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柴希舞と柴野舞

作者: 戸倉谷一活

 春休みが終わって誰もが新しい一年が始まりました。

 ここはある街にある中学校、授業が終わった放課後、学校の裏側にあるテニスコートではテニス部が練習をしています。

 練習している生徒の中で特に一人、頑張っている女子生徒が居ます。女子テニス部の部長でもある村崎柴希舞です。後輩の一人が「先輩、少し休まれたら如何ですか」と声を掛けてきたので、柴希舞は「そうね」と言ってコートを離れ、木陰で汗を拭きます。汗を拭きつつ、柴希舞はふと校舎の五階へ目を向けました。その五階には図書室があります。

「チッ」

 図書室を眺めながら柴希舞は舌打ちをしました。

 その図書室には村崎柴野舞が居ます。柴野舞は図書委員会の委員長で文芸部の部長でもあります。そして生徒会では副会長も兼任しています。

 柴野舞は今、春休みの間に入ってきた新しい書籍のために図書カードを作っています。

「先輩、街の図書館じゃ、パソコンで本の管理しているんですよ。なんで、学校はまだ、カードなんでしょうね?」

「知らないの。元々はカードで分類していたんだよ。それを追体験して、歴史を学ぶことと、苦労を学ぶんだよ」

「先輩、それはわかりますが、学校にもパソコンはあるし、パソコンの方が、検索も楽ですよ」

 柴野舞は「クスッ」と小さく笑ってから後輩君に「それじゃ、きみが図書委員の委員長になったら、生徒会に申請したらいいよ」と言います。すると後輩君は「生徒会は良いにしても、先生達が認めてくれませんよ」と言います。

 柴野舞は何気なく窓の外へ目を向けます。良いお天気です。

 少し、休息しようか。

 柴野舞がそう思った時でした。窓の外が突然暗くなっていきます。「あれ?」

 空全体が暗くなるのでは無く、学校の真上だけが暗くなっていきます。

「おかしいですね」

 後輩君が窓に近付いた時でした。黒いものが勢いよく図書室の窓に接近、窓や壁を破壊しました。その勢いで後輩君は吹き飛ばされました。柴野舞は一瞬、何が起きたのか理解できずにその場に立ち尽くしていました。

 それをテニスコートの側で見ていた柴希舞はラケットを持ったまま校舎へ向けて走っていました。その背中にテニス部の皆が「部長、危ない」とか何とか、声を大にして叫んでいましたが、柴希舞には聞こえていませんでした。五階まで階段を駆け登っていきますが、いつもより時間が掛かっているように感じて焦ってしまいます。ようやく五階まで登りきり、「柴野舞!」と叫びながら図書室へ飛び込みますと黒い影に追いかけ回されながら柴野舞は散乱した本を拾い集めていました。

「柴希舞!」

 柴希舞に気が付いた柴野舞は駆け寄ってきて「この人、非道いんだよ。本を大事にしないんだ」と言います。

「柴野舞!あれ、人間じゃ無いし。早く逃げよう!」

 そう言って柴希舞が柴野舞を引っ張って行こうとしますが、柴野舞はまだ本を拾い集めようとします。

「あんた、何者!」

 柴希舞が黒い影に問い掛けます。

「わしの名は、クラヤミ。お前たちはなんだ?」

 クラヤミと名乗る漆黒の塊に問い掛けられて「私は村崎柴希舞、こっちは妹の柴野舞よ!」と柴希舞が答えます。

「あ、私が村崎柴野舞です。図書委員会の委員長をやっています。あなたねぇ、本を大事にしなさいって、教えられなかったの?」

 柴野舞が大まじめにクラヤミへお説教するので柴希舞は「早く、逃げようよ。早く!」と言いながら腕を掴みます。すると柴野舞は傍らにあった椅子を持ち上げてクラヤミと対峙しようとします。

