展開2 河西慎
気になって姿を追ってしまうのはなぜ?
河西慎はこだまの事が気になっている自分に問う。
わからないけど、気がつくと目で姿を探している。
縮まってゆく二人、慎とこだま。
展開2 河西慎
長い手をひざに当て、頭を下げている。
そんな姿も美しい。
白いブラウスと長めのひざが出るくらいの柔らかなふわりとしたピンクのスカート。
この間見たミニスカートよりかえって色っぽい。
慎は通り過ぎようとしていて立ち止まり、あわてて声を上げた。
「別にもうなんともないです。たいした事もないのに脳震とうなんかオレが起こすから、大事になっちゃったけど。もう、本当に大丈夫ですから!」
和樹が笑顔で立ち上がって、手を振る。
「僕に会いに来たついでに、謝っているだけだから!慎くんがそんなに気にしなくてもいいよ。お菓子をいただいたから、一緒にお茶でも飲もうよ」
嬉しくてしょうがないという顔は見れば誰でもわかる。
「そうでしたか、わざわざご心配かけて申し訳ございませんね。そういうことですので、お気遣いなく。わたくしはお教室の準備があるのでこれで失礼させて頂きますね。ごゆっくりしてらっしゃいね」
母は用事が自分じゃないとわかるとさっさと奥に消えた。
慎は、兄が入れた紅茶を飲みながら緊張してソファーに座った。
母の姿が消えると、ため息混じりに
「ああ、よかった!もう、こだまっていつでもこんな感じなのよね。何度わたしが謝りに行った事か!でも、しかたないの。とにかく我が家の誰もがおしゃべりでおしゃべりでうるさいくらいなんだから。小さい頃からそんな中で育ったら、そりゃこうなると思うのよね~。ごめんね、本当に痛くなかった?」
おしゃべりには思えない端正な顔がいろいろな表情を作る。
まるで色とりどりの花束のようだ。
「はぁ、殴っちゃうって事ですか?」
つい相手がたくさんしゃべるので聞いてみる。
「そうそう、親父がスポーツジム経営しているんだけどね。あ、知っているわね。小さい頃はボクシングジムだったのよ。で、親父の友だちがジムのトレーナーとかやっていて、あこがれてたって言うか、わたしはいやがったからね、ボクシングなんかをこだまに教えちゃったりしてね。また、あの子って運動神経抜群だったから教えがいがあるとかって、力んじゃってね。で、口下手で無口、緊張したりするとすぐに手が出るこだまができあがっちゃったって訳なの」
そうか緊張って、なるほど。
「僕もこの間、姉妹なのにあんまり似てないんだね、なんて言ったらやられちゃったんだよね!」
兄和樹はハイテンションでのたまった。
この、きれいなお姉さんがいて、姉妹似てないですねなんて言ったら、そりゃ緊張じゃなくって怒るだろう。
こういう人の気持ちが読めないところが和樹にはあったりするんだよな、と慎は思いながら、母に似ているのかもしれないと思った。
人は誰でもコンプレックスを抱えて生きてるんだ。
不思議だけど慎は感じた。
こんな綺麗なお姉さんがいたらすごくうらやましいだろうと思うけど、比べられるのは必須だろう。
オレだってオフクロの仕事には興味もない、でも兄貴はみんなが感心するくらいうまく花なんかをいけたりする。
別にそうはなりたいとは思わないけど。
それでも兄に向ける母の表情を見る度なんとなく胸の辺りがもやもやするのを感じることがあった。
慎の家はサラリーマンだが、このあたりでは旧家で通っている母屋の祖母は知り合いが多い。
何かにつけて兄の和樹と比べられるのはやっぱり必須な事実だ。
頼りないけれど頭は良く、名の通った大学に行ってなんでもそつなくこなす和樹。
それに比べて慎はといえば小さい頃から泥だらけになって遊んでいて何かにたけている訳でもない。
多少のコンプレックスはやはり持っている。
慎の頭の中に教室でポツンと座っている宇佐美こだまの姿が浮かんできた。
