18話 暴龍山脈
間もなく6歳になる、そんな冬の日。
「どうされたんですか、母様?」
寝室でフローラがじっと何かを見詰めていた。
「え? うん、ちょっとね。実家から手紙が来たのよ」
「実家……お祖父様やお祖母様からですか?」
ヴィンガルフ王国の南、山脈を挟んだ向こうにあるエネアー地方。その一部を領地として治めているウィヨルギュン伯爵家がフローラの実家だ。
「そう。最後に会ったのがソールが生まれた時だから、かれこれ6年近く会ってないのよね。だから、いい加減顔を見せに来いって」
そういえばフローラの両親に会った覚えがないな。スタルスの両親は首都グラズヘイムに住んでるから何度かは会ったけど。厳格な人で、孫の僕にも厳しい方たちだった。
「そういえば会った覚えがありませんね。こちらにいらっしゃることはあまり無いのですか?」
「お母様が足を悪くされてるから、あんまり遠出はしないのよね。貴方が生まれた時も、結構大変そうだったわ」
「そうだったんですか。それなら折角ですし会いに行きませんか? 僕もお祖父様とお祖母様にお会いしたいですし」
「そうね。今年の年末はあっちで過ごすのもいいかもしれないわね。インウィディア様も今年はその方が落ち着くでしょうし」
「……そうですね」
インウィディアは子どもを産んでから精神的に少し疲れているらしく、ここ最近はスタルスがずっと心配している。それでまぁ、インウィディアはフローラをもの凄く嫌っている。だから、出産後の不安定な今のこの時期に自分が屋敷から離れて、インウィディアの心への負担を軽くしようとフローラは考えたのだろう。
僕としても同じ屋敷内でギスギスされるのは嫌なので、落ち着きを持つためにもここで一旦距離を置こうというのには賛成だった。
「じゃあ決まりね。年末はウィヨルギュンに帰りましょう」
「はい」
こうして僕とフローラは里帰りを決めた。
* * * * * * * * * *
「そうか、分かった」
僕らの帰省を伝えるとスタルスは何を聞くでもなく頷いた。
フローラとスタルスが不安げにアイコンタクトを取っていたので、多分共通認識としてインウィディアの事は頭にあったのだろう。
「イーニャには僕から伝えておこう」
ちなみにイーニャとはインウィディアのことだ。スタルスだけは彼女を愛称で呼ぶ。
まぁ身分に煩い彼女のことだから、フローラや僕がそう呼んだら烈火のごとく怒るだろうけど。
「はい、宜しくお願いします」
自分が会ってもインウィディアをイライラさせるだけと分かっているので、フローラは大人しく頷いた。
その夜、スタルスは早速インウィディアの部屋へと出向いた。
「イーニャ、具合はどうだ?」
インウィディアは心労のせいか、最近は床に臥せっていることが多い。
「あ、スタルス様。はい、大丈夫です。心配をお掛けして申し訳御座いません」
夫の前では貞淑な女。それゆえにスタルスはインウィディアの本性を知らない。
フローラと仲が悪いのも、一夫多妻の家ではよくある程度のものくらいに思っていた。
スタルスはいくらかの世間話などをしてから、本題へと入った。
「今年の年越しだが、フローラとソールは実家で過ごす事になった」
「そうなんですか」
「あぁ。だから今年は僕と君と、あと息子のラースの3人で年を越す事になる」
「……」
てっきり喜ぶかと思っていたのに、非常に反応が薄かったためスタルスが怪訝に思っていると、
「彼女の実家はエネアー地方でしたわね」
「ん? あぁ、そうだよ」
「今の時期、あちらへ向かうのは大変ですね。間に暴龍山脈もありますし」
「確かにあそこを通るのは自殺行為も良いところだが、避けていけば問題ないだろう」
「そうですね」
「何だ、心配なのか?」
スタルスの問いに、インウィディアはぞっとするほど妖艶に笑った。
「ふふ、そうですね。もしもまかり間違って、近くでも通ってしまったらと考えると恐ろしくて」
「そ、そうか。だがまぁ大丈夫だ。あそこの恐ろしさはヴィンガルフ王国に住むものならば赤子でも知っている」
「そうですね。本当に、なにもなければいいのですが」
俯いて肩を震わせるインウィディアを見て、スタルスは心配のあまり顔を伏せてしまったのだろうと考えていた。
しかし、もし誰かが下から彼女の顔を覗いたのならば分かっただろう。
その卑しく歪んだ笑みに。
正月まで残り一月になったその日、僕とフローラは屋敷前の馬車に乗っていた。
「それでは二月ほどで帰ると思いますが」
「あぁ、気をつけてな。ソールも、何かあったら母さんを守るんだぞ」