「ちょっと、そんなもので、こいつと戦えるわけ無いでしょ」

 柴希舞はそう言いながらラケットを両手で強く握りしめます。

「柴希舞こそ、ラケットなんかで、戦うつもりなの?」

 柴野舞の問いに柴希舞は「なんなら、今から金属バットでも、借りてこようか!」と大声で返します。

 そう言い合う二人に黒い影が襲ってきます。柴希舞と柴野舞は椅子とラケットで応戦しますが、叶うはずがありません。あっと言う間に図書室の隅にと追い込まれてしまいます。

 二人がふと目の前を見ると後輩君が伸びています。二人は顔を見合わせ、慌てて後輩君の足を掴むと図書室の外へ出て廊下を走り、階段を駆け下りていきます。

 ドタン、バタン、ガタン、ドタン。

 後輩君は階段で全身を叩き付けられて意識を取り戻します。目の前にクラヤミが迫っているのを見て自分の足で階段を掛けていき、「ギャーッ!」と叫びながら柴希舞と柴野舞を追い抜いて行ってしまいました。

 二人はあきれましたが、踊り場で立ち止まってクラヤミと対峙します。

「どうして、私たちの学校を襲うの?」

 柴野舞が問い質すと「わしは、この世界全てを手に入れに来た」とクラヤミが答えます。

「そんなわがまま、聞けるわけないでしょ!」

 柴希舞が言います。

「わしの前に立ちはだかる者など、全て、こうだ!」

 そう言うとクラヤミは勢いよく二人を殴り飛ばします。柴希舞と柴野舞は壁に叩き付けられ、壁にはひびが入りました。二人は痛みに耐えながらどうにか立ち上がるとまたクラヤミが二人を殴ります。今度は壁を突き破って二人の身体は宙に舞いました。

 壁の破片と一緒に校庭へと落下していく二人が突然、光に包まれました。その光は二人が日頃から身に付けているペンダントから発せられていました。壁の破片は校庭に叩き付けられて砕けていきますが、二人の身体は光に包まれたまま宙に浮いています。

 光に包まれて戸惑っていた二人ですが、今度は柴希舞が着ていたテニスウェア、柴野舞が着ている制服が光り輝いて変化していき、近未来的なデザインの衣装になりました。

「すごい。すごいよ、これ!」

 柴希舞は素直に感心していますが、柴野舞は肌の露出がテニスウェアよりも多いことが気になって仕方が無く、「ちょっと、恥ずかしいよ、これ」と顔を赤くしながら言います。

「これなら、勝てるよ」

 自信満々に柴希舞は言いますが、柴野舞は「武器はどうするの?」と真顔で聞き返します。

「なんとかなるわよ」

 柴希舞がのんきなことを言いながら右手を高く突き上げます。柴野舞も真似して右手を高く突き上げます。すると柴希舞の右手には光り輝くラケット、柴野舞の右手には同じく光り輝く椅子が握られていました。

