トンネルをぬけて 宇佐美ひかり
ひかりが、和樹が
動き出す。
何かに導かれているように。
大切な人のもとへ。
トンネルをぬけて 宇佐美ひかり
ひかりは電車に乗っていて、隣には和樹がいる。
半ば強引に拉致した感じで連れてきた気がして恐るおそる隣を見ると座ってうつらうつらしている顔は、いたってのんきだ。
無防備で何をされても、何?と言って笑いそうで。
ひかりのいう事をじっくり聞いて何がしたいのかわかってくれて、そして一緒についてきてくれる。
弱々しくみえるが、いざという時頼りになる感じがいい。
(今は少しだけ休憩させてあげよう)
肩にもたれる彼の頭にひかりの頬をくっつけて目を閉じる。
ひかりが居ても立ってもいられなくなって大学の応接室に入って行った時、部屋には誰もいなかった。
山盛りの花が優しい香りを振りまいていて、眺めているうちに懐かしい気持ちがわいてくる。
(あ、そうだ。こだまはもしかして今日、お母さんの事を探しに行ってるんじゃないかしら)
昨日、長谷さんにこそこそと何か聞いていた場面を思い出し、少し前に河西くんの弟がこだまを訪ねてきた事も重ねて、推察してみれば答えは一つだと思った。
(こだまったら、きっと今日学校を休んでどこかに出かけてるに違いないわ。
一番に考えられるのはまずお母さんのたった一人の身内である伯母さん、お母さんのお姉さんのところへは行くに違いないな。
でも、お母さんはそんなところにはいないのよね。そうすると、じゃ、どこに行く?)
もう一度、昨日のこだまを思い出してみる。
(う~ん、鍵は長谷さんか)
ひかりはもう、思うより早く長谷さんに電話をしていた。
長谷さんという人は父とも母とも旧友でなんでも隠さず、の付き合いだ。
家族同様の仲。
一回目、出ない。
今度はこだまに電話したが、これもでない。
もう一度こだまに電話するが、でない。
長谷さんから電話がかかってきたのは、悩んで椅子に腰かけて目の前の綺麗な紫色のぼんぼりみたいな丸い花を眺めている時だった。
紫陽花の花は鮮やかな紫とも群青ともいえる色で、すっくと立っていて渋い大きなお皿みたいな花器に今が盛りと咲き誇っていた。
白、黄緑、黄色の知らない花や葉っぱが両手一杯広げたくらいの大きさに輝いている。
その真ん中に紫陽花は凛として立っている。
まさに立っている、そう表現するのが一番に思われた。
ポケットが呼び出し音で揺れる。
「ひかりちゃんかい、電話なんかかけてきて、どうした?」
「長谷さんね、どうしたじゃないわよ!昨日こだまと何話していたの?」
長谷さんはため息まじりにしゃべり始める。
「こだまちゃんが、お母さんの行くとこはどこかっていうからさ。ま、墓参りじゃないかって。伯母さんの家に行って聞いてくるって言っていたけどね。別にそろそろはるかも整理がついた頃だろうと思ってね」
(くっそ~、長谷さんは何にも知らないって顔して、全部知っていたんだ。てことは、親父の事もだましていたということかしら)
「それでどこ!墓参りってどこよ!」
長谷さんはすらすらと答えた、別に隠していた訳じゃないかのように。
電話を切ってもう一度こだまに電話する。
すると、今度は何回目かにつながった。
でもそれはこだまではなくて、男の子の声だった。
河西慎だ。
「ごめんなさい、責任持って連れて帰ります」
それだけ言うと、電話は切れた。
言葉につまって、手元の画面を見つめていると入り口から声が聞こえてきた。
「あれぇ、ひかりちゃん!来たの?今日は山の景色のイメージで活けてみました。どう?紫陽花きれいでしょ?」
ジンジャーエール片手に河西和樹の登場だ。
ふうっと息を吐き出しながら。
ひかりはにっこり微笑んでいる和樹の前に歩み寄った。
「もう!行くわよ!」
そう言って、彼の手を握って大学を出て、駅に向かって歩いてゆく。
ポカンとした顔で、
「なに?どうしたの?どこ行くの?なにを怒っているの?」
疑問符を連発する彼を連れて駅から電車に乗った。
二つ先の乗降客であふれる駅で降りて、ローカル線に乗り換えて腕を掴んで連れてきた彼を座らせると、ひかりもゆっくり息をはきながら座る。
和樹は飼い犬のようにおとなしくひかりが話し出すのを待って、真っ直ぐにこちらを見つめている。
ひかりは話し始めた。
こだまがお母さんを探しに行っただろう事、お母さんがいろいろと悩んでいたのではないか、そしてどうしてもっと早く気がつかなかったのか、という事。
素直に気持ちがくちびるからこぼれ落ちた。
自分でも驚くくらいに素直な気持ちだった。
「それは仕方がないよ。それにお母さんもきっと気持ちの整理がつくための時間が必要だったんだろうから」
その一言に救われた。
「うん」
うなずいたひかりの胸の中のつかえていた何かが溶けてゆく気がして、笑顔になった。
電車は山の中を何回もトンネルを潜り抜けた。
短い暗い一瞬が通り過ぎる。
そして目の前の景色は徐々に変わってゆく。
母や何に心を痛めていたのだろう。
自分の事、父の事?
