23話 急襲
「ま、魔獣だぁーーーー!」
誰かの叫び声を皮切りに、訓練場内はパニックになった。
おそらく一年生であろう、幼さを残した生徒たちは我先にと出口へ殺到し、武術科ぽい上級生はどう行動すべきかと右往左往している。教師陣も声を張り上げているが、悲鳴に掻き消されて、何処にも声が届いていない。
混乱の中、ハイディエイプが一斉に動き出した。おそらく生徒たちを襲うつもりだ。
どうする。
まさか、こんな場所で魔獣が出てくるなんて。
守れるか?
全員。
僕一人で。
こんな開けた場所で、多数の魔獣を相手にして、さらに多くの人を守れるか?
どうする。
こんな時、どうしたらいい。
僕が悩んで硬直していると、
「ソール!」
名前を呼ばれるとともに背中を強く叩かれた。
「ね、姉さん」
「なにボケっとしてるのよ。守るのは私に任せなさい。アンタは魔獣を叩いて」
フィスはそれだけ言うと杖を構えた。
「おいで、ウンディーネ! いくわよ。障壁展開。訓練場をぶった切るわよ!」
傍らに顕れたウンディーネは一つ頷くと、魔獣と人間を分ける障壁を作り出した。
突進していたハイディエイプは次々と障壁にあたって弾かれていた。
逃げ惑う人々の中、モルガナとシシリーは親衛隊に守られていた。
ランスロットはハイディエイプが現れたと同時に、モルガナの元へ移動していた。
「おぉ。あそこまで巨大な防御障壁を一瞬で作り出すとは。さすがスカジ様の娘じゃな」
「はい。あれ程の腕を持つ魔術師はおそらく我が国にはいないでしょう」
ティティスは呆気にとられながら同意した。
「あれが……フィスの力」
シシリーは少し悔しげに呟いた。
「お二人とも、驚くお気持ちは分かりますが、今は避難を」
足を止める二人を諌めるように、ランスロットが先を促した。
「うむ、すまぬの。姫よ、このようなことになって悪いが、お主も一緒に避難してもらうぞ」
「は、はい」
そうして2人の殿下とその付き人は、騎士に守られて訓練場を後にした。
「ソール、後は任せたわよ」
「うん、姉さん」
僕は再びフィスに背中を押され、駆け出した。
目の前に障壁が迫るが、問答無用で突っ込む。すると僕の身体はほとんど抵抗なく、障壁の向こうへと出た。
これはフィスがウンディーネを使って作り出す障壁の特性で、内側からは自由に物質を出せるが、外側からの物や魔術は全て防ぐのだ。
正直、反則臭いレベルである。
唯一攻撃ができる範囲に飛び込んできた人間――僕を見て、ハイディエイプは一斉が向かってきた。
「ソール!」
いつの間にか試合場まで下りてきていたエインが心配そうに叫んだ。
障壁が張ってあるとは言え、こんな魔獣の直ぐ側まで来るのは怖いだろう。他の生徒と逃げればよかったのに心配でここまで来てくれたのだろうか。エインは友達思いというかなんというか、いいやつだよなぁ。
「だからこそ、守らないと――ね!」
魔力を込めた拳で思い切り殴り飛ばすと、僕の倍以上はあるハイディエイプの身体が宙を舞った。
「えぇ!?」
後ろから驚きの声が聞こえる。
僕はさらに襲い掛かってくる敵を殴り、蹴り、投げ飛ばし、次々と撃破していった。
「つ、強いとはおもってたけど、魔獣をあんなに軽々と……」
「あの猿なんて単体の強さは精々E級かD級ってところでしょ。そんなのソールの敵じゃないわよ」
「マジか……」
そんな二人の会話を尻目に、僕は最初に表れたハイディエイプの半数近く――十体程を倒していた。残りの十体は、迂闊に飛び込めないと思ったのか、僕を遠巻きに囲んだまま動かないくなっていた。
ハイディエイプに注意を払いながら、僕はモノクロの少年を睨んだ。
「何が目的だったのかは分からないけど。好きにはさせない!」
少年は相変わらず何を考えているのか分からない表情のままだった。
「おお、素晴らしい。強いですね、貴方。とムニンは言っています」
「さっきから言っているムニンって何だ? あんたの名前か?」
「ムニンはムニンです。貴方の眼の前に要るのはフギンですよ。とムニンは言っています」
「どういうことだ……」
「彼はフギン。私はムニン。私達は表裏一体。同一の存在。私達は一人が二つ。とムニンは言っています」
一人で二つ?