「はい、任せて下さい父様」
そう返したものの、警護には30人もの兵が付いている。
多少、魔物や盗賊が出た所で簡単に追っ払えるだろう。
というか、近寄ってすらこないと思う。
「では、行ってまいります」
「行ってきます、父様」
「うむ」
こうして僕らはスタルスに見送られて出発した。
ふと屋敷の方を見ると、2階の窓にいた誰かと目が合ったような気がした。
「?」
しかし人影はすぐに消えてしまい、それが誰だかは分からなかった。
馬車はやがて城門を越え、城下町を通り、さらに外壁の門を潜って外へ出た。
ここで軽くグラズヘイムを説明しておくと、まずミーミルの丘がある。そしてそこにヴィンガルフ城がそびえ立っており、城の周りに貴族の住宅街があり、さらにそれを囲むように城壁がある。城からこの城壁までおよそ5kmだ。
そして城壁の外に城下町が放射状に広がっている。これが商人や平民が住む場所だ。これが10kmくらい続いて、外壁がある。
これが首都グラズヘイムの広さである。
この人数を率いて馬車で移動となると、首都から出るのに半日かかる。
この日は未だヴィンガルフ城の威容を感じる距離で夜営となった。
まだ城の輪郭が遠くに見えるので、全然外出した気にならない。
こっからフローラの実家、エネアー地方ウィヨルギュン伯爵領までは直線で100kmもない。馬車だと3日もあれば着く距離だ。
しかし、実際は半月かかる。
それは何故か。
首都グラズヘイムとウィヨルギュン伯爵領の間に、暴龍山脈という山々が立ちはだかっているからだ。
この山脈はさほど険しいわけではなく、馬車で通ろうと思えば普通に通れるのだけど、1つだけ大きな問題がある。
1匹の強大なドラゴンがこの山脈に棲み着いているからだ。
名を暴君竜と言う。
これがまたもの凄く強いドラゴンらしく、山脈を通ろうとする者は人間だろうと魔物だろうと全てに襲いかかってくるんだとか。
そんな奴がいるせいで、グラズヘイムからエネアー地方へ行くにはこの山脈を大きく迂回しなければならないのだ。
だから半月かかる。
まぁ半月かかるとはいえ、迂回さえすれば比較的安全に行けるので問題はない。
グラズヘイムを発ってから6日が過ぎた。
途中、魔物に襲われることもあったけど、兵士達がなんなく撃退。負傷者は出たものの、軽傷だったために同行の魔術師が回復魔術をかけてお終い。
旅路は平穏無事に進んでいた。
そして7日目、岩山に入ってしばらくした所で、それまで退屈そうにしていたフローラが急に立ち上がった。
「ど、どうされたんですか母様」
「……不味いわ」
「へ?」
フローラは僕の問いに答えることなく、馬車を飛び出した。
速度は遅いとはいえ、入ってる馬車から飛び出すなんて。
僕はそこで何か緊急事態が起こったのだと気付いた。
僕はすぐにフローラの後を追って馬車から飛び降りた。
「馬車をすぐに止めなさい!」
声のした方を見ると、フローラがすごい剣幕で御者に怒鳴っていた。
馬車はまもなく停止したが、御者は何事かと驚いている。
「ど、どうされました奥様」
「どうしたもこうしたもないわ! 貴方、いま何処を走ってるか分かってるの?」
「は、何処をと言われましても。暴龍山脈の東端ですが……」
御者は分かりやすく説明しようと思ったのだろう、懐から地図を取り出した。
その地図を見たフローラの顔がさらに強張っていく。
「この地図は何処で手に入れ……ううん、今はそうじゃない。今は引き返しなさい! 早く!」
「し、しかし」
「いいから! 急ぎなさい!」
「わ、分かりました」
御者は何か言い返そうとしたものの、フローラの剣幕に負けて頷いた。
そして馬車を回頭させようとするが、ここは狭い山道。方向を変えるには時間がかかりそうだ。
「もう馬車はいいわ。馬だけ離して」
「しかし」
「だから、急ぎなさいって言ってるの!」
フローラがこんな風に他人に怒鳴っている姿は初めて見る。
周囲の兵士も何事かと目を剥いている。
一体何があったと言うんだろう。
「しかし馬車を手放しては旦那様に……」
「そんなものはどうでもいいの! 分かってないの?」
僕の疑問はすぐに溶けた。
フローラの次の一言によって。
「ここは、タイラント・ドラゴンの縄張りの中なのよ!」
――静寂。
そして、
「ガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
天地を震わせるほどの咆哮が、僕らの頭上から降り注いだ。




