朝焼けの中で 宇佐美はるか
予感があった。
胸の奥に震える心を抱いて、はるかは目を覚ました。
朝焼けの中で 宇佐美はるか
その日の朝、はるかは胸の中にたくさんの気持ちが渦巻いて、まだ心の中が整理しきれていず何かから置いて行かれるような気持ちで目が覚めた。
いろいろな事が変わった。
柄にもない後ろ向きの自分が家を出た事から。
はるかの中でも何かが変わった。
高い空と広い緑、さわやかな朝が来る少し前、エンジンの音を聞いた。
心のどこかで何かを期待している声が聞こえていた。
隣には可愛い娘が二人、幸せそうに寝息をたてている。
かつて、雅治と彼の家を取り巻くすべての事の支えになりたいと思った。
そうしてそのまま突っ走ってきた。
突然の病気の知らせは、はるかにブレーキをかけて立ち止まらせた。
わたしが支えてきたこの人たちは、わたしがいなくなっても立っていられるのだろうか。
自分がしなくちゃいけなかったのは、支える事ではなくて一人で立っていられるように育てる事だったんじゃないか。
そんな自分のやってきたことに対する後悔と懺悔の想い。
自分がいなくなってみんなが悲しむのは、やはり必要とされていたと実感することだ。
でも残された人間はどんなにそれが悲しい出来事であろうと、生きていかなければならない。
かつてはるかがこだまを抱えて泣いた時のように。
どうしたらいいのか、不安に押しつぶされそうになる。
そして、はるからしくもなく逃げた。胸が痛い。
庭に出てみると二台の車が止まっていた。雅治が立っている。
あたりはもう明るくて日が昇るのを待っているように小鳥のさえずりが世界を包む。
「行こう」
にっこり笑う雅治は、なんだか昔にもどったようで泣けてくる。
隣に止まった車の中では、河西のお母様なのだろうシートを倒して目を閉じている。
(彼らに似てるな、目元とか口元とか。親子だものね、心配したに違いない)
はるかは雅治が歩く後に続く。
家々が見下ろせる丘のベンチに座って、彼は両手を上げた。
息を吸い込んで気持ちよさそうに吐き出す。
透明の清らかな空気に包まれている。
「本当にここは気持ちがいいな」
「ごめんね」
「うん、まあ、オレにも責任あるのかもって思って、宿題かたずけてきたからね。後ははるかがゆっくり身体を気遣って元気になるだけ!」
落ち着いている。
ああ、この人はかつて最愛の人を失って自分をも失いかけていた人ではないんだ。
わたしとの十年間で成長したんだ。
変わらないと思っていたのは、昔とおんなじままの自分だけだったのかもしれない。
「気がついたんだ。人は誰でも死ぬんだってね。別れは絶対に必ず訪れるんだ、それがずっとずっと先であることを願って生きていくだけなんだって。そんな事気づかなかったから結構人生終わりだって思った時もあったけどさ。うんと年とってしわしわになっておじいさんとかおばあさんとか、そんな風になるまではるかと一緒にいたいなって思うのは変わりないけどね。その為にははるかに頼りっきりじゃだめってことだよな。宿題やってて思った。み~んな最後のところではるかまかせだったなって。だから、宿題きちんと終わらせて迎えに行こうって決めてた。遅くなってごめんな」
涙がほほをつたう。
はるかも一人で立っていられない時があるという事に気がついたのだ、今になって。
「今、わたし、支えが欲しい時かも」
涙は止まらない。
「いいよ、泣きたいだけ泣きなよ。ちゃんと泣いた分だけ抱き留めてやるよ。そのくらいの抱擁力は持ち合わせてるんだからね。みくびらないでよ、ただただ年取ってきた訳じゃないからさ。おじいさんとおばあさんになるまで先は長いよ~」
はるかは泣きながら笑った。
朝日が山裾から光を放って町の隅々まで舐めてゆく。
日に触れたと同時に生命が生まれるように魔法をかけてゆく。
生きているってこういう事なのかな、と思う。
日の光を受けて息を吸い込んで、肺一杯に命の輝きを受け止めよう。
まだまだ、やりたいことはいっぱいあるし、やらなくちゃいけない事だってたくさんあるんだ。
子どもたちは、それぞれ自分の悩みを抱えながら支えてくれる人を探して、ちゃんと自分の足で立っている。
本当に自分の足で立ち上がらなければいけないのは、わたしだったのかもしれない。
「さ、もうすぐ朝になるよ。河西さんにも朝飯食べて行ってもらおうよ。男の子のお母さんでもたくさん心配していて、ばててたから可哀想だよね。娘二人にも振り回されそうな予感が怖いけどさ」
そう、二人とも本当にいい子たちだ。
こだまもひかりも、大切なものを手に入れていたのかな。
父親としては悔しそうだけど、それはこれからのお楽しみ。
「今日は、腕によりをかけてわたしが朝ごはんの支度するから、お腹いっぱい食べてね」
横から、ぐぅ~っと調子よくお腹の音が聞こえてきた。
さあ、何をつくろうかな。
見下ろす朝の景色は雅治とはるかの足元を照らし、これから向かう長い人生という旅の先を暗示しているように眩しく輝いて、二人は目を細めて見つめあった。
次話、21日 23時アップします