獅子身中に潜むは
私はヒルディガルド・ウルスンギ―。少し言い難いのでヒルダで通している。
シシリー様付きのメイドであり、護衛も兼ねている。
私はヴィンガルフ王国の下級貴族ウルスンギ―家の長女だけど、末っ子で上にむさい兄が5人いる。ウルスンギ―家は領地も狭く、貴族とは言え決して裕福ではなかった。それ故に、10歳の時に私は上流貴族への奉公として出された。
私はどこぞの伯爵侯爵家にお仕えするものだと思い家を出たが、待っていたのはまさかの王家直属のメイド職だった。それはきっと偶々だったのだけれど、私は運命の出会いをそこで果たした。
噂には聞いていた。
今の王位継承者には美しい蒼髪蒼眼の姫君がいらっしゃると。ただの噂で、かつ貧乏貴族の末っ子の私には一生縁のない話だなと、一笑に付していたのだけれど、今こうして目の当たりにして、私は過去の愚かな自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。
まるで蒼天を戴いているかのような荘厳な蒼髪、宝石ですら霞んでしまうような玲瓏な蒼眼、閉月羞花が如く美貌。私の目は美しさに潰れてしまうのではないかと思ったほどだ。
次いで、その御口から紡がれる言葉は私の耳を蕩けさせてしまうのではないかと思うほどに甘美かつ清涼であった。
さらに私共に向けられた笑顔は日輪を錯覚させる程に爛漫で、私の心はいとも簡単に奪われてしまった。
私はその瞬間に理解した。
私はこの御方に全てを捧げて仕えるために生まれてきたのだと。
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学園襲撃から数日が経った。
僕やあの時あの場所にいた人達からすれば大事だったけれど、結果だけを見れば被害自体は少なかった為、ほとんどの人からすれば、なんか魔獣がきたらしい、程度のものだった。
訓練場にいた生徒たちも、逃げる途中にコケて膝を擦りむいた生徒がいたくらいだった。最も重症だったのはケイとベイリンだろう。とは言っても、二人共フィスの回復魔法で怪我はすぐに治ったけれど。
結果、あの襲撃事件は人の記憶に強く残るものにはならなかった。
僕とフィス、カスミは念のために数日間、街の中を見回ったけれど、魔獣の襲撃も潜伏もなかった。ちなみに学園はここしばらく休校が続いている。とは言っても、もうすぐ再開されるらしい。
本日は休息日のため、コールブランドのアルバイトだ。コールブランドは外縁部から少し離れた所にあるので、魔獣襲撃の被害はなかったはずだ。そもそも被害にあった家屋はない。
「マスター、おはようございまーす」
「おぉ、ソールくん。おはよう。この間は大変だったみたいだけど、ソールくんは大丈夫だったかい?」
「はい。僕はこの通り傷一つありませんよ。マスターこそ大丈夫でしたか? 見た感じは怪我とかなさそうですけど」
「うん、私なんかは魔獣が来たってことも翌日に知ったからね」
はははと笑うコールブランドのマスターことバド。いや、さすがにそれは暢気過ぎやしないだろうか。
「笑い事じゃないですよ、マスター。頭までお花畑なんですか?」
「あ、ケイ先輩おはようございます」
「あぁ、おはよう」
「身体の方は大丈夫ですか? 怪我は――わぷっ」
「余計なことは言わないでいい」
途中でケイに口を塞がれ、小声で耳打ちされた。
余計なことって、怪我を心配しただけなんだけどなぁ。フィスの回復魔法で見た目は完璧に治ったけど、失った体力までは戻らないし、もしかしたら目に見えない怪我とかもあったかもしれないし。
「ん? ケイくんに何かあったのかい?」
「いいえ、何もないですよマスター。それより仕込み、まだでしょう? 早くしないと開店してしまいますよ」
「あぁ、そうだったね。じゃあ、ソールくんもよろしくね」
「あ、はい」
そう言うとマスターは厨房の奥へと歩いていった。それを見たケイは心なしかほっとしているように見える。
「いいかい? マスターにはこの間の襲撃の時に、僕が戦ったことは言っていない。だからマスターの前で、その話はしないでくれ」
「なんでですか?」
「……余計な心配をされたくないだけさ」
ケイはそっぽを向いたが、すぐに僕の方へと顔を向けた。
「お人好しなマスターに変な気遣いをされると、面倒なだけだからね。……変な勘違いはしないように?」
「変な勘違い?」
なんのことだろう?
