34.絶望の果てに
「吸血鬼?」
血を吸った者を隷属し、霞となって移動することもできればその圧倒的な力で巨人すら屈服できる、かつて大陸の一部を支配するまでに繁栄した種族。
しかし、一度でも日光を浴びれば弱体化し、浴び続ければ一瞬にして消滅してしまうその弱点をつき、多くの魔族や人間によって徐々に滅ぼされていった。
人生で見ることはまずないと言われているほど数が激減した吸血鬼、その真祖たる男が冒険者の前に立っていた。
「な、なぜ」
「なぜ日の光を浴びても平気かと?吾輩は真祖だ。すべての吸血鬼の父にして闇を支配する神ぞ。日光ごときに怯むような劣等種どもと一緒にするでない」
胸に刺さった矢を抜き、ティアラに放り投げた後に自らの頭部を指す。
「何度やってもらっても構わんよ?吾輩は吸った者の分だけ生を持つ。もう400年以上は生きているがはて、どれほど吸ったか記憶にないな」
高笑いしながら再びメイスを握りしめ、ゆっくり2人の前まで歩き出す。
すでに2人の顔には生気はなく、その心には絶望しか残っていなかった。
ウラドが近付いてくる度にお互いの手を強く握りしめ、やがてアミルに振り下ろそうとした光景と同じ状態に戻る。
「痛めつける趣味はないのでな。仲良く屠ってやろう」
そして一瞬の風切り音と共に2人は強く目を閉じる。
グシャ
生々しい音に最悪のシナリオを浮かべ、汗が流れる。
手が折れるのではないかというほど強く握りしめられているが、お互いの体温はいまだに感じられる。不思議に思い、ゆっくり目を開けてみたが2人はまだ無事であった。
しかしとても互いの無事を喜べるような景色ではなかった。
地面から木のように巨大な手が生え、メイスの軌道を完全に遮っていた。突然の事態に動揺を隠せず、咄嗟にウラドは後ろへと飛び退くと妨害してきた物をまじまじと観察する。
それは巨大な手であったが、ただの手ではなかった。
多くの死体が積み重なり、圧縮されていることで構成された[手]であった。落ち窪んだ眼窩は敵意に満ちた視線を帯び、その全てがウラドに向けられていることに本人の額から冷や汗が吹き出す。
<おいおい、俺の事も忘れて何盛り上がってんのさ>
颯爽と1羽の青い鳥がその醜悪な指の部分に舞い降りると、まるで勝ち誇ったかのようにウラドを見据える。
「き、貴様、何者だ!!その地面から生えるそれは何だ!!」
先程の優雅さは消え、酷く狼狽している。勝ち名乗りを上げた後で突然未知の物体によって妨げられては当然と言えば当然の反応であった。
<俺は……幸運の青い鳥だ!>
「ふざけるな!」
男は今にも襲ってきそうなほど憤っていたが、その直感は近づいてはいけないと告げており、二の足を踏むこととなる。
<いやいや、カンジュラの王女のお墨付きだから。それに俺の使者に任命した奴らを襲おうとはいい度胸じゃないの>
「やかましいわ!堂々とかかって来い!カンジュラの守護神のつもりか知らんが貴様など我が贄としてくれる!!!」
自らの脳裏の警告を無視し、その手には数々の命を灰にしてきた禍々しい紫色の炎が上がり始めていた。
<じゃ、行くよ?『殺れ』>
「「「うぁ~~っ」」」
手を構成していたアンデッドが身震いすると1体1体引き剥がされるように足を出し、不気味なうめき声と共にウラドに向かって歩いて行く。長い時を生きた経験も手伝い、すぐさまアンデッドであることは看破できたがアンデッドの支配、しいては手の形を形成した話など見たことも聞いたことがない。
武器もなく、次から次へと前進するだけのアンデッドの群れが差し迫り、不気味に思いながらもいつものようにメイスで横一閃に薙ぎ払いをかける。敵は抵抗する様子もなく、あっけなく薙ぎ払われた部位が周囲にまき散らされていく。
真打ちかと思えばあまりのあっけなさに、時間稼ぎなのだと結論づけるとすぐさま目障りな人間とエルフに視線を戻す。差し迫るアンデッドを意に介すこともなく、近づけば払いのけるだけの単純作業を繰り返しながら邪悪な笑みを持って彼らに1歩ずつ近づいて行く。
「ぬぐっ!?」
