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事件 河西慎

事件が起きる。こだまが泣いて慎は手を握り近くの公園へ連れてゆく。

涙も乾いたのに、慎の家でも思わぬ事が起きていた。

こだまも関係している?

どうしたらいい?何にもできないのか?

  事件 河西慎



 翌日は本当に順調にいっていた、帰るときまでは。


 慎たちのグループの人たちはおじいさんとおばあさん六人、明るい人たちで優しかったし慎たちの作る変わった折り紙に喜んでくれた。

こだまも丁寧に教えていたし、また教わったりもしていた。

一緒に過ごす時間を楽しんでもらえているようだったので三人とも、充実した時間を過ごした。

何にも変わらないよな、普通の女の子だな。

慎はこだまの笑顔を見て思う。


 もうすぐ昼になるという頃。


 慎たちはかたずけをして、一人ひとりに挨拶をすると握手をして手を振った。

 みんな喜んでくれた事に満足して。


 他の班はすでに終了しており、部屋をでるのは最後になる。


部屋を出たところで事件は起こった。


 隣の部屋から出てきたおじいさんがこだまを見つけた。

軽く会釈をして立ち去ろうとしたその時。


「お前!来てくれてたんだねぇ!」

 そう言ってこだまの肩を掴んだ。

小さいこだまは動けなくなる。


 やばい!そう思ったけれど遅かった。

おじいさんが尻餅をついていて、何が起こったのかわからない風できょとんとした表情


「あれぇ、なんか飛んできたような?」


 こだまのアッパーはおじいさんを直撃してはいなかった。


 大きな瞳にいっぱいの涙をためて立っているこだま。


「あ、すみません。オレの手が当たっちゃったんです。大丈夫でしたか?」

 慎はとっさにそのおじいさんの腕を抱えてゆっくり立ち上がらせた。


「あにきかい?あにき探したよ、どこに行っていたんだい?」


 慎の顔を見つめてそのおじいさんは、微笑んだ、瞳はどこを見ているのかわからない。


 そこに施設の人が駆けつけて来た。

「ほらほら、お孫さんでもお兄さんでもないから!みんなはまた来るよ、心配しなくても」

 そう言うとこちらを向いて行くように、目で合図した。


 慎はすぐに、呆然と立ちすくんでいるこだまの手を握って歩き出した。


 こだまの手は小さくて、慎の手ですっぽりと包む事ができる。

 弱々しい手をぎゅっと握り締めて、施設の玄関を出る。


 そのまま学校に向かわずに、近くの公園の木陰に歩いていく。


こだまは涙を落とした。

 大粒の涙が地面に落ちていった。


 慎はもう一度、ぎゅっとこだまの手を握って離すと


「まだまだ、暑いなぁ。アイス食いてぇ~!」

 ベンチに座って伸びをする。


「顔、洗って来いよ!」

「うん」

 こだまは公園の水飲み場に走って行って、涙を洗い流した。


暑い日差しは、彼女の涙も軽く乾かしてしまう。

「アイスくいてぇ~!」

 こだまは隣に座ると

「ありがと」


 慎は空を見上げて一つだけ気づいた事を口にした。

「お前、殴んなかったな!」


 彼女は唇をかみ締めてうなずいた。

「すげぇじゃん!とっさにコントロールしたって事でしょ?」

 もう一度うなずく。


 本当に間一髪ってやつだ。

万が一にもパンチがまともに入っていたら、年寄りにとっては致命傷になりかねない。

手が出た瞬間に的をずらしたという事だ。


 瞬時にそんな判断ができるのだから、すごい。

それと同じことを手が出る前に、やれればいい。

 難しい事じゃない。

こだまはきっとできる。


 慎はなんとかしたいと真剣に思った。


「なんかさ、きっと方法あるよね。協力するから克服しようぜ!」

 こだまは慎の顔を下から見上げた。


 その時のこだまの顔は睨んでいるようには見えなかったし、慎の心の中でシャッターの音がなった。

愛しいくらいにかわいかった、本当に。

 こだまの瞳はもう夏の日差しを映していた。

 真っ直ぐに慎を見上げて、真剣な思いが伝わってくる。

 大丈夫だ。

 慎は言葉にしなかったが、伝わっているような気持ちで見つめ返した。

 高い所でカサカサと涼しげな葉音がしている。

