想い 宇佐美ひかり
病院へ怖くて行けないひかり、
それを暖かく見守る和樹。
遅い連絡、不安に震えるひかり。
想い 宇佐美ひかり
祖父の家から帰って来ると、父は大忙しだった。
母の病院の手配やらなんやらで。
結局はるかは大学病院で手術をすることになった。
五本の指に入るという医師に担当してもらえることになったらしい。
初期の病気で心配はないというはるかを抑えて、決断した父にひかりは思った。
親父の中でも何かが変わったのかも。
手術当日、ひかりは病院には行かなかった。
いや、行けなかった。
病院のベッドにいるはるかの姿を見るのが嫌だった、振り払っても振り払っても脳裏に浮かぶのは最後のひかりのママの姿だったからだ。
手術時間は二時間くらいで胸腔鏡という傷の少ない、回復の早い手術だと聞かされていた。
こだまに連絡を入れてもらうよう言って、ひかりは大学の和樹のいる応接室に向かった。
そこが一番安心して、連絡を待っていられるような気がしたからだ
「やあ、来たね。今日は百合をいけるよ」
部屋いっぱいに百合の香りが充満している。
パチンパチンといい音をさせてハサミで黄緑色の葉の茂る木の枝を切ってゆく。
「あのさぁ~おしゃべりしていてもいい?」
(じっとしていられないの)
心の中でつぶやいた。
「いいよ、それで気持ちが落ち着くんだったら。いくらでも、どうぞ」
「でも、邪魔じゃないの?」
「邪魔だと思ったら、来ていいよなんて言わないから」
「そうか」
ふぅっとため息がもれる。
なぜだか緊張しているみたいだ。
「お花ってさ、私にもいけられるかなぁ」
「もちろんだとも!」
「でも私って芸術的才能ってないような気がするのよね~」
「そんなの、やってみなくちゃわからないでしょ」
「う~ん」
特にお花がいけられるようになりたい訳じゃないんだけど、と思いつつ眺めている。
「お花、見て綺麗だなって思う?」
「うん」
「お花って顔なんだよ。ほら」
彼は手に取って百合の花をゆっくり一回転させた。
「どの向きがこっち見ている気がする?」
百合の花がこちらを向いた、と思う方向があった。
「へ~~わかった!こっち見てる」
「そうすると、お花と話し合ってどこ見ていたいか決めればいいんだ」
「あ、なるほど。おしゃべりするんだったら私、得意だわね。できそうな気がしてきた」
和樹の不思議な魔法は、ひかりが着物をきてお花をいけている映像をくっきりと描かせた。
それから和樹の脇にテーブルを置いてひかりもたくさんの材料の中から小さな花器に生まれて初めての作品を作り始める。
和樹のいうように、花を見つめて花がどこを見ていたいのか聞くように花器に刺してゆく。
おしゃべりなひかりが、真剣にだまって見つめながら花器に景色を描いてゆく。
それは母の手術の成功を祈っている気がして、ざわめいていた心が落ち着いてゆく。
「できた!すごい、わたし」
顔を上げると和樹ももうすぐ自分の作品が出来上がるところで、目をあわせると優しく笑った。
「初めてなのにね、ひかりちゃん。とってもきれいにいけてあるよ」
急に恥ずかしくなってひかりは、いらない話をぺちゃくちゃ話しはじめる。
それでも迷惑だったろうに、和樹はちゃんとした作品を作り終えた。
彼の大きな作品をひかりは、見事だと思った。
百合の花はきちんとこちらを見つめている。
龍のようにくねった緑の葉のついた枝が全体を包み込んでいるよう。
真っ直ぐ立っている百合と手を伸ばして主張する枝の曲線。
ひかりを指導しながら、こんな作品よくできるなぁと感心しきりだ。
「そろそろ、二時間たつんですけどね」
ひかりは胸ポケットからメロディーが流れるのを気にしている。
連絡はまだだ。
「そうだね、二時間かからないかもって言っていたよね」
それから、和樹はコーヒーを入れてくれてブレイクタイム。
おしゃべりなひかりが黙り込んだのを見つめると、一生懸命話し出した和樹。
「小さい頃にね。弟と一緒にお花をいけさせられたんだけど」
遠いどこかを見つめるように目を細める。
