兄さんよろしく感じよかったし、ちょっとほっとしてリラックス。

 こだまの事を慎は気にしてないよと笑ってくれたので、更にリラックス。


(良かったわ、優しい人たちで)

 自分の家とはまったく違った空気の流れる空間で、緊張も解けて優しい人たちの笑顔に囲まれて居心地がよくなる。


 その時になって初めてひかりは落ち着いて、出された紅茶の味を感じていた。

 またねと慎に手を振って帰るひかりの足取りは軽かった。


 門をくぐるときと帰る時の緊張具合がまったく違うのを感じると、自分でも笑い出しそうになった。

 入って来る時には目に入らなかった庭も、帰る時にはゆっくりと観察できる。

 旧家というのだろう手入れの行き届いた庭、昔から変わらないのだろうと思われる日本建築の母屋。

そして、少しだけ不似合いな洋風の造りのおしゃれな家。

ゆっくりとどこかの庭園にでも来てしまったような、その中を和樹と歩いた。


夕暮れは過ぎ夜の中、石灯篭に明かりがともっている。


(こういうのを、風流というのかしらね)

来た時とまったく違うひかりの笑顔に和樹が嬉しそうだった。


 それから、ずっと気になっていた。

 母の事。こだまの事。柄にも無く、夜眠れなくなったりする。


(どうしよう、ついこの間までスポーツジムの会員さえ増やせば何とかなって、お母さんも帰ってくるだろうなんて簡単に考えてたのに)

 でも、何かが違うような気がする。


 しっかりして欲しい父に対してもお腹の中に隠し事などできない母ならばきちんと言葉にするだろうし、今までだって厳しい事は言ってきたと思われる。


 それが何も言わずに消えてしまうなんてことは、考えられないのだ。

 何か、あったのかしら。


 自分たちの前では隠し事ができない性格を自覚して消えたのではないか、ひかりはそう思うようになっていた。

 何に悩んでいたのだろう。

一人で抱えこんでいたのではないのか。

お母さんが家族の輪の中心にいたから、気づかなかったけど。

もし、お母さんが悩んでいたら家中が暗くなってしまうかもしれない。

それがわかっていたから、消えたのではないのか?

 不安は最大限に膨らんで、どうしようもなくなっていった。



 そんな時、頭に浮かんだのは和樹の笑顔だった。

(そうだ、話を聞いてもらおう)


 そう考えると、それが一番早い解決方法のような気がした。


 どんなに考えても堂々めぐりのひかりの頭の中、このままなんの解決策も見つからないまま時が過ぎ去ってゆくのはどう考えてもまずい気がした。


 不安が悪い予感に変わらないうちに、違った考えを探し出したかった。


 夏休みだったが彼は大学に、例によってお花を頼まれているため何日か通うと言っていた。

 ひかりは大学に行ってみる事にした。


 真夏の光は眩しいくらいに注いで地面に濃い影を作る。


 つばの広い帽子をかぶったくらいでは、この日差しはさえぎる事はできそうになかった。

それでも、ひかりは日焼けを気にしている余裕はなくてキャンパスに急いだ。

 夏休みのキャンパスは誰もいなくて、グランドの方にはクラブの練習している連中の掛け声が聞こえてきて活気がある。


 しかし校舎の方は鍵の閉まった棟もあり、暑さの中でグランドから響くざわめきがものさびしい。

 どこに行っても突き刺すような日差しからは逃げられない気がして、ひかりは来客室に走った。

 まるで、急がないと溶けてなくなりそうな気がして、たどり着いたドアを思いきりノックもなしに開けた。


中からは別世界のような空気がすっと身体を包んでくれて、落ち着く。

身体から流れる汗と一緒にそのまま蒸発して自分も消えてゆきそうだった。

 冷房の聞いた部屋の中には、山盛りの花が涼しい顔で横たわっている。


誰もいなかった。ひかりは立ち尽くした。

誰もいない部屋の中を、和樹の姿を求めて。

 








次話、13日23時にアップします。

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