ひかりにとって母は大切なのだ。
(私にとって、とってもとっても大切な人。絶対にいなくなってしまっては困るの。どんなときにも、何があっても必ずそばにいてほしい人なの。そして話を聞いてほしい、私もお母さんの話を聞いてあげよう。お願いだから帰ってきて!そして、いつもみたいに笑ってほしい)
本当にトンネルを抜けると世界が変わる。
来た事のない緑一杯の世界、ここは母の大切だった人が生まれ育った場所なのだ。
ひかりは母の生きてきた長い時間を想像した。
だいたいのことは知っている。
出版関係の仕事をしていた時、年上の人と結婚してこだまが生まれた。
しかしこだまが赤ちゃんの時亡くなったこだまの本当の父。
そして実家に帰って来ると旧友が悲しみに病んでいたという訳だ。
そこからは自分も一緒に生きてきたし、そばにいたから理解しているつもりでいた。
でも何にもわかってなかったのかもしれない。
(こだまがパパのこと本当の父さんみたいに大事に思っていたのはわかっていたし、それをみんなうれしい事に思っていた。お母さんは何を感じていたの?何を見ていたの?)
メールが届いた、こだまからだ。
『病気が見つかってお母さんが悩んでいたことを、おばさんから聞きました。心配しないでお姉ちゃん!お母さんは連れて帰るからね。勝手な事して心配させて、ごめんなさい』
涙が出た。
(こだま、お母さん。私の大切な人たち、大事な家族。もう、こんな時に親父はなにしているのかしら)
山が近くなってその懐にもぐり込んでいく、その手前にその駅はあった。
静かな、透き通るような空気。
(ここに大切な人たちがいるのね。ちゃんともといた場所に連れて帰らないとね。でも、時々こんな素敵なところ、来てみてもいいかもしれないわね)
住所でこだまのおじいちゃんの家はわかった。
田舎の一本道だから長谷さんの説明だけでも、こだまの亡くなったお父さんのお墓は簡単にわかった。
「すごく、いいところだね。こんなところにお墓があるんだね」
強引に引っ張ってきて連れまわして、なのに河西くんはこんなのんびりしたセリフ。
「河西くん!あのね、うそやめちゃっていいよ」
何のことって、疑問符が頭に浮かんでいるみたいな顔がかわいい。
「だからぁ~彼氏っていううそよ!本当にしてもいいかなって」
そんなことをしゃべりながら、ひかりはちょっと照れくさくて、あわてて指差した。
「あ、あそこにお寺があるよ!きっとあそこね」
腕を引っ張ってちょっとした坂を下りてゆく。
木々に囲まれた道を抜けると眼下に景色が広がった。
点在する家々が小さく見える。
山に包まれて川がきらきら輝いている。
「わぁ、すごい景色だね」
ひかりが声を上げる顔ばかり見ている和樹。
「ほら、見てごらんよ!村なのかな、家があんなに小さくて川があって橋があってバスが走っているわよ!」
ぐんとせり出した丘に寺があり、斜面に墓がいくつも並んでいる。
小さな家々はまるで絵本の中の一コマのように目に映り、緑色の畑や田んぼが作り物みたいに並んでいた。
「本当だね、すごく綺麗な景色だね。でもひかりちゃん、当たり前の事しか言ってないよ。家があって川があって橋があってバスが走っているって」
和樹が笑いだす。
静かな中に響く笑い声。
つられてひかりも笑い出す。
(私、もう一人大切な人ができたのかも)
次話、17日、23時 アップします。