「似てないのは当然よ、だって血、つながってないもの。こだまが二歳だったか三歳だったかの時親父が私を連れてこだまのママと再婚したの。あの子にとっては記憶に残る父親は今の親父しかいないと思うのよね」
宇佐美ひかりは自分が持ってきたクッキーを口の中に放り込んで笑った。
だんだんきれいなお姉さんは、やんちゃないたずらっ子の顔になっていく。
「すごかったのは、親父の事がすごく気に入っちゃったみたいでおんぶしろのだっこしろの、べったりくっついちゃって離れなかった事ね。私はそれほどに父親っこじゃなかったから、へーそんなに父親っていいものなんだぁって反対に教わっちゃったって言うか、ぽかんとしてたわね」
おしゃべりな家族というのが、あまりにわかりすぎるくらいの早口で、口をはさませないスピィーディさ。
それを名曲でも聴いているかのようにうっとり聞いている兄の和樹。
「でもねあの子すごく優しくて、私も親父も本当の家族だって思ってる。ただ、あの子が一言しゃべるだけでその後は誰かがしゃべりつづけるって図、でしょ?だからなのかしらね、話して理解してもらおうとか思っているうちに先に手が出ちゃうんだと思うの。それを考えると申し訳ないなって思うし私たち家族の責任なんじゃないかなって」
そこで、一口紅茶を口に含むと
「そもそも、親父がパンチなんか教えたせいって事でしょ?」
和樹が相槌を打つのを見て、はっと息を飲み込んで宇佐美ひかりは立ち上がった。
「ごめんなさい!わたしったらこんな長居して親父に怒られちゃう!本当にごめんなさいね」
最後にきれいなおねえさんに戻って彼女はリビングから出て行った。
隣でひかりの顔しか見てない兄と一緒に。
そんな事があった後、慎は以前にもまして気がつくと宇佐美こだまを見ている事が多くなった。
話しかけてくる女子だっていないこともなかったし、たまにグループの塊の中にいることもあった。
でも、基本笑顔を見せる事はないのも事実。
たまに窓の外を見つめる黒い瞳は、なぜだろう悲しさを漂わせている気がして、見ていてはいけないような気持ちになったし、それでいて、視界の片隅にいつもその姿を追った。
宇佐美こだま、身長150センチに満たないクラスでも一二を争うくらいのチビだ。
肩に着くくらいの長さの黒髪をひとつに束ねている。
髪を短く切らないのは姉のひかりを真似ているのだろうか。
大きな目は黒目がちで背が低いせいか、いつでも上目遣いににらんだみたいに人を見上げる。
考えるでもなく、頭の中で想像がめぐる。
きっと宇佐美ひかりは華やかで人目も引くから、いつも回りに人がいるんじゃないのかな。
スポットライトがあたって唇から流れるように言葉があふれ出て、陽だまりのようにそこに花が咲く。
みんな周りの人は彼女を見つめている。
それに比べて自分は、思うように話す事ができず緊張のあまりつい、アッパーが!
そんな想像を繰り返しながら、慎はこだまがかわいそうにも思えてきて何度か声をかけようかと思ったが、どんな言葉をかけて良いかもわからずに、見つめる事しかできなかった。
そんな時だった。
ボランティアの活動という授業の時間があった。
中学校の近くに介護施設があるのだが、毎年二三年生はそこの施設に出向いて入所中のお年寄りと触れ合うというイベント、どちらかというとボランティアだ。
慎は宇佐美こだまと一緒の班になった。
もう一人はサッカー部のやつだった。
授業で、訪問する前に何をしたら良いかを話し合う。
そんな時でも、こだまはうなずいたりするだけだった。
慎たちの班は、前もって先生が出した課題の中から、折り紙を一緒に折る事を選択した。
驚かれることだが、慎はいろいろな折り紙が折れる。
小さい頃に母から教わった。
こまごまとしたかわいい事が好きな母は慎と和樹によく変わった折り紙を教えてくれた。
すぐに上達する兄とは逆に慎はなかなか覚えられない。
でも、弟で三つも年下の慎には難しいと思ったのだろう、丁寧に何度も何度も母は教えてくれた。
おとなしく遊ぶ事が苦手な息子が、なぜかその時はすごく楽しそうに夢中になって教わったのだ。
