166.霧の道
木々に遮られ、ようやく朝日が森に差し込んだ頃に人の気配はなくなっていた。
焚火の跡は完全に冷めており、野営をしたであろう痕跡を遥か昔に残して彼らは出立していた。
「…目的の場所に近付いてきてるのか?」
暗闇の中で朝食を済ませ、再び南下を開始してかなりの時間が過ぎたであろう。
足元を少しずつ霧が覆うようになり、ライラが言っていた[霧の深い山]に近付いていることが分かる。
やがて道なき道を進み続けると一層霧が濃くなり、隊列から離れれば2度と合流できない程視界が塞がり始めた。
前後にいる仲間が辛うじて見え、通常であれば緊張感と警戒心を絶やさず持たねばならない状況だが、アイリスを先頭に一列に進み、最後尾をリッチが務めることでその危険も杞憂に終わる。
2人の存在によって周囲のみならず、仲間の存在もハッキリと捉えているため逸れようともすぐに発見してもらえる。
そのおかげもあってか、彼らはまるで夢の中を歩いている気持ちで散策を楽しんでいた。
「…フワフワして面白~い」
「そういえばバス事故の後も女神様と会う時こんな感じでしたね」
「おい、不安になること言うなよ!?俺は確かに起きて朝飯喰った記憶もあるし、でももしかしたら寝ている間に全員死んで…まさか」
「ガイア君や。不死王の名に誓って俺は何もしてないから」
「あんたら少しは緊張感を持て!!レオルも黙ってないで注意してっ!」
「ご、ごめんよ」
霧の中、例え重要な任務の真っただ中であろうと変わらぬ雰囲気にかつての[サイレントウォーカー]一行との短い旅路を思い出す。
全ての冒険者がこのような余裕があるわけではないが、それだけの実力が積もれば自信と仲間との絆に繋がるのだろうと微笑ましく眺めていた。
結局アイリスの思いが通じることはなく、草を踏みしめる音が渇いた地面を蹴る音へと変わるまで彼らの気の抜けた会話が続いた。
周囲を柱の如く立ち並んでいた木々が消え、障害物も何もない空間に出たことで先頭の歩みが減速する。
[索敵]の応用に、[ポイントマーカー]の設置によって進行方向が分かるが手を突き出しても何も触れることが出来ない不安が彼女を襲う。
目を閉じて歩くに等しい状況に、思わず背後を振り返るが薄っすらとレオルが見えるのみ。
そのさらに後方を赤く光る瞳が宙に浮き、命の危険を感じさせるものであるはずが今は全員がしっかりと付いてきている目印となっている事実が少しばかり彼女を安堵させる。
恐らく彼には霧も関係なく全てが見えているだろうと、そう思わせるだけの瞳と狡猾さを備えていることが彼女の漠然とした考察を確信へと変えた。
透き通ることも出来る彼ならば、宙に浮いている彼ならば問題なく一行を引き連れてくれるだろうと何度も背後に振り返りたくなる衝動に駆られる。フォーメーションを変わってくれないかと、代わりに先頭を進んでくれないかと頼みたいが彼女のプライドがそれを邪魔した。
それ以前に、彼が易々と了承するとも思えない。
恐らくリッチはあくまでもRPGでいう助っ人キャラの立ち位置を演じており、戦闘中に自動で回復や防御力上昇を唱えるだけ。
短い付き合いだが、彼の考えが手に取るように理解できる。
周囲を囲む濃霧に負けない程彼女の思考も煙に覆われ、意思とは関係なく歩みを続けるが埋没した意識が彼女の警戒をおろそかにする。
「アイリス嬢、前方不注意」
「…えっ?」
冷静に、それでいて鋭い声に最初に反応したのはレオルであった。
アイリスの腰を掴み、背後に急いで引き寄せると先程まで彼女がいた場所に巨木が落下する。
山の上から落ちてきたのか上空を眺めようとするも、霧に阻まれて確認することはできない。
しかしアイリスの[索敵]によって、さらに巨木が宙へと吊り上げられたことで自然による悪戯ではないことを知る。
「前方、デカいのがいるよ!」
彼女の声によって和やかな雰囲気が消え、瞬時に武器を構えると敵の襲撃に備えた。
それでも周囲は霧に包まれ、アイリスが警告する敵の姿が全く見えない。
「また来るよ」
ポツリと零される助言に反応し、身体を強張らせるが風切り音によって宙から巨木が出現する瞬間にカンナが辛うじて防ぐ。
衝撃が彼女を仰け反らせ、ガイアが彼女を支えるが[絶対防御]を意にも介さず結界ごとカンナとガイアを押し潰そうとする。
アイリスはセンサーの方角に向かって矢を放つが敵への手応えはなく、レオルは見えぬ敵よりも仲間の援護をしようと巨木を斬り落としにかかる。
その様子を無言で眺め、深いため息が聞こえるとともに微風が後方に流れていく感覚が身体の表面をなぞった。
振り返れば口の前で輪っかに作った手を掲げ、霧がどんどんリッチの口内へと吸い込まれていくと次第に霧が晴れていく。
カンナを押し込んでいた力が徐々に軽くなっていき、巨木に食い込んでいたはずのレオルの直剣が突然手応えを失う。
やがて完全に視界が開けた時、アイリスが感知したはずの敵が、レオルが斬りつけたはずの巨木が跡形もなく消えていた。




