景色に抱かれて2
自然に抱かれて、心が素直になってゆく。
こだまもひかりも、二人の母も、そして慎も和樹も。
そうして、人の気持ちにも気づいてゆく。
景色に抱かれて2
慎と和樹は暮れてゆく中を二人で歩いていた。
「なんかさ、学校で物凄い剣幕のひかりちゃんに会って、道々いろんな事聞かされて慎ちゃんが一緒にいるっていうもんだから。お母さん連れ戻しに行った方がいいよって言ったら、一緒に来るのは当然って思われちゃったみたいでね、ここまで来ちゃったんだ」
緑色の山々で作られた箱庭を見下ろす小高い丘の木の下、三人は本当の親子に見えた。
そして、微笑ましいくらいに仲良く思えた。
なんとなく、いい割合でできている親子だな、と慎は思っていた。
結構、まじめで悩み始めるとすべてがその事ばかりになってしまうこだま、そしてこだまのお母さん。
それを取りあえず、口も手もどんどん動いて解決策を探してどうにかしてしまうお姉さん。
親子って補い合って出来上がるものなのかな。
慎は自分の家を思った。
(オレも兄貴も、そしてオレの家の人たちも。血とかじゃなくて、時間なのかもな。思い出や気持ちや相手を思いやるそんな様々なものが家族という物を形作っているのかもしれない)
夕日が赤く田舎の景色を染めて、白かった雲が茜色に染まっていた。
「兄貴は、ひかりさんの事好きなんだよね」
ふと慎が聞いてみたかった質問を言葉にする。
「なんかさぁ、ひかりちゃんでもコンプレックス持っててね。僕と同じなのかなとか思っちゃってさ」
コンプレックス?綺麗なお姉さんでも?
「こだまちゃんは素直で可愛くて、お父さんもお母さんも手放しで愛してると思うけど、自分はどう思われてるのかなとか。家族の中で一番遠くにいるような気がしたりしているんだよ」
こだまの方こそ、そう思ってるのに?
「そういうところ、僕と似てるかなってね。僕と慎ちゃんの感じにさ。母さんもおばあ様もいつでも心配してるのは慎ちゃんで、ちょっと昔からコンプレックス感じてたし」
オレの事が兄貴より心配?感じた事もない。
意外な言葉に慎は耳を疑った。
「そんな事ないよ。兄貴はいつだってオフクロやおばあちゃんの自慢の種だったじゃないの。オレの方こそいつだって比べられるのが嫌だったし怖かったし」
「それは違うよ。僕は母さんやおばあ様に気に入られよう気に入られようとして、一生懸命生きてきたんだ。だけど、いつでもそんな僕より気持ちは慎ちゃんに向かってる。心配して怒ってばかりだけど、本当は可愛くて仕方ないんだよ。気になって仕方ないんだ」
「オレ、いう事聞かないからじゃないのかな」
「違うよ、慎ちゃんが悲しい思いや悔しい思いしないか、心配なんだよ。親は本当は自分のいった通りにすれば失敗もしないって事知ってるから先回りして口うるさく言うんだ。けど、慎ちゃんはいう事聞かないで結局親が心配している通りになっちゃって悲しかったり悔しかったりしちゃうから」
慎は、自分の事など周りはどうでもいいと思っていると感じていた。
いつでもやりたいことに反対する、いちゃもんつけてケチつける、慎はそう思っていた。
「オレって邪魔者かと思ってた時ある」
ふとつぶやいた。
「ばかだなぁ、僕だってそう思っていた時あるからねぇ。だから、ちょっとこの間叱られたのはくすぐったい気分もあったしちょっとだけ嬉しかったりしたな」
母屋で正座させられていた時の事だ。
「勝手にいろんな人に声かけて、それで例えばその人に恨まれるような事があったらあなた傷つくわよって。人はいろんな人がいるのよって。僕の事心配してくれて怒ってくれたのかなってさ」
兄の和樹は怒られたことないからな、と思う。
(兄貴もひかりさんも、コンプレックスを持っていて心が縮こまるような気持ち抱えてたのかな、もしかしたら)
と思いを巡らせると、なんだか可笑しくなった。
「母さんだっておばあ様にコンプレックスあるから、違う事始めたんだって言っていたよ」
そうか、華道じゃなくてフラワーアレンジメントっておばあちゃんと違う道を選んだって事なのか。
人は自分の中に小さなイライラを持っていてジレンマと戦いながら、それでも自分の生きる道を探しているのかな。