アンデッドの塊までもう少しというところで突然視界が揺らぎ、その場に崩れると喉の奥から熱い物がこみ上げてくる。飲み込むこともできず、自然と赤い液体が喉の奥から絞り出される。
次第に身体の動きが別の意思によって絡めとられていく感覚にいまだかつてない不安と不快感を覚えるが、百戦錬磨の戦将はかろうじて残っている意識からその原因を看破した。顔だけを何とか持ち上げ、醜悪な塊にいまだ高らかに座する青い鳥を睨みつけながら吐き捨てる。
「ど、毒…か。行軍で感じてい、た痺れは…貴様が…」
<ほ~、魔族だからか知らんけど随分時間がかかったね>
ガッ
思いもよらぬ方向から足を掴まれ、正体を掴もうと緩慢に背後へと視線を投げる。そこには先程薙ぎ払ったアンデッドの腕が、足が、ウラドの身動きを完全に封じようと彼を四方八方から集まって押さえつけようとしていた。
<念には念を、ってね>
「は、はな…離せ!吾輩と正々堂々、勝負し…ろ!!」
<生憎騎士道には疎いもんでね>
唯一自由になっている口を武器に反撃の声をあげるが、その叫びは襲撃者の心には決して届かない。やがて振動を感じとり、何事かと考える暇もなくウラドが拘束されている地面が徐々に盛り上がっていく。やがて地面が耐えられない程盛り上がっていくと、一気に地下に潜んでいた物が突き破る。
先程ウラドの一撃を防ぎ、新たに出現した巨大な[手]にはしっかりとウラドが握られていた。彼を押さえつけていた部位は出現の勢いによって跳ね飛ばされてしまったが、やがて這うように醜悪な塊へと這って行くと最初から1つの塊であったかのように手へと合流していく
<吸血鬼か。いい実験材料が手に入ったよ>
麻痺に侵された肉体を何とか動かしながら凶悪な手から逃れようとする最中、何事もないように発せられた言葉にウラドは凍り付く。数々の功績を収め、多くの戦場を蹂躙してきた魔族の頭角の1人。それが[実験材料]として見られるなど、いままで一度もなかったこと。そして先程から青い鳥から発せられる声には一切の抑揚がないことに、全てが男の脳裏に突き刺さる。
「な、何をするつもりだ!吾輩は!!」
<はいはい、吸血鬼のパパのウラドちゃんでしょ?五月蠅いしさっさと終わらせようか>
必死の叫びを制止し、まるで蠅を煩わしく思うかのように言うと地面が徐々に盛り上がってくる。
ウラドを掴んでいる手、2人の冒険者を守った手、その2つが徐々に地上へと伸ばされていくとともに巨大な死体の塊が出現し、その勢いで残る全身が地面から這い出てくる。
それは一体の人間の形状をしたものであった。
ただし、その肉体は死肉の寄せ集めによって構築され、しゃがんではいるがその体長はそびえ立つ木が膝に該当する部分に届かない程巨大であった。
「…巨人」
呆然とその光景を見ていたティアラはやっとのことでその言葉を発した。その[巨人]が握っている人物は徐々に口元と思しき場所へと近付けられていく。
「よせ!!やめろ!吾輩はこんなところで終わるわけにはいかんのだ!我が一族の繁栄のためにも!この地を全て支配し!やがて輝かしい未来をこの手に!!」
その声は最早巨人を使役する遠く離れた男にしか届かず、頭部が口のように開くと中には多くの手がウラドを掴もうと、あらん限り彼に向かって伸ばされていた。
「や、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめ、ぎゃーーーーーーーー!」
ウラドの姿は頭部の中に消え、沈黙が完全に辺りを包んだ。しばらくすると遠くで見守っていた生き残りのゴブリンたちがようやく現実に引き戻され、蜘蛛の子を散らすように武器を捨てて逃げ出す。
その光景を見届けた後、不意に巨人は足元にいた2人の人物に視線を投げ、ゆっくりと屈み始めた。頭部が近付いてくる情景はウラドのメイスを遥かに上回る恐怖を彼らに与え、その迫力は彼らが気絶することすら許されなかった。
そして2人の冒険者が手を伸ばせば触れられるという距離でピタッと止まり、とても性格の悪そうな、悪戯好きの子供のような調子の声が聞こえた。
<カッコよかったでしょ?>




