3話 魔術レッスン
この世界では誕生日というものが前世ほど特別ではなく、年が明けると年齢も1つ増える、ということになっているらしい。
なので、1月1日に全員が一斉に歳を取るわけだ。
3歳にもなると、言葉もハッキリ喋れるし、歩いたり走ったりも出来るようになった。
ただ、身体のバランスはもの凄く悪い。
小さな身体の割に、頭がかなり大きいからだ。
成人時の感覚で言うと、常にフルフェイスのヘルメットを被っているような感じだ。視界の狭さも同様だ。
子どもって、思ったより大変なんだな。
とまぁ、それはともかく置いといて、僕は身体がそれなりに動くようになったのだから、両親にあるお願いをすることにした。
「剣術の訓練?」
昼過ぎ、庭でアフタヌーンティーを両親と楽しんでいる時に僕は剣術の訓練がしたいと切り出した。この世界で剣士や騎士なるものが存在することは本を読んで知っている。今の僕は強くなるためなら、なんでも手を出したい。
父であるスタルスには怪訝な顔をされたが、フローラはむしろ「やっと言ったか」みたいな顔をしていた。
「はい、僕も3歳になりました。父様の後を立派に継げるよう、そろそろ貴族としての教養や鍛錬を積まなければならないと思うのです」
もちろん方便だ。
正直、前世において民主主義の世界に慣れきってしまった僕には貴族としての振る舞いがどうこうとかまでは考えが及ばない。
ただ、今はとりあえず強さが欲しい。守りたい人を守るための強さが。
そんな方便だけど、スタルスは感銘を受けてしまったらしく、
「まだ幼い身というのに、なんと立派な考えを持ったのだ。父は嬉しいぞ」
涙ぐみながら喜ばれてしまった。
フローラは僕らのやり取りをじっと見たまま発言をしようともしない。
それがちょっと不気味でもある。
いや、今はとりあえずスタルスの説得だ。
「では父様、剣術の訓練を行っても宜しいですか?」
「うむ、よかろう。近いうちに指南役を雇うとしよう」
二つ返事でオーケーを貰えた。
「有り難う御座います、父様!」
「よいよい」
ご機嫌になったスタルスと、希望がかなって喜ぶ僕と、2人は笑いあいながら剣について語り合った。
けれど結局フローラは最後まで剣術についての賛否を口にしなかった。
夜、僕は寝室で魔術の訓練について考えていた。
魔術指南書は、その名の通り初心者に向いている本なのだけど、言ってしまえば初心者以外には役に立たないレベルの本なのだった。
魔術には属性別の他に習得難易度というのもあり、初級・中級・上級・特級と分かれているらしい。そして指南書には初級までしか載っていない。どうやら中級以上は誰かちゃんとした魔術師に教わらないといけないらしく、一般に流通する本に載せてはいけないんだと書いてあった。
今の僕は指南書に書かれていた初級魔術なら全部使うことが出来る。
それも無詠唱でだ。ただ、実戦で使ったわけじゃないから、いざそうなった時にキチンと発動するかまでは分からない。
魔術も誰かに教えてもらいたいけど、フローラは幼いうちに魔術を使うことに反対している。きっとスタルスに学びたいと言っても、フローラが止めるだろう。
だから剣術の訓練をお願いしたというのもある。現段階でこれ以上魔術を学べないなら剣をと言ったところだ。
そんな事を考えながらうんうん唸っていたら、編み物をしていたフローラが声をかけてきた。なお、まだ3歳なので寝室は相変わらず一緒だ。
「ソール、あなた学ぶのは剣だけでいいの?」
「え?」
「魔術、どうするの?」
その言葉に思わずぎょっとしてしまった。
まさか、魔術の練習をこっそりしていたのバレてたんじゃ?
なんてビクビクしていると、
「前に私の魔術を見て、魔術したいって言ってたでしょう?」
あ、そのことか!