「違う!」

 二人は声を揃えてラケットと椅子を地面へ叩き付けました。

「もう一回!」

 柴野舞が言うと二人は右手を高く掲げると今度は金属バットが握られていました。

「これも違う!」

 二人揃って金属バットを地面へ叩き付けます。

 クラヤミはあきれて何も言えません。

「ちょっと、何か言いなさいよ!」

 柴希舞が語気強く言うとクラヤミは「ぃゃ、早くしてくれないか・・・」とぼそっと答えました。

「もう一度!」

 柴希舞と柴野舞が再び右手を高く掲げると今度はずっしり重みのある剣が出現しました。

「あぁ、これ、これ」

「うん。こうでなきゃ」

 二人はようやく納得できる武器を手にし、改めて対峙します。

 クラヤミはにやりと不敵な笑みを浮かべ、二人への攻撃を再開しました。

 しかし、いくら立派な剣を手にしてもクラヤミに傷一つ付けることが出来ません。それよりも柴希舞と柴野舞の二人はクラヤミに投げ飛ばされたり、殴られたりと散々でした。

 どれだけの時間、二人はクラヤミと闘ったでしょうか。

 不意にクラヤミが二人の後ろを指さします。

 そこにはいつの間にか、井戸がありました。その井戸は口が大きく、象でも落ちてしまいそうです。

「あんなところに井戸なんて・・・」

 不思議に思う柴野舞と「いつの間に!?」と柴希舞は驚きます。その柴希舞に柴野舞が「あいつが、呼び出したんだよ」と答えます。

「その井戸はな、奈落の井戸と言って、落ちた者は二度と出てこれないのじゃ。二人とも、その井戸に落としてやる」

 クラヤミは嬉しそうに言い、攻撃の手を強めてきました。そして二人は徐々に井戸の方へと追い込まれます。

 クラヤミがにやりと不敵な笑みを浮かべた次の瞬間、一瞬だけ柴野舞に向けて攻撃が集中しました。柴野舞は攻撃をかわすために後ろへと跳躍しましたが、それが仇となりました。

 着地しようとした場所に奈落の井戸が口を広げていました。

「キャーッ」

 姿勢を立て直すこともままならず、まるで吸い込まれるように落ちていきそうになりましたが、「ガッ」と柴希舞が柴野舞の片手を掴みました。

「早く、上がってきて、早く」

 柴希舞は叫びますが、手や足を掛ける場所もありませんし、柴野舞の自力では井戸から出ることが出来ず、柴希舞に引っ張り上げて貰うほかありません。柴希舞は両手で柴野舞の手を掴んでおり、クラヤミに対して背中を見せている状態です。クラヤミはこの時を待っていたのです。

 反撃の出来無い柴希舞にクラヤミは攻撃を集中させます。背中に、頭に、足に、クラヤミの攻撃を受けても柴希舞は両手でしっかりと柴野舞の手を掴んでいます。

「柴希舞、手を離して、お願い!」

 柴野舞は必死に言いますが、「だめ。離せない。柴野舞、頑張って!」と柴希舞は叫びます。

「二人とも、落ちちゃうよ!お願い、離して!」

 柴野舞が泣きそうな表情で訴えます。それでも柴希舞は後ろからクラヤミの攻撃を受けて傷つきながらも柴野舞の手を離そうとしません。

 でも、柴希舞はもう限界でした。クラヤミが柴希舞の背中へ大きな一撃を与えます。

「きゃぁぁぁっ」

 痛みに耐えかねて柴希舞が悲鳴を上げます。同時に柴野舞の手を握りしめていた両手を離してしまいました。

「しのぶぅぅっ」

 柴希舞は慌てて井戸へと吸い込まれていく柴野舞の名を呼びます。

 落下しつつも柴野舞はペンダントを引きちぎると柴野舞めがけて投げました。

 柴希舞は井戸から何か光る物が飛び出してきたので慌てて追い掛けて受け止めました。柴野舞のペンダントです。

 ぎゅっと握りしめて柴希舞はその場で泣き崩れました。

「泣くがいい。悲しむがいい。これで、私の勝ちだな」

 柴希舞が悲しむ姿を見てクラヤミは嘲笑しながら言います。

 しかし、柴希舞はすっくと立ち上がるとクラヤミを指さして「絶対に、絶対に、柴野舞は帰ってくる。それまで、私がお前の相手をしてやる」と強く言い放ちます。

「ふん。二人でもこの私に傷一つ付けられなかったでは無いか。お前一人で何が出来る?」

 クラヤミは嘲笑を止めること無く言います。

「守る。守ってみせる。私がこの街を守ってみせる」

 柴希舞はもう一度、強く、自分へ言い聞かせるように言いました。そして柴野舞のペンダントを自分のペンダントへ無理矢理繋げるとクラヤミめがけて走って行きました。


「キャーッ!」

 柴野舞は奈落の井戸へと落ちていきます。底無しの井戸ではないか、そう思うぐらいに奈落の井戸は深い深い井戸でした。光も届きません。落ちていく途中でいつの間にか柴野舞は気を失ってしまいました。

