24話 ベルナトッデ邸の戦い(Ⅵ)
ソール達が練兵場で合成獣と戦い、スカジがノーリを追い詰めていたその時、ベルナトッデの屋敷にネイルが潜入していた。
「やはり警備の人数は少ないでございますね」
辺境伯の屋敷だけあって、本邸はかなり広い。ネイル達が事前に手に入れた情報通りなら、これを10人で管理していることになるが、どう考えてもそれは不釣り合いだった。
警備どころか維持すらままならないのではないだろうか。
無いも同然の警備を掻い潜り、ネイルは楽々と邸内に這入っていく。ベルナトッデ家の長女であるキーリの救出が任務なのだが、当然どこにいるかは分からない。邸内にいることはほぼ確定なのだが、何処にいるかの情報はない。とりあえずネイルは元々の彼女の部屋へと向かった。
「うーん、こんな楽でいいのでございましょうか」
途中すれ違ったのは掃除のメイド1名と巡回警備しているらしき兵士が1人だった。もちろん隠れてやり過ごしていたので、すれ違ったと認識しているのはネイルだけだが。
間もなくしてキーリの部屋の前まで辿り着く。正確には部屋の前の廊下を窺える位置に。
見ると、警備の兵士が2名、扉の前に陣取っている。他にこんな扱いを受けている部屋はなかったことを考えると、キーリは自身の部屋にいるようだ。
(にしても、変にゃ。あの2人、妙な気配がするにゃけど、本当に人間かにゃ?)
そんな事を呟きながらネイルは窓の外へスルリと出た。馬鹿正直に扉から入るつもりなどないのだ。
猫小神族らしく、器用に窓枠を伝い、瞬く間にキーリの部屋の窓に着いた。しかも都合よく1つだけ開け放たれている。
(どれどれ……にゃ)
こっそりと中を覗くと、室内では金髪の女性が1人ベッドで横になっていた。キーリの部屋のベッドにいるのだから、普通に考えて彼女がキーリだろう。どことなく前領主のベムブルの面影もある。
(他に人は……いないにゃ)
念のため耳を澄ませてみるが、それでも室内にキーリ以外の呼吸音は聞こえなかった。室内は安全だと判断し、軽く窓をノックした。
「ぅん?」
横になっていたとはいえ寝ていたわけではないのだろう。キーリは音のした方をしっかり開いた目で見た。そしてそこにいたのは1人の猫小神族だった。
誰? そう問おうとしたが、ネイルが人差し指を唇に当てて、静かに、というジェスチャーをしたことで、その言葉を飲み込んだ。
ネイルは音もなく室内へ侵入し、そのまま足音を立てずにベッド脇に進んだ。キーリも応対するように横たえていた身体を起こした。
「キーリ=ベルナトッデ様でお間違いないでございますか?」
ネイルはキーリにだけ聞こえるように声を絞った。対してキーリも可能な限りの小声で答えた。
「ええ、そうよ。貴女は?」
「私は貴方様をこの屋敷からお助けするために遣わされた者でございます」
「遣わされた? 誰に?」
「我が主様でございます。しかし、おそらく面識はないと思われます」
「なぜ面識のない人が私を助けに?」
「現領主を排除し、真っ当な自治を行える者を立てるためでございます」
「ノーリ兄様を罷免するということ?」
「そうでございます。そして新たな領主を貴女に勤めていただきたいのでございます」
ネイルのその言葉に、キーリは諦念とも思える溜息をついた。
「無理よ。お兄様はもう誰にも止められないわ。あの人は恐ろしい力を手に入れてしまった」
「恐ろしい力?」
キーリは首肯すると、自身で分かる範囲でネイルに説明をした。
合成獣の存在。兄が犠牲になり、今はノーリの護衛となっていること。その恐ろしいまでの力。今や屋敷は完全にノーリが支配していること、そして。
「私も逃げられないように、こうされたわ」
キーリが布団をめくると、そこにはあるべきものがなかった。
「これは、酷いでございますね」
足首から先が失われていた。