「慎ちゃんが初めていけたお花は、とっても斬新だったんだよね。なんかこう迫力があってさ。僕嫉妬しちゃってね。でも母さんがやらせようとしても慎ちゃんは、それっきり外で遊ぶ方がいいって(お花なんか嫌い!)って言ったからみんながっかりしちゃってさ」
ちょっと悲しい顔になる。
「それで僕が綺麗にいけるからって、頑張るからって言って今日までやってきた訳なんだけどね。才能とかって僕、あるのかなぁとか考えちゃうこともあるんだ、本当は」
和樹の意外な言葉に
「え、才能あるよ!だって何にも知識のない私でも初めて見た時、感動したもの!」
ひかりの言葉に、心底嬉しそうな表情。
そこで二人でお茶をすすると、ひかりはもう一度時計を見た。
「ねぇ、遅くない?遅すぎじゃない?」
だんだんイラついてくる。もう三時間半過ぎている。
「じゃあ病院に行ってみた方がいいのかな」
和樹が気軽に言った気がしてひかりは急に腹が立った。
「いや!絶対に行かない!ここで待ってる」
「そうか、そうだね。こだまちゃんにメールしてみる?」
そんな気持ちに気がついたのか、オロオロして聞く。
「いや!私に連絡してねって言ってあるもの」
自分が何かしたら悲しい事が起こるような気がして、どうしても動けない。
ただ待つことしかできない。
「うん、いいよ。いつまででも一緒に待っていてあげるから」
ひかりは涙がこぼれそうになった、優しい言葉。
イライラした自分が悲しくなった。
「ありがとう、病院で待っていて呼ばれたときの事が忘れられないの。ママは力なく私を見てにっこり笑ったけど、それっきり目を閉じて目覚めなかった。どんなに呼んでもママは目を開けなかったの。一人ぼっちで病院の中に取り残された気がした。周りの人たちはせわしなく動いているのにね」
「いいよ、泣いても」
そういう和樹を見ると、すぅっと涙がこぼれた。
「病院に行くとその時の事が、必ずよみがえっちゃうの。悲しくて苦しくなる。病院に行ったのはその時が最後かもしれない。でも今度はちゃんとお母さんは戻って来るって、たいしたことないんだって自分に言い聞かせてる。だから、こんなところで普段通り過ごしていたくて。ごめんね」
大粒の涙がこぼれた。
「大丈夫だよ、きっと笑って帰って来るから」
「うん、ね。だから私泣かないわ!笑ってる。笑って待ってる!もう、こだまったら連絡するの忘れてるのかしら」
その時、着信音が鳴った。
慌てて落としそうになり、和樹を見て息を吸い込んで電話に出る。
「おねえちゃん!大丈夫だよ!時間が長くなっちゃってあたしも心配してたけど、成功しましたって。」
こだまの嬉しそうな声。
「よかった!なんでこんなに遅くなるのよぉ~心配してめまいがしそうだわ」
「患部は小さくて心配なかったんだけど、お母さん小さい頃に肺炎をやってて胸膜が肺に張り付いていたんだって。それを丁寧にはがしてくれていたから遅くなっちゃったって。でも、もう心配ないですよって!元気になりますよって」
電話を切って座りこんだひかりの頭を、ポンポンと優しい手のひらがたたいた。
「よかったね」
見上げると彼は涙目になっていた。
「よかった!」
ひかりは彼に抱きついた。
夏の暑さがヒリヒリしそうな外へ出かけようかな。
涼しいクーラーのきいたこの部屋から。
お母さんの顔を見て、ちゃんと(頑張ったね)って言ってあげなくちゃいけないものね。
病院なんて怖くないわ、ちゃんとナイトがついてきてくれるから。
ひかりたちは、涼しい花の匂い一杯の部屋を出た。
もう涙がかわいて笑っているひかりと、涙をながしている和樹と一緒に。
次話、最終話になります。
23日、23時にアップします。
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。
あと、他の作品を
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ありがとうございます。
この場をお借りしてお礼申し上げます。