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始業日から数日経った日、学級会でクラスの係を決めた。
この係、席順や学級委員と同じく一学期ごとに決めなおすことになっていて、クラスから数人を選ぶ学級委員と違い生徒全員がなにかの係を担当するのが決まりだ。ただし各自やりたい係を自分で選び、定員を超えた場合に限りジャンケンで決め、負けた人がなり手のない係にまわるという、ゆるい選出方法ではあったけど。
ぼくは一学期のあいだ花壇係を担当して、なんとなく二学期も続けるつもりでいた。
それが、学級会が始まる直前になって、
「モリハル、わたしといっしょの新聞係をやろう。いいねっ」
と美和が耳打ちしてきた。ぼくが答えるよりまえに副委員長の彼女はそのまま立ち上がり、岡村といっしょに司会進行を務めるため教室のまえに出ていった。
特に花壇係に執着があったわけではなかったけど、いきなり考えてもなかった新聞係と聞かされて頭の中は挙措を失う。
新聞係は、週一のペースで学級壁新聞を作る、めんどうくさがってあまりだれもやりたがらない係だ。そんなだから、やりたいとなれば確実になれるだろう。
現に一学期の担当は美和と彼女と仲のいいサッシのふたりだけのはずだ。
新聞の内容を思い返すと、学校の時事ネタみたいな真面目なものから、クラスの面白ニュース、なぞなぞクイズ出題、趣味のコラムといった感じ。それを週末までに大判の模造紙で制作し、月曜日の朝にはみんなの目に触れるように教室の後ろの掲示板に貼り出す。これを毎週やるのだからふたりでは大変な作業だとは思う。だからといって、ぼくになにができるのか疑問だったけど。なら、どうして美和はぼくなんかを誘ったのか――。
そんなことをもやもやと考えているうちに会は進み、岡村が係の名を挙げていき、その希望者に挙手させていく。それを美和が黒板に書きとっていく。
「じゃぁ次、花壇係をやりたい人」
岡村の声に数人の生徒が手を上げた。ぼくはギリギリまで悩んだ末、結局手を上げなかった。いや、決断するよりまえに岡村が打ち切り、話が次の係に進んだだけのことだ。
そしていよいよそのときがきた。
「次、新聞係をやりたい人」
こうなったら腹を括るしかない。ぼくはひと呼吸おいてからもそもそと手を上げた。
こっそりまわりを見ると、ひとりサッシが毅然と手を上げている。それとまえに立つ美和と。
その美和と目が合った。例の瞳をクリクリさせて「よし」と合図する。そのときのぼくはどんな顔をしていただろう。たぶんどんな顔をしていいのかわからないっていう情けない表情だったはず。
そんなわけで、美和の思惑通りぼくは新聞係になった。決まってしまってからは、同じ係をすれば彼女のことをもっと知る機会になってよかったんだと思うことにした。
その日の放課後から美和の提案で、さっそく居残って三人で壁新聞の内容について話し合うことになった。
サッシとぼくは、この日初めて口をきいた。なぜならサッシは美和とは違い、本当の意味でクラスでも文句なく、特別変わった女の子だったから。
ぼくらの教室では男女とも三人から五、六人で形成するいくつかのグループに分かれていた。それが、たとえば美和のいる〝やや控えめなオシャレ女子グループ〟だったり、岡村の率いる〝クラスの中心はオレたちだ男子グループ〟だったり、ぼくが辛うじてくっついている〝一見してぱっとしない男子グループ〟だったり。
それなのにサッシはどのグループにも属さず、たいていひとりでいた。そしてどういうわけか美和個人とだけ親交を持っていた。重ねてふだんからあまり笑顔を見せず口数も少なかったので、クラスではかなり浮いた存在だと言わざるをえない。
ただ本人はそれを気にしたり負い目に感じたりしているようすもなく、むしろいつも堂々としていたので、イジメにあうようなこともなく、彼女だけがどこか特別枠あつかいされ放置されていた。美和も無理強いして自分のグループに誘ったりせず、サッシの望む距離感を心得てつき合っているみたいだった。
ぼくはそんなサッシを、自分の居場所とやりたいことを知っている、ムーミンブックスに登場するスナフキンみたいに思っていた。
クラスで目立たないぼくは、自分の居場所もはっきりわからず、ただ消去法で今いるグループの末席に甘んじているだけ。
サッシはそんなぼくを見透かしているようで、これまでほかの人に接する以上に腰が引ける相手だったってこと。
「サッシ、今回、森田くんはわたしが誘ったの。面白い記事を書いてくれそうだと思って。それでね、モリハルって呼んであげて。わたしがつけたあだ名なんだ」
そう紹介する美和に対してサッシは、
「了解――。森田、よろしく」
と感情の乏しい目を向け、素っ気なく言った。美和もそれ以上言わない。
ぼくはそれに安心した。
サッシは返事にわざと「森田」とつけたんだ。わたしはモリハルなんて呼ばない、という意思表示として。ぼくはそれでこそサッシだという気がした。だから安心した。
彼女がフレンドリーにだれかをあだ名で呼ぶなんて似合わないし、それに、モリハルっていうのは美和がぼくを呼ぶときにだけ使ってほしいという思いもあった。