「分かったでしょう? 私は逃げられない。だから貴女はもう帰りなさい。主人にも私が言ったことををのまま説明すればきっと分かってくれるわ」
キーリはそう言うと、もう言うべきことはないと布団を足に掛け直した。
だがネイルは諦めない。
「それでも一緒に行くでございますよ。どんなにその合成魔人とやらが強くても、我が主様は負けないでございますから」
「それは貴女があの化物の強さを見ていないからそう言うのよ。アレは人間がどうこうできるものじゃないわ」
キーリの強い否定にネイルは逡巡する様子を見せたかと思うと、顔を上げてとんでもない事を言い出した。
「扉の外にいる護衛も合成獣でございますよね?」
「そうよ」
「なら私が彼らを倒してみせるでございますよ。そうすれば私より断然強い主様が負けないということの証拠になるでございましょう」
「貴女、何を馬鹿なことを――」
「もう遅いでございます。大きい声を出しましたから、さすがに侵入者に気付かれたでございますよ」
ネイルが言い終わるかどうかの所で、扉が乱暴に開け放たれ、護衛に立っていた兵士が2人這入ってきた。
「シ、侵ニュウ者」
うつろな目と回らない呂律でそれだけ言うと、兵士の1人が急に姿を変えた。トカゲを思わせる爬虫類の頭を持つ合成獣へと。
「なるほど。これは悪趣味でございますね」
「貴女、早く逃げなさい!」
ネイルは必至に逃走を促すキーリを一瞥すると、
「先ほどの話。考えておいてくださいでございます」
そう言って、その姿を消した。
否。
速すぎてキーリには消えたように見えたのだ。
ネイルは一陣の風の如く合成獣に近づくと、隠し持っていたナイフでその首を一撃で落とした。
「ギ?」
合成獣は何をされたかも分からないまま首を床に落とし、数秒遅れて身体も沈んだ。
「へ?」
キーリも何が起こったか分からない様子だ。
「さて、貴方は変身しないのでございますか? 貴方からも人ではない臭いがぷんぷんするでございますが」
それに答えるように、もう1人の兵士もその姿を変容させた。獅子の頭に山羊の胴体と蛇の尾をもつ複合型合成獣へと。ネイルはもちろん知らないことだが、この合成獣は膂力、耐久性、速度、どれもがソール達と戦った鵺に匹敵する程のノーリの自信作だった。
しかし、
「これはまた更に悪趣味でございますね」
身体を震わせ怯えるキーリに対してネイルはどこか暢気に構えていた。
「ガァッ」
合成獣の前足が振るわれ、重く疾い一撃がネイルを踏みつぶした。それだけでは収まらず、地面にも大きな亀裂が入った。
「ひっ」
目の前で起こった惨殺劇にキーリが短い悲鳴を漏らした。
しかし、その頭の上からまたも緊張感の足りない声が聞こえてきた。
「ふぅむ。暴れられると部屋そのものが危ないでございますね。ちょっと興味はあったのですが、これは早々に決めたほうがよさそうでございますね」
見るとネイルが爪を立てて器用に天井に張り付いていた。その姿はまさにNINJAであった。
「会って早々でございますが、さようならでございますよ」
キーリと合成獣双方の視界からネイルの姿が消えると、合成獣の前足が一本切り落とされた。そうして頭が落りてきた所で眼球にナイフが1本突き立てられた。それは眼窩を超えて、脳にまで達した。更に同時に顎下からもナイフが捻り込まれていた。
「――ッ」
合成獣は断末魔の声さえ上げること叶わず、その命を絶たれた。
「へ……?」
キーリは今も何が起こったか理解できていないようだった。
しばらくして脳の処理が追いつき、キーリは状況を理解した。
「そう、貴女の主人はもっと強いのね」
「はい。私など足元にも及ばないくらいでございます」
あれほど恐れていた合成獣を事も無げに瞬殺したネイルでさえ理解が及ばない程なのに、それをも超えるほどの強さとは一体どれほどなのか。キーリは自身の常識など、この世界では通用しないことを理解した。
