-1話 僕の最期
「一緒に帰ってくれない、かな?」
大学での講義も終わり、さて帰ろうとした矢先にそんな事を言われた。
言ってきたのは僕がよく知る、いわゆる幼なじみの女の子だった。
彼女は明るくて人当たりがよく、また顔立ちも可愛らしく、特に笑顔は春の太陽のように朗らかだ。
対して僕は根暗で人付き合いが悪く、また顔立ちは十人並みかそれ以下で、インドア派でよく自室に引き篭もってる。
僕らは家が近所ということで幼稚園くらいから仲が良く、小学校の高学年くらいまでは毎日のように遊んでいた。
それがいつからか疎遠になり、僕はアニメやゲームに傾倒して内へと引き篭もっていき、彼女は交友の輪を外へと広げていった。
中学高校大学と何故か同じ学校に通い続けたけど、高校では挨拶すらまともに交わさなくなっていた。
大学でもお互いの存在は知っているものの、やはり話したりすることはなく、周りの人間は僕らが知り合いであることすら知らないだろう。
それなのに、声を掛けられた。
しかも一緒に帰ろうとのお誘いだ。
一体何が起こった?
もしかして童貞をこじらせてリアルな妄想でも見てる?
そんな風に僕が混乱していると、彼女は自分の言葉が聞こえなかったと思ったのか、もう1度同じ台詞を繰り返した。
「一緒に帰ってくれないかな? ダメ?」
「えっと、もちろんいいよ」
断れるわけなんてなかった。
幼なじみが折角僕を頼ってきてくれたんだから、それを無碍には出来ない。
「ホントっ? よかった~」
僕の返事に彼女はホッとした表情で笑った。
それを見た僕の心臓が煩いくらいに高く鳴った。
か、可愛い。
「それじゃあ、いこっか」
ドギマギしている僕を促して彼女は歩き出した。置いていかれまいと僕も着いて行く。
構内で何人かと別れの挨拶をし――僕は友達が少ないので、全部彼女宛てだ――電車に乗って帰路へとつく。
何年もまともに話していないせいで話題が全く浮かばない。
彼女も同様らしく、少し困ったようにせわしなく辺りを見回している。
え、やっぱり僕なんかと2人で帰るのは恥ずかしいかな?
何駅か過ぎて乗客が減ってきた頃、ようやく彼女が口を開いた。
「えっと、急にゴメンね。変なこと頼んで。迷惑じゃなかった?」
「いいいや、全然。気にしないでいいよ」
「そう? よかった。やっぱり颯太くんは優しいね」
「そ、そんな事ないよ。普通だよ」
急に名前を呼ばれて焦った。
確かに昔はそう呼ばれていたけど、いまこの年になって呼ばれるとドキドキする。
これは僕も彼女を名前で呼んだほうがいいんだろうか?
調子乗ってるとか思われないかな? 向こうから名前で呼んでるんだからいいよね? いいのかな?
「それでね、いきなりだったから驚いたと思うんだけどね。こんな事頼んだのには理由があるんだ」
「え? あ、うん」
なんて彼女をどう呼ぶか考えている間に既に話題は次へと移っていた。
「実は……最近付きまとわれて困ってるの」
「えっ? それは、つまり、いわゆる、ストーカー……ってやつ?」
おそるおそる聞いてみると、彼女はコクリと首を動かした。
ストーカーか。確かに彼女は可愛いし男女別け隔てなく優しい。勘違いする男は多いだろう。実際、中学高校で彼女の連続撃墜記録を耳にしたこともある。
そしてその例に漏れず、僕も彼女に好意を抱いている男の1人だったりする。
まぁ僕の場合は告白する根性もなくて、片思いをかれこれ10年近く続けているわけだけど。
「それでね、もし颯太くんさえよければ、その、か、か――」
「か?」
どうしてか彼女の顔がもの凄く赤い。
「かれ――、帰り道着いてきて貰えないかなーって」
そして何故か台詞のあとに悔しそうな表情をした。
もしかして僕に頼むのが悔しいのかな? でも家が近くて頼めそうなのが僕しかいなかったから仕方なく――って、いやいや、それでも僕を頼ってくれたのは間違いないじゃないか。
せっかくだからその期待に応えたい。
「えっと、やっぱり迷惑だよね。自分でも凄く勝手なこと言ってるって思うし」
不味い。これは下手したら彼女から断りが入るパターンだ。
「そっ、そんな事ないよ」
「え?」
「大丈夫だから。安心できるまでは一緒に帰ろう」
言った。言ったった!
これできっと一生分の勇気を使った!
