新任国境警備兵の報告
ユミル聖王国。
聖王が統治するこの国は、南にヴィンガルフ王国、東にルギディア帝国と、2つの大国に挟まれた位置に存在する小国である。その場所柄、過去に幾度と無く両国からの侵略の危機に晒されてきたが、一度足りとも王都までの侵攻を許したことは無い。それは、国境の北から南にかけては峻険なる峰々が連なり、西には激しい潮流の海が広がり、南は対岸が見えないほどの大河があり、それらが天然の要害として機能しているからである。
そしてそのルギディア帝国との国境、唯一の山道を塞ぐように建っている城砦に私――トリウィアーリス・ミーレス上等兵であります。親しい者は私の事をトリスと呼びます。
え? あ、呼び名はどうでもいいから早く本題に入れ? はっ、申し訳ありません。
えっと、あれはいつものように警らを終えて砦に戻った時のことです。砦の中はいつもと違って騒ぎになっていました。
国境を遮る門の周囲に人だかりが出来ていた。冒険者や商人など格好は様々だが、皆一様に怒りを露わにしていた。そんな殺気立った連中が黙ったまま門の前を陣取っている。
俺は人の間を縫うようにして、目立たないように詰め所に入ると、そこにいた仲間に尋ねた。
「おい、この騒ぎはどうしたんだ?」
「あぁ、トリスか。おつかれさん。いやな、ちょいと国境を封鎖しなきゃならん事態が起きてな。それで国境を渡れなくなった奴らがイラついてやがるのさ」
「国境封鎖だって? 穏やかじゃないな。一体なにがあったってんだ?」
そいつは意味ありげに間をとると、俺を脅すような声で言った。
「街道に大食らいが出たのさ」
「大食らいだって!?」
大食らいとはユミル聖王国の北東の山を縄張りとしているB級魔獣だ。
魔獣にはその脅威度や強さに合わせてランク付けが行われる。
S級=人の力ではどうにもならないモノ。神獣とも呼ばれる。幸いにもS級魔獣は基本的に人間には不干渉。
A級=国の存亡に関わる。万単位の軍隊が必要。ただしこちらも縄張りを出ることはあまりない。
B級=最低でも3桁、場合によっては4桁の人数による軍隊の編成が必要。B級以上は数が少ないため、個別に通名が付けられる。
C級=小隊から中隊の規模が必要。
D級=複数人でのパーティを組んで討伐するのが望ましい
E級=兵士、あるいは戦闘訓練を受けた人間なら個人で対応可能
F級以下=ほぼ無害。一般人でも倒せる
この基準は世界共通で、我らがユミル聖王国のみならず、ルギディア帝国やヴィンガルフ王国でも通用するし、華国でも言い方は変わるが基準は一緒だ。
強さならS級やA級の方が恐ろしいが、滅多に人前に姿を見せないそいつらと違ってB級は比較的人里に下りてくる。実害で言えばB級の方が脅威なのだ。
「今はどう対処するか、お偉方で会議中さ。おそらくここから兵を動員して討伐することになるだろうが……兵力の消耗を避けるために籠城戦になるかもしれんがな」
この砦の保有する兵数はおおよそ8千。B級でも下位に位置する大食らいなら、現有戦力で十分に討伐が可能だ。しかし、この砦の本来の目的はルギディア帝国に対する防衛だ。それは今の戦力を持ってして可能なことなので、兵力を徒に減らすことは出来ない。もしゴリ押しで魔獣討伐を成功させたとしても、消耗した所をルギディアに狙われたら、最悪この砦が陥落しかねない。ならば堅牢なこの砦に籠もって、消耗を抑えた戦いをするのが最善という考えなんだろう。俺もそれには賛成だった。
夕刻になった。
グルトンへの対処はやはり予想した通りだった。まず足の速い兵がグルトンに向けて挑発し、この砦まで誘き寄せる。これはグルトンが周囲の町村に行って、民間人に被害が出ないようにするためだ。次に砦から魔術や弓や投石機による遠距離攻撃を行う。ある程度近づいた所で回避能力を再優先に考えられた兵士と陣形でグルトンを牽制。後方の準備が整い次第、改めて遠距離攻撃。そしてまた撹乱。これの繰り返しで倒してしまおうということだ。グルトンは耐久性や腕力は凄まじいものがあるが、知能は低い。おそらくこの作戦で問題ないだろう。
