4話 お父さんのお仕事
「お、お腹空いた……」
結局、魔力操作の授業を完遂できなかった僕はおやつを抜かれていた。
この世界では食事は1日2食が基本で、昼ごはんが存在していない。
電気がないから朝も夜も早い。晩御飯は日没前だ。
その関係上、朝ご飯は日が昇って直ぐなのでかなり早い。多分6時とかそんなだ。そして晩御飯は17時位。その間、ご飯なしである。だからこそ、昼ごはんの代わりにおやつがあるんだけど、いまはそれを抜かれている。これが3歳児にとってどれほどの苦痛か。
お母さん先生マジスパルタ。
と、お腹を抱えて廊下を歩いていると珍しくスタルスが向こうから歩いてきた。
忘れている人のために補足すると、スタルスは現世の僕の父である。
普段は仕事で忙しく王城に出向いている事が多いため、家にはあんまりいない。
僕が普通の子どもなら、今度はいつ帰ってくるの? と聞くレベル。なんなら、おじちゃん誰? と言うまである。昨日の剣術のお願いも、3歳になってからずっと言おう言おうと思ってたのに、まともに話す時間のないまま数ヶ月が経った結果なのだ。
ともあれ、昨日お願いしたこともあるし、まぁ普通に親子でもあることだし挨拶はしよう。
「今日は、父様」
「おぉ、ソールか!」
僕の姿を認めるとスタルスはまさに破顔一笑といった感じで僕を迎えてくれた。
全然会ってはくれないけど、この父親は子どもが大好きなのだ。確か、王立孤児院の出資もしていたはずだ。
ちなみに王立孤児院とは、貴族専門の孤児院だ。僕の住んでいるヴィンガルフ王国は、この首都グラズヘイムは平和そのものなのだけど、地方では近隣諸国との小競り合いが頻発している。それなりの規模の戦争だってある。つい5年前にも5万もの軍勢を出兵した戦争があったらしい。
そういった戦争や、あるいは病気などで当主やあるいはそれに連なる人が亡くなってしまうこともしばしばある。嫁や子どもの少ない下級貴族なんかは特にある。
そうして没落してしまって行き場を失った孤児を引き取っているのが王立孤児院だ。
一応、子どもだけじゃなくて未亡人なんかもいるらしい。
スタルスはそこの出資者の中でも、1番の権力者だ。
まぁ筆頭株主みたいなもんだろう。株とかよく分かんないけど。
そんなスタルスなので、子どもは好きだ。特に自分の子となると溺愛している。
幸い、公私の分別がつく人なので仕事はキッチリこなしているが。
「今日はどうされたのですか、父様。もうお仕事はお済みに?」
「あぁ、残念ながら仕事の途中でな。屋敷へは物を取りに戻っただけなのだ。重要なものでな。私の執務室に鍵付きでしまってあるから、私しか取りにこれんのだ」
なるほど、使用人に任せられる類の仕事じゃないってことか。
「すまんな、もっと一緒にいる時間が取れればいいのだが」
あ、ちょっとしょんぼりしてしまった。
「いえ、父様は国のために立派に働いておられるのです。僕はそんな父様を尊敬しています!」
一応本音だ。物語などでよく見る、腐った権力者とは違い、スタルスは本当に国のために身を粉にして働いている。
「おお! そう言ってもらえると父も嬉しいぞ! お前こそ私の誇りだよ!」
感極まったスタルスは僕にキスの雨を降らせてきた。
欧米っぽい世界だし、文化的に普通なんだけど、前世で日本人の記憶を持つ僕としては慣れないのでちょっとキツイ。
目一杯の抱擁をしてから、スタルスは居住まいを正した。
「では父は仕事に行ってくる。お前はフローラの言うことを聞いて、良い子にしてるのだぞ」
「はい父様。いってらっしゃいませ」
ペコリとお辞儀をすると、スタルスは満足気に頷いてその場を去っていった。
と思ったら、2・3歩進んだ所で立ち止まった。
「言い忘れる所だった。お前に頼まれた剣術の指南役だがな。見つかったから、数日後には屋敷に来るぞ」
「本当ですか! 有り難う御座います!」
「うむ、精進せいよ」
はっはっは、と今度こそスタルスは去っていった。
それにしても頼んだ翌日に見つけてくるとは。
父様マジ有能。
にしても、どんな人だろうか。
生憎、スタルスは忙しい身でもう姿はないから聞きようがない。