「学校行事のトップ記事は秋の大運動会で決まりかな。六年生の種目について学年主任の松井先生にインタビューしようと思うの。で、学級ニュースは夏休みのキャンプで、ほら、ウチと一組とでひと騒動あったでしょ。あれの顛末をちょちょっと脚色して書こうかなって――」
「トップは松井のインタビューじゃインパクト弱いから下にまわして、選抜リレーの各クラスの主だった選手をとり上げたらどう? そのほうがみんな食いつくと思う」
美和はテキパキと、二学期第一号となる壁新聞の記事を提案していった。サッシもそれに忌憚なく意見を言う。ふたりの信頼関係がよくわかるシーンだ。
ぼくはまだ適宜うなずくのみで、これは新参ものなので大様に見守ってくれた。
ふたりのようすを見ていると、美和が主だった記事を書き、サッシが記事のレイアウトやイラストの担当する、というのがこれまでの役割分担だったようだ。
サッシは図工の授業で抜きん出た才能を発現していて、それはぼくも知っていた。絵を描く際のデッサン力や色彩感覚、センスは非凡なものがあり、図工の先生からもずいぶん褒められていた。彼女の技量で、一学期の新聞はぼくの目からも明らかなほど、一般の小学生が作る壁新聞より数段高いクオリティーに仕上がっていたと思う。
そんな中、ぼくは美和からコラムを任された。
「ほら、モリハルはよく本を読んでいるでしょ。だからコラムでお薦めの本を紹介してほしいの。あと宇宙のことにも詳しいよね。そんな、みんなが知らないような話も面白いと思うな。あぁ、でも全部お任せ、モリハルの好きなことを書いてくれればいいから――」
美和は、ぼくがよく図書室から本を借りてきて読んでいる姿や夏休みの自由研究を見て、そんなふうに言ってくれているようだ。彼女がぼくのことをわずかでも気にかけてくれていた、それがこそばゆくも嬉しかったので、
「わかった。やってみるよ」
自分でも驚くほどはっきりと返事をしていた。
「できれば早めに原稿見せて。じっくり、イラストを考える時間がほしい」とサッシ。
なにかが動き始めた気がして、ぼくは心から花壇係を選択しなくてよかったと思った。
体育に集団行動、勝負ごとと、ぼくの不得手とすることが合わさったもの、それが運動会だ。
その運動会の練習がふだんの授業に幅をきかせて入りこんでくると、クラスのムードも日増しにわけのわからない高揚感に支配されていった。毎年のことではあるけれど、ぼくの苦手とする種類の空気だ。
いっぽう新聞係のほうは、放課後、週に三日は居残って作業をしていた。
第一号となった学級壁新聞に載せたぼくのコラムは〝ブラックホール〟についてやさしく解説したもの。サッシの描いたブラックホールのイラストがみんなの興味を引きつけるユニークなできだったので、たくさんの生徒に読んでもらえた。これは素直に嬉しかった。
どんな形であれ、ぼくのささやかな自己主張をほかの人に受け入れてもらえたという喜び。こんな体験は初めてだった。
美和はもとよりサッシとも以前よりはコミュニケーションをとるようになり、彼女の愛想のない物言いにも少しずつ慣れていった。
そうやって、授業時間、休み時間、給食の時間、放課後と、美和とすごす時間がどんどん増えていき、いつしか彼女といることが自然になっていた、そんなときだった。
ぼくは、ふと彼女がごくまれに見せる〝影〟に気づいた。
それは表情と表情をつなぐ糊のようにささやかなものだったし、ふつうなら見すごすくらい一瞬の翳りだったので、最初はぼくの思いすごしくらいに思っていた。
でもいつも日射しのような印象の美和だけに、その小さなほころびが、ぼくにはだんだん見すごせないほど不似合いな異物に思えて――そして思い至った。
美和には心を悩ませているなにかがあるのでは、と。
そりゃぁ小学六年にだって、だれにでも大人とは違う悩みは少なからずあるし、美和も例外ではないと思う。それでも彼女から感じた翳りには、「騎馬戦のとき、みんなと同じようにうまく動けなかったらどうしよう」や「中学生になってよその小学校からきたヤツとうまくなじめるかな」みたいな悩みとは明らかに性質の違うものだと思わせる――うまく説明できないけど――後ろ暗い特殊な匂いがかすかに立ちのぼる気がした。
でもぼくには、美和にそのことを質す度量もなければ、それを知って解決してあげる力があるわけでもない。ただそんな美和を黙って見ているしかない。
それでも彼女のこととなると気にならないわけもなく――。
サッシはどうなんだろう? 美和とだけ仲のいい彼女はきっとぼくなんかより先にそのことに気づいていただろうし、美和自身が相談しているってこともありえる。
いや、その内容がサッシにだって言い出しにくいことだったら? 美和から相談がなければ、サッシの性格から、気づいてもそこは線引きをして自らは踏みこまないんじゃないだろうか。
結局、美和に少しくらい近づいたからといって、ぼくは今まで通りのぼくでしかない。
やっぱり思いすごしかもしれない、とかなんとか自分に言い聞かせてごまかそうとする、どうしようもない意気地なしだ。