13話 この世界の常識
「さて、回らないといけない店はこれで終わりだね。時間も丁度いいから昼食にしようかね」
ウルの背負っている荷物がかなり少なくなったのは太陽が天辺を少し過ぎた頃だった。
「昼を取る店は決まってるからね、其処に行くよ」
するとウルは何も言わずに――今のところ声を聞いたことはないけど――歩き出した。いつも2人で出掛けてるだけに、何処に行くか分かってるみたいだ。
ウルが先頭を歩いて、その後ろをスカジと僕らが付いて行くという、この町においてパターン化された陣形で町中を歩いて行く。
エイダールにいた頃は自由に外を歩いたことはなかったし、外出したとしても貴族街が全てで、城下町までは出たことがない。もし出ても、防犯上の理由から馬車から顔を出すことは許されなかったし、窓にもカーテンは掛かったままだった。だからこの世界の普通の町並みを、こうやって見て回るのは初めての経験だった。
「あんまりキョロキョロしてたら田舎ものみたいよ」
物珍しげに辺りを見回す僕に、フィスがしたり顔で注意してきた。けど、フィスもさっきからそわそわしてるし、僕ほどあからさまでなくとも、目線だけ動かしてあちこち見ている。ちょくちょく驚きの声だって上げていた。つまりは、そんな注意をされたところで説得力などなかった。
ただ、さすがにそこで思ったことをそのまま指摘するほど僕も子どもじゃない。
「でも、初めて見るものばかりだよお姉ちゃん。ほら、そのお店の前に飾られた髪飾りとか可愛いよ」
「もう、ソールは仕方ないわね……どれどれ」
僕の誘導にフィスが――表面上は弟にせがまれて仕方なくという風を装って――乗ってきた。それから目につくあれこれを僕が指差して、それをフィスが一緒に見るという、ちょっと回りくどい町見学が続いていった。
そうしていくらか歩いたところで、
「フィス、ソール、少し端に寄りな」
途中からどっちが面白いものを見つけるか、みたいなゲームに夢中になっていた僕らを、スカジが引き寄せた。しまった、フィスと一緒になってはしゃいでしまった。
「馬車が通るから大人しくしな」
スカジがそう注意したすぐ後に、少し大きめの馬車が列をなしてやってきた。この町のメインストリートはそこまで狭くはないんだけど、その馬車はそれでも道を塞がんばかりに大きかった。人が十数人は乗れそうだ。馬車を牽いている馬も一際大きい。さらに護衛と思しき屈強な男たちが馬車の周りを囲んで歩いている。
馬車が目の前を通って行くが、荷車を布で完全に覆いきっているせいで中の様子は窺えなかった。ただ、何か違和感を覚えた。
「ねぇスカジ。あれ、何の馬車かな」
「商人のだろう」
「何が載ってるのかな」
「商人の馬車なら商品だろうな」
「商品……乗っている人たちも?」
「……そうだね」
僕の問いに対して、スカジは答えに詰まりつつも肯定した。
そう違和感とは。荷車の中から感じる何人もの弱々しい気配と、僅かに鼻に届いた異臭――汗や糞尿の臭いを香水などで強引に中和してるかのような悪臭だ。
ちなみに奴隷はヴィンガルフにおいては合法だ。更に言うなら、三大列強で奴隷を禁止している国はない。世界的に見ても、奴隷が非合法な国は極少数だ。
ここでヴィンガルフにおける奴隷制を簡単に説明しておこう。
奴隷とは、金銭などで所有権を売買される人間の事で、身分としては最下層に位置する。
所有物となった奴隷は、基本的に所有者に絶対服従で自由意志はない。もちろん勝手に逃げ出すことなど許されない。もし暴力や逃走をもって所有者に逆らった場合、死罪が言い渡される。
このあたりは三国、または他の奴隷制のある国と同じだ。また僕みたいな日本で生きてきた人間の共通認識でもあるだろう。
ただ、ヴィンガルフは奴隷制を敷いている国の中でもかなり珍しい法律が存在する。
それは、奴隷にも人権があるという考え方に基づいた「奴隷法」である。細かく分けると色々あるのだけれど、簡単に言うと。