 緑が濃くなって真夏がやって来るんだろう。



 それから、二人は事あるごとに一緒に帰ることにした。

「今日は?」

「殴ってない」

 合言葉のように確認した。


 夏の暑さは始まっていた。

 こだまとどこか、気持ちのいい公園でも行きたいな。

 そんな事を考えながら、横目で彼女を盗み見ると目が合って慎が笑う。

 こだまはきゅっと唇を結んで目をそらす。


 いつか、笑ってくれる日がくるかな。

 風が吹き抜けてゆく。慎とこだまの間を。

 もう少しこだまの心の近くにオレ、行けるかな。

 そんな事を思いながら

「アイスくいてぇ~」

 慎は青い空を見上げた。




 その日、新しい事実を知る事になるなんて思わなかった。


 家に帰ってくると、母屋がにぎやかで離れのいつも明かりがついているリビングが真っ暗なのが不思議に思えた。


 胸騒ぎみたいな、なにかが慎を母屋に連れて行く。


 応接間に声が聞こえているので、声をかけてあがる。


「かあさんが知らないなんて、恥ずかしいわ!」

 母の声。


「もう、いいじゃないかい。許しておやりよ。悪気はなかったのだから」

 祖母の声。


「おばあさまだって、悪いわよ。なんで教えてくれないの?恥かいちゃったじゃないの。だいたい、何人に声かけたのかしら?いい加減にしてほしいわ」

 怒っているみたいだ。誰にだろう。


「どうしたの?」

 慎が廊下から和室を覗くと、祖母と母の向かいには小さくなって正座している兄、和樹の姿があった。


 精一杯に小さくなって、高い背丈をまるくして反省しているみたいだ。


 母がかわいい兄の和樹の事をこんなに怒ったりしかったりするのを見た事がない。


 自分だったら、あんな怒り方じゃ反省なんかしないかも、と心の中で慎は思った。


 小さい頃からたくさん怒らせたからなぁ。

 幼い自分が、母に叱られている場面を思い出していた。


 母の大切にしていた花瓶をメダカ入れにしたこと、いけてある大きなひまわりの花びらを全部抜いてしまったこと。


 泥だらけで、お花の教室を走り抜けたこと。

あ、あの時は物凄い形相で追いかけてきたっけな。


 などと考えている場合ではなかったのだ。

優等生の兄が祖母まで前にして、しかられるとは何をしでかしたのやら。


「慎ちゃんも行った事、あるって?」

「は?」

 矛先がこちらに向かった?何だ?何の事だ?


 慎はあせって頭の中を必死になって探したが、怒らせるようなでき事は思いつかない。

 しかし行った事とは、どこに行ったというのだろう?


「この間見えた方よ。なんておっしゃったかしら、あなたのクラスメートのお姉さん」

「は?何のこと言ってるの?宇佐美の事?オレなんかした?」

 何を怒っているのかさっぱりわからなかった。



 それからとりあえず、うなだれて兄の和樹は釈放されて、自分の部屋に戻った。


 家の中は、事の重大さにしんと静まり返っているように感じる。

 とにかく、母の憤慨した様子はひどかった。

玄関の引き戸は物凄い音を立てていたし、絶えずぶつぶつ言いながら夕食の支度もせずに、父が帰ってくるまで部屋にこもってしまった。



 慎は何がどうしたのかわからないまま、兄を問いただす。


 ぽつりぽつりと説明してゆくのを我慢強く聞いてなんとか、理解した事。


 どうやら、宇佐美のうち、つまりスポーツジムの話だ。


 宇佐美の母親が今、いないらしい。

出て行ったのかどうしたのかわからなかったけれど和樹が、母の教室の生徒さんや祖母のお弟子さんにスポーツジムの勧誘をしまくったらしい。

スポーツジムはどうも、うまくいってないのだろうか。

そんなところだろう。


 祖母には、声をかける前に伝えていたらしくスポーツジム等に興味がありそうな人を教えてもらっていたようだ。

しかし、母の教室の人には断りもなしに声をかけてしまったらしい。


 そもそも、母はそんな事許さなかったに違いないけれど。


「だって、ひかりちゃん一生懸命だったから。大学でもいろんな人に声かけたりしてさ」

 兄の和樹はそういえば、宇佐美の姉と同じ大学だと言っていたのを思い出す。


 あんな綺麗な人に声をかけられたら、何人かは行くのじゃないのだろうか?