成功すれば評価されるけど、失敗したら非難される。
いつでも、そんな危険と隣り合わせのチャレンジなのかもしれないんだ。
慎は、そんな人たちの事を全く理解してなかった事に改めて気づいた気がした。
暗くなった山間の古い大きな家は、ほの明るく慎と和樹を迎えてくれている。
突然のように日は落ちて、今日という日が終わる気がする。
長い一日、様々な思いが胸を通り過ぎる。
風は冷たくて気持ちがいい。
昼間の空気とまったく違う空気に包まれて、時は過ぎてゆく。
ほどなくして、三人のにぎやかな笑い声が聞こえてきた。
「お待たせ!」
と明るい表情の宇佐美ひかりと笑顔のこだま。
隣に姉妹二人の母親が笑う。
「こんなに遅くなって今晩はこちらに泊めてもらって帰るのは明日にしましょうか。河西くんのお家には私から連絡しましょうね?」
手には携帯を握っている。
「あ、それには及びません。そういう事もあるかと言ってきたのでもう一度僕のほうから連絡いれますから」
和樹は外用の顔で頼もしい。
「それでは申し訳ありませんが一晩お世話になります」
おじいさんに向かって頭を下げるので慌てて慎も合わせておじぎをした。
「よろしくお願いします」
それを見て、こだまが笑う。
今日何度目かの笑顔。
「こんなところで良かったらどうぞ。今日は賑やかで楽しいのぉ」
ゆったりとした時間は甘く、どこかにしまっておきたいような気持にさせる。
たくさんの野菜の乗った食卓は、どの野菜も味が濃くておいしかった。
順番に風呂に入る。
「ここのお風呂は大きいのよ。兄弟で入っちゃいなさいな」
久しぶりに兄弟で一緒に風呂に入る事になった。
少しだけ恥ずかしかったりする。
本当にちょっとした民宿くらいの大きさの風呂で気持ちがいい。
家族で旅行に行ったのはどれくらい前の事だろう。
窓の外は深い緑一杯の山が月に照らされて見えている。
湯気の中で和樹が笑う。
「さっき母さんに電話したら、慎ちゃんの事見張ってなさいよって言われたよ。ははは」
能天気に声をあげて楽しそうだ。
小さい頃はこうやって母屋の祖母の風呂に二人で入ったなぁ。
ずっとずっと昔の事のように感じる。
「何しでかすと思ってるんだか」
慎はムッとして身体を洗う。
「兄弟二人で、どうして同じ家の娘を追っかけているんだか、ってぷんぷんしていたよ、ふふふ」
ゆったりと風呂に気持ちよさそうに、つかっている。
気持ちよさそうに、目を閉じて汗をかいて。
「あれってさ。ちょっと焼きもちやいているんだと思わない?」
どこか嬉しそうな和樹。
「そんな訳ないだろ、気に入らないんじゃないの。自分の知らないところでいろいろと話が進んじゃうから」
昔から何があったか根掘り葉掘り聞いてくるタイプの母親だった。
それがうっとうしくて慎はいつの間にか、何もしゃべらなくなっていた。
「だからさ、それって焼きもちやいているんだって!本当は自分も一緒に仲間に入りたいんだよ。母さんも可愛いとこあるよね」
兄の中で母が可愛く思えたところで、湯あたりしそうなので慎は先に風呂を出た。
新品の下着と男物の浴衣が用意されていて、びっくりする。
身に着けて農家の家だなと思わせる縁側に出てゆくと、こだまの母が団扇をこちらに向けてぱたぱたあおいで、笑った。
こだまの笑顔に似ている。
「どうぞ涼しいわよ、ここは。麦茶入れるからね。ちょうどよかったわねサイズ」
そうか、気が利くっていっていたっけ。
やる事そつないな。
冷たい麦茶をもらって慎は、縁側に腰掛けて何を話そうか迷っている。
するとにぎやかな声が聞こえてくる。
「やぁだぁ~河西くん浴衣にあう¬~。じゃ今度はわたしたちがお風呂入っちゃうからね。色っぽくなって出てきま~す」
脱衣所からだ。
今度は女二人で入るのかな。
なんてことないはずなのに、慎の胸はちょっとドキドキする。
「こだまの相談にのってくれていたんだってね、ありがとうね。あのくせね。あれ私たちのせいなのよ」
こだまの母は慎の隣に座って、もう暗くなった夜空をみあげる。
星の数が何倍も瞬いて溢れる。
こだまのアッパーの事だろうか?
