120.慢心
1人の魔術師が土地を耕し、やがてそこは村となった。その村では様々な魔術や教育を施し、やがて栄えた村は町へと変貌する。魔術師が死する頃には立派な都市へと発展するも、彼の死後も彼の教えが消えることはなかった。優秀な弟子たちはその後も独自の研究を続けることでやがて魔術を中心とした都市へと発展する。都市は潤い、生活にゆとりが出始めた頃に更なる人材育成のため、そして創始者の意思を受け継ぐ形で[魔術学院]が開かれる。
他国からも勉学のためにと訪れるようになるも魔術の教育は最低限に留まり、シュエン王国に仕える者または出身者のみ正当な教育を受けることが許された。その魔術の力により、多くの国は畏怖と尊敬の目で彼らに近付いた。
過去にも幾度と攻め込まれたが、一度たりとも侵入を許したことはない。それはいままでもこれからも変わることがないはずであった。
それが何故……
「安心せい。魔障壁がある限り、我が領土は安泰じゃ」
「しかし王!!せめて軍の配備だけでも」
「問題はないはずだな?カヌカよ」
「…念の為、配備を検討された方が宜しいかもしれません」
「それほど危険な相手なのか?」
魔術学院長カヌカ。黒マントの人物より入手した古代魔術を詠唱し、確実にあの忌まわしい廃墟を灰にするはずであったが何故失敗した。いや、失敗したわけではない。相殺されたのだ。
上級魔術師たる部下たちに詠唱させている間、水晶球から様子を窺っているとあと一息で潰せるというところで突如姿を変えた魔物と目が合った。時空の歪みを利用した魔術の中、どうしてコチラを見ることが出来るのか?猜疑心で脳内を満たしている時、魔物はほくそ笑むと彼女が放った静かな波によって魔術を押し出され、同時に水晶球が光を放って砕け散った。
後には魔術切れにより満身創痍になった部下たちと、作戦失敗の報告による王の怒りだけであった。そして臆病な宰相が喚き立てていた相手が今、王国の目の前まで迫ってきていた。
「カヌカよ。もう一度聞くが、この国に一度たりとも侵入を許さなかった魔障壁では奴らを防げぬとでも言うのか?」
「先日ご報告にあげました通り、奴らは我が国最大の魔術を跳ねのけました。加えて前回の魔力消費から部下たちは完全に回復できておりません。万事を期して軍の配備をお願い致します」
今シュエン王国ないし、シュエン魔術学院が用いれる最大の魔術を消滅させた者たちの進撃。絶対、というには不安要素が多すぎた。苦虫を噛み締めるような顔をしつつ、王は軍務長官に軍を出動させるよう命じるが不意に違和感を覚える。不快感はないが、まるで浜辺に打ち寄せる波のようなふわふわとした感覚に襲われる。
何事かとうろたえるのも束の間、王の周囲にいた侍女や執事、さらには口うるさい相談役たちまでが次々と床に音もなく倒れていく。慌てて駆け寄るが息はある、しかしまるで糸が切れたように深い眠りについていた。肩を掴み、強く揺すろうと頬を叩こうと決して起きることはない。
「カヌカ、どうなっておる!?」
王座から動くことなく、突然の異常事態に顔を赤くして答えを求めるが彼女にも分かるわけがない。何かとカヌカに全てを投げかける癖に自身では何一つ成し遂げることがない。深いため息を吐きつつ、王に返答することなく窓へと駆け寄っていく。
少なくともおおよその見当はついていた…
「さっきから何してんの?」
シュエン王国の遥か手前、行進を続けるアンデッド軍の背後で深淵の教団による祈祷が行われていた。本来であれば神々しいものであったのかもしれないが、今は教団が呪言を唱えるとおどろおどろしい紫の靄が頭上へと舞い上がり、アンデッド部隊はもちろん、シュエン王国の空を雨雲の如く包み込む。
「リッチ様、さらにはそのご家族や民を問答無用で排除する者たちにかける慈悲はありませんが、それでも罪なき人々を打ち倒すのは本懐ではございません」
「…それとこの雲はどう関係してるんだい?」
「敵意なきものを昏倒させる呪術でございます。これで無用な殺生も抑えられるでしょう」
「我が主!殲滅の準備が整っております。いつでも出撃可能です」
グレンとの会話の間に突如割って入るリロの念話に、ゆっくりとアンデッド軍を見る。都市にてアンデッド葬された領民は都市の警護に置いてきたが、いままで集めてきた多くの改造アンデッドが所狭しとひしめいていた。なかでも一際目を引く部隊がリロの背後に列をなしていた。
甲冑に身を包み、重装備を構えるその姿はまさに圧巻であった。様々な意匠がこらしているが、大きく分けて赤と茶の装備を着る者に分かれていた。かつて騎士として終わりを迎え、そしてリロとともに合戦場でその身を散らせた騎士団の成れの果て。リロの提案により、彼女の敵味方関係なく甦らせるとリロの直属の部下として配置した。
魔法陣の襲撃時に手も足も出なかったリロにとって、生前に味わった久々の戦場に猛っていた。そして不死王の了解を受信すると同時に進軍を命じる。
死者の隊列は無言でありながらも鬼気迫る勢いで王国へと向かい、地鳴りを鳴らしながら突き進む光景を城壁にいる敵兵は見守っていた。顔色はよくなかったが、それでも魔障壁がこれまでと同じように敵の侵攻を妨げる。そうして戸惑う敵を上から攻撃すればいい、いままでもそうして戦ってきた。
「…あれ?」
しかし彼らはいままでにないほど血の気が全身から引いていくのを感じ取る。
先程まで街を覆い尽くしていたはずの魔障壁が地面を始め、泡のようにゆっくりと消えていく様を眺めていると安堵感はもはや恐怖へと変わってしまっていた。