グルトンの現在位置を正確に把握するため、今晩に最初の斥候部隊が出ることになっている。偵察時は二人一組になるため、危険度が高い。グルトンもそうだし、他の魔獣にだって遭う可能性があるわけだからな。そして光栄なことに俺がその斥候に選ばれた。おそらく新兵でありまだ砦に不慣れな俺なら、消耗しても大した問題にならないからだろう。
俺は毒づきながらも、仮眠を取る前に用を足しに外へ出た。砦内にトイレはあるが、今はやたら込んでいて使いたくない。
「あの」
「ん?」
外へ出た所で声を掛けられた。頭から足首まで隠れる灰色の外套をスッポリと被った怪しい奴だ。しかし、この低い身長は。
「いま、門は通れないんですか?」
そしてこの変声期前の声。子供じゃねえか。
「あぁ、見ての通りさ」
「何があったんですか?」
「魔獣が出やがったのさ。しかもグルトンっつー特に怖ぇやつだよ」
「グルトン……B級魔獣ですか」
「知ってんのか?」
「えぇ、まぁ」
子どもがそんな事を知っているのに驚いたが、よく考えると、この子供は身なりからして旅をしているんだろう。ならば同行しているであろう親か、あるいはそれに準ずる保護者に魔獣の知識を教わっていても不思議じゃないか。
まさか、1人旅だったとこの時は毛の先ほども思ってなかった。
「そういうわけだから、しばらくは国境を越えるのは我慢しな」
「しばらくって、どのくらいですか?」
なんだ、やたらと質問をぶつけてきやがるのな。
「そうだな……少なくとも5日はかかるだろうな」
グルトンの耐久力がどれほどかは分からないが、地味に削っていく作戦ならそれくらいはかかるだろう。
「5日……そうですか。ありがとうございます。……やば…間に合…ない」
子供は礼を言うとブツブツと呟きながら去っていった。
「なんだったんだ――と、そうだションベン。漏る漏る」
そうして小便に気を取られた俺はその少年の事をスッカリ忘れてしまっていた。
日が落ちた。
今日は満月のせいで、夜の割には明るかった。
俺は予定通り、充てがわれた仲間とともに砦を出発した。
俺達の偵察場所は街道だった。グルトンに最も遭遇する確率が高いところだ。反面、他の魔獣には遭いにくいが。
ハンドサインで状況を確認しつつ、交代で周囲を警戒しながら進んでいく。今のところ敵影はなし。
そうして二刻は経っただろうか、ついに俺たちはその影を捉えた。すぐに身を伏せ、様子を窺う。
(なんつーデカさだ)
見た目は白い毛のゴリラだった。だが、その大きさが尋常じゃない。
体長は20mはあるだろうか。さらに異様に発達した両腕はその太さだけで一般の家屋くらいある。顎もデカく、口の隙間からのぞく牙も鋭く太い。あんなもん一噛みされたら人間なんて簡単に千切られっちまうよ。
気づくと俺の身体が小刻みに震えていた。
恐ろしいのか。恐ろしいんだろうな。
あんな化け物を目の前にして怖がるなってほうが無理だ。
隣を見ると、やっぱり相方もビビってやがった。
俺達は目を合わせて頷き合うと、グルトンに気付かれないようゆっくりと下がった。
その姿は確認したのだから、偵察任務は完了だ。あとは戻って報告するだけ。こんなヤバい所にいつまでもいられるか。
そう思ってもう一歩下がった時。
パキ。
(え?)
音のした方を見ると、相方が小枝を踏んでやがった。普段ならなんて事のない小さな音だが、この静かな夜の中では大きく響いたように聞こえた。相方も顔面蒼白だ。
恐る恐るグルトンの方へ向いてみる――
「っ!」
目があった。
「に、逃げろォ!」
言うまでもなく、俺達は走りだしていた。
「ォォォォオオオオオオ!」
「ひぃっ」
後ろから咆哮が聞こえたかと思うと、地震が起こり始めた。いや、分かってる。グルトンが追いかけてきているのだ。それが大地を揺らして、俺達にとてつもない焦燥感を与えてくる。
(死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!)