「うんっ、ありがとう」
そんなこんなで僕は彼女――園山さんと一緒に帰るようになった。
大学なのでお互いの帰宅時間がズレる事もままあるはずなのだが、意外とそれは少なくて、ほとんどの場合時間を合わせなくても一緒に帰ることが出来た。
たまにズレる日、彼女のほうが先に終わる日は、食堂で待ってて貰った上で一緒に帰った。
なお、園山さんの下の名前は芹香というのだけど、やはり僕に女性を下の名前で呼ぶことなど出来るわけがなく、苗字で呼ぶようになった。その事に彼女はやや不服そうだった、ような気がしないでもない。
そうして一緒に帰るようになって数日が経った。
初日は緊張していたせいか分からなかったけど、こうして一緒に帰っていると確かに背後に気配を感じることがあった。
それも結構な頻度で。
気付いた内では3日に2回は付けられている。
ただ向こうから接触してくるようなことはなく、こちらから行こうとすると園山さんに危ないからと止められた。
その内諦めるだろう、と。
この時は僕も危機感が薄くて、そうかなと思ってしまった。
後悔というものは先に立たないというのに。
2人で帰るようになって半月くらい経っただろうか、その日もいつものように2人で電車に乗り、帰り路を並んで歩いていた。
さすがにこの状態にも慣れてきて、最初は少なかった会話も近頃は増えてきた。
お互い喋ることに夢中になり、あっという間に園山さんの家まで着いた。
いつもはここでお別れをして、彼女が家の中まで入っていくのを確認したら1ブロック先の自宅まで帰るという流れになるんだけど、今日はなぜか雰囲気が違った。
「どうしたの?」
さようならを告げても園山さんは動こうとしなかった。
モジモジしながらうんうん唸っている。
「えっと、いつもありがとうね」
「あ、うん。どうしたのさ急に」
「毎日付きあわせて迷惑かけてるなって思って」
「別に迷惑だなんて思ってないよ」
「そっか、ありがと。やっぱり颯太くんは優しいね」
「そんな事ないよ、普通だよ」
「ううん。今日だって講義の準備をしている先生を手伝ったり、電車でお年寄りに席を譲ったり、エスカレーターに乗れない子どもの手を引いてあげたり。それも全部何も言わずに自然に」
「うーん」
やたらと褒められたけど、全部普通の事だし、何も言わなかったのは単純に口下手なだけなんだけどなぁ。
「颯太くんのそういう所、いいなって思う」
「え?」
台詞と共に園山さんの顔が真っ赤に染まった。
それがなんだか凄く可愛い。
「それでやっぱり思ったの。私、颯太くんの事――」
園山さんが僕の顔を見ながらゆっくりと口を開く。
そこでふいに背中に衝撃が走った。
「つっ」
何かにぶつかられたんだって事はすぐに分かった。あと背中に妙な異物感が現れた。
僕の変な反応に園山さんは不思議そうな顔をしている。
「なん……だ?」
何がぶつかったのかと思って後ろを振り向いてみると、僕の背中に密着する男の姿が見えた。
そして同時に激痛が走った。
あまりにもの痛みに膝から力が抜けて、崩れ落ちるように僕は倒れた。
そんな僕の目に写ったのは、息を荒らげた若い男と、その手に握られた赤く染まった包丁。
まさか――刺された?
「き、きゃぁぁぁぁぁあああああああああ!」
僕と同じように現状を認識した園山さんが大きな大きな悲鳴を上げた。
「颯太くん! 颯太くん! 颯太くん!」
僕の名前を合図にしたかのように、男は刃物を振りかざして園山さんへと襲いかかった。
「いやぁ!」
園山さんは抵抗しようと腕を振り回すが、簡単に男に掴まってしまった。
「にげ……」
僕は痛みを堪えて必死に手を伸ばしたけれど、僕の手はまるで重りでも付けられたかのように動かなかった。
そんな事をしている間に、振り上げられた包丁は園山さんの身体へと沈んでいった。
「ひぐっ――」
そして、僕と同じように地面へと倒れた。
「お、おまっ、お前がっ、悪いんだ! 俺がいるのに、他の男と!」
男はさらに追い打ちをかけようと園山さんへと包丁を振り下ろそうとした。
「い、いまの悲鳴なに!?」
しかし園山さんの家から誰かが飛び出してきた事によって、その包丁は寸での所で止まった。
「え、あなた誰……え、そこに倒れてるの、せり、か? きゃぁぁぁ!」
今度はその悲鳴を切っ掛けにして男は逃げ出した。
あとには血だまりに沈む僕と園山さんが残された。
「そ、の、やま、さ――」
僕は重くて動かない手を必死に彼女へと伸ばす。
その手が届いた所でどうにかなるわけでもないけれど、それでも僕は彼女に届くように手を伸ばした。
彼女の手はピクリとも動かない。
けれど、だから、僕は手を伸ばす。
僕の中にある全部の力を振り絞って手を伸ばす。
そうする事でようやく僕の手は届き、彼女に触れた。
「ご、め、ん」
守ってあげられなくて。
そして、僕の意識は暗闇の中へと落ちていった。
こっから日付変わるまでぶっ続けで投稿していきます。