 何かクッションのような物に身体が当たって柴野舞は目を覚ましました。二度ほど身体がバウンドします。

「おや、誰かが落ちてきたねぇ」

 声がします。

 柴野舞が周囲を見ますと薄暗い中にたくさんの人が居ることがわかります。そして柴野舞は自分が何か動物の背中にいることに気が付き、慌てて飛び降りました。

 井戸の底は思っていたよりも広く、壁には数本のロウソクが灯されていました。

 よく見ると皆、人間のようで人間では無いようです。猫耳の人、首から上が狼の人、柴野舞が落ちた時、クッションになったのはとても大きな猫のような生き物でした。

「お前さん、なんで、落ちてきたんだい?」

 小柄な老女が柴野舞に尋ねます。よく見ると肌は紫色、耳の先はとがっているし、どう見ても柴野舞と同じ人間ではありません。

 柴野舞はクラヤミと闘い、奈落の井戸へ落とされた経緯を話しました。

「それは大変だったね。でも、この井戸から出た人は、これまで一人しかいないんだよ」

「そんなぁ……」

 柴野舞は肩を落とします。柴野舞は井戸の壁をよじ登ろうとしますが、一メートルも登れないまま、柴野舞の身体はずり落ちてしまいます。

 何度も何度も挑戦しますが、結果は同じです。

「諦めた方がいいよ」

 老女に言われると柴野舞はその場で泣き崩れました。

 どれだけの時間、泣いていたでしょうか。柴野舞はすっと立ち上がり、また壁を登ろうとします。

「危ないよ。辞めなよ」

 また老女が声をかけてきます。

「でも、一人だけうまくいったんでしょ。柴希舞が一人でクラヤミと闘っているんだよ。戻らなきゃ」

 また一メートルほど登ってはずり落ちるを繰り返します。

「よしっ。わしが手伝ってやろう」

 今までどこに居たのでしょうか、人の言葉を話すとても大きな鷲のような鳥が奥から姿を現しました。その鳥は大きく羽ばたき、両脚で柴野舞の両肩を掴むと大きな羽音をたてて上へ、上へと昇っていきます。

「わしらは皆、あのクラヤミと闘って、この井戸へ落とされたんじゃよ」

 柴野舞を運びながら鷲のような鳥が語ります。

「わしらは、それぞれの世界で、クラヤミと闘ったんじゃ。皆、腕に自信はあったんじゃが、あいつには敵わなんだ。わしも、何度も、何度も、この井戸から出ようとしたんじゃが、いつまで経っても、出れんのじゃ」

 柴野舞が上を眺めますが、井戸の口から届くはずの光すら見えません。柴野舞は改めて奈落の井戸の恐ろしさを感じました。

 バッサ、バッサ。

 羽音が少し強くなってきました。

「私が、重いですか?」

 柴野舞が尋ねます。

「そうじゃないよ」

 鳥さんは答えると「わしも年をとったのかなぁ。昔はもっと早く、もっと高く飛べたのに」と悔しそうに言います。

「あっ!」

 微かに光が見えました。

「少し、休ませてくれないか」

 鳥さんの声はとても疲れているように聞こえました。

「あそこに!」

 井戸の内壁が少しだけ突き出している箇所が有りました。その場所へ柴野舞は腰を下ろし、その横に鳥さんも止まって羽を休めます。

「すまないなぁ。もっと高く飛びたいんじゃが」

 鳥さんがさもすまなさそうに言うと「いいえ。ここまで送ってくれただけで充分です。ここからは一人で行きます」と答えると柴野舞は井戸の壁を登り始めました。

「おいおい、お嬢さん、まだ先は長いんだよ。もう少し、休んだ方がいいよ」

 鳥さんは言いますが、柴野舞は「大丈夫です」と言って壁を登っていきます。一つ一つ、手を掛ける場所、足を乗せる場所を確かめながらですから決して早くはありませんが、確実に上へ上へと昇っていきます。

「お嬢さん、気を付けてなぁ」

 鳥さんが大きな声で言います。

「ありがとう」

 柴野舞は手を振りながら鳥さんに御礼を言いました。

 時々、足を滑らせたりしますが、着実に昇っていき、井戸の口が少しずつ大きく見えるようになりました。

「あと少し。あと少し」

 柴野舞は自分に言い聞かせながら昇っていきます。井戸の口がはっきり見え、あと五十メートル、四十メートル、三十メートル、二十メートル、十メートル、五メートル、四メートルというところで柴野舞は足を滑らせました。同時に身体のバランスを崩してしまい、「あっ!」と思った次の瞬間、「ガッ!」と手首を掴まれました。柴野舞が見上げると影だけが見えます。その影が「グイッ、グイッ」と柴野舞を引き上げて隣に座らせます。