母は何回も丁寧に慎に教えた。
折り紙というものが本当に不思議にいろいろなものに姿をかえていくのを、幼い慎は一生懸命見つめていた。
慎の中では母との一番懐かしいあったかい思い出だ。
慎たちは変わった紙の方が楽しいだろうと、折り紙を買いに学校の帰りデパートに寄った。
駅前のデパートの文具売り場にはたくさんの変わった模様の折り紙がある。
和紙のものとか、京都を思わせる柄とかそんなかわいい感じのものをいくつか買った。
こだまは無口だが、ちゃんと意見は持っているらしく「これ」とか「うん」とかしか言わなかったのだけど、意思は伝わってきた。
デパートからはこだまと帰る方向が一緒だったので、必然的に二人で肩を並べて歩く。
慎は自転車を押してこだまの横を歩く。
「いい、乗ってかえって」
こだまがぼそぼそっとつぶやいた。
気を使っているのかな、と慎は思う。
「うん、お前のうちまで一緒に行こうよ。そこからは自転車ですぐだから」
遥か下のほうから睨んでいるのか、首を傾げてこだまが慎を見上げる。
あの時と同じ流し目、そして困ったような表情。
「そ」
睨んでいるわけではなさそうで安心する。
「この間、ごめん」
殴った事を言っているのはすぐにわかった。
気にしていたんだ。
「いや、オレの方こそ不意打ちだったから気、ぬいていたしね。もうちょっと毎日真剣に生きた方がいいのかもね」
こだまが唇をかむ。
「すぐ、手でちゃうんだ」
右手を左手で包み込んだ。
「お姉さんが謝りにきて言っていたよ。悪気はないってそれとすごくいい子なんだって」
どきっとして、ちょっと慎は身構えた。
こだまは息を大きく吸って
「ありがと。気をつけているんだ。深呼吸したり」
こだまの言葉が、意地らしく感じて切ない。
「オレでよければ、手、でない練習する?」
こだまは、大きな瞳をきらきらさせて見上げる。
「ほんと?どんな?」
「う~ん、とりあえずいろんな事、話とかしたりして、びっくりした時とか大丈夫になればいいし」
下り坂にスポーツジムの看板が見えてきた。
もう、薄暗くなっていてジムの中からは明るい光がまぶしさを周囲に振りまいているように見える。
あったかい光。
こだまを愛している人たちのいるやわらかい陽だまりのような光。
姉の言葉が思い出される、
(すっごく優しくて本当の家族だって思ってる)
身長の差が激しくて、今どんな顔をしているのか読み取れないけれど、慎に対して嫌な気持ちを抱いている事はなさそうだ。
坂道のはるか下の方から林を抜けて匂いを集めてきたような風が吹き抜けてゆく。
慎の肩ごしをこだまの束ねた黒髪が柔らかく撫でてゆく。
家の前で手を上げたこだまに、特に約束をした訳でもなかったが
「話とかたくさんしようぜ!気ぬかなきゃ一発や二発大丈夫だからな!気にするなよな」
慎の言葉にこだまが振り向いた。
けれど、ジムの明かりに照らされてシルエットだけで表情を見る事はできない。
こだまはどんな顔をしているのだろう。
笑ってくれていたら嬉しいな。
手を振ると、自転車を走らせた。
こだまの力になりたいと心からそう思って、慎は身体全体に向かい風を感じる。
ほてった身体に気持ち良い風。
夏はもうすぐ本格的に始まってゆく。
季節は知らぬ間に巡ってゆく。じりじり太陽が照り付けて、肌を黒くする夏がやってきても、いつか秋が来て冬がくるのだろう。
そうしてオレたちは中学生から大人になってゆく。
否が応でも、間違いなく。
時間は待っちゃくれない。
中学二年生の時はどんどん過ぎ去っていく。
大人に向かってオレたちは生きていかなくちゃいけない。どんな事があっても。
人間としてこんなちっぽけな自分は、大きくなれるんだろうか。
そんな不安と隣り合わせの毎日。
風は少しだけ、湿った夏の匂いがした。
こだまも、自分も少しでも成長したいと思っている。
夕焼けの空の中、転がるように自転車はスピードを増していった。