9
一瞬、一馬は困惑した。彼の恐怖の根本にあるものは、人として逃れられない宿命。それを取り除くのは、不可能。だから、軽々しい発言で慰めることも出来ない。
だが、なんとかしなければ、彼は永遠に潰れたままだ。どうにかしなければ、その重圧に耐え切れなくなる。自殺、という行動に出るかもしれない。しかし、言葉が見つからない。頭を抱える。教師として、少し情けなくなってくる。
すると、今まで一馬の後ろで沈黙を保っていたミヅキが一歩、剣護へと近付いた。怯えて震える身体を、そっと抱きしめて包み込む。柔らかで暖かな体温が、彼に伝わっていく。
「皆、怖いんですよ。だから笑って誤魔化してるんです。そうやってバカ正直に考える人なんて普通居ませんからね。
逃げても絶対に来るなら、覚悟をするしかないんです。受け入れろ、なんて言いません。でも、立ち止まることも、逃げることも出来ません。だから、一歩ずつ、ゆっくりでいいから、進んでいきましょう。慣れないでしょうし、またその感覚を思い出して、怖くなることもあるかもしれません。その、だから……っ」
彼女の言葉はしどろもどろで、ちゃんと文になっているかも理解していない。思ったことをそのまま吐き出している。端から見れば、バカらしい質問にバカ正直に答えているバカに見えるかもしれない。それでも、彼の心を揺さぶるには、それで充分だった。いや、必要だった。
だが彼女は、これで言いたいことを全て言えたわけではない。勇気を絞り出す。今言うことでは無いだろう。だが、彼女は今、どうしても言いたかった。
「貴方が困ったときは、私が傍に居ます。貴方が怖がっている時は、私がこうやって抱きしめてあげます。だから……あの、負けないでください。諦めないでください。精一杯、生きてください……っ」
自分の全てを伝えられたかは、ミヅキ自身にも分からない。それでもその言葉は、彼を奮い立たせるには充分なものだった。
剣護が、ミヅキを強く抱きしめる。手の力は強く、まだ微かに震えている。彼の内にある恐怖が全て消えたわけではない。それでも、幾らか和らぐことが出来た。
「……ありがとう」
顔を上げる。恐怖と、強い意志の両方を纏う剣護の瞳が、ミヅキを見つめる。彼女の頬は微かに赤らみ、目を逸らす。
その様子をずっと見つめていた一馬は、溜息を漏らし、背を向けた。
「あの、ありがとうございました。敵同士なのに、こんな……心配をして頂いて」
彼が部屋から出ていこうとするのに気付き、剣護が頭を下げる。一馬は立ち止まり、振り返りもせずに口を開いた。
「お前は俺の生徒であり、仲間だよ、天城。例えこの世界でもな」
ようやく今、剣護は気が付いた。その教師が、前に学校の廊下ですれ違った教師であることを。そして、自分のクラス担当の教師であることに。
「そこの彼女には感謝するんだな。敵と判断した俺を入れさせまいと、声まで荒らげてたんだからな。せめて自分の大切なヤツには、心配を掛けさせないようにな?
だから、精一杯生きろよ」
まさか彼女がそこまでしてくれていたとは思わず、驚愕しながら彼女の顔を見た。ミヅキは恥ずかしくなったのか、頬を真っ赤に染め、俯いてしまう。
――精一杯生きろ。
その一言が、胸の中、頭の中で木霊した。去っていく彼の後ろ姿に向かって、頭を下げる。
生きよう、もっと。生きてるのが嫌なくらいに生き続けてやる。剣護は、そう思えるようになった。