 柴野舞はしっかりと見ようとしますが、その影は人間の男性のようにも見えますが、まじまじと見ても影にしか見えません。

「あ、あの、助けてくれて、ありがとうございます」

 柴野舞は影にしか見えない人に御礼を言います。

「良かったよ。間に合わないかと、思った」

 影の人は優しく、少し寂しそうな声で言います。

「私は、村崎柴野舞と言います。あなたは?」

 柴野舞が名前を尋ねると「僕、名前を忘れたんだ」と答え、「うんと昔のことさ。クラヤミと闘ってね、この井戸に落とされたんだ。頑張って、頑張って、ようやくここまで昇ってきたんだが、ここで力尽きちゃったんだよ」と言います。

「あと少しじゃ無いですか。一緒に昇りましょうよ」

 柴野舞は影の人に強く言いましたが、影の人は首を横に振り、「僕には、まだまだ遠いんだよ」と悲しげに言います。

「そんなぁ。あと五メートルも無いのにぃ」

 柴野舞には井戸の口まで残り五メートルほどにしか見えません。

「きみにとっては五メートルでも、僕には、まだまだ百メートル以上有るんだよ」

 影の人はそう言うと「さぁ、僕との、お喋りはここまでだ。きみは、待っている人が居るんだろ。行きなさい」と柴野舞の手を取ります。

「はいっ!」

 柴野舞は元気よく返事をして壁を昇り始めました。影の人は柴野舞のお尻を力強く押してくれます。でも、柴野舞は年頃の女の子、やっぱり恥ずかしくて思わず「キャッ!」と小さく悲鳴を上げました。とても強い力でお尻を押して貰った柴野舞は弾けるように井戸の外へと飛び出しました。

 上手く着地できず、柴野舞は軽く地面に身体を打ち付けました。

「あいたたた・・・」

 立ち上がって周囲を見ますとそこは見慣れた景色、自宅の庭でした。

「あれぇ?」

 眼をぱちくりさせながら今一度、周囲を見回します。

「夢でも見てたのかなぁ・・・」

 しばらく立ち尽くしていると「おや、今日は早かったのねぇ」と声がします。

 声がする方へ振り向くとおばあちゃんが洗濯物を干しています。縁側へ戻って洗濯物をいくつか持つと物干しへ行きます。柴野舞は奈落の井戸を思い出して「あ、危ない!」と言いましたが、今の今まであった奈落の井戸の口がどこにもありません。

「あれぇ!?」

 柴野舞はまた驚きます。

「柴野舞、どうしたの?」

 おばあちゃんは洗濯物を持ったまま柴野舞に近付いてきます。

「あら、まぁ、大変!」

 おばあちゃんが言います。

「一体、どうしたの。泥だらけじゃないの。さぁ、早く、早く」

 おばあちゃんは片手に洗濯物を持ったまま、あいた片手で柴野舞の二の腕を掴むと縁側へと引き返します。柴野舞はその時、おばあちゃんの握力がとても力強く感じ、ちょっと驚きました。

「あらあら、手も怪我だらけ、本当にどうしたのかしら?」

 おばあちゃんは柴野舞の二の腕を掴んだまま、居間へと引っ張り込みます。

「さぁさぁ、まずはお風呂に入って、泥を落としておいで」

 柴野舞はおばあちゃんに言われるがまま、バスルームに行ってシャワーを浴びます。そしてシャワーを浴びながらクラヤミに襲われた初めから思い出します。

 バスルームの外ではおばあちゃんがおじいちゃんに何か話している声が聞こえてきます。何を話しているのか、柴野舞には聞き取れませんでしたが、おじいちゃんが驚いているのはわかります。