「小さい時に再婚してね、こだまはパパができて物凄くうれしくてね。大好きで大好きでいつでも抱っこしてとかおんぶしてとかね。未熟児で生まれてきたからいつでも同い年の子の中では味噌っかすって言葉、知ってる?劣等感もっていたの。いじめられたりもしていたしね。でね、パパがそんなやつらやっつけちゃえ、ってボクシングの真似事させたら意外にもコツつかむのがうまくって。で、みんなしてほめちゃった訳。反射神経がすごくてみんなして面白がって、つついたらパンチ!って遊んでいたのよ、とっても可愛かったからみんなして、そんなこだまが見たくてね」
そこでこだまのお母さんはふうっとため息をもらした。
どこか遠くの方を見つめて懐かしい表情で。
「小さい頃に覚えた事って、簡単になおらないのね。小学校上がるころには男の子何回もダウンさせちゃった。ふふ、あのちびすけがね、困ったものだわ」
困ったと言いながら、嬉しそうに話す。
「ジュンヤが小学校入ってボクシング始めたから、ますます磨きがかかちゃったのね。やめようと思った時には遅かったって訳ね。でも、あなたが一緒になって心配してくれているって、ちゃんと普通の女の子に戻りたいって、そういうんだから成長したものね」
そうかジュンヤ、幼なじみだって言っていた。
風が時々ほほに当たって気持ちいい。
山から下りてくる風は冷たい塊みたいに通り過ぎてゆく。
隣に座っている人は、母親の顔をしている。
子どもの気持ちを肌で感じている母の顔。
風呂場から声が聞こえてくる。
「おかあさ~ん、はやく入っておいでよ~」
にっこり笑ってこだまの母は、風呂場に向かった。
なんだか暑くなってきた。夏だから仕方ないよな。
慎は自分に言い聞かせた。
その晩はまるで修学旅行にでも来たような感じだった。
(親戚の集まりって感じかもしれない)
「そうなのよ~こだまったらツンツンすると振り向きざまにシュッてパンチよ!小さいけどこれが当たると痛くてかわいくてたまらなかったんだわぁ」
こだまの気持ちはどうなのかなと思うのだが、話題がこだまのアッパー癖になるとひかりは嬉しそうに話した。
慎が少しドキドキしてこだまの顔色を盗み見ると口をへの字にしているが、それでも目が笑っている。
(そう、それに最近コントロールできているみたいだしね)
ちょっと安心してこだまと目が合うと、口元もほほ笑んだ。
「ジュンヤって一緒にジムに来ていたんだって?」
気になってたずねてみると
「うん、パパが筋いいって。パパが褒めるのが悔しくて」
すごく素直な回答だと思った。
言葉やしぐさ、一つ一つが慎を認めてくれているような気持ちになる。
「そうよ~ジュンヤは男の子だしボクサーにして世界をめざそう、って盛り上がってたんだから!」
ひかりがすぐ横から口を出してくる。
「そうなんですか?今はサッカーやってますけどね」
ひかりはその頃の事を嬉しそうに和樹に話している。
こだまがつぶやくように
「あたしが怒ったからボクシングやめたの」
少し困ったように上目づかいに慎を見つめる。
こだまの為にやめたのか。
「ジュンヤはサッカーが大好きだって言っていたわよ」
こだまの頭に手を乗せて、こだまのお母さんが優しく笑う。
なにか言わなくちゃと、慎は口を開こうとしたところに、ひかりが
「そうよ!サッカーって格闘技的なとこあるし、きっとサッカーで世界を目指しちゃうんじゃない!そうしたら今あるノボリ捨てなくて良かったって事になるかもよ~」
ひかりの言葉に慎はジムの表に風に揺れているノボリを思い出していた。
『めざせ!世界』
色あせたフラッグ。
(あれ、ジュンヤの事だったのか)
今は古くなって風前の灯火という感じだったのを思い出して、慎はちょっと笑った。
次話、19日 23時にアップします。