確かに始めて魔術を見た時にフローラに魔術を教えてとお願いしていた。
「あなたは頭もいいし、言動もしっかりしているから、魔術を教えてもいいかなと思ったの」
「ほ、本当ですか!」
丁度師事を受けたいと思っていた矢先の提案に、僕は一も二もなく喜んだ。
「でも、剣の稽古もするのでしょう? 魔術も勉強もするなら、朝から晩まで勉強しっぱなしよ?」
「それでも大丈夫です!」
「そう? なら、明日から早速魔術の勉強しましょうか」
「え、明日から来てくれる当てがあるんですか?」
まさか通信網が発達していないこの世界で、そんな迅速に魔術を教えられる人材が確保できるなんて。
「何言ってるのよ。母さんが教えてあげるわ」
「ええ!?」
意外な人選に声を上げてしまった。
「これでも母さんは嫁ぐ前は魔術師として有名だったのよ。任せなさい」
「え、えっと。では、宜しくお願いします」
「ええ、母さんがソールを1人前の魔術師にしてあげるわね!」
そうして僕はフローラから魔術の教えを受けることになった。
なお余談ではあるけれど、後日屋敷で働くメイドさんに母さんの昔のことを聞くと、エネア―地方のウィヨルギュン伯爵領では魔術師の天才かつおてんば娘として有名で、「桃炎の暴姫」と呼ばれていたとかなんとか。
母親の黒歴史を垣間見てしまった気分になった。
次の日、早速魔術の授業が始まった。
貴族として公の場に出るのはもっぱら第一夫人のインウィディアで――いま有力なのは長男を産んだフローラの方らしいけど――フローラがやらなければならない公務はあまり無い為、毎日時間を作ろことは可能らしい。なら普段はどこに出かけてたんだって話だけど、どうも母さんは他で商売のようなものをしたんだけど、今はもう人に任せてしまって、丁度手が空いていたらしい。
まぁそんなこんなで、授業初日だ。
なお怒られたくないので、1人で魔術の練習をしていたのは内緒だ。
「では、魔術の授業を始めます」
「はい、母様」
「母様じゃないわ、先生と呼びなさい!」
「はい、先生!」
フローラがノリノリっぽい。
「まず魔力というものを感じるところから始めましょう」
「魔力を感じる?」
「そうよ。魔力っていうのは誰にでもあるけれど、普通に生活してるだけじゃ自分の中にある魔力を自覚出来ないの」
「へー」
「魔術を扱う第一歩は魔力を扱うことからよ」
そんな考え方があるのか。
本には一切書いてなかったので、ちょっと新鮮だ。
「まず瞑想からよ。目を閉じて、私の言葉に耳を傾けなさい」
「はい」
言われるがまま目を閉じる。
するとそっと頭に手が添えられた。
その手は温かいというか、むしろちょっと熱い。
「今からソールの中の魔力を刺激するから、自分の中で動く形のないものを感じ取りなさい」
ちょっと説明がざっくりし過ぎてないだろうか。
「いくわよ」
フローラが声を掛けた途端、添えられた手がさらに熱くなり、同時に僕の身体も熱を帯び始めた。
そして、僕の中で見えないタービンが高速で回転して発電し始めた感覚が生じた。これが僕の魔力だ。何度か魔術を使っているから分かる。
「なにか感じる?」
「えーっと、何か僕の身体の中心でエネルギーが生み出されているような感じがします」
思ったままを口にすると、フローラは満足気に相槌を打った。
「それがソールの魔力よ」
こ、これが僕の魔力……まぁ知ってたんだけど。
「でも、ちょっと魔力の存在を掴むのが早すぎるわね。普通は何日もかかるんだけど」
え、そうなの? まずった? 勝手に魔術の練習してたのバレる?