「分かったわ。確かに貴方達ならお兄様を止められるかもしれない。……それなら改めてお願い致します。私を助けて下さい」
「承知いたしましたでございます」
ネイルは手近な毛布でキーリの身体を包むと横向きに抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこだ。
「またこの屋敷に戻ることになるとは思うでございますが、一旦主様の元へ連れていかせていただくでございます」
「ええ、お願い」
ネイルはキーリがしっかりと抱きついた事を確認すると、壊れた扉から飛び出した。見つかることも気にせず、出口に向かって廊下を真っ直ぐ走って行く。途中で何人かに見つかったが、どれも簡単に振りきった。
そうして玄関ホールに着いた。
(扉は閉まってるにゃ。当たり前にゃね。まぁ蹴り破ればいいにゃ)
そう考えつつ、扉の前、最後の着地をした時だった。不意に横から声が掛けられた。
「やぁ、何処かにお出かけかい?」
普通ならそんな声など無視して扉を蹴破っていただろう。だが何故かその声にネイルは足を止めてしまった。
「君はネイルだったっけ? 初めましてだよね」
声を掛けてきたのは、美しい少年だった。
確かにその少年の言うとおり、ネイルは彼とは初対面だった。
ならば何故、私の名前を知っている?
「まさか合成獣倒しちゃった? あれはあれで結構お気に入りだったんだけどなぁ」
少女はほんの少し残念そうに表情を曇らせた。
その見目は麗しく、思わず目を奪われそうになる。
「あ、ところで彼女は元気かな?」
青年はさっきまでの悲しげな表情からあっと言う間に朗らかな表情になった。
見た目だけでなく、声までもが綺麗だ。これ以上にないくらい耳心地がよく、ずっと聞いていたくなる。
「彼女っていうのはリーゼロッテのことなんだけど……って、今は違う名前を名乗っているんだっけ?」
リーゼロッテ? 誰だ? その女性が口にした名前は少なくともネイルの記憶にはなかった。
でもなんとかして思い出したい。彼女の役に立つ情報を与えたい。
「今はなんて言ったっけ? そうそう、スカジだ」
ゾクリと総毛立った。
私は今まで何を考えていた? 会ったばかりの人物に対して、何故こうも安心感と信頼感を持っている?
そして、目の前のソイツを――今は老人に見えるそのナニカを私はどう認識していた?
その時、ネイルの頭にスカジの忠告が思い出された。
“「その時に何かわからない者に出会ったら逃げな」
「男でも女でも。背が高くも低くも、幼くも若くも老いても。髪が黒くも茶色くも金色でも、瞳が大きくても小さくても。そういった情報を当てにするな」
「直感的に分かるさ。関わってはいけない、と思ったら何もかも放り出して逃げるんだよ。目も合わすな。言葉も交わすな。キーリも諦めろ。息をする間もなく、とにかく逃げるんだ」”
そこからは早かった。
ネイルは全ての考えを頭から振りきって、全速力で逃げ出した。
怖かった。恐ろしかった。慄いた。
自分の中に得体のしれないものが這入ってきたようで、怖かった。
そのまま自己が塗りつぶされていくようで恐ろしかった。
訳の分からない存在そのものに慄いた。
何より、アレに安らぎを感じたことが何よりも恐怖だった。
スカジの言っていたことが理解できた。
アレは言葉では形容しなかったのではない。
アレの恐ろしさを形容する言葉がないのだ。
ネイルは走った。とにかく走った。走って走って走って、ただスカジの元までただ走った。スカジはネイルの様子を見て、何があったか――何に遭ったかを察すると、優しく抱きとめ落ち着くまで頭を撫でた。
ひたすら逃げていた中で僥倖だったのは、キーリをしっかりと抱えたままだった事だ。あまりの速度にキーリは目を回していたが、命どうこうというほどでもなかった。
Twitterでは今回で1章終わりと言いましたが、思ったより長くなったので分割しました。次で最後です。