 身体の汚れを落とすと改めて全身傷だらけの自分に気が付きました。バスタオルで身体を拭き、乾いたシャツを着て居間へ戻るとおばあちゃんが手当の用意をして待っていました。

 傷薬を塗ってもらったり、絆創膏を貼ってもらったり、大袈裟に包帯で巻かれたり、気が付いたら腕も顔も手当の跡だらけです。

 おばあちゃんの手当が終わった頃、居間においしい香りが漂ってきました。その香りをかぐと柴野舞のお腹が「グーッ!」となりました。

「あらあら、柴野舞、お腹がすいているなら、言わないと」

 おばあちゃんが大きな声で言いますと今までどこに居たのか、おじいちゃんが居間へと入ってきて「お腹はすいていないかい?」と聞いてきます。

「おじいさん、今、柴野舞のお腹が大きく鳴いたんですよ」

 おばあちゃんが笑顔で言うから柴野舞は恥ずかしくて顔が赤くなりました。

「待っていなさい」

 おじいちゃんはそう言うとすぐに大きなお皿を持って居間へと戻ってきました。その大きなお皿には山盛りの唐揚げとおにぎりが乗っていました。柴野舞は唐揚げを一つ口に放り込み、おにぎりをくわえながら「学校へ戻るよ」と言います。

「おぉ、そうか。それなら、ちょっと待ちなさい」

 そう言うとおじいちゃんは手早くおにぎりと唐揚げを二つのお弁当箱に詰めます。おばあちゃんはお揃いのバンダナでお弁当箱を包みます。

「おじいちゃん、自転車、貸してね!」

 柴野舞はお弁当箱を二つ、前かごに入れると慌ただしく学校へと走って行きました。

「今日は変なお天気ですねぇ。こっちは晴れてるのに、学校の方は真っ暗、こんな雨の降り方って、あるかしら」

 おばあちゃんは不安げに言います。

 キィコ、キィコ。

 柴野舞は懸命にペダルをこぎます。

 一人、クラヤミと闘う柴希舞の姿が見えてきました。

「しきぶぅ」

 大きな声で呼び掛けます。その声は届きました。

「しのぶぅ」

 戦いながら柴希舞が答えます。クラヤミの攻撃をかわしながら柴野舞は柴希舞に近付きます。

「柴野舞!」

 空中で闘っていた柴希舞が柴野舞に飛び込んできました。

「良かったぁ。本当に、良かったぁ。本当に柴野舞なんだよね。夢じゃないよね」

 柴希舞は涙を流しながら柴野舞を抱きしめます。

「大丈夫、本当に柴野舞だよ。それより、柴希舞は大丈夫かい?」

「うん。私は大丈夫だよ」

 そうは言っても柴希舞は服も身ももうボロボロです。二人は校舎の陰に隠れてクラヤミの攻撃をかわします。

「あ、そうだ。おじいちゃんから預かってきたんだ」

 柴野舞はバンダナに包まれたお弁当箱を柴希舞に渡します。柴希舞はクラヤミと交戦中にも関わらず、バンダナを広げ、お弁当箱の蓋を開けます。

「わぁ!」

 柴希舞は心底嬉しそうな顔をしておにぎりを一つ、ほおばります。そして唐揚げもつまみます。柴野舞も残った一つのお弁当箱を開けて柴希舞と一緒におにぎりを食べます。

 その時、何故かクラヤミは二人の姿を見失い、必死になって探していました。

「どこだ?どこに隠れた!」

「おじいちゃんの作る唐揚げって、どうして美味しいんだろうね」

 まるでピクニックへ来たかのように二人は戦いを忘れ、楽しくおにぎりと唐揚げを食べています。でも、二人は食が進むに連れ、自分たちの身体が光に包まれて行っていることに気が付いてはいませんでした。

 最後のおにぎりを食べ終えた時、柴希舞のボロボロになっていた服が光に包まれて修復されていきます。合わせて傷も治っていきました。同じことは柴野舞にも起きています。絆創膏や包帯が光に包まれて消えていきます。しかも傷は跡形もなく消えています。

