1話 おいでませ異世界
再び意識を取り戻した時、視界がやけにぼやけていた。
寝起きのせいかな? とも思って目をこすってみても視界は晴れないままだった。
そうしていると、ほとんど単色だった視界に不意に色が混じった。
桃色と肌色。
よく見てみるとそれはどうやら人の顔っぽくて、口っぽいところがパクパク動いている。
声のような音も聞こえるんだけど、何を言っているかまで聞き取れない。
「あー」
どなたですか、と声をかけようとしてみたら口から出たのは赤ん坊が発するような、いわゆる喃語っぽいものだった。
ど、どういうことだ?
ちょっと混乱気味に陥った僕は手足を動かそうとして、上手くいかなかった。
簡単な挙動は出来るのだけど、起き上がるとかものを掴むとか、そういった動きが全く出来ない。
「――――――」
人影がまた何かを話すと、僕の身体を軽々と抱き上げた。
上半身を起こしたとかではなく、全身を胸に抱えるようにしてだ。
それも、抱かれている感触からして女性っぽい。
僕はそんな体格のいいほうじゃないけど、女性がそこまで簡単に抱き上げられる程軽くもないはずだ。
そして優しげな声で何かを僕に語りかけてきてから身体をゆすってきた。
それはまるで赤ん坊でもあやすかのような動作だった。
しかもそれで僕のまぶたはどんどん重くなっていって……目を開けていられなく……なって……。
* * * * * * * * * * *
目を覚ましてから何日か経って、ちょっと目も見えるようになって耳も聞こえるようになって、そうして僕はようやく事態が飲み込めた。
僕は、なんと赤ん坊になっていた。
これはもしかしなくても生まれ変わりというやつだろう。
ラノベとかでよく目にしたからこそ、そういった結論にいち早くたどり着くことが出来た。まさかこんな所で役に立つなんて、ヲタ趣味も捨てたもんじゃない。
しかし、生まれ変わったということはつまり前世の終わりを表している。
僕はストーカー男に刺され、そのまま死んでしまったのだ。
彼女も出来ず、童貞のまま、あんな殺され方をしてしまうなんて。
いや、それはもうこうなってしまっては後悔しても仕方のない事だ。
ぶっちゃけ、これに気付いた時はかなり落ち込んだのだけど、それから数日でなんとか立ち直れた。
人間いつかは死ぬんだし、と開き直ったと言ってもいい。
まぁ、だからこそそれはもういい。
けど、その中でもまだ引っかかっていることがあった。
園山さんの事だ。
彼女は助かったのだろうか。それとも僕と同じように亡くなってしまったのだろうか。
それだけは開き直ることが出来なかった。
彼女を守れなかった後悔はすぐには消えそうになかった。
だけど、今からはどうしようもない。
それも事実だ。
僕は悩んだ。苦しんだ。考えた。悔いた。
目も耳も身体も未発達で何も出来なかったけど、頭だけはちゃんと回った。
目が覚めている間はずっと彼女の事を考えた。
0歳時にしてノイローゼになるんじゃなかって程だった。
ただ、母親っぽい人に抱かれている時は、えも言われぬ安心感があって、その時だけは悩みから開放された。
そうして、失った悲しみと、失いたくない温もりの中で僕は一つの結論を得た。
僕は彼女を助けられなかった。
それを死ぬほど後悔している。
なら、せめてもう同じ後悔はしないようにしよう。
もし、誰かを守らなければならない場面になったら、その人を守れる人間になろう。
そう、心に決めた。
* * * * * * * * * *
それから結構な月日が流れた。
正確な日数が分からないのは、赤ん坊の身体ではすぐに眠くなってしまって、寝て起きてを頻繁に繰り返してしまうため、どれくらいの時間が経っているのか体感で判断が付かないからだ。
あと、どうもこの部屋には時計やカレンダーといったものが存在してないようで、客観的に時間を確認することも出来なかった。
部屋の外には抱きかかえられた状態で出ることが何度かあったけど、分かるのは季節が移り変わってると言う事くらい。
僕の両親っぽい人、父親らしき人は金髪碧眼の美丈夫で、母親は薄紅色の髪に橙の瞳をした美女で、どう考えても日本人じゃない。ちなみに僕の外見も赤髪に赤眼と日本人離れしている、というか人間離れしてないか、これ?