「いいから。ほら、仕事仕事」
なんだか有耶無耶にされてしまった気がする。
でも仕事をしないといけないのは確かだ。ということで僕はケイの後に続いて開店の準備に取り掛かった。
今日はやけに忙しかった。
なんでも、この休校期間中に学生のお客さんが来る機会が増え、そのお客さんたちがコールブランドの味を気に入り、リピーターとして来るようになったかららしい。更に口コミで評判が広がっているとか。
「ふぅ。全く、新しいもの好きの俄ファンにも困るよ」
ケイが珍しくボヤいていた。
「ケイくん、もうお店も落ち着いてきたし、休憩に入っておくれ。賄いは何がいい?」
「分かりました。賄いは、余ってるものでいいですよ」
「そうかい? じゃあ、何か適当に作るよ」
「はい、お願いします」
ケイはそのまま開いているテーブルへと向かっていった。
「いやぁ、ここ連日ケイくんにはお世話になりっぱなしだからね。余り物とは言ったけど、何か精の付くものでも作ろうかな」
「え、ケイ先輩そんなに来てるんですか?」
「うん。この前の魔獣が来たって日の翌日にわざわざお店の様子を見に来てくれてね。何処か壊れてたりとか、火事場泥棒が出てないかとか。私は心配されなかったみたいだけどね。私はそこで初めて魔獣のことを知ったんだけど、いやぁケイくんには怒られたなぁ。そこから念のためって言って、毎日様子を見に来てくれてるんだ」
「へぇ、そうだったんですね」
「そう、それで来てくれたついでに店が忙しそうだからって手伝ってくれるんだ。いやぁ、助かるんだけど、こう毎日じゃケイくんも大変だろうに。ほんと、いい子だよ」
そうなのか。確かにケイ先輩って、ちょっと口が悪いけど、根はいい人だよな。学園でも、他の生徒が逃げてる中、助けに来てくれたし。
それにしてもケイ先輩はコールブランドが好きなんだなぁ。
閉店後、帰ろうとしたところでケイに呼び止められた。
「ちょっと話いいかな?」
僕は了承すると、いつものように来ていたフィス達を帰して、ケイと少し離れたところにあるカフェへ入った。
「すまないね、時間を取らせて」
「いいですよ。それで話ってなんですか?」
話を促すと、ケイは少し言い辛そうにして、逡巡した後に口を開いた。
「まずは先日の学園襲撃の件、ありがとう。君達のおかげで被害は最小に抑えられた。僕も怪我を治してもらったしね。それについてはまた近いうちに彼女にお礼をしたいと思う」
「そんな、こっちこそケイ先輩のおかげで魔獣を倒すことが出来ました。こちらこそ、ありがとうございます」
「いや、君なら僕達の助けがなくても倒せたんじゃないか」
「そんなことないですよ」
実際、ハイディエイプのボスを倒すのに、周囲の損害をほぼゼロに抑えられたのはケイや、他の人達の手助けがあったからだ。あれがなければ、少なくとも訓練場に損害が出る規模の魔法を使うことになっていたと思う。
「怪我の件は、姉さ――フィスも気にしてないと思います。けど、お礼を言ってくれると喜ぶと思います。感謝されることに慣れてはいないですけど、嬉しいのは間違いないですから」
「そうか、それならそうしよう。それにしても、彼女のイメージは最近随分と変わったよ。君が来る前は絶対王者として人を寄せ付けないイメージがあったからね」
「それは人見知りなだけです」
ケイが軽く吹き出した。
「ふふ、そうみたいだね。君達と話す彼女はとても楽しそうだ。お店で見る限りでも、人間嫌いってわけではなさそうだし」
「そうですね。ご飯を食べてる時なんて、表情がコロコロ変わって面白いでしょう」
そんな僕の言葉に、ケイは返事をするでもなく僕をじっと見ていた。
「どうしたんですか?」
