9話 謎多き美女
それは地を這いずりながら彷徨っていた。
地の底で蠢いていたそれは、際限なく湧き上がる欲望を満たすために、自身を引き摺りながら進んでいた。
全てを呑み込みながら。
* * * * * * * * * *
コトコトと鍋から音がしている。同時に野菜と香辛料の香りが漂い、鼻腔をくすぐってくる。新鮮なようで、それでいて懐かしい匂い。昔、これと似たような香りを嗅いだことがあるような気がする。
さらに何処かで聞いたことがあるようなフレーズの鼻歌を歌いながら、スカジが鍋をかき混ぜていた。
それはもう完全無欠に夕方の台所で夕食を作っているお母さんの姿だった。
まぁ金髪金眼で水着並みの布面積の服を着ているけど。
「ふっふーん。やっぱり私のほうが強いってしょうめいされたわね!」
そして僕の正面ではフィスが鼻を天井に届かんばかりに伸ばしていた。もちろん比喩で、実際には伸びてない。それくらいに得意げだってことだ。
僕はフィスとの手合わせで見事にやられてしまった。
そしてその理由が定かで無い。
火を纏った全体的に赤いイメージの女性。
多分、という程度には予測はついてるんだけど、それはまだ確信じゃない。
「ねぇ、フィ――お姉ちゃん」
フィスと呼びかけたところで睨まれたので、すぐさま呼び方を訂正した。サバイバル前には慣れかけてたのに、この1ヶ月でまた元に戻ってしまったみたいだ。
「なに、ソール?」
「うん、最後に僕を倒した火の精霊――でいいのかな? あれって」
「あの子はイフリートよ」
「イフリート……」
やっぱりか。
水の精霊の名前がウンディーネだったから、そうじゃないかと思ってた。
火の精霊イフリート。
炎を纏った赤橙の美女。ただ同じ美女と言っても、静謐な雰囲気を持ったウンディーネと違い、こちらは活発を通り越して荒々しい風貌をしていたけれど。
フィスの手札がウンディーネだけだと思い込んでいた僕のミスだ。あれは予想してしかるべきだった。
イフリートの一撃で気絶してしまった僕は家の中に運び込まれた後に目を覚まし、フィスから散々――今も続くドヤ顔を見せつけられ、スカジからは「油断したね」とだけ言われた。
その後、スカジが今日の晩御飯を自分が作ると言い出した。見事サバイバル訓練を終えた僕と、僕に勝ったフィスへのご褒美だそうだ。今はほとんど家事をしなくなってるとはいえ、元はフィスに家事を教えていたのはスカジだ。掃除も洗濯もお手の物。料理だって言わずもがなだ。
「お姉ちゃんの精霊って、ウンディーネとイフリートの2体なの?」
「今のところはね」
「今のところ?」
「そうよ。ゆくゆくは私もお母さんみたいにたくさんの精霊とけいやくするの」
「へぇ」
なるほど、フィスの現有戦力はあれで全部か。次回は予想外の攻撃ではやられないで済みそうだな。
「そういえばお姉ちゃんって魔術も使えるの?」
「まじゅつは使えないわ。でも、まほうなら使えるわ」
「魔法?」
「そう、魔法さ」
僕とフィスの会話にサラダが――もといスカジが割り込んできた。
サラダをテーブルの中央に置きながら、スカジは言葉を続けた。
「魔力の使用方法を形式化している――言わば術として完成されているのが魔術。そして、魔力を自由に操って具現化し、己の内のイメージを世界に投影する方法をアタシ達は魔法と呼んでいるのさ」
そういう区別があったのか。
「ま、アタシ達が勝手にそう言ってるだけだがね。魔力を扱えない一般人や、普通の魔術師からすればどっちも魔術だろうさ」
そうしてスカジは自らの論を笑い飛ばした。
周りから見れば魔力を使って超常現象を起こしているのだから、まぁ同じことか。
「ま、その理屈で行くならアンタの電撃も十分魔法の域だよ」
「そうなんだ」
確かにあれは現存する魔術とは違う。言わば僕だけのオリジナル魔術――魔法だ。
うん、なんかカッコイイ気がする。
「さて、なんて言ってる間に出来たよ。皿を並べておくれ」
「はーい」「あ、うん」
指示されるがままに配膳を手伝う。テーブルの上に並べられたのは、柔らかそうな白いパンと、茶色いスープだった。
茶色をしたとろみのあるスープには大きめに切った野菜がゴロゴロ入っており、たくさんの香辛料の香りを立ち上らせている。
これどっかで見たことあるような? すっごい身近な――って、これカレーじゃね!?