奴隷を意味もなく傷付けたり殺したり虐げたりしてはいけない。
というものである。
奴隷は確かに所有物ではあるけれど、所有者が気分のままに手を上げてはならないのである。躾などで叩いたりするのは許容されているが、治療が必要となるほどの傷を負わせると、逆に所有者が罰せられる。
また、所有者には給金を出す義務はないが、衣食住を保証する義務が存在する。栄養失調になるような食事や、風雨に晒されるような居住地を与えることは違法となる。
法に反した場合、殆どの場合は財産の一部没収などの罰が科せられる。
また所有者が認めさえすれば奴隷にも結婚が認められているし、その配偶者や子どもに奴隷であることの責務は継がれない。さらには結婚後に違う場所に住居を構えることも出来る。
と、ここまでだと奴隷が物凄く優遇されているようにも思えるが、やはり主人に対して絶対服従なのは変わらないし、理不尽で無茶な命令でもないのに断れば、奴隷が罰せられる。この場合は良くて投獄や棒打ち、悪ければ死刑だ。
労働法なんてないし、1日中休みなしで働くことも当たり前だ。
さらに暴力が禁止されてるとはいえ、治療が必要ない範囲ならばお咎めはない。そのため、殴られる程度のことなら日常茶飯事である。所有者を殴り返せば死刑だ。それに何かされたとしても、それが外に漏れなければ、結局奴隷はどうすることも出来ずに泣き寝入りすることになる。まぁ、これに関しては極稀に監査が入るので、運が悪ければ所有者は事実隠蔽の罪も追加されて、一部の領地召し上げになったりするのだが。
とまぁ、ヴィンガルフにおける奴隷制はこんな感じになっている。命すらも物のように扱われる他二国に比べたら大分マシだけど、やはり平和な日本からしたらとんでもない法律である。
ちなみに、ヴィンガルフの奴隷は実は人気の職種だったりする。
寒村などで生まれ、今日食べるものもなく、着るものも家も隙間だらけのボロばかり。明日生きているかも分からない。そんな生活に比べたら、働けば食事は出され、着るものも寝る所もちゃんとしたものが用意されている。それはもう天国のようなものだと。殴られたり罵倒されることなど、我慢にすら値しない。
飢え苦しむ人達はそう考えているようだ。
残念ながら僕には分からない価値観だけど、そういうものらしい。
奴隷を乗せた馬車は僕らの前を通り過ぎ、そのまま道の向こうへと進んでいく。可哀想だなとは思うけれど、非合法でもないのに咎める事は僕には出来ない。もしここで僕が奴隷を助けだしても、その場合むしろ下手人は僕であり、世間的にも悪いのは僕だし、何より助けられた奴隷のほうが困る可能性のほうが圧倒的に高い。彼・彼女らは死と隣合わせの世界から、生が保証された世界へ行くのだから。
だから僕がここで何かをすることに意味は無い。
そう、意味は無い。
なのに何でだろうか。
僕の中に芽生えた違和感は消えようとはしてくれなかった。
その時、ふと風が吹いた。
一際冷たくて強い風が。
風は僕らの身体を叩いた後、激しく疾走して馬車を追い抜いていった。風が馬車を飲み込んだ時、荷台を覆っていた幌が少しめくれ上がった。
その少しの隙間から弱々しく光る、怯えきった瞳が見えた。
目が合う――
「待ちな」
唐突に肩が掴まれた。
どうしたんだろうと肩を、そして掴んでいる手を、さらにその人を見上げた。
「駄目だよ」
スカジが窘めるように、しかし心配するような目で僕を見ていた。
「行ってはいけないよ」
「え?」
下を見ると僕の身体は走りだす姿勢を取っていた。余程強く踏みだそうとしたのだろう。地面には深さ3cm程の足あとが付いていた。
「あ……うん」
どうしたというのだろう。
僕は僕の体の反応の理由も分からず、曖昧に頷いた。
スカジはそんな僕の様子を見て1つ頷くと、僕とフィスの手を取って歩き出した。
後ろを見ても、ウルの大きな身体しか見えなかった。