地面を踏む音がどんどん近づいてくる。
(いやだ! 死にたくない死にたくない死にたくない)
と、急に地響きがしなくなった。
「へ?」
変に思って後ろを見てみると、グルトンの姿が消えていた。
俺達は走る速度を落としながら、後方をよく観察する。が、どこにもいない。
「ま、撒いたのか?」
相方がそんな事を呟いたが、そんなわけあるか。走る速度は向こうのほうが速かった。直に追いつけたんだから、撒くとか諦めるとか、そんなわけはない。
そして、そんな俺の考えを証明するように、俺達の後ろ――砦のある方から今まで以上の轟音が鳴った。同時に立っていられないくらい地面が揺れる。
そこには着地の体勢で俺たちを見据えているグルトンがいた。
「は、はは。跳び越えたってことかよ」
なんて奴だ。もうこれは最初っから逃げられなかったってことか。相方も諦めたようで、地面にへたり込んでしまった。
獲物がもう逃げないと悟ったのか、グルトンがゆっくりとこちらに近づいてくる。
あぁ、俺の人生もここで終わりか。正規兵になってこれからって時だったのになぁ。
そうして俺も地面にへたり込もうとした時、その声は聞こえた。
「炎弾」
直後、グルトンの後頭部が爆発した。
何が起こったんだ?
グルトンが振り向いた先には、小柄な人影が一つあった。
灰色の外套をスッポリと被ったそいつを何処かでみたような――って、砦で声を掛けてきた子供じゃねぇか! なんでこんなところに! 砦の連中は何してやがった! 保護者は何処にいる! いや、そんなことより。ヤバい。食事の邪魔をされてグルトンの野郎怒ってやがる!
「何してんだ小僧! 逃げろ!」
少年はこちらを見た気がするが、動くことはなかった。
くそ、恐怖で身が竦んでやがんのか!?
「動けぇ!」
それは少年に言ったのか、自分の震える情けない足に言ったのかは分からなかったが、俺はそう叫ぶと同時に走りだしていた。
少しでもこっちに注意を引きつけるんだ。とにかく少年が逃げるまでの時間を稼がねぇと。
腰の剣を抜いてグルトンに斬りかかったその時、
「お兄さん、危ないから下がってて」
そんな声が聞こえた。
それと同時に急にグルトンの身体がよろけた。
「なん……だ?」
俄には信じられなかった。いや、今も信じられないし、これからも信じられる気はしない。けれど、その光景は現実のものとしてあった。
灰色の外套がはためく度に、グルトンの巨体が右へ左へとよろめく。
かなり遅れて、それは少年が攻撃しているからだと気がついた。
だって想像付くかよ。
俺の半分くらいしかねぇような子供が、俺の100倍はありそうなデカさの化け物を殴り飛ばしてるなんて。あぁ、いや、100倍は言い過ぎたかな。
それは戦いじゃなかった。
グルトンは腕を振るったりしているけど、それは全てが空振りに終わって、逆に少年の攻撃はその全てがヒットしていた。B級魔獣が赤ん坊扱いされている。実力差は歴然だった。
やがて少年は剣を抜いた。
装飾は普通だったが、その刀身は見事なものだった。
そこからは実は何が起こったのかよく分かってない。
なぜなら、何も見えなかったからだ。
もちろん目は開いていた。必至に見ようとした。
でも見えなかった。
速すぎて目で追えなかった。
少年が光ったと思ったら、その姿が消えて、そう思ったらグルトンの背後に回っていて、一瞬遅れてグルトンの足から鮮血が奔った。ニ、三度それが繰り返され、グルトンはついに膝をついた。
少年の姿がまた消えたかと思ったら、グルトンの首の後ろに乗っていた。それに気付いたグルトンは必至に少年をどかそうとするが、そのどれもが当たっていなかった。
だが、少しだけ掠ったのか、あるいは風圧のせいか、少年のフードが捲れた。
「――ぁ」
その美しさに言葉を失った。
丁度、満月に被さった少年の姿は、こんなことも言うのも恥ずかしいけど、神々しかった。
金の月と、赤い髪が夜空の中に一枚の絵画のように浮かんでいた。
少年が剣を一閃すると――いや、目で追えなかったけど、多分そうだと思う――グルトンの首が胴から離れた。何故か傷口からほとんど血が出なかった。
そして瞬きをしている間に、その少年の姿は消えてしまい。何処にもいなくなっていた。
残ったのはグルトンの死体と、腰を抜かしたままの相方だけだった。