「ま、母さんの息子だものね。これくらいは楽勝よね」
あ、なんか助かった。
「じゃあ次は魔力を操る授業ね。いま、ソールは自分の中にある魔力を自覚したわ。いまも感じる?」
「はい。電気……じゃなくて、稲妻が体内を奔り回ってる感じです」
危ない危ない。きっと電気って言葉ないよね、この世界のこの時代。
「そう。ソールはそういう感覚なのね」
「ソールはって、かあ……先生は違うんですか?」
「私は身体の真ん中で焔が燃えてるイメージね。こういうのは個人によって全然違うわ。水が溢れ出るイメージを持つ人や、光が揺蕩うイメージを持つ人とかね」
「それは何か意味があるんですか?」
「得意属性に関わるって言われてるわ。実際、私は火系魔術が得意だもの。でもそうなるとソールは稲妻かしら? でも、稲妻を操る魔術なんて聞いたことないわね」
「え、それじゃあ得意属性がないってことですか? 今からでもイメージ練り直したほうがいいでしょうか?」
フローラは少しだけ考える素振りを見せると、首を横に振った。
「いいえ、変にイメージを変えると魔力を生み出す力自体が弱体化しかねないわ。それに、いま稲妻属性がないだけで、存在しないとは限らない」
「誰か、稲妻の魔術を使ったことがあるんですか?」
「私の知る限りだとないわね。でも、それは逆にチャンスよ」
「チャンス、ですか?」
「ええ。ソールが新しく魔術を生み出せばいいのよ」
「魔術を生み出すなんて出来るんですか!?」
「もちろんよ。そもそも今現在一般的に扱われてる魔術だって、遠い昔の誰かが生み出したものよ。だから、ソールは新しい魔術を生み出す可能性を持っているかもしれないわ」
「そうなんだ……」
得意属性がないかも、と思った時には才能がないと言われたようで落ち込みかけたけど、いまはむしろわくわくし始めている。新しい魔術を生み出せるかもなんて言われたら、そりゃ興奮するってものだ。
「それに得意属性がないと言っても、他の魔術が使えないわけじゃないわ」
それは確かにその通りだ。
僕自身、一通りの属性の初級魔術は使えるから。
「さて、属性についての話は一旦終わるわね。魔力を操る授業に戻るわ」
そういえばそうだった。
「いま体内に生まれている魔力、それを体内で思い通りに動かして。ソールは稲妻だったわね。それを右手に集めてみて」
「はい」
イメージ的にはいま全身が帯電しているわけだけど、これを全部右手に。
魔術を使う時にそうなるから、それと同じ要領でいいのかな。
全身を奔る電気がゆっくりと右手に集まっていく。
「どう?」
「出来た、と思います」
ちょっとまだ2割位は集めれてないけど、時間を掛けてもこれ以上は無理な気もする。
「んー、全部が全部集まってる?」
「えっと、2割位はまだです」
「そう。まぁ始めてだと上出来ね」
「これって意味あるんですか?」
魔術を使うときは詠唱をすれば勝手に魔力は右手に集まってくれる。
無詠唱にしても、必要なだけの魔力を込めれば発動する。そして魔力を込めれば込めるほど、威力や速度が上がる。
こんな細かい作業はあんまり役に立たなさそうだけど。
「意味はあるわ」
しかしフローラは言い切った。
「魔術を放とうとする箇所以外に魔力が残ってると、消費量にロスが生まれるの。ソールは算術は出来るわよね?」
「はい、先生に教えてもらいましたから」
教えてもらわなくても中身は現役大学生なんだから余裕なんだけど、さすがに最初っから出来るのはおかしいと思うので、一応学んだふりをしている。ただ、異様に理解していく速度が早い――ように周りには見える――ため、フローラは「この子、天才では!」と調子に乗って3歳時に四則演算全てを教えこんだ。
普通の子どもなら泣いて抗議して勉強を嫌がるレベルである。
「じゃあ大丈夫ね。例えば私がファイアボールを撃とうとして、10の魔力を生み出すとしましょう。そして、それをそのまま放つ。すると、何故か3割くらいの魔力はファイアボールに使われず、体内に残ってしまうの」
「えぇ、そうなんですか!?」
じゃあ今までは魔力をロスってたのか。
「もし10の威力のファイアボールを放とうとすれば、14の魔力を生み出さないといけなくなるわ。しかもこれは私の場合だから、多い人は5割位ロスしてるんじゃないかしら」
ま、マジでか。
そんなに無駄が出るなんて。
「あ、でも使われなかった魔力は消えるわけじゃなくて残るんですよね?」
「そうね。それに残った魔力でまた魔術を使うことも出来るわ。でもやっぱり魔力の操作は出来るようになるべきよ。魔力を操れなくて3割ロスが生まれるのと、操れるけど3割残すのとではまるで意味が違ってくるもの」
確かにそうだ。
それにこれを突き詰めていけば、魔力を同時に2つ放ったりも出来るのでは?
例えば、20の魔力を生み出しておいて、そして魔力10ずつ消費して左右の手で放つとか。それが無理でも、間を置かずに連射できるとか。
おお、これは運用性がかなり上がるのではないだろうか。
やっぱり本だけで学ぶより、ちゃんとした人に教えてもらったほうがいいな!
「その顔は納得した顔ね。なら、続いて魔力の操作を頑張るわよ」
「はい!」
その返事はきっと前世を含めても1番良い返事だったと思う。
「ちなみに、出来なかったらおやつは抜きね」
「え……」
その時の僕の顔は前世を含めてもトップクラスの絶望の色を浮かべていたと思う。