何を言っているのか全然わからない。
とりあえずフギンとムニンが人の名前っぽいことだけは分かるけど。
「ところで貴方。まさかもう終わった気でいるんじゃないでしょうね。とムニンは言っています」
「どういうことさ」
「こういうことです。とムニンは言いました」
モノクロの少年――フギンがそう言い終わるやいなや、足元から広がっていた影が盛り上がった。
「キィイイイイイイ!」
そして雄叫びを上げながら、再びハイディエイプが飛び出してきた。
「まだまだいますよ。貴方は何処まで保ちますか? とムニンは言っています」
そうして表れたハイディエイプはざっと先程の倍。元々いたのと合わせて50体ほどになっていた。
「マジかぁ」
ソールがハイディエイプと戦っている時、避難する学生とは違う方向へモルガナ達は向かっていた。学園内で最も防御の堅い場所――シシリーの部屋へ。
「私の部屋……ですか?」
「うむ。あそこは王族やそれに類するものが滞在できるよう、物理的にも魔術的にも防御を固めた部屋なのじゃ。前までは私がこの学園に来た際に使っておった」
「そうなんですね」
親衛隊に守られて移動しつつ、モルガナとシシリーが会話を交わしていた。逃げ始めた当初こそ緊張していたが、フィスの障壁もあり、さらに全く追手が掛かっていないことで、シシリーの緊張感はやや薄れていた。
「それにしてもフィスという子は凄かったのう。障壁もじゃし、その前の序列戦でも珍しい魔術を連発しておったの。今まで色んな魔術を見たことがあるが、あんなのは初めてじゃ」
「あ、フィスのは魔術じゃないらしいです」
「魔術ではないとな?」
「フィスは魔法だって言ってました。魔術のように型にはまったものではなく、一から自分で作っているんだと」
「なんと、そんな事が可能なのか。いやはや、末恐ろしい才じゃな。ところで――」
「モルガナ様、お止まり下さい」
モルガナが何か言いかけた時、すぐ前を走っていたランスロットが静止をかけた。それに倣って他の親衛隊も足を止めた。
「どうしたのじゃ?」
「敵です。前方に5」
その言葉を証明するように、何もなかった筈の場所に、突如として5つの人影が現れた。
親衛隊は次々と剣を抜き、モルガナを守る陣形を組み、周囲を警戒し始めた。敵影確認から陣形を組むまでの速さと淀みなさが、彼らの練度の高さを表していた。
5つの人影はそれに怯むことなく前へ進み出た。
「ひっ」
そして顕になったその姿を見て、シシリーの口から短い悲鳴が漏れた。シシリーを庇う位置に立っていたヒルダも顔を顰めた。
5人は人間だった。
しかし、その誰もが異様な姿形をしていた。
目鼻口が分からない程に腫れ上がった顔をした人間。
腕から爛れた皮膚がぶら下がっている男。
下半身がブヨブヨに膨らんだ女。
胴体から鉄が突き出している男。
やせ細って骨と皮のみと化した女。
人間であることは間違いないだろうが、全員が人の形を失っていた。
そしてその全員が、怨嗟のこもった目で、モルガナを睨みつけていた。
その視線を受け、モルガナは怯むどころか一歩前へ出た。
「モルガナ様、お下がり下さい」
ランスロットが静止するが、モルガナは更に一歩進み、その身を晒した。
5人の異形の内、胴体が鉄化している男が口を開いた。
「モルガ――」
だが、その台詞は意味を成すことは無かった。
男が口を開いた瞬間、モルガナが何らかの魔術を行使し、男を跡形もなく消し去ってしまったからだ。
「なっ――」
驚愕に目を見開くシシリーとヒルダ、そして周囲の親衛隊員。
男が居た場所は地面ごと小削ぎ取られたように無くなっていた。何の魔術を行使したのか、その場にいる全員が理解できていなかった。何かをしたのかすら曖昧だ。ただ、モルガナが手を前に出して握った。それが、おそらくモルガナが何かしたであろうという思わせただけだ。
「疾く去れ」
モルガナは短くそう言うと、男を消したように、他の4人も同じ動作をもって消し去った。抵抗する間も、声を上げる間もなく、ただ呆気にとられたまま、何が起こっているかも分からないまま、敵は消え去った。
もはや影も形もない。
5つの削られた地面だけが、何かがあったのだと物語っていた。
「行くぞ。もたもたするでない」
「……はっ」
親衛隊は直ぐ様自分を取り戻すと、促されるままに再び歩きだした。
不可解さが胸中に渦巻く中、ヒルダは気付いた。
酷く冷たい目でモルガナを見つめるティティスに。
この国は何かある。
ヒルダはそう確信した。