だから、いくら季節が変わっていても日本みたいに綺麗に3ヶ月毎に変わってるとは言い切れない。
結果、経過日数が全然分からないのだった。
ただ、他に分かったことはいくつかあった。
まず僕の生まれはエイダール家という貴族で、しかも侯爵家らしい。
ラノベで読んだ知識によると、確か貴族は偉い順に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵となっていたはずだから、侯爵はかなり偉いはず。
そもそも公爵は国王の血縁だから、それ以外では1番偉い。
これはもしかして、生まれの時点で勝ち組なのではなかろうか。
そしてエイダール家当主、つまり僕の父親の名前はスタルス。母親の名前はフローラで、どうやら第二夫人らしい。
その2人の子どもで、かつエイダール家の長男が僕、ソール=エイダールだ。
第二夫人の母さんが長男を産んだことで、第一夫人であるインウィディアの立場が悪くなり、母さんを逆恨みしているというのは、メイドさんの噂話によるものだ。
いい迷惑である。
そして前述で分かるように、必死に言葉を覚えようとしたおかげである程度は理解できるようになった。
前世では外国語は決して得意じゃなかったけど、さすが赤ん坊と言うべきか、この身体の学習能力の高さは半端じゃなかった。
なお、この世界の言語は英語や日本語ではなかった。
貴族上位の封建社会が存在している時点で、あれ? とは思ったんだけど、どうもここは僕が前世で生きていた世界とは違う世界っぽい。
なにせ、これだけお金持ちなのに、電気やガスが使われていなからだ。
灯りはランプとかだし、エアコンやテレビのような電気製品もない。
暖房器具も、もっぱら暖炉が使われる。
過去に遡ったわけでもない限りは、ここはきっと前世と同じ世界じゃないはずだ。
そんな考察をした翌日それは起こった。
この日はやけに寒くて、吐く息も心なしか白かった。
この頃、ようやくおすわりが出来るようになった僕は身体を起こして、窓の外へと目をやった。
「ゆき」
あと簡単な単語だけなら発音できるようにもなった。
なお、赤ん坊としての第一声はいつも僕をあやしてくれるフローラに報いる形で「ママ」にしてみた。
初めて自分が呼ばれたことにフローラは跳び上がって喜び、夜にはホームパーティまで開かれた程だった。親バカ疑惑浮上の瞬間であった。
ちなみにスタルスの名前はまだ呼んでない。普段は仕事なんかで全然会わないから、なんとなく焦らしているんだけど、最近自分のことが呼ばれないことに本気で落ち込んでいるらしく、ちょっと可哀想になってきたので近々呼ぼうと思う。
それはともかく、窓の外では雪が降っていた。
窓から見える木々にはうっすらと積もり始めている。
僕の声に反応したのか、フローラがもぞもぞと動き始めた。
「んー、どうしたのソール?」
彼女は寝ぼけ眼をこすりながら起き上がった。
「あら、雪ね。どうりで寒いと思ったわ」
フローラはきびきびした動きでベッドから出ると、暖炉へと歩いて行った。
暖炉をつけようとしているんだろうけど、確か暖炉の点火は基本的に使用人がしてたはずだ。着火用の道具も実はここにはない。
しかしフローラはそんな事もお構いなしに暖炉の前でしゃがみこむと、
「さすがに寒いし、ちょっと横着しちゃおうかしら」
と言って暖炉に手をかざした。
「其は創造の源にして、破壊の担い手。ファイアボール」
フローラがそう唱えると、突然てのひらから火の玉が生まれ、放たれた。
火球は暖炉の中で爆ぜ、そして薪が一気に燃え上がった。
「……」
僕は目の前で起こった信じられない出来事に言葉を失った。
漫画やアニメで魔法はよく目にしていたし、魔法が使えたらという妄想もしたことがある。
けれど、転生を経験した今だって魔法なんて現実には有り得ないと思っていた。
それが、いま僕の目の前で実際に行われた。
「これでもうすぐ暖かくなるからね」
いつの間にかフローラがベッドまで来ていて、僕を抱き上げた。
火を放った手は火傷などしておらず、人肌程度に温かくてすべすべしていた。
「ま、まほー」
なんとかそれだけ言うと、フローラは僕へと微笑みかけて、
「そうよー。これでも母さん魔術は得意なのよ」
何でもないように言った。
魔術が実在する世界。
それはもしかして、守る力を得るためにはとても重要なことなんじゃないだろうか。
僕の中で、魔術と目的がカチリとはまったような音がした。