「いや……自覚はない、のだろうね」
「?」
何のことだろう。
「まぁいいさ」
ケイは何かを続けて言おうとして、躊躇い、意を決したように話し始めた。
「本当は、君と彼女の事を聞こうと思ってたんだけどね。君達には不可解なことが多すぎる。その年齢に見合わない強さとかね。でも、それを聞いていいかもさっきまで迷っていた」
「迷っていた。と言う事は」
心は決まったと言うこと。でも、聞かれたとしても大したことは答えられないけど。
さて、どうしたものか。
そんな僕の内心を知ってか知らいでか、ケイはスッキリした顔で言った。
「うん、聞かないでおこうと思ってね。過去を話したくない、知られたくない人はいる。君達もそうかもしれない。話すことが出来るなら、いつか話してくれることがあるかもしれない。それに……」
「それに?」
ケイは意味深に言葉を切って、間を置いてから言った。
「いや、なんでもないよ」
いや、絶対なんかあるじゃん!
と思いつつもツッコめない小心者な自分が恨めしい。
「とりあえず聞きたいことは以上さ。すまなかったね、変なことに時間を割いてもらって」
「いえ、大丈夫ですよ」
なんか結局お礼を言われただけのような気が。
あ、そういえば。
「ケイ先輩、あれの翌日にコールブランド行ったんですね。心配して見に行ったって」
お礼で思い出したよ。僕も|コールブランド(バイト先)を見てきてくれたお礼を言わないと。つい後回しにしちゃったし。お礼を言うような立場じゃないかもしれないけど、こういうのは気持ちの問題だからね。
なんて考えてると、ケイの顔が赤くなっていた。
「そ、それは、マスターだって一般人で、僕は見習いとは言え、騎士を目指す立場にあるからして、一般人を守る義務があったわけで、別にマスターだから心配したわけじゃないというか。マスターもあれでボーッとしてるとこあるから、変なことに巻き込まれてる可能性もあったわけだし。そ、そう。マスターが心配というより、マスターの料理は失うには惜しいから」
お、おう?
なんかケイの話し方がしどろもどろになってる。どうしたんだ。
「落ち着いて下さい。どうしたんですかケイ先輩」
「ぼ、僕はいつだって落ち着いてるよ。君が、僕がマスターを心配してるなんて変な事を言うから」
「え? マスター? 僕はお店が心配だから見に行ったって聞いたんですけど」
「えっ」
ケイの顔が更に赤くなった。
「さ、さて、行こうかソール君。支払いは僕がしておくよ」
ケイはそう言うと、僕の顔を見ずにさっさと行ってしまった。
なんだったんだろう?
まぁ、いっか。帰ろ。
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日が暮れて、ヴィンガルフ王城に影がさし始めた頃。
ヴィンガルフ第三王位継承者リコ・アルフォズール・ヴィンガルフの私室に、夕闇から浮かび上がったかのような人影が立っていた。
「ヒルダからの報告書です」
影はそれだけ言うと、持っていた封書をテーブルにおいて消え去った。
あとには何も残っておらず、カーテンだけが風に揺られていた。
リコは封書を手に取ると、躊躇なく開封した。
そして報告書に目を通していく。
表情を変えずに読み進めていたリコだが、ある報告を読んだ所で目を留め、口端を上げた。しかし、すぐに表情を戻すと、報告書を読み進めていった。
リコは封書を持ってバルコニーへ出ると、魔術で消し炭に変えてしまった。灰は風に乗ってヴィンガルフの空へと舞い散っていった。
リコはバルコニーから見える夕陽を眺めながら、とても嬉しそうに笑った。
「そう、やっぱり生きていたのね。嬉しいわ、ソール」