和樹が声かけてもどうだろうか、あまり効果はない気がして慎はちょっと苦笑いになった。


 それより気になったのは、

(宇佐美の家は今お母さんが出て行っていない?いつから?どうして?大変じゃない)

 慎はそちらの方が気がかりだった。


「そんなに一大事ではないらしいよ。ひかりちゃんが言うにはさ。お父さんっていろんな事に手だして、ああ事業ってことだけどさ。失敗してかなり財産なくなっちゃったみたいでね。スポーツジムはがんばってやっていこうって事らしいけど、楽天家のお父さんを少しビビらせる為に、ちゃんと経営が軌道に乗らないうちは帰ってこないって言って出て行ったらしいんだ。それで、面倒くさいって言いながら、優しいよね、ひかりちゃんがんばってるんだよね」

 そこから、彼女の顔でも思い出したのか、宙をみつめてニヤニヤし始めたので慎は自分の部屋に戻ることにした。



 そんな大変な事があったなんて、慎は想像もしなかった。


 たしか宇佐美こだまはお父さんともお姉さんとも血の繋がりがなかったことを思い出して、愕然とする。

そうすると理由はどうあれいくら家族同様だといっても、彼女は家にいて心苦しいものがあるのではないだろうか。

 そう考えると、気になってしかたなくなった。


 宇佐美こだまの泣き顔、涙を落とす表情。

ついこの間の顔が目の前にチラついて悲しくなる。


 どうしたらいい?オレなにかできる?

 いや、オレなんかになんにもできることなんかない。

兄貴みたいに勧誘する訳にもいかないし、第一にオレってそんな事下手だし苦手だ。


 あせりみたいなものが、むくむくとわきあがっていく。

こだまの顔をみて「大丈夫?」と声をかけたい。

「何かできる事ない?」そう言って手を握ってあげたい。

あの時公園で握りしめたように。

ずっと隣でこだまに寄り添っていてあげたい。

 


 その晩、慎は夢を見た。

 ボクサーになっている夢だ。セコンドにいるのは、宇佐美こだまだ。

 カーンと大きく頭の中で鐘の音が鳴り響く。

 コーナーから現れたのは、マイクタイソンみたいなやつだ。

 ついでに相手のセコンドにいるのは筋肉のお化けみたいなやつ。

 カーンと鐘はなったけれど、慎は一歩も前に進めない。

第一ボクシングなんてやった事のない自分がマイクタイソンに勝てる訳がない、と思っている。

 いつまでも、立ったままの慎に向かって会場のお客さんがブーブー野次を飛ばし始めた。

『力なんて日々の鍛練からできるものだ!お前みたいに目の前の地道な努力を惜しむやつに敵なんか倒せないぞ!』

 あせって頭からマイクタイソンみたいなやつに向かって走りこんだ。

 ぶつかったと思った瞬間、ふわりと前のめりに身体が倒れてゆく。

とっさにくるりと背中を地面に向けて転がった。


 慎のそばで宇佐美こだまが泣いている。

「どうした?」

 そっけなくこだまに聞く。

こだまは首を横に振ったと思ったらほほに当てていた右手を目にも留まらない速さで突き出した。

「うわぁ!」

 慎のあごのところに強烈な痛みが走る。

 右手を振りぬいたこだまは、睨みつけて何かをつぶやく。

「えっ?」

 痛いあごをさすりながら耳を澄ます。

「弱虫」

 

 そこで目が覚めた。

というよりあごの痛みで目覚めたのだろう。


 慎はベッドから落ちていてどうやって落ちたのか、サイドテーブルの端にあごを打ちつけていたらしい。


なんだ、だからってなんでこだまにアッパーくらう夢なのだろう。


慎の耳に、さっき夢の中で聞こえたこだまの声がまだ残っている。


「弱虫」慎の嫌いな言葉。

なんとなく、イラッとするのは自分自身に対してだろうか。

事情を聞いてもなんにもしてやれない自分に対してなのだろうか。

けれど、自分に何ができるのだろうか。

他人の家のことに、どうしろとかいう権利もない。

 ましてや兄和樹にしてみれば、自称彼女の家のことだからという理由も成り立つだろう。


「ただのクラスメートだし」

 慎は呟いていた。


 その夜はなぜか、頭の中をいろんな言葉が巡って眠れなかった。

チラチラと思い出すのは、こだまの泣き顔と睨んだ真っ黒い瞳。

小さな握った手。

 夏が始まったように、長くて暑い寝苦しい夜だった。

ほんの少しでいい、風よ吹いてくれ、そう慎は祈るような気持ちになっていた。


 




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