昨日の今日で、しかもいまついでに僕に伝えたって感じだったからフローラは知らないだろう。そもそもフローラもスタルスに会う機会は少ない。多分、僕とトントンだ。
スタルスに次会った時に聞きたいけれど、今回みたいに2日連続で会うのはかなり珍しいから、多分もうその日まで会うことはないだろう。
つまり実際に来るまでは確かめようがないということだ。
うーん、一体どういう人なんだろう。
温厚で真面目で親バカで大貴族のスタルスがろくでもないのを連れては来ないだろう。
個人的にはクールな感じの美女がいいんだけど――もちろん訓練は真面目にやるつもりだ――それはあるまい。
そもそもアニメの中ならともかく女騎士なんて存在してないだろうし。
きっと騎士を絵に描いたような堅物が来るに違いない。
いや、小康状態の続くこの国では戦闘の出来る騎士は貴重な存在で、貴族の息子の遊び相手をさせる余裕なんてないだろう。
となると、現役を引退しているおじいちゃんという可能性もある。
むしろ冷静に考えたらそうとしか考えられない。
でも、それはそれで教科書にはないような老練な技術を教えてくれるかもしれない。
実戦を知り尽くした老獪なおじいちゃんとかカッコイイ。
うーむ、これは着任するまでの数日間妄想が捗るな。
と、本当に妄想しつつ、そして魔術や礼儀作法の授業を――礼儀作法は1歳の頃から教えられている――受けていると、あっという間に数日が過ぎた。
この間、魔術の授業はひたすら魔力のコントロールに費やされた。
それでもまだ全然操りきれていないんだけど。
そして本日はついに剣術指南役のお披露目である。
朝は魔術の授業を受けているため、剣術は午後からになるんだけど、どんな人が来るのか気になって僕は朝からずっとそわそわしていた。
そのせいでフローラもとい先生に怒られてしまったけど。
「ところで母様は今日来られる方の事はご存知なんですか?」
魔術の訓練が一段落ついたところで尋ねてみた。
「うーん、それが私も聞いてないのよね。失礼のないように、とは言われてるんだけど」
「失礼のないようにという事は、侯爵家以上ということでしょうか?」
「そうかもしれないわねぇ。でも、そんな方がわざわざ剣術の指南のために来て下さるのかしら」
「うーん、どうなんでしょう」
普通に考えたらないよね。
でも、逆に侯爵家の跡取りの剣術指南役なんだから、それなりの身分の人ではあると思うけど。まさか平民に教わるわけにも行かないし。いや、僕はいいんだけど世間体的にはアウトだろう。
「どうせあと半刻もすれば来るんだからいいじゃない。どんな予想したって来る人は変わらないんだから」
「まぁ、そうですね」
気にはなるけど、あとちょっと待てば来るんだ。半刻、つまりは1時間なんてあっという間さ、きっと。
「フローラ様、宜しいですか?」
その時、部屋の扉が控え目にノックされた。
「ええ。何かしら」
フローラは入室を促した後、要件を尋ねた。
「はい。本日いらっしゃるというソール様の剣術指南役の方がお見えになりました」
「あら、早いわね」
「はい。予定より半刻ほど早いです。いかが致しましょう? お待ちいただきますか?」
「いいえ。折角来て頂いているんだもの。すぐに向かうわ。貴女は先方にその旨伝えてきてちょうだい」
「はい、かしこまりました」
メイドはやや慌しい様子で部屋を出て行った。
そうか、もう来たのか。今か今かと待っていただけに、これは嬉しい。
フローラは普段は簡素な服を着ているのだけど、今日は客人が来ることを前もって知っていたので、最初からキチンとした服装をしていた。魔術の授業と言っても、別に動きまわるわけじゃないから不便はなかった。ちなみに、僕は動きやすさ重視の服だ。
「それじゃあ行くわよ」
他のメイドを呼んで身だしなみを整えた後、フローラは僕を連れたって応接間へと向かった。
応接間の前で一旦停止。そして深呼吸。
一体、どんな人が僕に剣術を教えてくれるのだろう。
僕の予想では9割型おじいちゃんなんだけど。
なんて逡巡している内にフローラがノックをして、中へと進み入った。