そう認識して匂いを嗅いでみると、やっぱりカレーだった。
「す、スカジ! これなんて料理!?」
「ん、これかい? カレーだよ」
本当にカレーだった!
「あぁ、ヴィンガルフでは珍しい食べ物かもね。大陸南部の民族料理でね。ちょいと独特な香りと辛味があるけど、味は保証するよ」
僕の驚きをスカジが勘違いしたまま説明をしてくれた。
「ほらソール、こうして食べるのよ」
そしてフィスが何も知らない――と思われている――僕に食べ方を実践して見せてくれた。白いパンをちぎってカレーにつけて、そのまま口に入れた。
あ、もしかしてこれってナンか。
僕はフィスの模倣をする形でカレーを口に運んだ。
「んん!?」
口の中で様々なスパイスの香りが広がった。香辛料の辛味と野菜の甘味が見事に調和している。貴族に生まれ変わって色々と美味しいものを食べたけれど、こんなのは初めてだ。
そして――非常に懐かしい。
こちらの世界では珍しい味だけど、前世のことまで含めるととても慣れ親しんだ味だ。
大陸南部のカレーがどういうものか詳しくは知らないけれど、これは間違いなく日本のカレーの味だった。こっちの世界にもこんなものがあったなんて。
感動しながら次から次へとカレーを口に運んでいく。
止まらない!
そして、そんな僕の姿をスカジが慈しむような目で見ていた。
「そういえば、スカジって大陸南部とかにも行ってたの?」
食後のまったりとした時間に、ふと疑問に思った事を聞いてみた。
「ん? そうだね、若い頃は世界中を回ったからね」
「若いころって、今でも若いでしょ」
スカジの見た目は20代後半。おそらく30歳はいってないだろう。色気や物腰なんかは確かにもっと年上に見えなくはないけど。若い頃はって言うくらいなら実は30歳を越えてたりするんだろうか? 見た目が若くても実年齢は思った以上だってのは、前世でも芸能人とかにいたし。
なんて思っていた僕の予想は次の一言で完全に粉砕された。
「あぁ、そういえば言ってなかったっけか。アタシはもう500歳を越えてるんだよ」
「へ?」
「ただ500歳っていうのも曖昧でね。途中から年齢なんて数えてないから、歴史と照らしあわせてみると大体それくらいは生きてるってだけなんだけどね」
「……」
「おや、面白い顔をしているね。ちなみにフィスはちゃんと7歳だからね。そこは安心しな」
いや、安心しなって。
そんなことで安心はって、いや確かにフィスまで見た目と年齢が大きく違っていたらショックは計り知れないけど。
なんていうか、こう……若作りってレベルじゃねーぞ!
「まぁ、あんまり気にしなくていいさ」
気にするわ!
「えっと、人間の寿命って数十年程度だと思ってたんだけど、実はそんなことないの?」
エイダールの屋敷で読んでた書物でもそうだったんだと思うんだけど。
「いや、その通りさ。人間は殺されない限りは60歳位で死ぬよ。アタシは別なんだよ」
「そうよ、お母さんは特別なんだから」
何故かフィスが偉そうに胸を張った。
「やめなフィス。特別なんかじゃないよ。そんな……いいもんじゃない」
そういった時のスカジの表情がやけに暗くて、簡単に聞いていいもんじゃない気がして、僕は思わず黙ってしまった。
「まぁ、今はもう年を取り始めてる。ついこの間までは外見も20歳のままだったんだけどね、今はもう30歳手前さ」
どうやら僕の年齢予想は一応当たってたらしい。
「フィスも途中で成長が止まったりもしない。普通に年を食って、普通に老けて、普通に死ぬよ」
「えー」
「えー、じゃないよ。不老になったからっていいことなんてありゃしないんだから。……さぁさ、この話はここまでだ。そもそも女に年齢の話はさせるもんじゃないよ」
「あ、うん。ごめん」
スカジが僕達に余計な不安を抱かせないように明るく振る舞っているのが分かって、僕はそれ以上は聞くことが出来なかった。
500年。
言うだけなら短いが、実際の時間にしてみれば途方も無い程に長い。その間に、それは当たり前のように色々なことがあったのだろう。前世と合わせてもたかだか26年しか生きていない僕には想像もつかないような事が。及びもつかないことが。そう、こんな森の中でフィスと2人でひっそりと隠れるように暮らしている事も含めて。