「あれぇ!?」

 二人がお互いを見比べて驚いていると光に気が付いたクラヤミが迫ってきます。

「そこに隠れていたか。今度こそ、倒してやる!」

 クラヤミが迫ってきます。


 二人はクラヤミのとても大きな口の中へと飛び込みました。

「自分から、わしに喰われるなんて、なんてバカな奴らだ」

 クラヤミは呵々大笑します。クラヤミの暗くて、広くて、寂しいお腹の中に入った柴野舞と柴希舞は手当たり次第に手に持つ剣で斬りまくります。最初の内こそ、全く手応えを感じませんでしたが、徐々に手に伝わってくる感触に違いを感じるようになってきました。

 二人を飲み込んだ後、クラヤミは校舎や近隣の住宅、店舗を手当たり次第に破壊していましたが、ふと、違和感を感じました。

 両手でお腹の辺りを押さえます。

「?」

 その違和感が何故、お腹の辺りから伝わってくるのか、クラヤミには原因がわかりません。また街を破壊し続けようとしますが、どうしても違和感がぬぐえません。これまで多くの者を飲み込んできましたが、この様な違和感を感じたことはありませんでした。ふと、お腹を見ると少しだけ色が薄くなっていることに気が付きました。

「この世の何よりも、漆黒の闇よりも黒い、このわしの身体が、薄くなるなんて・・・」

 クラヤミは不安を感じました。お腹から身体の色が薄くなる症状が徐々に広がっていきます。

 お腹の中では柴野舞と柴希舞が全身を光に包まれて剣を振るっています。

 クラヤミの色は薄くなり、続けて内側から光が溢れてきます。

 クラヤミは生まれて初めて恐怖を感じ、身体を震わせながら「やめてくれぇ、もぉ、やめてくれぇ」と大きな声で叫びますが、お腹の中に居る二人には届きません。

 とうとうクラヤミが黒くて大粒の涙をポトリ、ポトリと落とし始めましたが、その涙すら途中で光り輝き、地面に触れる前には消えてしまいます。

 クラヤミが涙を拭おうとしたら指先も内側から光を発しています。それを見たクラヤミは校庭へ倒れ込み、断末魔の叫びを上げます。その直後、クラヤミの身体は無数の光の粒子と化し、消えてしまいました。

 そして校庭の真ん中には疲れ切った柴野舞と柴希舞が座り込んでいます。

「終わったの?」

 柴希舞が尋ねると「うん、多分・・・」と柴野舞は答えます。


 クラヤミを倒し、学校にも平和な日々が戻ってきました。

 まだ校舎の一部は修理中ですが、授業も部活も再開しています。

 そして柴希舞と柴野舞の二人は・・・

「えぇ~っ?」

 図書室で後輩君が驚いています。それもそのはず、読書部の腕章をはめて本を片付けているのは柴希舞です。

「柴野舞先輩は、どこへ、行ったんですかぁ~」

 後輩君がおどおどしながら尋ねてきます。

「今日から、私が図書委員で読書部の部員よ。宜しくね。ところで、この本、どこの棚かなぁ?」

「柴野舞先輩は、どこですかぁ~!」

 柴希舞が「あそこよ」と指さしたのは窓の外、中庭にあるテニスコートでは白いテニスウェアに身を包んだ柴野舞が対戦相手の男子部員を圧倒しています。

 その姿を見て女子部員は柴野舞に黄色い歓声を挙げています。

「柴野舞せんぱ~い、戻ってきて~!」

 後輩君は窓際で声を張り上げますが、今の柴野舞には届きません。


 その年、柴希舞と柴野舞は十五歳、中学生最後の夏にもう一度、ダブルスを組んでテニスの地区大会へ出場、優勝しました。

 二人は改めて仲の良さを感じ、同じ高校へ進学してテニスを続ける事にしたそうです。

 毎週日曜日の朝、寝ぼけた頭でプリキュアを観てきた結果、柴希舞と柴野舞という双子の姉妹を思い付きました。本文を読まれる際、何気にプリキュアを思い浮かべながら読んで頂ければ嬉しいです。

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