176.亡霊の一振り
「…ここは?」
周囲を見回すが何もなく、地面すら何を踏んでいるのか分からない感触であった。
完全な暗闇に包まれているが、サンルナー教の一団がはっきりと見えることが一層彼らを混乱させる。
やがて人混みをかき分け、アンダルシアが集団を突き抜けるとレオル一行を睨みつける。
「ここは一体どこなのです!?」
「…いや、僕らもここがどこだか」
『……ようこそ冥界へ』
前触れもなく、先程と同じ様相で突然目の前に出現した冥王の姿に身じろぎするも、彼を討伐するよう号令をかけると騎士たちは一斉に呪文を唱える。
しかし何も起こらず、壊れたリモコンのように何度も武器を振り回すがやはり何も起きない。
その様子を見ていたアンダルシアも能力が使えず、レオルたちまでもが力を使えないことに焦りを覚える。
彼が言ったように、本当に地獄へと誘われてしまったが故の結果かと、[冥王]を前に恐怖すら感じたが、思いを振り払うようにアンダルシアが牙をむく。
「大陸を押し上げているのはこの空間、というわけですね」
『それがどうしタ』
「…皆さん、今こそ日々の信仰が試される時です!恐れる事はありません。女神が我らを見守ってくださいます」
ありったけの声を上げ、名指しで指名されたかの如く全員が未知の怪物へと挑みかかる。
レオルたちも応戦しようと武器を振るい、障害となる彼らを邪魔な草を刈るように一閃しようとするが、互いの武器が透けてしまい、勢いよく空振ってしまう。
レオル一行も、彼らに挑もうとした者もあり得ない事実に疑問符が浮かび上がるも、教皇の命を優先すると彼らをすり抜けて化物へと飛び掛かっていく。
剣を振りかざしながら次々と青い靄に飛び込んでいくが、上半身だけを出現させている[ヴォクン]に近付いている気配はなく、むしろ飲み込まれるように次々と消えていった。
明らかに靄の質量を越える人数が跡形もなく消滅していることに速度が遅くなり、ついには足を止めて前後に視線を往復させる。
命令通り飛び込むべきか、あるいは教皇が命令を撤回してくれるか。
期待しながら背後へ振り向くも、彼女もまた言葉を失い、呆然と信者たちを飲み込んでいく怪物に視線を固定していた。
『…茶番だナ』
ため息に似た呟きが一瞬聞こえ、反射的に反論しようとする彼女の言葉が喉まで差し掛かった時、それまで堂々と構えていたヴォクンの片腕が靄の中へと沈む。
何をしているのかを予測することも出来ず、その間に必死に対抗策を巡らすが魔法どころか、チートそのものが無効化されている空間では為す術もない。
一時退散をしようにも周囲は完全な暗闇に包まれており、逃げたところで恐らくこの空間から脱出することはできない。
否が応でも視界に入ってしまう怪物に再び焦点が合うと、勢いよく靄から引き出されたモノに注意を奪われる。
「なによ、あれ…」
誰が発したとも分からない、静かな言葉に続いて息を呑む音が聞こえた。
ヴォクンが靄から引き出したのは巨大な剣であり、装飾の類も一切されていない至って味気ない物。
しかし骨の上半身を模った怪物が振り上げる様は死神の鎌を彷彿させ、伽藍洞の眼窩が見下ろす先が騎士たちであることが、彼女たちを恐怖に貶めた。
『逃げも隠れもできなイ。この目が見ていル…この世界に生命は存在しなイ。あるのは……死のミ』
「か、神への冒涜だっ!我々は決して貴様のようなバケモ…」
脚を動かすことも叶わず、虚勢のみが放たれる最中、怪物が前方を薙ぎ払うように大剣を撫でると一陣の風が空間全体に巻き起こる。
突風と大剣が迫ってくる様子に反射的に目を閉じるほかなく、身体を突き抜けるような圧力が延々と続く感覚に襲われたが、ようやく微風へと変わると恐る恐る瞼を上げていった。
「……もう目を開けても大丈夫?」
「…大丈夫ですよカンナ、多分」
「急になんてことしやが…って…」
「…うわっ」
忠告もなく、突然晒された脅威に文句を放とうと睨みつけようとするが、冷やかな風が背中を吹き付けた事で背後を振り向いた。
先程まで殺意を携えた騎士たちがひしめいていたはずの空間はポッカリと空き、同じく異変に気付いたアンダルシアもまた驚愕の表情で周囲を見渡す。
血飛沫も影も残さず、その場から彼女たちは跡形もなく消え去っていた。
その状況に満足そうな笑い声を上げるとヴォクンは剣を再び靄へと収め、先程まで大群を背後に抱え、今は孤立してしまった女性を見下ろす。
『さて、これでアウトキャストだけの集いが出来たネ』
「…あの…リッチ、さん……ですよね?」
『そうだけド?』
「見た目が、ってか喋り方が元に戻って!?」
『折角イメチェンしたんだから口調も変えてみただけで…まぁ、見栄を張る必要はもうないわけだけだが…ネタバレといこうカ?』
瞳をギラつかせ、口を開く度に空間を満たす靄と同質のものが零れるが、この状況を楽しんでいるような声音で言葉を紡いだ。




